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パンドラの贈り物

 翌日、俺は一人で『死の山』に向かっている。

 昨日はあれから、クロの洞窟に戻って一夜を過ごしたのだが、パンドラから呼び出された俺は一人で出かけ、他の仲間達は残ってナーサの仲間探しを手伝ってもらう事にする。クロの治める『生贄の庭』は獣系の魔物の領域。帰ってきて解った事だが、進化したアイリは獣系の魔物と意思疎通が出来るようになっていた。交渉はアイリに任せて大丈夫だろう。


 しかし、パンドラがわざわざ配下を寄こして俺を呼び出すなんて何事だろうか。ここで暮らしていた期間も含めてこんな事は初めてだ。あれこれと理由を考えているうちに『死の山』に到着した。


「来てくれたんだねシンリちゃん」


 いったい何時から待っていたのだろう、パンドラは黒竜(やしき)の前に一人立ち俺を出迎えてくれた。


「おはよう姉さん。今朝は随分早起きなんだね」

「今朝?ああ、どうりで明るいと思った……」


 機嫌が悪い訳ではなさそうなのだが、どうやら昨日の伝言を聞いて俺がすぐに来ると思い一晩中待っていたようだ。


「姉さんごめん。屋敷に来てとしか聞いてなかったから今朝来たんだ」

「待ってたのは私が勝手にした事だよ。ちょっと『昔』を思い出して……ね」


「姉さん……」

「大丈夫よ!シンリちゃんは待ってれば必ず来てくれるもの。だからシンリちゃんを待っている時間が私は好きなのよ」


 頬を薄い桃色に染めるパンドラ姉さんは本当に幸せそうに見える。彼女が近付くと並みの人間では、その瘴気と『負』の気に耐えられず生きながらにして腐敗が始まるという。それはこの『冥府の森』でも例外ではなく、下位の魔物ならば数分側にいれば死に至るほど。だから心優しい彼女はこの『死の山』から自由に出歩く事が出来ないのだ。





 昔、彼女が世界を蹂躙し続けたある日の事。焼き払われた村で、死の迫った一組の若い夫婦の姿が彼女の目に映る。黒炎が燃え盛る瓦礫の下敷きになりそれでも互いの手を握り離さない二人。その時、まるで天啓のように二人の会話が耳に届いた。


「俺達の命は尽きるだろう。だが必ず、生まれ変わって君を見つけてみせる!」

「私も、たとえ何回生まれ変わろうとも、きっと再び貴方の妻になります!」


 『生まれ変わる』。知識としては知っていたが、そんな事はあるのだろうか。もし彼が生まれ変わった時、こんな世界を見たらどう思うのだろう。こんな姿の私を……。


 『生まれ変わり』を信じる事にした彼女は自らの異形を嘆き、瘴気を抑える為にこの森で永い眠りについた。それがいったい何年、いや何百年過ぎた頃かは不明だが俺が森に入ったその時、彼女は目覚めたという。

彼女から溢れ出す瘴気で包まれた森に現れた『彼』に似た、いやそれ以上の『光』。近付けば壊してしまうかも知れないので彼女から会いに行く事は出来ない。だが真っ黒に見えるこの『冥府の森』に於いて唯一輝くその『光』は鈍るどころか、より一層輝きを日々増していく。

 その『光』を感じ続けるうちに彼女の心に宿った懐かしい痛み。気が付けば彼女は巨大な腐竜の衣から解放されていた。

 後に『光』は『冥府の森』の名だたる強者を屈服させて彼女の前に現れ、その見慣れぬ強大な力を以て彼女を、そしてその心を撃ち抜いたのだ。



「シンリちゃん、ここじゃなんだし中に入って」


 そう言うパンドラに手を引かれながら彼女の屋敷に入って行った。

 軽い朝食をご馳走になり、お茶を飲みながら他愛も無い話をした後、俺は彼女の私室に招かれている。


「シンリちゃん、あのね……絶対に笑わないって約束して!」


 俺をソファに座らせ奥でごそごそと何かをしていた彼女が、戻って来るなり俺に懇願する。


「ああ、笑わないよ」


 何の事か見当も付かない俺は不安しか湧かないが、覚悟を決めてそう答えた。


「これ……私が作ったの。貰ってくれない……かな?」


 そう言って俺の前に差し出されたモノ。

 どう表現したものかそう、言ってしまえば高さ40cmくらいの真っ黒な二頭身のぬいぐるみ。頭と体は玉子を二つ繋げた様にずんぐりしており、宝石を付けたような黒い目と申し訳程度の短い手足、それに小さな羽が付いている。何より目を引くのがどこからどう縫えばこれ程付くのか解らないほどの、沢山の歪な縫い跡。


「……ありがとう。でも姉さん裁縫なんていつ覚えたの?」

「アラクネに習ってみたんだけど、まだ下手糞で恥ずかしいわ」


「とんでもない。よく出来てる、大事にするよ」

「ちょっと待って!」


 その『ぬいぐるみ』をマジックバッグに入れようとした俺を、慌ててパンドラが制した。


「どうしたの?」

「そのコは、そこに入れちゃダメなの」


「ごめんね。帰るまで持っていた方がよかったかな」

「違うの。そのコは旅の間も誰かに持たせておいて。決して収納しちゃだめよシンリちゃん」


 仮に迷宮にでも潜れば、『ぬいぐるみ』を抱いてなど戦えない。とはいえ彼女の初めての裁縫による手作りだ。大事にしてほしい気持ちも解るのだが。


『キュルルゥゥ』


 その『鳴き声』で俺の思考は停止する。

 更に、俺が抱いたその『何か』は小さな羽をばたつかせ宙に浮き上がった。


「だからダメなんだよ。そのコは生きてるから!」


 さも当然のようにそう言ってのけるパンドラだが、いやおかしいのは俺じゃ無い筈だ。飛び疲れて俺の腕に戻るそれには温もりがある。てっきりパンドラが持っていた時の温もりだと思っていたのだが、まさか生き物としての体温だったとは。


「シンリちゃんの事想いながら作ったら動き出しちゃったのよ。名前は『サマエル』。可愛がってあげてね」

「……わかった。ありがとう」

『キュルル』


 作ったら動き出しちゃったのよ、じゃないだろ。何だかこいつには、不安しか感じない。


 だがこの時はまだ、サマエルの本当の恐ろしさを俺は全く理解してはいなかった……。


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