因縁
武闘会の翌日、俺達は再びクロ達に分乗し街道まで送ってもらった。
目線を移すとシロナを労うアイリの背にサマエルの姿が見える。あのぬいぐるみの竜には、昨夜訪ねてきたアラクネのクロートによって『付け忘れた』らしい尻尾が縫い付けられていた。
クロ達との別れを済ませて街道に出ると俺は【魔眼】から馬車を、エレノアは[スレイプニル]のスーさんを召喚し準備する。全員が乗り込み、馬車は帝国に向けて出発した。
『冥府の森』を避ける為に街道はここから『セフリス山脈』沿いを大きく迂回する事になる。セフリス山脈は標高千m超えの山々が連なっており、迂回するとはいえ馬にはきつい登りが続く。
「ま、スーさんなら全く問題無いですわ」
御者台の俺の隣でシズカが言う通り、八本の足で力強く駆けるスーさんにはこの程度の登りは問題にもならない。平地と何ら変わらぬ速さで激走中だ。おかげで夕方前には、通常登りに入って二日以上かかるといわれる『ミッセ村』に到着した。アンナによれば、この村では酪農が盛んで例のチーズフォンデュに使うチーズも、この村の特産品らしい。
大きな酪農農家にお願いして馬車を停める場所を借り話を聞くと、村には食堂兼商店が一軒だけあり、そこで様々な特産品を食べたり購入したり出来るらしい。早速全員で、教えてもらった『どんぐり亭』へと向かった。
ログハウス調の店内に入ると、チーズと香ばしく肉の焼ける匂いが漂っている。俺達は迷う事無くチーズフォンデュを注文した。テーブルの上に置いた植木鉢のような物に焼けた炭を入れ、その上に溶かしたチーズを入れた金属製の鍋を置く。ここまではアンナの『麦の香亭』と同じ。だがここではパンの他にも茹でた野菜やボイルしたソーセージ等、様々な食材をチーズで楽しめるようになっている。
特にこのソーセージは絶品だな。村はずれの『イブスキー』という畜産農家の自家製らしい、出来れば少し分けてもらいたいものだ。明日にでも立ち寄ってみる事にしよう。
こうして俺達は旅の夜を心ゆくまで楽しんだ。
同じ夜、帝都『ヤマト』のある貴族の邸宅。
「ガルデン様」
「……草の者か、何用だ?」
ガルデンと呼ばれた屈強な大男の前に、一人の細身の男が膝をつき頭を垂れる。
「やはりユーステティア等が持ち帰った書状は、弟君ガイウス様への逆告訴を審議会に訴える内容の物のようです」
「ふん、真偽官とはいえ所詮は女。大方その何とかという冒険者に言いくるめられたに違いない」
近くにあったグラスに酒を注ぎ、それを飲むガルデン。彼は跪く男の横を通り過ぎて窓際に近寄った。
「で、あの目障りな『青薔薇』はどうした?その冒険者に手傷くらいはもらってないのか?」
「はっ、全くの無傷で帝都に戻ったようです」
ガシャアァン!
手にしたグラスを跪く男のすぐ側の床に叩きつけ、ガルデンは声を荒げる。
「それで?お前等は何をやっていた!まさかただ出迎えた訳ではあるまいな?」
「はいっ、『緑』の者を数人暗殺に向かわせました。ですが……」
「ですが何だと言うんだ?」
「……暗殺に向かった者で帰還した者は一人もおりません」
その報告を聞いたガルデンは、腰の剣を抜き放つとカーテンやソファ、調度品等を怒りに任せて無茶苦茶に斬りまくった。割れた調度品の破片や剣が掠めるが男は跪いたまま微動だにしない。
「あの憎っくき『青薔薇』のジャンヌめぇ。奴に付けられたこの傷が疼く、奴を早く殺せとなあ!」
彼の名前は『ガルデン・シュトラウス』。元帝国軍の将軍の一人であり、将軍職を辞した今は軍事顧問の地位にある。名前でわかるようにあのガイウスの兄だ。
彼はかつて『武』のガルデンと呼ばれ、その精強さは帝国随一と目されていた。しかしある日、そんな彼にS級冒険者候補に胸を貸してやってほしいとの依頼がくる。聞けば対戦相手は若き少女。流石に気が引けたがその少女の神がかった強さは以前より貴族の間でも評判であり興味を惹かれた彼は、胸を貸すだけならと快く了承した。
その御前試合当日、僅かにジャンヌに送られる黄色い歓声があるものの、観客のその殆どが帝国最強の将軍『武』のガルデンの雄姿を一目見ようと集まっている。その会場の熱気と雰囲気は自己顕示欲の強い彼の心を満足させるに値するものだった。
だが試合が始まると己自身に陶酔し切っていた彼の心は粉々に打ち砕かれる事になる。
開始直後、『青薔薇』との二つ名を持つその少女がゆらりとブレたかと思うと、遥か間合いの外から彼女のレイピアの切っ先が迫り、身体に触れる寸前で止まる。それも一撃では無い。現れては消える切っ先の残像はその数を数える事が出来ぬほどの速さだ。彼が開始位置から半歩下がったところで、その連撃は一拍の間を置いた。
「まさか?まさかこの俺に降参しろとでも言うつもりかこの小娘がっ!」
少女の態度に激高した彼は、手にした大剣を力任せに振り回す。しかしそんな状態で本来の力が発揮できる筈も無く、彼の剣はジャンヌに掠りもせず空しく宙を舞うばかり。
そんな自分の不甲斐無さに更に苛立ちを募らせた彼は、振り下ろした剣の先で土をすくうとそれをジャンヌの顔目掛けて叩きつけた。
体捌きも速さも勝るジャンヌにそんな小細工が通用する訳は無いのだが、その戦いを汚す行いはジャンヌの心に火をつけるには十分だ。治癒系の得意な魔法使いが待機しているので少々の怪我ならすぐに治療が出来る。
それを知ってるジャンヌは、先程より半歩踏み込んでガルデンに連撃を叩き込んだ。
咄嗟に大剣でガードしたガルデンだったが、剣から外れた右肩と右の頬に数個の浅い穴を穿たれ、膝を付いて降参した。
その敗北が彼から輝かしい名声と将軍職を奪う事になる。
もちろん試合後、傷は全て治療されたのだが、ジャンヌの事を考えるだけで突かれた右の頬が痛み出すのだ。
「もうよい下がれ」
「はっ!」
ガルデンがそう言うと跪いていた男は、掻き消えるように姿が消える。
後には、まるで魔物でも暴れたかのように荒れた部屋と、酒瓶を持ってそのまま飲む荒んだガルデンの姿があった。




