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第一章

 聞き覚えのあるメロディーが流れている。

司は、その音は携帯電話の着信音だと思った。送信者の名前を見ずに切り、教室の窓に目を向けて、校庭の中庭を一瞥いちべつする。

 外から吹く風がほおに少し冷たい。

 夏草が背丈よりも高く生い茂る季節でもあるが、日は斜陽で、辺りは残照としている。大半の生徒は帰宅したようで、他にちらほら見られる程度だった。

 去年、中庭の造直しという項目で植えられた榎は絢爛けんらんと咲き誇り、とても趣がある。そういえば、柳沢たちと植えたな、と、今みたいにこうして心を落ち着かせている時間が恋しい。これからのこと、今の自分、過去の記憶。様々なものが頭の中を走馬灯のように去来きょらいし、思惟しいが堂々巡りする、これがいつもの日課だ。

そんなとき、不意に背後から自分の名前を呼び上げる声が聞こえた。

  「どうしたの? そんな物思いにふけちゃって」 

 カーテンの隙間から差すが、辺りに光芒こうぼうを放たせている。ガランとした、殺風景な教室に少女は立っていた。

 柳沢ヤナギサワ マイだ。中学二年の時にこの「輿谷市立緑山中学校」に転校してきた生徒で、今は司のクラスメイトである。転校を経験した人には分かるだろうが、大抵入級してばかりはクラスで浮いた存在になる。しかし、彼女にいたっては例外であった。人柄が良く、そして彼女の放つ、何か周りの人間を同調させるオーラのようなものが功を奏したみたいだ。

 容姿に関しては、瞳は大きく、長く清潔感のある髪を左右の中央、あるいはそれより高い位置でまとめ、両肩に掛かる長さまで垂らしている。恐らく誰が見ても、いわゆる“美少女”の部類に入れざるを得ないだろう。地元の市立図書館で本を運んでいるところを偶然ぶつかる、というなんともメルヘンチック且つアニメのような現実で知り合った。中学で初めて面識を持ったはずだが、どこかずっと前から知っていたような気がする。

「こうやって、物思いに暮れるのが俺の日課なんだ」

 若干の焦りを彷彿ほうふつさせながら、それを悟られないように答えた。

「やっぱり榊原君って、面白い人だね」

 柳沢が首を傾げ、微笑した。

「俺はごく普通の学生だ」

反論したつもりだったが、それを鵜呑みにはしてくれなさそうだ。

「文芸誌に載せる作品は順調?」

「ああ、快調だ。キーボードのホームポジションから指が全く動かないことに関しては」

 「それって書けてないってことじゃん! 緑山祭まであと少しだよ?」

 緑山祭とは、7月に地域の自治会なども参加する、緑山中で催される大掛かりな学園祭だ。一応、文芸部という名の元に、彼女とここにいない綾小路あやのこうじとで専断で色々な活動をしたが、「文芸部」と名に負っているので、年毎緑山祭で文芸誌を販売しなければならない。運動部を見て部活なんてただの時間の浪費だと思っていたが、家族が何かしらの部活に入ることを奨めてきたので不承不承ふしょうぶしょう、楽そうな文芸部に入ったのだ。しかし、自分の好きなことであったので案外慣れっこになってしまった。そして、たった今スランプ状態にある。一度自分が書きたいように執筆した作品を、大学が開催しているエッセイに投稿して佳作を受賞してから、他人の目を気にするようになり、全く納得のいく文章が書けない。

「何とか緑山祭までには間に合わせる」

 明日の身にも知れない言葉を出す。

「まあ、それなら良いんだけど……」

 外のグラウンドからは、吹奏楽部のまだまだ未熟だが、気勢のあるリズミカルな曲節が聞こえてくる。

「忍くん、どこ行っちゃったか、知らない?」

 忽然こつぜんと神妙な顔をして柳沢が言った。

 「全く分からない」と返す。 思い掛けない問いであったが、それは既知の事実である。

一も二もなく答えられたが、少しばかり心がざわめく。

 高崎タカサキ シノブとは、中学に入学してからクラスが別々になり、接点はほぼなくなってしまったが、幼少時代は親密な仲だった。

 山奥に遊びに行って迷子になり、二人で泣きながら帰った懐かしい憧憬しょうけいが、波を打つように浮かんではまた消える。

 小学校の頃は真面目な生徒であったが、家庭環境のめぐり合わせが悪く非行少年になり、事あるごとに授業妨害や万引き行為を繰り返していたらしい。そして今、当の本人はここ一ヶ月ほど前から行方不明になっている。学校に来なくなってから、水面下で噂されていたみたいだが、ちょっと前までそのことを自分は知らなかった。担任教師の早水によると“家出”だという。

彼の両親は家出はよくあることなので、警察に捜索願いは出していないそうだ。

「家出にしては少し長くないか」

「私もそう思う」と、影のあるもの思わしげな顔で言った

 高崎から『ちょっと野暮用でしばらく学校これないわ 悪い』といった旨のメールを受信した生徒がいたらしいが、高崎はそういう性格だったので自分はあまり“家出”に関しては頓着とんちゃくしていなかった。

「まあ、あいつのことだからなんとか帰ってくるさ」

「杞憂で終われば良いけど……」

 何故柳沢がここまであまり自分とは関係のない高崎を心配するのか奇妙に思ったが、クラス委員としては当然のことなのだろうか。

 そろそろ、と思いながら黒板の上にある時計に目を配る。あと十五秒……、八、七、六、五、四、三、二、一




キーンコーンカーンコーン 

キーンコーンカーンコーン 




 「ウェストミンスターの鐘」が築四十年の古びた校舎に鳴り渡る。この号笛が、さっきまでのシリアスな雰囲気をざっくばらんに模様替えしてくれた。このごく一般的なチャイムが、学校だと、れっきとしたクラシック音楽であることを知らずに聞く人が殆どだろう。

 ルイ・ヴィエルヌは時代や国境を超えて、自ら作曲した旋律が、平たい顔をしたアジア人に広く使われているなんて思ってもみないはずだ。どんな気持ちか、感想を聞こうと今さらしかばねに聞いても無駄だが。

「もうこんな時間か」

乱雑とした机達の真ん中で手を組み、時間の儚さについて哲学する。

ところどころ傷ついている木製の机に突っ伏しながら

「あ~、今日はもう疲れちゃった」と柳沢が吐き捨てた。

 様子からして本当にお疲れのようだ。

「そんな疲れるほど動いてないだろ? バレーボールだし」

 半身を影に(ゆだ)ね、もう(ひと)半身に陽射しを受けながら、答える。

「ひどーい、これでも一生懸命トスしてたんだからね!」

にきびのない、しなやかな頬っぺたがほのかに紅潮する。

 彼女は球技が極端に苦手だ。しかし、足だけは意外と速い。

「今秋はテニスだぞ」

 含み笑いを込めた追い討ちをかける。

 柳沢はさらに意気消沈とし、机にさらに深く突っ伏した。

 

 そのあと、くだらない会話のジャブを交わしながら玄関口に足を運んだ。

「キクラゲはクラゲでしょうか、それとも山菜でしょうか?」と、ロッカーの中にある靴に手を取りながら、柳沢が少しにやりと笑い、言う。

 一瞬意味の分からない、滑稽な疑問文に感じると思うが馬鹿にしてはならない。

キクラゲとは、豚骨ラーメンの具として乗っているアレだが、見た目も歯ごたえも、いかにもといったもの。名前の通りクラゲを想起させられるが、クラゲではない、山菜だ。知っているとしても柳沢が期待しているだろう回答を発する。

「どう考えてもクラゲだろ?」

 自分もナイキのシューズを手に取る。

「ブブ~山菜でした~。びっくりしたでしょ?」

「ああ、びっくりした。そんなの全く知らなかった」

 あまりにも誇大表現すると嘘を悟られるし、恥ずかしいので適当にありきたりな返事をした。

「司、嘘は災いの元だよ!顔で分かるんだから」

 嘘は災いの元じゃなくて口は災いの元だろ、と心の中で訂正する。

「じゃあ、そんな司にあるなしクイズ!」

「なんだよ、いきなり」

 呆れ返った顔で首を横に振る

 ぶっきらぼうに返したが、どんな問題かと期待し、耳を立てる。

「難しいよ~、正午にあって、午前にないもの! 婦人にあって、夫にないもの! 目にあって 耳にないもの! レーダーにあって X線にないもの! レベルにあって ラベルにないもの! な~んだ!」

 全身全霊で、柳沢の発した言葉の一字一句を持ち前の記銘力で海馬に刻み込む。

「明日までの宿題ね!」

「いや、今すぐ答えを出す」

「まさかもう覚えたの!?」

 すぐさま視界に入った校門前のベンチに座り、両手の中指を唇に当てて目をつぶる。

大ファンであるシャーロックホームズが考えるときの癖をよく真似ていたら、いつしか自分の癖となってていた。

思考に齟齬そごを発生させる邪魔な身体の五感がシャットダウンされる。

前頭葉をフルに駆使し、黒板に板書するように、まず情報を整理する。

心中の真っ白な、何もない世界に黒い線が無造作に書き足されていき


ある側    なし側

正午     午前

婦人     夫

目      耳

レーダー   X線

レベル    ラベル



 これを読んでいる方もペンとメモ帳を持って考えて欲しい。



 この羅列された単語達に存在する通有点……単語の意味においての関連性?字面の組み替え?画数?読みを使った言葉遊びか?正午、12時?ゴウショ?午前?

いくら考えても何か閃くものはさらさら出てこなかった。

しかし、そんな曇天に一筋の光明が差し込む。吹き流れんばかりの情報の中から、記憶の糸を手繰たぐり、この問題を解く唯一のキーを見つけた。


和英だ。暗号の指南書に全く法則性のない単語は英訳しろ、という一文を思い出した。


すうっと無自覚に言語が英語に変換される



available side   unavailable side


noon      morning

madam      husband

eye        ear

radar      X ray

level       label



 英訳に変換にした語をまじまじと確認し、それでもしばらくはてこずってしまう。

 読み方……か?


 ここまでくれば、勘の鋭い読者には分かるだろう。


 ある側に存在する共通要素――――

 逆から読める。 ある側の英単語は頭から呼んでも語尾から呼んでも同じように読むことができる。なし側はそれが不可能だ。それがあるなしの答え。

 目を開けると、点の雲もとどめぬ空は、さらに淡いあかね色に染まっていた。熟考したため少し目がかすむ。ベンチに座ってからかなり時間が経過したように感じたが、薄橙色の校舎にこびりつくかのように掛っている時計の短針は、まだ六時半を指している。

「分かった。“「ある」側の言葉は、英語に訳すと逆から読んでも綴りが同じになる”これが答えだろ?」

 完璧な解答だ。手で鼻を擦りながら、得意げに答えてやる。

「すっごい惜しいっ!」

 待ってましたと言わんばかりの屈託の無い笑みを浮かべる。解答には一丁字も誤りはないはずだ。間違っているはずが無い。

「何が違うんだ?」

 刹那の焦燥に駆られる。

「本っ当! 司はいつも抜けてるんだから。“「ある」側の言葉は、逆から読んでも綴りが同じになる英単語に訳せる”これが一番正しい答え!」

 やられた、と心の中でぽつりとつぶやく。

「そんなのただの屁理屈だろ……」

と、言いながらも柳沢の言い分は正しいと思ってしまう、自分の腑甲斐ふがいなさに切歯扼腕せっしさくわんする。

「ベンチでうなってる司を見てみんな笑ってたよ」

 その言葉を聞いて急速に羞恥心を覚え初め、それと同時に家に帰りたい気持が突発した。

リュックを背負い、サブバックを片手に

「クラスのやつらに考える人の真似をしてたって言っとけ」と、その場限りの弁をする。

「なんか寒くない?」

「何言ってんだ、もう夏は始まってるだろ?」

 急に何を言い出すのかと思った。

「じゃあ、明日みんなに言っとくね」

「勝手にしろ」

「勝手にする」

 まさかオウム返しをするとは思わなかった。

「暗くなってきたし、そろそろ帰るか」

 文芸誌の執筆が終わっていないことに気づく。

「うん! じゃあ明日は第四選択教室に集合ね」

 白い歯をこぼし、飾り気のない笑顔で手を振る。

「あぁ、じゃあな」

 二人とも家が校門から反対方向なので、ここが岐路だ。

 後ろの曲がり角で見えなくなるのを、まばたきする間に見届けた。

 アスファルトをかかとで擦りながら、今日の夕飯を冷蔵庫の中身から予想しながら、漂々と小走りする。

 

 このとき、夕空につんざくように鳴くひぐらしは、これから起こる惨劇を啓示しているかのようだった。

 

 



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