ヴェロニカの訓練
「いやぁ、残念。俺の負けだな」
土煙りが落ち着いてくると、そこには岩の巨人を構成していた土の山だけが残り、骸骨兵士の姿はない。まあ、戻したので当然だが……。
「はぁはぁ……当然の結果ですわね。水属性だったはずの貴方が死霊術を使われたのには驚かされましたが、所詮は平民。高貴な私とでは最初から勝負にならなくてよ!」
ヴァネッサのプライドの高さは大したものだ。魔力枯渇で今にも倒れそうな状態にありながら、胸を張って威厳を保とうとする彼女の根性には正直驚かされる。
おっといかん。土煙りが消えて、間に合わなかった最初の骸骨兵士が転んでいるのが見えてきたな……よし戻した。これで大丈夫。
はっきり言って、あんなプライドの塊みたいなキャラと対立すれば、この先ろくな展開にならないと相場が決まっている。ここはそのプライドを満足させて、俺への興味がなくなるのを待つのが得策だろう。
「シンリ……」
あれ、やばいな。後ろにいたヴェロニカには丸見えだったかもしれない。
「ああ、せっかくいいアドバイスもらったのにすまないな。負けちゃって」
『いやいや、実にいいもの見させてもらったよ。特にあの女兵士の腰つきときたら……』
おいおい変態幽霊執事、それはまさかさっきの骸骨兵士達の事か。あの中に女性がいたなんて初耳だぞ。まあ、そもそも俺にわかるわけがないんだが……。
「あんたには生前の姿で見えてるってわけか。俺にもそんなスキルがあれば、もっと骸骨系の彼等とも親しくなれるんだろうが……」
『生前?何を言ってるんだい。それくらい骨格で解るだろう。ああ、あの坐骨を思い出すだけで鼻血が出そうだ』
そっちかよ!俺の感動返せ、この変態め。
『そうそう、君がもしヴェロニカと結ばれて本国に来る事になれば、そこで『死者の書』を見る機会もあるだろうねえ』
「『死者の書』?」
『ホッフェンハイム家に代々伝わる死霊術の深淵なる知識の源泉さ。興味があるなら、今ならヴェロニカとセットで……』
一族の根幹に関わる秘蔵の書物を、軽々しくセット販売みたいに出そうとするなゲルンスト。
しかし、確かに一度見てみたい気もするな……。
「シンリのは、死霊術とは違う気がする……。だけど私は、ますますシンリが好きになった」
そう言いながらも、未だ魔力を練り続けているヴェロニカ。魔力量の不足とそれが不安定な事を彼女も気にしているのだろう。真面目に訓練を続けている。
「ヴェロニカ、俺のやってる魔力量増加の方法を試してみる気はないかい?」
「シンリが望むなら、ここで子作りされても文句はない。いや、むしろ大歓迎」
……なんだかシズカと話しているみたいだな。まあ、相変わらず無表情で平坦な話し方なんだけど。
魔力枯渇で意識を失ったヴァネッサを救護室に連れていく為、先生と数人が訓練場を離れ、現在は自習時間。
そこでヴェロニカには、俺が師匠やパンドラ姉さんの教えをベースに、独自に作った方法を教えてみることにした。
「授業で行う方法とは完全に別物だ。慣れるまでは絶対に俺が一緒にいる時しか練習しないように!」
「はい、あなた」
先生が教えているのは、最も基本的な魔力増加の訓練法。
これは、自らの身体を魔力を貯める器であると仮定して魔力を練って満ちさせるもので、満ちた状態がさっきのヴァネッサやヴェロニカが光を全身に纏っていた状態だ。次の段階としては、魔力を練る時間を徐々に伸ばしていくことでその器を内側から少しずつ押し広げて総魔力量を増やそうという考え方である。
エルフなどの長命な種族であれば、その数百年にも及ぶ時間の中でそれなりの器を作り出すことも可能だろう。しかし、たかだか七、八十年ほどしか生きられない人間がそれを続けたところで、いかほどのものになれようか。
「いいかいヴェロニカ。今から俺の魔力で君の全身を包み込む。そうだな、ダボついた大きな大人用のコートをすっぽりと羽織るようなイメージで、それを感じてごらん」
「わかった……」
目には見えない程度の薄い膜状に広げた俺の魔力が、彼女の全身をゆっくりと包み込む。ここで慌てたり、彼女が拒否反応を示せば、その魔力自体で彼女を傷つけたり窒息させる恐れだってある。
「気持ちいい……」
彼女が俺に好意を持ってくれているのが、いい方向に作用しているのだろう。狙い通り魔力はよく馴染み、自然と彼女を覆うことが出来た。
「では、次の段階だ。今度は、今ヴェロニカが練り上げている闇属性の魔力を、俺が注ぎ込む魔力で体外に押し出していくよ。外に出た魔力は先ほど纏った魔力のコートに受け止められ、コートを膨らませているんだとイメージして」
俺が普通に魔力を流し込んだりすれば、常人の肉体が耐えられるはずはない。
そっと右手の人差し指だけに小さく闇属性の魔力を練って、俺は彼女の背中からほんの少しずつそれを流し込む。
「少し痛いかもしれないが、なるだけ優しくするから我慢してね」
「……んっ、くぅ」
この会話とシチュエーションでゲルンストが茶々を入れてこないのは、俺の集中を乱せばヴェロニカがただではすまない事が解っているからだろう。
およそ二十分あまりの時間をかけ、俺の送った魔力がヴェロニカの体内を占め、外に出された彼女の魔力が大きなローブのように膨れてその全身を包み込んでいた。訓練時間のほとんどの間、魔力を維持し続けている彼女の顔には疲労の色が濃くなり、額に汗が滲んでいる。
「きついだろうが、ここで集中を切らしちゃいけないよ。俺が送った魔力も同じ闇属性。つまりはそれも自分の魔力だと認識して、ゆっくりと意識の中で融合させてごらん」
「はい」
見込んだ通り、ヴェロニカの魔力制御はなかなかのものだ。同じ紫系統でも僅かに濃さの違う二つの魔力は、じっくりと溶け合って境がなくなり、輝きが増して安定を示し始めた。
「いいぞ。安定したらいつも通りに魔力を体内に戻すんだ。容量が倍近くになっているからゆっくり、時間をかけて……」
「はう、あぅぅ……」
経験した事のない大量の魔力が体内を駆け巡る感覚に、無表情ながらやや色っぽい声を上げるヴェロニカ。安定供給が復活したゲルンストもいつものイケメン執事に戻っている。
「今の魔力量ならゲルンストの外見変化もそんなに負担に感じないだろう?ヴェロニカなら、数日この訓練を続ければ、誰の目にもゲルンストをこの姿で見せることが可能になるよ」
「本当……?」
「ああ。今日君の魔力に触れて解ったんだが、これまでは総量の半分ほどしか使えてなかったみたいだ。多分ゲルンストの魂を現世に固定するのを気にするあまり、自分でブレーキをかけてしまっていたんだろう。これからもっとその総量自体を増やしていくから、その気になれば、以前話に聞いた『実体化』を彼にさせて一緒に居ることだって可能になるだろうね」
ゲルンストの外見のせいもあり、俺と出会うまでこの学園では、おそらくずっと一人で過ごしてきたヴェロニカ。イケメン執事姿のゲルンストを供に出来れば、彼女自身も寂しくないし何よりすぐに友達が出来るはずだ。
「ありがとう、あなた」
俺に抱きついてきて、そう呟くヴェロニカ。
そんな彼女の純白の髪を撫でながら、俺は登校初日の学園長の話を思い出していた……。
 




