I believe
東日本大震災後、ちょうど当時勤務していた職場に勤め始めたばかりでした。
そんな時に、twitterで立花実咲さん直々にお声かけくださり、どきどきしたのを覚えています。
初めて、自分以外の人の校正を受け、色々勉強にもなりました。
たくさんの作家様の中の、埋没しそうな1作ですが、今回再掲載可となりましたので、こちらで公開をさせていただきます。
俺の想い人の朱美は、先月失恋したばかりだ。
相手は俺の先輩美容師……彼女はずっと昌久先輩に想いを寄せていた。
結局告白することもないまま、先輩にはかわいい彼女が出来た……。
そういう俺も、先輩を好きな彼女を諦めきれずにずっと見てたんだけど。
今日は朱美がフロントのバイトに入る日で、朝から店に来ていた。
「ちょっとタバコ吸ってくる」
ちょっとだけ手が空いて店を出ると、なんとなく喫煙所ではなくビルの屋上に向かった。
屋上に出る階段を駆け上り、扉を開くとそこには先客がいた。
「……朱美?」
ゆっくり振り向いたその先客は、紛れもなく俺の想い人。
「ハル·……」
胸の辺りまで伸びた、うっすらと癖のある栗色の長い髪。
好んでよく着ているタイプの、ブルーのシフォンのふわりとしたチュニックワンピース。
大きく開いた胸元から、白いレースのついた黒のキャミソールが見える。
細身のジーンズのカルソン。細い手首にはラベンダージェイドのブレスレット……。
このブレスレットは、彼女が先輩に失恋してから付けはじめたものだ。
ラベンダージェイドは悩みを開放して、情緒安定を促してくれると言われているらしい。
「休憩ですか?」
ちょっと低めの柔らかい声。
「ん? いや、息抜きに来た。朱美は休憩だろ?」
タバコを取り出しながらそう答えた。
「ええ、まぁ……」
彼女の左手には、火をつけてから一口も吸ってないだろう細身のタバコ……。
「珍しいね……朱美がタバコ吸ってるなんてさ」
「ちょっとだけ考え事です……」と言ってうっすらと笑って、吸ってもいないタバコを灰皿に捨てた。
「今日さ……俺は7時くらいに仕事終わりなんだけど、朱美は?」
彼女は俺の顔を見て、ちょっとだけ首をかしげた。
「あたしもそれくらいには終わりですけど、なんでですか?」
「うん……たまには俺と2人で飲みにでも行かないかなって思ってさ」
「え? ハルと2人で?」
「うん……いや?」
「そんなことはないですけど……」
「じゃ、決まり。先に終わったらバックルームで待ってて」
「あ、はい」
やっと彼女を誘い出せた。
あとは少しずつ俺を知ってもらえばいいよな。
◇
休憩になってバックルームへ戻り、小さなポーチを片手に屋上へ上がった。
なんとなく考え事をする時にだけ火をつけるタバコを片手に、ぼ〜っと眼下の街並みを見ていた。
誰かが上がってきた気配とともに、あたしの名前を呼ぶ優しい声。
「……朱美?」
ゆっくり振り向くと、そこにいたのはちょっぴりワイルドな金色の髪に優しい瞳の1つ上の先輩。
「ハル……」
ポケットから出したタバコに火をつけながら、ハルはゆっくりと近寄ってきた。
何気ない会話を交わし、あたしが吸ってもいないタバコを灰皿に捨てるとこう言った。
「今日さ……俺は7時くらいに仕事終わりなんだけど、朱美は?」
あたしはハルの顔を見て、ちょっとだけ首をかしげた。
「あたしもそれくらいには終わりですけど、なんでですか?」
「うん……たまには俺と2人で飲みにでも行かないかなって思ってさ」
「え? ハルと2人で?」
「うん……いや?」
「そんなことはないですけど……」
「じゃ、決まり。先に終わったらバックルームで待ってて」
「あ、はい」
ハルはあたしの返事を聞くと満面の笑みを浮かべ、タバコを捨てると手を振りながら戻っていった。
「あたしも戻らなきゃ……」
独り言のように小さくつぶやいて、ハルが駆け下りていった階段を下りていった。
◇
無理に俺を見てもらおう……そんな事は思ってない。
ただきっかけが欲しかった。
こんなに誰かを好きになった事は、今までにもなかったから。
それくらい、彼女を欲していたんだ……。
その日の仕事は滞りなく進み、6時半ごろやってきたのは先輩の彼女の咲麗。
癒しの声とか仲間内で言われてる咲麗の声が店内に響いている間、朱美はブレスレットのラベンダージェイドを握り締めていた。
でも瞳はまっすぐに前だけを見つめていて……。
その時の有線の曲は、ものすごく切ないラブバラード……。
信じあう恋人との、切なくて優しい歌だった。
微かにその歌を口ずさむ。
朱美の普段話す声は低めの柔らかい声だけど、歌うと音域が意外と広いんだって事に気づいた。
俺は受付カウンターの傍に残って、その心地いい声を聴いていた。
「朱美、もう出れるか?」
閉店作業の後、どこへ行くんだと煩い先輩たちを尻目に、バックルームのドアを叩く。
「あ、はい。どうぞ。もうすぐ出れますから」
そう言ってドアを開けてくれた。
「今日さ、居酒屋だと先輩とかアキラが邪魔しに来る恐れがあるからさ、たまに行くバーがある
んだけど……そっちでもいい?」
「あ、そっちの方がいいなぁ。今日は焼酎とかビールの気分じゃなかったし」と言って笑った。
「でも……居酒屋にいなかったらいなかったで、来ちゃいそうな気もしません?」
笑いながらそう言われて、確かにあのメンバーなら……と思う俺がいた。
「ハルさえイヤじゃなかったら、あたしの行きつけのバーにしませんか? ちょっと離れてますけど」
「全然構わないよ、寧ろその方がいいかも」
今日は店までは車だったから、助手席に念願の朱美を乗せて一旦自宅まで戻る。
駐車場に車を止め、タクシーを拾って朱美お勧めのバーに向かった。
◇
なんとなくだけど、多分そうなんだろうなって気付いてた……ハルの気持ち。
ずっと見守ってくれてたこと……。
あたしが失恋したことも知ってるはずで、それでも何も言わないでくれていたことも。
そんなハルが、珍しく飲みに誘ってくれた。
今日、屋上にいた時に、そんなに落ち込んで見えたのかな……。
少しの寂しさはあったけど、でも咲麗はかわいい後輩だし、幸せにもなってもらいたかったし。
一応ね、もう辛くはなかったんだけどね。
「実は、助手席に女の子乗せるの初めてでさ。何気に嬉しい」
照れくさそうに、ハンドルを握りながらハルが言った。
「ええ!? あたしが最初でいいんですか!?」
「寧ろ大歓迎……」
あたしの方をまっすぐに見て、優しい笑顔でそう言った。
あたしのお勧めのバーは、ほんとにこじんまりとしてて、お客同士も仲良くなれるのがいいところだった。
初めてでも特別扱いもしないし、一人で行ってもくつろげる店で、専門学校時代からのお気に入りだった。
店内は低くテンポのいい洋楽がいつでも流れていて、居心地のいい空間を作っていた。
「タカシ君、こんばんは〜」
カウンターの中にいる仲のいいバーテンダーに声をかける。
タカシ君はくわえタバコでにやっと笑い、片手を挙げた。
「なんかリクエストあったらかけてくれますから言ってくださいね」
「ん、ありがとう」
ちょっとキョロキョロ見回していたけど、奥まったテーブルのスツールに腰掛けるとやっと落ち着きを見せた。
タカシ君が注文を取りに来て、あたしは【ロングアイランドアイスティー】ハルは【ラスティーネイル】を頼んだ。
「結構強いのいくねぇ」
そう言ってハルが笑った。
「他の店でも作ってもらったことはあるんですけど、タカシ君のが一番美味しかったんです。で、つい頼んじゃう」
「へえ。ちょっと味見させてよ」
そう言うと、あたしのコリンズグラスを取り上げ、一口だけ口をつけた。
「ん……うまい」
「でしょ?」
お気に入りを気に入ってもらえて、なんか嬉しかった。
ハルはすごく優しい……何も聞かないでくれている。
でもいつまでも心配させたままなのもいけないよね……。
今日だってきっと励ましてくれるつもりだったんだろうし。
「ハル……」
「ん?」
いつもと変わらない優しい笑顔であたしを見た。
「ありがとうございます……あたし、もう大丈夫ですから」
「……ならよかった」
ハルはあたしの頭を、ポンポンと軽く叩いて笑った。
◇
こそこそする必要もない、気を使わなくていいこの店は、居心地もよくてすっかり俺のお気に入りになっていた。
何杯か飲んでいるうちに、俺もいい気分になってきていた。
朱美はといえば、よく笑ってよくしゃべって……すっかり酔っているみたいで。
俺は明日は午後からの仕事だからいいけど、朱美がもし早かったりするならそろそろ送って行かないとな。
「朱美さ、明日は仕事?」そう聞くと、首を横にプルプルと振って「オフですよぉ〜」と答えた。
「じゃ、これだけ飲んだら送って行くから帰ろう?」
ここからだと俺のマンションを通り越して朱美んちまで送って、戻る感じかな……そう考えながらグラスを空にした。
会計をすると、バーテンのタカシ君が声をかけてきた。
「また朱美ちゃんと一緒に来てください。今日は久々に楽しそうだったし」
「ありがとう、ごちそう様」
ちょっと足に来てるような朱美を支えて、店の外に出た。
タクシーを拾おうと通りの方へ行きかけたけど、信号を渡ったところに大きな公園が見えた。
「ちょっと酔い醒まししてから帰ろっか」
朱美の手を引いて、丁度信号も青に変わったし公園に向かうことにした。
さっき、朱美はもう大丈夫だと言った。
それって、多分もう辛い思いを乗り越えたってことで。
なら、そろそろ俺の気持ちにも気付いて欲しいかな。
でもここまで待ったんだし、今焦って台無しにもしたくない。
「あのさ……時々……誘ってもいいかな?」
「……あたしなんかでよければ」
噴水の傍に座って俺を見上げ、俺の大好きな笑顔を見せてくれた。
こうやって少しずつ近づければいい……俺を知ってもらえればいい……。
いつか俺のことを見てもらえるなら……。
「ハル……」
タバコをくわえて火をつけようとした時に、不意に声をかけられて振り返った。
「もう少しだけ……待っててくださいね」
そう言って俺の手を取った。
「もう少し散歩しましょうか……」と、歩き出した。
もしかしたら俺の気持ちに気付いてるのかもしれないな。
それならちょっとだけ期待を持って……もう少しだけこうやって彼女の傍にいよう……。
「また一緒に飲みに来ような……」
肩に手を回して言うと、小さい声で「うん……」とだけ答えて少し照れたような顔で笑った。
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