六日前
シルヴィアが見せた笑顔に、暫く完全に見惚れてしまっていたザビエルだったが、すぐに彼女の最後の言葉を思い出し顔を真っ赤にして不快を示した。
「き、君はいつもいつも……。ふん、いいだろう。そこまで言うなら賭けないかい?」
「賭け?」
突拍子もない事を言い出した彼だが、これは本来の来訪の目的からすれば見当違いの展開だと言わざるを得ない。
彼が王国に旧知の仲のシルヴィア王女を訪ねたのは、帝国崩壊の予兆ありとの情報を与えて恩を売り、その上で帝国崩壊後の領土問題とあわよくば以降の王国国土防衛に関して、武具や物資調達の大きな商談を纏めたいとの目論見があっての事だった。
貴族や豪商からの信頼が厚く、王国の経済面に於いて絶大な影響力を持つ彼女と、賭けなどをして少なからず敵対する行為は、彼の家の本業、『カステール商会』としては避けねばならぬ状況と言える。
「そうやってすぐに頭に血が上るところは変わらないのね。でもいいの?賭けが成立してしまえば、冗談でしたでは済まされないわよ?」
「と、当然だ、男に二言はない!」
「男だ男だって強調するのも相変わらずね。それで、何を対象にするのかしら?」
「ぐっ、いいだろう。それはもちろん帝国の命運だとも!君は帝国が滅ぶとは考えられない、そうだね?」
ある条件が無ければ正直判断に迷うところだ。その条件とはもちろんシンリ達の存在。
ジャンヌ達をはじめ、恐らくは帝都でも何らかの人々との繋がりを作っているであろう彼等が、帝国の危機を黙って見過ごす筈はない。
そして誰かを守る為に戦う彼等は、仮に王国の全軍を以ってしても倒せはしないだろう。
しかしザビエルも新しいS級冒険者誕生の情報を知らぬ筈はない。伝達に不備があったのか、彼の中の同じ男としての小さなプライドが邪魔をするのかは不明だが、彼は帝都にいるシンリ達の存在を全く問題にしていないようだ。
「ええ、断言してもいいわ。帝国は滅ばない」
「無理だね!『龍姫』が動くんだ!今回の侵攻は流石の帝国も耐えられはしない!」
彼の自信の根拠にあるのは、帝国から南に下った場所にそびえる活火山アスラ山。そこの地下に大きな都市を築く山賊国家『ネフラスガルド』が今回の侵攻に参加する事。
彼等ネフラスガルドは、元々はアスラ山を根城にした山賊の集団であったのだが、『龍姫』と呼ばれる現在の首領になってからは破竹の勢いで勢力を伸ばし続け、自らの拠点となる都市を持ち、アスラ山周辺部を支配する小国にまで登り詰めていた。その際に『龍姫』の美貌とその規格外の強さに憧れ、多くの野盗、盗賊などが傘下に加わっており、こと武力に関しては大陸に於いて第三位の勢力といってもいいだろう。
これまで大国に牙をむく事のなかったネフラスガルドが動くというのは、ザビエルでなくてもかなり興味を惹かれる材料ではある。
「それで、貴方は何を賭けてくれるのかしら?」
だが、シルヴィアの分析でも『龍姫』の実力はいいとこダレウス程度。まあ、シンリ達の存在が無ければ十分規格外の存在なのだが、どう転んでもシンリ達を倒せる根拠に乏しい。
「……いいだろう。では負けた方は一つだけ、勝った方のどんな申し出にも大人しく従うってのはどうだい?」
勝った場合の願いとして恐らく碌な事を考えていないのは、彼が顔を真っ赤にして呼吸を荒げている様子からも明らかだろう。
「それで構わないわ。これでもう後戻りは出来ないわよ。いいのね?」
しかしシルヴィアには負ける要素が無い。呆れたような顔をして最後の助け舟を出す彼女の様子が、不埒な妄想の中にいた彼の思考を再び怒りで塗りつぶす。
「男に二言は無い!まあ、覚悟しておくんだね!」
それだけ言い残すと彼は足早に去っていった。その足で彼が帰国を急いだ為、その後予定されていた行事は全て中止となったのだ。
「ふーん……そんな賭けをねえ。だがいいのか、オレにそんなん言っちまって?」
「構わないわ。貴方は私の兄も同然。いえ叔父様かしらね」
そう言ってダレウスに悪戯っぽい笑みを見せるシルビアからは、賭けに対する不安感などは一切感じられない。
「しかし、負けたらどうすんだ?とんでもない要求されるんじゃないか?」
「あら、貴方も『龍姫』を高く評価しているのかしら?」
「『龍姫』か、確かにありゃあ強えぇかもなあ……」
「……もし貴方と戦ったら?」
「タイマンか……まあ、負ける気はしねえな!」
彼女の分析ではほぼ互角。だが彼のプライドからか、老練な経験からくるものか、ダレウスはシルビアが望む通りの答えを導き出した。
「でしょう。貴方にも勝てない方が、シンリさん達相手に勝てるとでも?」
「そりゃあ無理だろうな……」
「仮に万の軍勢を揃えたとして、一般兵など彼等にとっては路傍の石に等しいでしょう。予想される敵の最大戦力が貴方以下の存在なら、シンリさん達の敵ではありませんよ」
「……けっ、随分な入れ込みようだぜ。さてはお前、黒衣のに惚れたな?」
「……ばっ、な、何を言ってるんですか貴方は?わ、私が……そんな、私が……シンリさんと……だなんて……」
ダレウスは冗談のつもりだったんだが、彼女の態度を見るに案外満更でもないらしい。何となく自分の娘に彼氏が出来た父親のような複雑な不快さを感じた彼は、未だ耳まで真っ赤にしてもじもじしている彼女に、少し意地悪をしてみる事にする。
「……だが、アレだな。帝都の将軍や貴族達は偏屈な奴も多い、こっちじゃあオレ等と懇意に出来たが、帝国でもそうとは限らねえ。ひょっとすると黒衣達は、帝国に敵対していたりしてな?がっはっは」
彼の発言を聞き、一気に顔から血の気が引いていくシルビア。ガイウスの件もあるので、正直そうなってないとは言い切れないと思ったのだ。青ざめる彼女を見て溜飲の下がったダレウスは、少々やり過ぎた気がしだしたのでポンポンと落ち込む彼女の肩を叩く。
「まあ心配すんな、大丈夫だ。あとこの情報の一部を内密にあの婆さんに送っておけば悪いようにはならんさ」
「は、はい。至急手配致します」
慌ただしく部屋を出ていくシルビアを見送ったダレウスは、遠く帝都の地に思いを向けた。
「やり過ぎんなよ……黒衣の……」




