七日前
上空を舞う飛竜の群れ。
その眼下に口を開けているのは巨大なクレーターさながらの活火山の噴火口。もうもうと上る灰色がかった大量の白煙と、その奥にはぐつぐつと煮えたぎる赤黒い大地が見える。それらを視界に捉えながら迂回した一頭の飛竜が、噴火口を中心にして台形状にそびえる外輪山の荒れた山肌近くを旋回し、その中腹に空いた洞窟の入口前に着地した。
着地し翼をたたんだその飛竜からは、軽鎧に身を包んだ男が一人降り立った。彼は洞窟入口に立つ警備の男達と挨拶を交わすと洞窟内部へと歩を進めていく。光る水晶体に照らされた通路を暫く歩くと、突然目の前に広がる巨大な空間。その空間に入った彼の足下の崖の下には、洞窟内部に存在するとは思えない広大な都市が広がっていた。
賑やかな街並みを抜け彼が辿り着いたのは洞窟の最奥、二匹の龍が絡み合う様な彫刻が施された巨大な扉の前。そこでも彼は門番と挨拶を交わし、彼らの手により開かれた扉の奥へと入って行った。幾つもの部屋や通路を抜け、階層を上り切り最上階に至ると雰囲気が一変する。
そこは他の階層とは明らかに趣が違っていた。そう、例えるなら王宮。壁や調度品は全て深紅で統一され、各所に施された金の装飾がどこか高貴でかつ華麗な雰囲気を醸し出している。
数歩進んだ所で両側に大きな赤い丸柱が立つ入口らしき場所に差し掛かると、男は足を止めた。
「ハクスイである。『龍姫』様に御伝言願いたい!」
そう言って暫く待つと、中から一人の侍女が姿を見せ、彼からの伝言を聞いて下がっていった。それを見送ると彼、ハクスイは来た道を引き返していく。
「龍姫様の宮殿は男子禁制か。なんとも面倒なこった……」
そんな事を呟きながら彼が階段を下りている頃、先程の侍女はとある部屋の前で跪いていた。
「龍姫様、ハクスイ様がお戻りになられました」
『ほう、にて首尾は?』
「全て段取り通り進行中、との事です」
『ふむ、自らを『狂王』などと呼ぶ等、変人の類かと思ったがガルデウスとやら、多少は使える者のようだな』
「ハクスイ様はこちらに残られ、後発の飛竜隊の編成と指揮にあたられるとの事。ご報告は以上です」
『御苦労、下がれ』
立ち上がり、部屋の方に深々とお辞儀をしてその場を立ち去る侍女。その部屋の中に居たのは深紅の衣装を纏った美しい女性であった。彼女は侍女の足音が遠ざかると部屋にある大きな天蓋付きのベッドに近付き、そこに腰を下ろす。
「もうすぐ、もうすぐだよ……」
彼女が腰掛けたベッドには一人の美しい女性が眠っていた。そっと彼女がその女性の髪を撫でるが、まるで大きな人形であるかのように何の反応も示さない。無反応なその女性を見て、彼女は唇をキュッと噛んで、悲痛な表情を見せる。
「帝国の秘宝『巫女王の秘薬』か……。それで本当にお前が治るなら……お前の笑顔が再び見られるかも知れないのなら……私は」
そこからの言葉は続かない。しかし彼女の瞳には揺ぎ無い覚悟と決意が満ち溢れていた。
前日にアイリから完膚なきまでに叩きのめされ、更に与えられた地獄の訓練メニューをこなしたジャンヌは午後になっても一向に部屋から出てくる様子が無い。無理もないか、最後の方は泣きが入っていたからな。脳裏に浮かぶのは訓練中にも見え隠れしたアイリの背後の幻影、通称黒アイリの姿。
あれが進化後のアイリの本性なのかも知れない。うん、今後はあまり怒らせないように注意しよう。
そんな事を思い出しつつ中庭の望める縁側に胡坐をかいて座る俺の足の上には、俺に背を預けて座り美味しそうに『甘麦屋』のあんパンをもしゃもしゃと食べるツバキの姿があった。彼女は俺の収監中に誕生日を迎えており現在十四歳。最近は後頭部のやや上の方で後ろ髪を束ねたポニーテールが多いのだが、今日はその美しい黒髪を真っ直ぐに下ろしている。この世界では黒髪は殆ど居ない為、畏怖されたり敬遠されたりするのだが、日本人としての視点で見ればツバキは完璧な美少女だ。
艶々とした黒髪に愛らしい顔立ち、小動物のような仕草に更には無口キャラ……まさに完璧だと俺は思う。まあ、更に忍びっ娘で影に潜る能力のおまけが付いたりするのだが……。
気が付けば俺はそんなツバキを後ろから抱きしめていた。驚かせたかと覗き込んで見れば、ツバキはほんのり頬を染めながら幸せそうに微笑んでいる。
「主様はこんな私にも……優しく触れてくれる……」
そう呟いて俺の腕に頬ずりするツバキ。俺と出会う前の彼女は奴隷として酷い扱いを受け、さらには『隷属の首輪』によって強制的に暗殺稼業をさせられていた。首輪は記憶までも操る訳では無い。それ故彼女は命令に逆らえない自身の身体が行う非道を、その幼い瞳と脳裏に焼き付け続けてきたのだ。当時の彼女の精神状態は想像を絶するものであっただろう。
出会った当初よりはかなり少なくなったが、今でも彼女は魘され涙を流して寝ている時がある。そんな時は誰からとなく彼女に近付き優しく抱きしめて皆で共に眠るのだ。大丈夫だ俺達がついている、と。
「ツバキは俺の事を信じてくれるか?」
ふと、ある事を思い付いた俺は、その準備として彼女の意思を確認する。
「勿論です。主様!」
輝く瞳で俺を真っ直ぐに見つめてくる彼女を見ながら、俺は【色欲眼】を発動させた。
「ツバキ……」
「主様……んっ」
互いを呼び合った二人の唇は重なり合い、更に強く深く結び付いていく。あんパンの味が残る彼女の小さな舌の感触に名残惜しさを感じながら、俺は唇を離した。
「新しいスキルを与えた。ツバキなら使いこなすだろう」
……コク。
頷きそっと目を閉じて、静かに自分の中に意識を向けた彼女は、ぼんやりだがそれがどういうスキルかを理解したようだ。
「感謝します主様。この身、存分にお使いくださいませ。そして……」
その言葉を言いながら身体ごと振り返った彼女は俺の首に両手を伸ばし、軽く額に口づけをして俺にしっかりと抱きついた。
「……幾久しく……」
前後の言葉はよく聞き取れなかったが、そう呟いた彼女は俺と頬を合わせて抱きつき続ける。俺はそんな彼女の気が済むまで身体を支え、その滑らかな感触の黒髪を撫で続けていた。
 




