六華無双 ナーサ編3
グンッ!
勢いよく引き戻していた剣があと少しで巨腕を引き千切り解けて手元に戻ると思われた瞬間、それは突然固まったようにビクとも動かなくなってしまった。
「なっ、何だコレはぁっ!」
飛び散っていたと思っていた半透明の飛沫。それらは彼の剣の刀身や鎖に絡みつき岩にでもなってしまったようにそれらを取り込んだまま固まっている。しかも、その岩のような硬い手応えとは裏腹に、愛剣は水に沈むが如く巨腕の中へ中へとどんどん取り込まれていくのだ。
「止めろっ!くそがっ!」
この不利な状況で武器まで失う訳にはいかない。カールツアイスは必死で剣を引き抜こうと力を入れた。両手で懸命に引いてみてもやはり剣はビクともしない。それどころか両手で剣を掴み地面に踏ん張る彼の足は、ズルズルと少しずつ巨腕の方へと引かれ始めていた。
最早彼の意識は目の前の虚しい綱引きのみに注がれ、全霊を以って己の生命線たる愛剣を放すまいと抵抗を続ける。そんな隙だらけになった彼の身体にもう一本の巨腕が襲いかかり、彼は鎖の切れた剣の柄だけをしっかり握りしめたまま血飛沫をあげて彼方に吹き飛んでいった。
彼は初撃で剣が戻った時に迷わず逃げるべきだったのだ。その致命的な判断ミスが文字通り彼の人生をここで終わらせる事になろうとは……。
「くそっ!よくも隊長を、このバケモノめ!」
いつの間にか指揮所からはさらに数人の兵士が駆けつけておりダスラをすっかり取り囲んでいる。だがそんな状況にもかかわらず彼女の口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
決して戦いが楽しいわけでも人を殺めて気がふれたわけでもない。彼女が反応したのは兵士達が散々口にする『バケモノ』という言葉。
彼女はある意味この言葉を聞き慣れていたのだ。もちろん、平気ではないし言われれば心のどこかがチクチク痛むのは今でも変わらない。
かつてホーリーヒル王国の東の果てにある小さな山間の村に住んでいた頃、山の魔物と親しく接する事が出来た彼女の事を誰もが畏怖し避けていた。当初は木切れや石を投げつけられる事も多かったが彼女が魔物を供に連れて歩くようにすると魔物の反撃を恐れてそれらは止み、代わりに人々は彼女の事を『バケモノ娘』と呼び蔑んだ。
石が当たった痛みなら数日耐えれば消えるだろう。しかし言葉は……彼女の心に突き刺さり決して消える事はない。
こうしていつしか彼女の中には『ダスラ』という代理人格が生まれ育っていく事となる。
「バケモノ……か」
そう呟いた彼女の表情には悲壮感はかけらも感じられない。それどころか先ほどよりも楽しそうに笑っているように見える。
「クスッ」
心の内にいるナーサも同じ事を考えていたようで、思わず笑みが漏れ出てしまったようだ。
「だよな。オレ達なんてまだまだ可愛い方じゃんよ、あの連中に比べたら……」
思い浮かべるのは彼女から見ても異常としか言いようがないほどの力を持った仲間達。そしてそんな彼女達をして規格外と言わしめるシンリの姿。
自分を遥かに凌駕するほどの実力を日々目の当たりにしている彼女にとっては、自分程度の者がこんなにも人々に『バケモノ』と呼ばれている事、それ自体がおかしくて仕方がないのだ。本当に『バケモノ』と呼ぶに相応しい存在達に出会い、それを自らの事と気に病んでいた自分はとんでもない勘違いをしていたのだと気付かされた。
それに……『バケモノ』、そんな言葉でさえ全く物足りないと感じるほどの力を秘めた彼女達の愛しい旦那様……。
「そう言えば……いつの間にか、オレが出ている時にもナーサが普通に話せるようになってたじゃんよ」
「これもきっと…旦那様のおかげ…なの」
以前はダスラでいる時の自分を恐れナーサはその間心を閉ざしていた。しかしシンリや仲間達との日々がナーサの心に勇気の火を灯し、ダスラである自分を受け入れる事が出来たのだ。
ナーサとダスラ、二つの人格に翻弄されているかに見えていた彼女は、互いを受け入れそれぞれの役割をしっかり果たす事により二倍の強さを手に入れていた。
「じゃあ、そろそろ行くじゃんよナーサ!」
「うん、行こうダスラ!」
先ほどよりもさらに人数を増した敵兵をしっかりと見据え、その彼方にある元老院本館の正門を視界に捉えると、彼女は力強く一歩を踏み出して走り出した。その異形に気圧されながらも敵兵は自分達の人数ならば押し潰せるとばかりに殺到するのだが、あえなく巨腕の餌食と化して吹き飛んでいく。
そして彼女はまるで何もない直線をただ駆け抜けたようにあっさりと、敵兵ひしめく正門までの道のり約百メートルあまりを抜け、正門を守る警備隊のもとに辿り着いた。
「……お、お前は何者だっ?敵ではないのかっ?」
警備隊を代表して質問をしてきた警備隊長は、その口調とは裏腹に足がかくかくと小刻みに震えている。まあ彼女の背後には真っ赤に染まった道が出来ており、その巨腕からも鮮血が滴っているのでは仕方がない。
「安心しろって、帝都を守るように依頼された冒険者じゃんよ!」
「い、依頼だと……いったい誰が?」
「んと……皇帝ちゃん?ありゃ、将軍からもだっけ?まあ、そんな感じじゃんよ」
「陛下に将軍閣下だと……なぜ冒険者などに……」
「そんな事より…敵が来ちゃう…なの」
「えっ……おい!今のは誰の声だ?誰が話している?」
突如聞こえた全く声色の違うナーサの声に驚いて軽く混乱状態の警備隊長。だが彼女の言う通りダスラの背後では体制を整えた敵兵がじりじりと再びその包囲を狭めつつあった。
「とにかく、オレは味方じゃんよ!あいつら片付けてくるから、おっちゃん達はもう少しこの門を守っててくれじゃんよ!」
「ば、馬鹿な!一人で行くと言うのか?我等も……」
「おっちゃんっ!」
心強い援軍を得たと士気の高まる警備隊長とその部下達。しかし共闘を求める声はダスラによって遮られた。
「さっきの見ただろ?近寄ったら危ないじゃんよ!それにこっちにも敵が抜けてくるかも知れない。おっちゃん達にはこっちを死守してほしいじゃんよ!」
「くっ…………デボネアだ」
「んっ?」
「だから、おっちゃんではない。元老院本館警備隊隊長、デボネアだ!味方と言うならお前も名乗れっ!」
呆気に取られていたダスラだが、彼のそんな態度に責任を背負って立つ者の心意気のようなものを感じた気がした。それに名前を尋ねられた事がなんだか自分を彼等と対等に扱ってくれているように思えて、なんだかくすぐったいような嬉しさが彼女の心にこみ上げてくる。
「オレは黒装六華の一員「ナーサ」とダスラじゃんよ!じゃあ、よろしく頼むぜデボネアのおっちゃん!」
「おっちゃ……ぐっ、おうよ!後ろは任せやがれ!」
複雑な表情ながら親指をビシッと立ててそう言うデボネアを横目に見ると彼女は迫る軍勢目掛けて駆け出していく。
「オレに近づくと怪我じゃあ済まないじゃんよぉぉ!」
そんな勇ましい声を上げながら、彼女達は敵兵の波の中を突き進んでいった……。




