待ち人
数日後の朝。
階下に訪問者の気配を感じてシズカはまるで転げ落ちる様に階段を降りた。
あまりに慌てたのであちこちぶつけたり擦りむいたりしたのだが、『不死』である彼女の傷は出来る端から消えていく。
焦がれた待ち人の姿を想像しながら玄関の扉を勢いよく開け放つ。
「あら貴方でしたの金剛さん…」
彼女の表情は明らかな落胆の色を隠そうともしない。そんなシズカを呆気に取られて見ているのは、最近ギルド内でもすっかり金剛さんが定着しつつあるダレウスだ。
「…ったく驚かさんでくれ!どんな魔獣が来たのかと思わず『金剛』を発動する所だったぜ」
彼の額の大粒の汗が、それが冗談だけでは無かった事を物語る。
「セイラさんなら食事の支度を手伝ってますわよ」
シズカはまるで噂好きな近所の主婦の様な含みの有る笑顔でそう言った。
「あ!ば、馬鹿。別にオレはその…」
分かり易いおっさんだ。
最近では訪ねて来る度にセイラと話している事の多いダレウス。彼の恋心の防御は『金剛』程では無いらしい。
顔を赤く染めてモジモジするおっさんの気持ち悪さにすっかり毒気を抜かれたシズカは、彼を伴って屋敷の中に戻って行った。
更に1時間程経つと、リビングには何故か全員が揃っていた。
特に何をする訳でも無いが誰も部屋でじっとなどしては居られ無いのだ。
ツバキなどはダレウスの前だと言うのにソファの影に足首まで入りかけている。
ちなみに抜け駆け禁止と言う事でガブリエラも透明化して今日ばかりは室内に共に居た。
彼女達が座る長く大きなL字型のソファと向かい合う様に置かれた、一人掛けにはやや大き過ぎるソファ。ここがいつものシンリの指定席。
訪ねて来た初日にそこに座ろうとしたダレウスに向けられた皆からの殺気は、彼を以てして死を覚悟したと言わしめた。
そのソファに座り【魔眼】のある左側の肘掛けに肘を付き、その手で顔を支えて彼女達の様子を楽しげに見るシンリの姿。
見慣れた筈のその光景を求めて、彼女達は知らずの内に誰もがチラチラとそこに目線を送ってしまう。
するとセイラが一つのカップとお茶を盆に乗せて入って来た。
彼女達には既にお茶は行き渡りテーブルの上のポットにはまだお茶が十分残っている。
手持ち無沙汰だった彼女達は、何気無くそのセイラの行動を目で追っていた。
セイラがカップをテーブルの上に置く。
そこは今は座る者が居ないシンリの指定席のソファの前。
そのカップに湯気を立てながらお茶が注がれる。
そして一刻の間をおいて…
その湯気を立てるカップが音も無く虚空に浮かびあがった。
普通なら誰しもが腰を抜かしそうな現象だが、彼女達はそんな事をいとも容易くやって除ける人物を一人知っていた。
カップがコトリと音を立てテーブルに戻される。
その様子を見る彼女達の目には光るものが溢れようとしていた。
既に流れ出した涙を嗚咽と共に拭う者。
口を両手で押さえて歓喜の声を懸命に我慢する者。
立ち上がり潤んだ瞳でそこを直視する者。
ソファの左側に肘を付きその手で顔を支えた姿勢で、そんな彼女達を優し気な漆黒の瞳で見ている待ち人の姿が、かかった霧が晴れていく様にスーっと目の前に現れた。
誰も息を呑み、言葉を発する事が出来無い。
アイリ、ツバキ、ナーサの三人は顔をぐしゃぐしゃにしながらただ泣いている。
いつもはクールなエレノアでさえ、頬を伝う涙を止められずにいた。
シズカはただ涙を湛えた潤んだ瞳で、じっとシンリを見つめている。
「おかえりシンリ」
ただ一人冷静な様子のセイラが誰より先に声をかけた。
「ただいま母さん。よく分かったね?」
「うふふ、母親ですもの当然よ!」
シンリが少し悔しそうに言うとセイラは自慢気に胸を張った。
その二人の様子を見て、真っ先に呪縛から解放されたオニキスがシンリにいきなり飛びついた。
「おかえり!お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃーん!」
その行動に触発される様に皆が一斉にシンリの元に駆け寄った。
彼女達はシンリを、シンリは彼女達一人一人を、互いにその存在を確かめ合う様に抱きしめ合う。
存在の大きさを、その大切さを、そして愛情の深さを互いに感じ合う抱擁はそれから暫く途切れる事無く続いた。
その傍らですっかり空気になっていたダレウスは、貰い泣きし出したのを誰かに(特にセイラに)悟られぬ様、俺に軽く手を振るとこっそりとギルドに帰って行った。
「おかえりなさいませ我が主君シンリ様」
ダレウスが帰った事でガブリエラが透明化を解き姿を現した。
その頬には他の仲間同様に涙の跡がある。
そう言いながら俺の前に神妙に膝をつく彼女を、俺は皆同様に抱き寄せた。
「シンリ様は皆さんにとっての太陽みたいですね!」
皆の後ろでさっきまで同じ様に涙を流していたラティが、ボソッとそう呟いた。
「そうよラティ。お兄様はまさに太陽!」
その声に反応したシズカがソファの上に立ち両手を腰に精一杯胸を張る。
「ワタクシ達『黒装六華』の花々は、お兄様と言う太陽の光をその身に浴びてこそ輝きを増すのですわ!」
その言葉に誰もがうんうんと頷いている。
「太陽か、俺はいつも何もかも黒なんだが?」
全員のあまりの信奉振りに気恥ずかしくなった俺が異を唱える。
「あら、皆既日食の時は太陽だって黒くなりますわ!」
「黒い太陽なんて流石シンリ様です!」
「主様、黒の太陽。素敵」
「ならば我が君の黒炎で太陽すら覆ってしまえばよかろうて。ほほほ」
「シンリならマジでしそうで怖いじゃんよ!」
「ダンナ様の太陽‥見たい‥なの」
「太陽神は存じ上げませんが、確かに主君は我が太陽も同然」
何を言ってもやたら持ち上げられる等、居心地が悪いにも程がある。
俺は早々に風呂に入ると言って退散した。
久々の我が家の風呂にのんびり浸かれると思った俺だったのだが、その希望は結界を頼んだミスティのまさかの裏切りによって消し飛ばされる。
{みんな寂しがっていたんだから今日ぐらいはいいじゃない。ふふふ}
何の武装も無く突撃隊の電撃進攻を受ける俺にミスティはそれだけ告げて念話を閉ざした。
そんな風に言われては無下にも出来ない。俺だって寂しかったのは同じだ。気持ちは解る。
解るのだが、一部から向けられる肉食獣の様な気配はどうにも放置するには危険過ぎる。
ブラコンロリメイド、豊満過ぎるハイエルフ、身体つきまで肉食化した狼少女、自称一粒で二度美味しい猛獣使い。
彼女達の肉弾攻撃を膝に座らせた最強の盾で回避しつつ、俺はその戦場を生き延びた。
久々に味わうラティの絶品料理を心行くまで堪能し、皆と騒ぎあった俺はここに帰れた安堵感からか眠気を感じついソファでうたた寝してしまった。
いつもの席に彼女達が求める存在が、安らかな寝息を立てている。
誰もがその姿にうっとりと見惚れ、己が『ご主人様』帰還の喜びを心から感じていた。




