キサラギ
注:本日二話目の投稿です。
兄ガルデンが作った『緑』という自警団が帝都内外で多くの問題を起こし兄より継いだ将軍職に加え、そのお詫びや対処にも奔走する忙しい日々を送っていた俺のもとへ、副団長のオットーがミツクニからの使いが来ていると呼びに来たのは、あるとても晴れた日の事であった。
「閣下、すっごい美人ですよ!」
現在は別居している兄の代からこのシュトラウス本家の屋敷では何故か使用人の男性の割合が多く、現在でも女性は僅かしかいない。その為やや男臭いこの屋敷では仕方ないのだろうが、オットーは随分興奮気味だ。冷静な彼がこんな表情を見せるのも珍しいななどと考えている内に、俺達は彼女を待たせていた応接間に到着した。
オットーが開け放った扉の先には、窓から差し込む陽の光に照らされて輝く栗色の髪。それを後ろで一つに纏めた一人の女性が凛としたとても美しい姿勢で立っていた。
「はじめまして。ミツクニ様の命により本日から閣下の身辺警護を務めさせていただきますキサラギと申します」
「ガウェイン・シュトラウスだ。待たせてすまない、まあ掛けたまえ」
俺がソファに座るのを見届けてから、彼女は徐に対面に腰掛けた。訓練の賜物なのだろうか、座っていても彼女の姿勢はとても美しく背筋はぴんと伸びている。
「何か、お気に召しませんでしょうか?」
黙ったまま彼女の立ち居振る舞いに見惚れていた為、何やら誤解をされてしまったようだ。
「いや、お気に召さないなんて事は……いやむしろ逆だ、大変気に入った!……あ、いや違うな、気に入ったのには違わないが……」
「……うふふふふふ」
誤解から彼女を傷付けてしまったのではないかと思い、思わず要点を得ない言葉を並べてしまう俺の姿を見て、彼女は口に手を当てながら笑った。凛とした彼女の見せるその美しい笑顔……思えばあの時、俺は彼女に恋をしてしまったのかも知れない。
「……閣下、大変失礼いたしました。ですが閣下はもっと怖い御方だと思っておりましたもので」
「怖い?この俺がかい?」
「ええ、警備の内容を確認する為に数日閣下の行動を観察させていただきましたが、閣下はいつも苦虫を噛み潰したようなお顔をなさっておられていて」
確かに、最近は問題が山積みで少々余裕がない表情ばかりしていたのかも知れない。一軍の将たる者がそんな事では士気にも関わる。もっと注意しなければいけないな。
「失礼します!」
俺が自らの態度を反省していると扉が開かれオットーがお茶を持って入ってきた。緊張しきった様子で俺達の前にお茶を差し出す彼の動きは、まるで動き辛い甲冑を纏ってでもいるようにぎこちなく俺とキサラギは互いに顔を見合わせて微笑んだ。
「せっかくだ、温かいうちにいただこう。キサラギさんもどうぞ」
俺がそう言ってカップを持ち一口飲むのを見届けると、彼女もカップを持ち上げお茶を少しだけ口に含んだ。
「オットー様、このお茶はご自身でお淹れになったのですか?」
「い、いや自分は料理などは全く出来ませんので、これは使用人が淹れたものです」
彼の返事を聞きカップのお茶をしばらく眺めていたキサラギは、カップをテーブルに置くとすっくと立ち上がり少々待っていてほしいとだけ俺達に告げて退室した。
しばらくして戻ってきた彼女の手にはトレーに乗せられた三人分のお茶とカップがあった。
「どうぞ。ご挨拶代わりです」
そう言う彼女からお茶を受け取り俺とオットーが同時にそれを飲む。
「こ、これは……」
「キサラギ殿、これは貴女がお持ちになった茶葉なのですか?」
オットーが別の茶葉だと思ってしまうのも無理はない。その香りも味も、適度な渋みも全てに於いて絶妙で美味しく、先ほどのお茶とは比べるべくもない。
「いいえ同じ茶葉を使わせていただきました。私は美味しく飲んでいただけるよう少しだけ手間をかけたにすぎません」
そう言って微笑んだ彼女の表情は温もりと慈愛に満ち、陽の光を受けながら美しく輝いていた。そう、まるであの強く優しかった母のように……。
「なんでキミがここにいるんだ。護衛の任は解かれた筈じゃないか!なのになんで……」
抱きしめたキサラギの体温と柔らかさを感じれば感じるほど、ガウェインの目からは大粒の涙がぼろぼろと流れ落ちた。
目の前で起こった事態にすっかり気が動転し、現在置かれている状況すらも忘れてしまっているガウェイン目掛けて、再び数本の触手が襲いかかる……。
「させるかぁぁぁぁっ!」
そこに愛馬ごと割って入ったのはオットーだ。彼は長年共に戦ってきた愛馬を盾にしてガウェイン達を触手から守ったのだ。触手に貫かれ、嘶きながら倒れ込む愛馬の身体を壁にして自身と二人の身を守るオットー。彼は愛馬の陰に身を隠すとその身を撫でて一言だけ小さく、すまないと呟いた。
……そんな彼の後ろでは一つの命の灯が、消えようとしている。
「泣かないで……ガウェイン様……」
「キサラギ……俺なんかの為に……」
息も絶え絶えの彼女が抱きしめた彼の耳元でか細い声を懸命に振り絞る……。
「ううん……貴方はこれからの帝国に必要な御方……必ず生きて帰らないと……」
「だったらキミも一緒だ!俺にはキミが必要だ、だからキミも一緒に生きて帰るんだキサラギ!」
彼女は震える手で腰に付けた小太刀を外しガウェインの手にそれを置いた。
「……こ、これを……これからもずっと……私が貴方を護るから……」
「そうだキサラギ!ずっと傍にいてくれ!俺と一生っ!」
「くっキサラギさん……」
触手の動きを牽制しながら二人の様子を見ているオットーの目からも幾筋かの涙が零れ落ちている。そしてそんな彼等の状況などお構いなしに休みなく既に屍と化した愛馬に突き刺さる触手……。
「ふふ……まるでプロポーズみ……たい……でも私は……貴方の事を……あ……いし…………」
「キサラギっ?キサラギ!嘘だっ!目を、目を開けてくれキサラギィィィィッ!」
みるみる失われていく彼女の体温。それを自らの熱で戻そうとするかのようにガウェインは強く、強く彼女を抱きしめた。
だが、消えてしまった彼女の命の灯が再び灯る事はない……。




