姉の養女 養母の弟(2)
軍服に着替え、隊員達の待つ訓練場へと向かう。本日の演習は関係が大変に宜しくない某国の首府のとある街衢を模した施設である。口外されたこの訓練に対する国内外からの批判と追及に、軍部は当為であるとして難癖付けてんじゃねぇよ?と頑無視を決め込み、将校等は陞進の為に、兵達は長年に渡る不況下での割合の良い俸給を辞する訳にはいかずで、彼等は知りません、存じませんと一向に黙している。お喋りな退役軍人や回し者達の後日談等については、私も当然存じ上げない事です。
頭上に塗り付けられた青空の下の三叉路。そこに散らばっている連中を睨め付け、路面を軍靴で打ち鳴らし歩けば、それが号令の代りとなる。50m程の手前にて、迎える体で隊列を組み敬礼している彼等のまのあたりに立ち止ると、それぞれの番号が明瞭に発声される。
中尉の許の若々しい少尉達を、巫山戯半分で睥睨して脅し付けて遣る。
「本日午前10時14分、我が軍は平素から糞忌々しくて不愉快極まり無かったメネシスの軍部を制圧した後、中央政府を降伏させた。そんな寝惚けた話等と私でも素で思う所感は諸君には求められてはいない。……?!はっ何?地下納骨堂から自棄糞捨鉢となった残兵がわらわらと出て来て、四個の中隊が全滅した?!
――はい、双方の中隊を敵兵だと思い込んで戦闘開始―」
『―――――?!……』
途中姿が見えない声が聞かれない何所ぞの隊員から連絡を受け突如その様に指揮した大佐に、二人の中尉は苦笑し、各中隊の少尉達は顔を引き攣らせたり隣りの者と見合ったりして些少ばかりまごつくも、その上官が嚙み殺す勢いで、
「貴様等―!!死にたいのか―――!!!」
と怒鳴り散らしので、忽ちに蜘蛛の子を散らす如くにそれぞれは走った。が、直ぐさまに止まると振り向き、色々な意味で恐い上官ででは無くて、各々の直属の上司を彼等は一向に見詰める。
フフッ……という軽笑が少尉達の緊張を一瞬断絶させ、どん引きさせ、それから凝固させると、続け様にその声の所有者が、
「大佐は本当に面黒い方ですね」
と不敵に罵りながら自分寄りの道途へと動く。
ラッセル中尉。父親が現職の財務大臣で、母方の祖父に伯父も諸種の大臣を歴任した政治屋一家の御曹司。質の酷いシロップの様に甘ったるい愛情で養育されたのであろう、非常に性悪。綺麗に梳られた白堊を混成させた様な金髪と淡彩の青の眸子とその言動は冷ややかで、当然にオーリックは気に入らなかった。
敏速に集合した部下達に指図している等輩を横目に、薄茶色の髪を刈り上げ戦闘帽への領頸の涼しい、鳶色の瞳睛を持するもう一人の中尉がご機嫌斜めの上司ににこりと笑んだ。
「お兄さん、坊ちゃまに遣られちゃったね~」
「あ?貴様もとっととコイツ等をはやく動かせ!」
「……はぁ――い」
明快な中尉が、疾くに隊列を成している部下達の配陣を素早く取り決め、
「そら行け!!」
と追い立てる。
「お兄さん遣りました」
とにこにこ顔で報告した愛くるしいその部下に、上司は平坦な貌で見詰めると一言宣った。
「敗卒は午後の調練の終了と同時に、私が良いと言うまでず―っと腕立て伏せ―」
「……はい?」
綺麗なお兄さんが無愛想にそう言い残すと踵を返す。
国家公務員にも拘らずサボる積りだ。この税金泥棒!不良め!!
戦闘帽の下で茶色の眸子を瞬き大佐の退場を見送った中尉は、可愛い部下達へと叫んだ。
「貴様等負けたら、承知しねぇ―からな――っ!!」
二個の中隊が奮戦する訓練場から出たオーリックは施設内を戻ると、自己の机に対き合った。調度の品柄も相応の自分に与えられし執務室。此所でも彼は上官達の利得と国民の幸福の為に仕事を熟して行く。
昼飯を摂りがてら、情勢を見るべく訓練場内の食堂へと向かう。
士官学校で過酷な規律と種々の訓練によって鍛え上げられた精神と肉体は、素より図抜けた頭脳を英雄のものへと仕上げて行く。軍で要求される完璧な人材と成り得なかった落伍者は、午後の合同訓練に参加する兵士達と同様に、私達の幾多もある手足となる。壊れたそれ等は簡短に換えが利くので、惜しげもなく戦地の中へと投入される。
問題なのは、その切って捨てられた手足が人間であるという事だ。笑う、悲しむ、怒る、幸福を祈る、痛がる、苦しむ、
そうして最悪の運命を与えられし者達は、死ぬ――。
……。大佐である男は未来あるべき若輩達を眺め入る。誰彼何人が軍から居なくなるのであろうか。
彼等と和親して昼食を摂り休憩を挟み移動して、午前の戦闘訓練の勝敗報告を受ける。はやくも会議室に入っている大佐を目するや、少尉達が駆け込んで来る。その者達の中に将来を嘱望されている二人の青年を見留める。見事な金髪は腰許にまで伸ばされており、青碧の瞳睛は宝石同然、それ等は室内灯の下でも綺麗に輝耀している。片方は青灰色の髪を肩先で切り揃えて、翠緑の眸子は髪と同様の色に淡靄の如くに冒されている。
アスロット・ライトニーとテオリューズ・バーランド―――。
二人共旧貴族の血筋の名門の子息で、一族は皆軍部や政界、財界、官界の要人である。その巨大な二本の樹木はこの世界の地中深くにまで根を張り廻らせ、その高逸な幹は力強い枝葉を繁育させて美色の芬馨のする大輪の花を咲かせている。諸人はその綺麗に絢飾されし手指の下、それ等を見上げて憧憬したり悲嘆したりする。はじめから敗北している事を知る者達は自己の足許を踏み固める様にこじんまりと暮らし、上ばかり眺望している者達の内には階段を駆け上がる傑物も居るのだが、程無く登るべき足掛かりが、或る分ちから線引きされていて存在しない事を知るや、その華飾を極めた手指に敬慕の接吻をし、追従して生存する事を余儀無くされるのである。征服者の掛け合わせ、鋭気が進化し続けているもの等に庶民の同胞の抗敵が敵意するはずも無く、帝城を古往今来その間否未来永劫に渡るまで眺め暮す街並みの如くに、唯々それは変わらぬ此の世界の景色なのであった。
その大変な美形でもある双璧を含英する輝かしい若人達が着席するのを見切ると大佐が手を上げ、それを見留めた隣席のグレイニー中尉が二個の中隊の候補生達を前に、午前の訓練の勝敗を報告する。その清涼な面貌の浮かない態に、オーリックは口唇を綻びさせた。
各々の指輪に触れて、手許の空間に表示させた画面を見入る。送付されたデータ解析の説明を受け、ついで先刻のとある街衢の摸型の中での戦闘訓練の全経過が、建造物を透過させた状態で再現される。同一の戦闘服とヘルメットを付けた二個の中隊全員の活躍が一眸出来た。
それは酷いものであった。彼等が本日身に付けているのは全て特別製である。弾丸は微弱のレーザーで、よって防御魔法と呼ばれるものは発動しないが反動は実物のそれ、戦闘服とヘルメットは現実は血紅色に穢される事も無かったのであるが、画面の中の彼等は銃弾に破られし血肉に塗れていた。
室内の空気が、隊員達の動揺と吐かれた溜息によって、重た気な顔をして沈んで行く。1時間の訓練が実地での戦闘に修整されていた。撃ち砕かれた体軀は瞬時に元通りとなって自分達がサイボーグの如くに戦い続けていた。まるでゲームのキャラクター達の様であった。最後にはご丁寧にも一個の隊員達が正面の5×6の行列となって、戦闘開始から終了までの被弾状況が速回しで流された。殆どの隊員はその存在を消滅させられて、残る者達も肉片を空間に留めるのみであった。悪夢の様な動画に竦み上がりついで騒然とする士官候補生達に、グレイニー中尉がこの訓練の意義を諭す。
「雛の貴様等は、胸糞が悪いものを見せられたと泣きたい気分になっただろうが、当然に実戦ともなればこんなもんじゃねぇ。貴様達も儕輩もいずれは委せられるであろう部下達も、皆息が通う人間だ。兵器の凶悪な顔を自分の体軀で見てしまった者は、不本意ながら相当な確率で死ぬ。辛々生命だけは救護されたとしても、身と骨は破り砕かれていて己の血肉に塗れている。その衝撃だけだったら未だいい。直後から堪え難い痛みがこんな現実は嫌だと言って、負った傷をなぞるんだ。最初は肉体の魄、ついで精神の魂が延々とそれを繰り返す。そしてその時と場所を同じくし、無事であった者達も常では済まない。不意に戦死者達と負傷者達が自分の許を訪れる。ノックもせずにその時の姿のままでずかずかと入って来て、心の中に住み着く様になる。何程去って欲しいと思っても彼等は拒否するし、自分も到底そんな事は言える訳がないんだ……。その者達が自分自身であろうとも、仲間達であろうとも、縦んば敵国の者達であろうともだ――」
はじめの勢いを弱めた等輩を、ラッセル中尉が窘める。
「グレイニー中尉止めないか。彼等の英気を害うのは!君はそれでも我等ルヴァール軍の士官なのか?本当に情けない。えー諸君には本日の訓練を通してより自己を鍛練し、ルヴァール軍の指揮官として相応しく洗練された陣を布かれる事を期待しています。え――、それでは―――」
こういう奴が一番やばいんだ。
戦闘帽の下から涼しい目睛を陰らせて、一士官は眼前にする少尉達に話せなかった事を思う。
精神の脆さは肉体のそれと何等変りがない。そして異常な情況での肉体の喪失の目撃は劇しく精神を害う。精神がその苦悶の地獄に堪え切れなくなり崩潰すれば救済も難しくなる。
他人も容易には彼を救えない。彼も自分と哀れな同居人が如何すれば救済されるのかが分からない。信仰心ある彼が神に怒りを向ける時、落伍者として刑獄に幽閉されやがて、内と外から侵食された精神はどうにか助かった生命を縮める様になるのであろう。
そう嘆息した中尉の隣席の大佐は、尖った右耳で暖色の外套を纏ったすかすかなラッセル中尉の言葉を叩き落としながら、雛軍人達を優柔にした双眸で眺め入る。
確かに糞不愉快ラッセルの言った事は正しい。戦場の外で指揮する者としては。候補生達を指導するのはこの男は適任者であろう。だが大方の軍人にとってはこんな上官は頂けないのである。一見グレイニーは引けている様に思えるが、こういう奴は味方は勿論の事、敵方の犠牲をも最少にする戦術を徹底的に練る為、その姿勢を買った部下達の頭脳と行動を清涼なものにして、結果勝利を引き寄せるのである。
“勝を千里の外に決す”
これが何程に難しい事なのか、この坊ちゃんは理解していないのである。頭の中身が砂糖漬けだから。
しかしコイツは家族の何を見て育って来たのだろう。父祖は本心では頭を下げたくも無い人間にまでもそうして、明快な笑顔を努力と根性で張り付けて議席を勝ち取って来たのだ。自分の信ずる道の為に。第一代の苦労は想像を絶するものであったであろう。二代目は骨折りした偉大な親が圧となって思う様にはなかなか歩めまい。三代目は割合奔放に我が道を行くものか。
ルヴァール軍大佐は未だ喋っている中尉を凝視すると、次いで心中で一笑した。
この男は商売人のそれの一部は、と言われる盆暗か――。
すっきりとした所で、オーリックはラッセルを制して締め括る。
「諸君にはこの訓練を踏まえて、次課の調練に当たる事を求める―。
私はこれから外に出なければならないので、両中尉はギルダー少佐に指示を仰げ。ルーク・グレイニー中尉は先の負戦の責を負って、調練の直後から恩赦が出されるまでず――っと腕立て伏せ」
げげっ、と嘆声を上げて惑う顔に、続けて、サボるなよ?と言い置くと、大佐は軍靴で床を打つ心地好い音を響かせて室の直中を突っ切り、颯爽と出て行った。少尉達の漏らす憧憬の溜息を半長靴で蹴散らして、渋面の男が跡を追う。
「ちょっとお兄さん!恩赦だの腕立て伏せだの、訳分かんないんだけどさぁ――?!」
「不服か?」
「はい――」
「では一時間の正座も付けて遣ろうな」
呼び掛けに振り返り訴えを肯い、くるりと前を向いて再び歩き出した男に、
「あんた何時か、オレに刺されたって知らねぇからな―」
ドキドキしながらその背中に悪態を吐いてみると、ドライアイスの白煙の如くに恐い声に巻かれる。
「出世したかったら少しも怠けよう等とは思うなよ?お前が刺すと言うのならば、私は踏み拉いで遣る。何なら現在から押っぱじめるか?ああ゛っ?!」
“あ”の濁音の所で振り向いたそれは悪魔の夜叉顔。
「お兄さぁ――ん!!」
余りにもの恐怖に、飲み屋の外人のお姉さんの如く腕に必死にしがみつく。
放して堪るか!この金蔓――!!
「離せ」
「――はい。……でもそんな不条理……」
「上司の部下への嫌がらせは日課みたいなものだ――」
「――……慣用語みたく言うのは止めなさい……。
……お兄さんあのさぁ――」
「私にはお前の様な不出来な弟は居ない!碌に家事も勤まらない癖に主婦面して一端の口を利く愚かな女は姉に居るがな」
「……」
青年は口にした女性に苦んだ男に、とある噂の真偽を確かめる。
「……あのさぁお兄さん、ユピネル中将の娘さんとの縁談蹴っちゃったって本当なの?」
「――……。ああ」
食い入る様な目差しで尋ねた若造に、苦笑しながら言って遣る。
「私は不正は嫌いなんだよ」
「皆ルフォー大佐はもう終わったなって言ってる……」
目を逸らして黙した部下に、改めて軍人の世界の厳しさを思い知る。
私とて人がこの様な選択をしたと知れば、愚矇な男もいるものだと嘲笑って選良同士として見下げて顧みる事さえ無かったであろう。他人を退かせて座らなければならない椅子があと幾つあろう。人生ゲームに益さない者等は全く以って不要なのである。
当然私もその態である筈であった――。
何時殺されるかも分からないという日々を、怯え震えながら生きていた子供。あの戦場であの時、泣き噦っていた小女。手放したら今度こそ、死神に狩られるのではないかと不安に駆られてしまう娘。
姉の養女となり家族となったその人は、現在や私の大切な女性である。
高みへの最短行路を往かず、それどころか栄達の道塗そのものを、女に向けた感情で潰すという愚。それでもオーリックは平気だった。
セシリアを失う位なら……
黙然とする自分を心配気な顔が覗いている。男は軍神の笑貌でそれに答応した。
「白眼視―上等じゃないか――なぁ」
些とも弱腰で無い平常運転の上司に、精悍な中尉は茶色の双眸を緩ませ破顔すると、目の当りにするその男に抱き着いた。
背中に手指で触れて、
「ルフォー大佐、貴方を愛しています―」
告白した。
腕の中で息継ぎを忘れ凝結する男の顔貌を上目で窺う。その一驚に心外である様に鋭い目睛を円めた綺麗なお兄さんを見留めると、彼は満足気に涼しい顔で笑み、その後付言した。
「上司として―」
直ぐさまに更に瞠ったその人の鉄拳が振り落とされる。
「っふぎぃぃ!!い…痛っでぇ――!!」
直ちに退避して凹まされた分凸になろうとする箇所を撫慰しながら薄目で覗くと、冷々の悪魔が睥睨している。
わらわらと会議室を出た少尉達は、美貌の男に取り縋る男の後背を目撃すると、息を詰め一向その動向を凝視していたのだが、
「折角コイツ等に美しき師弟愛を学習させて遣ろうと思ったのにぃ―、なぁ?」
馬鹿な人に唐突に振られて一様に視線を逸らした。
「!!君達は何をしているんだ!!」
幕引き前に登場したラッセル中尉の叱咤に不味い芝居が救われて、少尉達は安堵して息を吐く。
偶ラッセルも使えるものだ。心の裏そう笑った主役二人の内のずっと偉い方が踵を返し、それからドアの手前で振り返った。
「グレイニー中尉、貴様は一時間の正座と只管腕立て伏せを態とらしく忘れるんじゃないぞ」
「んなっ……!」
あんたこそが不当そのものなんだろうがよ!と憤慨する上官に、
「何やらかしたんですか、中尉?」
呆れ返る美形の青年が、それでも質問した。
「はい?アスロットお前何薄笑ってるんだよ……。貴様等の負けの尻拭いを大佐殿が遣れって言ってるんだよ。負けたら承知しねぇって、戦闘開始時に絶叫したよね?オレ……」
「うわ―そんななのでしたら、オレ人外になった積りでプリコット中隊を撃破しましたのに――」
「……。テオ―、平坦な顔して棒読みするの止めてくれないかな?それよりもお前達の所為なんだから付き合えよな!」
『嫌です―』
「部隊の全責任を負う為の指揮官なんですよね?」
「指図が不味いとそりゃ当然負けますよね?」
「……。お前達には情心というものは存在しないのかね……」
『物凄くあると思いますが―』
「…………。無ぇよ!!」
むっと顔で情操教育誤っちゃったのかしら?否、この子達の場合は気質そのものが問題なのだから、致し方も無いわよね。そう頬に手を当てたママがしくじりをもう片方の手で揉み消す様に、苦笑する二人の青年。
金の髪を背に垂らし、青玉の瞳睛は深いけれども清らかで、明朗な雰囲気を纏っている青年と、肩口で揃えられた青灰の髪に、その灰のみを内包する眸子の恰もそれが為であるかの如き冷然さが見受けられる青年。先の男がゼウスに愛されし給仕ガニュメーデスならば、後の男はプルートンに繋累されし執事といった感であるか。
アストロット・ライトニーとテオリューズ・バーランド。
何方も絶色。
オーリックは優麗な様に微笑してその二人の候補生に声を掛ける。現在の彼等の階級は少尉だが近々、ルークや私に上官として下知しているであろう者達だ。出自が特別であるとはそういう事なのであって、殆どの者達はその氏素性の持する特権に泣かされてしまうのである。未だに貴族気質の薄まらぬその者達に――。
「取り分け君達二人には私も大変期待しているよ」
『有難うございます、ルフォー大佐!!』
二人の少尉がにこりとし、綺麗に言葉を合わせて礼を言う。それに目笑するとドアを開けた。将来の上司へのおべっかも大事なお仕事だ。
未だ終わった訳じゃない……――。
確実に光量の日増しする世界は赦しを与えているかの様で、オーリックは教会で主を見詰める者の如くにその目睛を和らげた。続く者達の怒声とそれを小馬鹿にした返事に可笑し気に振り返ると、そのトリオの敬礼を受けてそこで別れた。
確実であると思われていた未来が存在しない事がある。
後にオーリックとグレイニーそうして他の軍人達、国民までもが驚倒する出来事が勃発する。
まさか彼等があんな事になろうとは――
春眠暁を覚えずの季節の扃扉が開け放たれようとする態に、暢気に頬笑んだ現大佐と中尉には知る由も無かった。この二人もその元部下達の闘いに巻き込まれる事になるのである。
スーツに着替えたオーリックは執務室を出ると、外部の人間と会う為に駐車場へと向かった。そこで艶やかな華に呼び止められる。
「あら、大佐これからお出掛けですか?私もですの」
寄り来た女の巻かれた金髪は胸の辺りで広がり、浅葱の瞳睛は眩しそうに細められて、深紅の口唇は綺麗な容で開かれている。彼女は一言で表わせば男好きのする女。これは男性と当人双方からの意味である。その女がオーリックを見入ると、そこに露骨な色欲を臨かせる。
「私の方の待ち合わせは、4時からですの」
オーリックもスーツ越しに女の身体を眺めて、偸閑に情慾を感悟させて遣る。
「私の方も4時の予定なんだよ、ラザード少佐」
女が綺麗に張った糸に搦め捕られて躍らされるのは本当に悪かない。この女との最後は何時だったか。喜色を見させるこの女の記憶力なんて大したものでは無いでだろう。その容量からは男達が溢れ返っているのであろうから。
はっきり為ぬものは明確にしないといけない。各々の車で出るとオーリックは独り言ちる。
「少女の様な声でいるあの人には、その身体と動態に相応する趣きで啼いて頂きたい―」
男の花唇は享楽の入口の形状に、声を立てて笑んだ。