ギルドへ
翌朝、鼻腔をくすぐるいい香りで目が覚めた。
下のパン屋で仕込みが進んでいるのだろう、パンの焼けるいい匂いだ。まさに麦の香、名前通りだな。
「まったく……」
見れば、昨夜隣のベッドで眠ったはずのシズカとアイリが俺の両側からしっかりと抱きついて寝息を立てている。たいして大きくもないベッドなので二人とも半身は俺の上に乗った状態だ。
だが二人の可愛らしい寝顔を見ていると無理に起こすのもしのびない。二人の柔らかな髪を撫でながらパンの焼ける香りに包まれてまったりとした時間を過ごして彼女達が目覚めるのを待った。
「おはようございます」
起きた二人が準備をする間に先に下に降りた俺は、パンの香りに誘われてパン屋の厨房前に来ていた。中には、昨日厨房の中で調理や洗い物をしながらテキパキと動いていた男性がいて、やはり忙しそうにパン作りを行っている。
挨拶をしてみたのだが、忙しくてそれどころではないのだろうか。
「…………おはよう」
邪魔をしてはいけないと思いその場を離れようとすると、中からとても渋い男性の声がボソッと聞こえた。どうやら聞こえていたみたいだ。
「泊まりか…………」
今度は彼から質問された。それにしても、アンナほどではないものの彼もかなり筋肉質でガッチリとした体型だな。
ちょっと声が小さく、口数も少ないが……。
「はい。しばらくお世話になります」
「…………ピエトロ」
「はい?」
「名前だ。……お父さんと呼ん……何でもない」
「はあ……」
名前はピエトロというらしい。話すのが苦手そうな彼なのに、やはり例のを言おうとしていたな。流行っているのか……身内呼び。
焼きたてパンを堪能し、朝食を済ませた俺達は早速この町の冒険者ギルドに向かう事にした。町を歩くのに武器は必要ないだろうと魔眼に収納しようと言ったが、シズカ曰く絶対にテンプレで戦闘になると押し切られ、結局 三人とも武器を手にしている。
……やれやれ物騒な一行だ。
だがギルドに近づくにつれ、それが杞憂であったと思い知らされた。道を歩く俺達の周囲には全身鎧や大剣、大斧。背には予備の武器や大きな荷物を持っていたりと、まるで戦争に向かうように仰々しい出で立ちの人々がどんどん増えてきて、逆にこっちが軽装過ぎて目立つくらいになってきた。
今も、揃いのゴツい全身鎧を纏った一団が俺達を追い抜き、去り際に明らかに小馬鹿にしながらゲラゲラと笑って去って行く。
「これが全員冒険者か。ハンスしかいなかった出張所とは大違いだな」
「ホント、圧倒されますわね。でも、遠巻きに笑わずに早く誰かいちゃもん付けて来ないかしら」
「戦闘になるんですか?」
「いや、別に無理に戦おうとしなくていいから。早く行くぞ」
ワザと周りに聞こえるように言い、テンプレを引き込もうとするシズカを制し、俺達は人混みと共にギルドへと急いだ。
「これはまた……」
ギルドの建物はレンガ造りの三階建て。周りの建物と比べてもかなり大きくしっかりとした建物だ。
丈夫そうな扉を開けて中に入ると、そのあまりの人の多さと喧騒に圧倒された。
広い一階のホールはそうだな、例えるなら銀行の窓口といった感じか。長いカウンターには四ヶ所の受付があり、そのどれもが長蛇の列だ。
「来る時間が悪かったかな。どうする?出直すか?」
「結局、何にも起こらないですしね」
「人がいっぱいですね」
これでは手続きどころではなさそうだ。せっかく来たが時間を改めようと振り返った時……。
「そこの貴方」
これだけの人混みなので、それが俺に向けられたものとは限らないのだが、よく通るその声は激しい喧騒の中でもはっきりと耳に届き、反射的に振り向くとカウンター脇にある二階へと上る階段の中ほどに一人の女性が立っていた。
「そう。眼帯の彼、貴方の事よ」
そう言って彼女は一段ずつ階段を下りてくる。肩までで切り揃えられたふんわりとした赤い髪と同じ色の瞳。随所にレースがあしらわれた仕立てのいい白いブラウス。足のラインが出るぴったりとしたタイトなロングスカートには太ももの辺りまでスリットが入り、出るところが出て尚且つ均整のとれた魅惑的なプロポーションに更なる色気を加味している。
そして何より主張しているのはサイドに羽根のような装飾がついた赤い縁の眼鏡。
「呼び止めてごめんなさい。今日はギルドにどういった御用かしら」
「ああ、ギルドの方でしたか。実は…………」
どうやらギルドの職員の方みたいだ。俺はシイバ村出発時にハンスから渡された幾つかの手紙を取り出して、彼女に渡し用件を話した。
「なるほど、あなた方がゼフの言っていた新人冒険者。わかりました、こちらにどうぞ」
そう言って彼女は階段を上り始めた。上にも受付があるんだろう。俺達は彼女に続いて二階へと上がる。二階の奥にはさらに三階へ上がる階段があり、それを上った三階のさらに奥の突き当たりに彼女の目的の部屋があった。
「……支店長室?」
扉に付けられた金属製のプレートには確かにそう書かれている。ワクワクしだしたシズカとは対照的に俺は一気に不安になった。
室内には執務机と来客用のソファとテーブルのスペース以外、所狭しと幾つもの本棚が置かれ、そこに入りきらない本が各所で山積みになっている。これはかなりの読者家か何かの研究者……確かに眼鏡だし、知的な美人支店長といった感じの人なのか。
「まあ、おかけなさい。皆さん、シイバ村では大活躍だったみたいね」
「まあ、成り行きですが……それよりも」
「ん、なあに?」
「ち、近くないですか?」
俺達をソファに座らせると、ちょうど俺の対面に座った彼女は不自然に身を乗り出していて、顔が息のかかるほど近くに迫っている。彼女から漂う甘い香りとブラウスの胸元から覗く白い谷間。正直、落ち着かない。
「そう?まあいいわ。それよりも……ひょっとして貴方は、精霊使いじゃないの?」
俺の指摘を受け、少しだけ距離を置いてくれた彼女はいきなりそんな質問をする。世間にはごく稀に精霊を使役してその能力を使う者がいるらしいとは師匠に聞いた事があった。
確かに俺にはミスティがいるが、俺は一応剣士のつもりなので……。
「いえ、俺は精霊使いではありません」
「いや、しかし……そんなはずはない」
そんなはずはないってどういう事だ。ミスティは今実体化してないから見えているわけがない。でも、確かに……最初に話しかけて来た時から、彼女は物凄く俺を見ているんだよなぁ。今も隣にいる二人には目もくれず、ひたすら俺だけをじっと見ている。
なんなんだこの気まずい雰囲気は……。シズカもアイリも何も言わずに成り行きを見守っているだけだし、目の前の彼女は何も言わずに俺を見つめ続けているだけ……。
「そ、そう言えば凄い蔵書の数ですね。何かの研究でも?」
場の雰囲気を変えようと、とりあえず目に付いた本の山に話題を振ってみたのだが……これがとんでもない地雷だった。
「興味があるのっ?」
「うわっ!」
俺の言葉を聞いた彼女の目がキランと輝き、あまりにも勢いよく身を乗り出して来たので一瞬唇が触れそうになってしまった。
得たり!彼女の目がそう言っている。
実はこの部屋にある蔵書は、全て妖精や精霊について書かれた文献だった。彼女は、向こうの世界風に言えば精霊マニア。
そもそも彼女が冒険者になったのも妖精や精霊に会いたい一心からであり、しかしこれまでまともに精霊と接触する機会には恵まれず、それなのに『精霊姫』という二つ名を付けられてしまったり、精霊愛好家の団体の副会長に任命されたりと周囲から精霊に関する第一人者として一目置かれる存在になってしまったのだと。
その為にあらゆる文献を収集して読み漁り、同じマニアである会員達との専門的な会話に備える必要性があったらしい。
だが、彼女自身も熱狂的な精霊マニアなので、それらは苦と言うよりむしろ喜ぶべき事なのだ。
そんな彼女の過去話から始まり、ついには様々な文献の内容の講釈が延々と続いて、俺達が解放されてギルドの外に出た時には辺りはもうすっかり暗くなっていた。




