10. コンテスト
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ガルガン達のイベントバトルは、それまでの挑戦者の中で最速勝利タイムを叩き出して終了した。さすがはインペリアルブルーだと周囲の観戦者から声が上がる。それはリゼも同じで、彼女は広場中央で集まってハイタッチするキャスカ達に向かって嬉しそうに手を振っていた。
「キャスー! コンちゃんー! すごいすごい!」
「まあ順当か、あいかわらず安定してる」
「かっこよかったねー。私も戦いたくなってきた!」
そう言って笑顔で振り返るリゼだったが、ウドゥンは彼女の格好を眺めて、思わず眉をひそめてしまった。彼女の格好が、いつもとずいぶん趣が異なるのだ。
「……その恰好じゃ無理だろ。つかお前、なんで浴衣なんだ?」
林檎飴のように真っ赤な浴衣だった。白い牡丹があしらわれた赤色の生地に、芥子色の帯が似合っている。高めの位置で結ばれたその帯の上の、少しだけ膨らんだ胸元は周囲の目を惹き、足元の真黒な雪駄からみえる足首は柳のように細くて可憐だ。
栗色の髪の毛はポニーテールにし、根元に華やかなかんざしを挿している。さらされたうなじからは、浴衣の絵柄の匂いが香り立ってくるようだった。
ウドゥンがじいっと眺めていると、リゼは無邪気に笑いながら答えてきた。
「えっとね。これからイベントで浴衣コンテストがあるんだ」
「浴衣コンテストねぇ」
「うん。この後、エレアと合流して一緒に衣装を選んで出場するの。その試し着かなー」
「賞品は出るのか?」
ウドゥンが聞くと、リゼは目を輝かせて答える。
「うん! 蒼海石のイヤリング。凄く可愛いんだから!」
「そうか」
聞いたことのないアイテムだが、どうやら見た目重視の装飾装備だろう。ウドゥンはそのような非実用的なアイテムに興味がないので、淡白な反応を返していた。
このナインスオンラインには装備しても効果のない、いわゆるオシャレアイテムはかなりの数が存在する。しかもプレイヤーたちが自分勝手に改造してしまうため、もはやだれも把握していないと言い切れるほどの種類の豊富さだった。
そんなオシャレアイテムの一つであろう蒼海石のイヤリングをゲットするために、リゼは浴衣姿をしていたのだが、ウドゥンにはもう一つ気になることがあった。
「それで、なんでそいつを連れ出してきたんだ」
ウドゥンはリゼの足下でまるまる、黒い塊を指差した。そこには乙の字に曲がったかぎ尻尾をフリフリと揺らしながら、のんびりと毛づくろいをする黒猫の姿があった。
かつては幸運の黒猫と呼ばれ、今はリゼのペットとしてギルドホームと工房を寝ぐらにしているクーネが、なぜかリゼの足下でくつろいでいた。
「ん、よくぞ聞いてくれました」
リゼはこほんと咳払いをし、自慢げに人差し指を立てる。
「今回の浴衣コンテスト、テーマは『風流』なの」
「普通だな」
「それでね、浴衣姿の足元に黒猫って、かなり風流だと思わない?」
「……なんだって?」
ウドゥンは思わず聞き返してしまう。彼女の言う意味がいまいち理解できなかったからだ。
するとリゼは「えっとねー」と呟きながらパネルを操作し、赤色の巾着と扇を取り出した。そして毛づくろいを続けるクーネの横で、体をしなってポーズをとってみせる。すると毛づくろいを続ける黒猫と、真っ赤な浴衣を着たリゼが、映画のワンシーンのように華やかな様子で並んでいた。
リゼはしばらく誘うような流し目を向けた後、聞いてくる。
「どう!?」
「なんとなくやりたいことはわかった。風流かどうかは知らないけどな」
「もー、この良さわからないなんて!」
そう言って頬を膨らませるリゼは、子供っぽい顔立ちと合わせてひどく可愛らしい。互いに引きたて合う配色の浴衣と帯、そして生地の雰囲気に合わせた装飾や小物は、なるほど確かにコンテストに出ようとするだけはあり、色々と考えていることがウドゥンにも伝わってきた。
「そのコンテスト、賭けでもあるなら面白そうなんだがな」
「賭けかー。どうなんだろう」
リゼは困ったように首をかしげた。ナインスオンラインではあらゆる勝負事に賭けが開かれている。公式の賭けとしてのトーナメントにおけるマッチ・ウィン・クィネラという投票の他にも、プレイヤー間で賭けを行なえるギャンブルシステムも存在していた。
このギャンブルシステムは適当な題目を作成し、投票という形の賭けを自動で行なうシステムであり、野良試合やユーザー主催のコンテストでよく用いられている。
今回リゼが言うイベントでも、おそらくは行なわれているだろう。しかしウドゥンは自分がファッションという方面に知識が無いことを理解している。そのため彼は、やるとしても分の悪い賭けになりそうだなと考えていた。
「それで、そのコンテストってのは何時からなんだよ」
「ん。この後すぐに1番街の右通りであるよ。あ、ウドゥンも出る? どうせ暇なんでしょ?」
「決めつけるな」
即答するウドゥンだったが、リゼは構わず言い寄る。
「エレアに言えば、甚平も貸してくれるはずだよ。黒猫を愛でる甚平姿の男子……よくない!? 当然足元は雪駄だよね。ウドゥンにも似合いそうなのあったっけなー。どうしよう今からだと――」
「……ちょっと落ち着け。俺は絶対に出ないからな」
「えー。それじゃあ見に来てよ。エレアもクーネも出るんだからさー。私たち、結構自信あるんだよね。サービス停止前から準備していた浴衣が結構あるの!」
「……見物だけだからな」
「うん!」
結局ウドゥンは折れてしまい、リゼのコンテストを見物しに行くことにした。円形闘技場でイベント戦は、後でドクロにでも結果を聞くことにして諦めた。
◆
コンテストの会場となっている小さな広場には、一段高くなったステージと、その前に多くの長椅子が並んでいた。天幕などは無く、祭りに騒がしい街並みの中に溶け込んだ小さなコンテスト会場だ。
ウドゥンとリゼがその会場にやってくると、彼らはそこで銀色のローブを身に着けた男と出会った。男はウドゥンの姿を見つけるなり、立ち上がって陽気な声を上げる。
「かかっ! なんだよウドゥン、こんなところで会うとはな」
それはノーマッドのリーダー・セシルだった。先日リアルであった時、この時期は鎌倉を離れられないと言っていた彼だったが、普通にナインスオンラインにログインしていることにウドゥンは思わず呆れてしまう。
「そりゃこっちのセリフだ。セシル、仕事はどうした仕事は」
「忙しいのは昼だけで、夜は結構暇なんだよ。お前らと会ったのも夜だったろ? まあそれでも、さっきログインしたばっかだがな」
自慢げに話すセシルに向け、リゼは丁寧に頭を下げた。
「こんにちは。セシルさん」
「おう、リゼ。可愛い浴衣だな」
「ありがとうございます!」
セシルの返しに、リゼは嬉しそうに笑顔を浮かべた。彼はすでにコンテスト会場の最前列に陣取っており、その周囲には同じくノーマッドのギルド員であろう、数人の男女がワイワイと騒いでいた。
ウドゥンはセシルに言われて彼の隣に座ったが、リゼは「すぐにエレアが来るから」といって遠慮し、ウドゥンの横に立っていた。
「うちの連中が何人か出場するから、みんなで見物に来ててな」
「まあ、俺もそんなところだ」
「そうかそうか。お前も浴衣萌えなのか」
「それは違うと言っておく。一緒にするな」
からかうように言うセシルだったが、ウドゥンは冷たい様子で否定した。
「リゼが出場するから見物に来ただけだ。それより、賭けはやってるのか?」
「おう。もう投票始まってるぜ。結構金額も集まってる」
「そうか」
その答えを聞いて、ウドゥンは自身のパネルを操作し賭けの情報を取得した。すると番号付けされたコンテスト出場者のグループが、登録写真と現状のオッズと共に目の前に現れる。それを眺めながら、彼は真剣な様子で口に手をあてた。
この中で一番浴衣が似合うプレイヤーを選ぼうとしていたウドゥンだったが、しばらく考えた後、小さく息を吐いた。
「つか、こんなのわからねー。リゼ、お前らは何番だよ」
「たしか5番だよー」
「お前ら、勝てるんだろうな?」
「自信はあるよ! エレアの作った浴衣、超出来がいいんだから」
「じゃあ、お前らでいいや」
ウドゥンは投げやりな様子で、リゼとエレアのグループに投票した。掛け金は100k(100,000)ほど。当たれば数倍になって払い戻されるだろう。彼に投票されたリゼは、少し恥ずかしそうに微笑んでいた。
ウドゥンはパネルを閉じると、真剣な様子でセシルに話しかける。
「セシル。今回のサービス再開時のアナウンスだが、黒騎士について何の言及もなかっただろ」
「ん。そうだな」
「どう思う?」
その質問に対し、黒地の甚平を着たセシルは右手で扇子を仰ぎながら答えた。それは趣味の悪い、金色に輝く扇子だった。
「わからん。さすがに昨日の今日だから、情報も入ってきてないしな。ただ普通に考えれば――」
「黒騎士は消去された……か」
セシルはコクリと頷く。しかしすぐに彼は、もう一つの可能性について言及した。
「それか、もう消去を諦めて放置したかのどちらかだな」
「それはいくらなんでもあり得ないだろ。余りにも無謀すぎる」
先日セシルとの情報交換の中で、運営は黒騎士の消去に難儀していると言う話があった。今回唐突なサービス再開は、黒騎士の消去を諦めてしまったのではないかとセシルは言うのだ。
「何もせずにサービス再開させたってのは考えづらいから、良い方法が見つかったんだろ」
「常識的に考えればな。ただ……」
セシルはニヤリと下卑た笑みを浮かべると、少しもったいぶった調子でこう言った。
「運営が意図的に黒騎士を残した可能性が残ってる」
「……なるほど」
その言葉に、ウドゥンは腕組みをして頷いた。一瞬セシルが何のことを言っているのか分からなかったが、すぐに彼の言い分を察したようだ。
サービス再開後、ウドゥンはクリムゾンフレアのヴォルに対しメッセージを送っていた。内容は現在意識不明となっているファナとアクライが、サービス開始の掲示を受けてどうなったという質問だった。
ヴォルからの答えは『まだ目を覚まさない』という一言だけ。
彼女達の意識が回復していない事実は、黒騎士を消去しても無駄だったか、もしくはまだ消去されていないかのどちらかを示唆していた。
「今回の黒騎士はコンピューター的なバグの域を超えている。はっきり言えば、超常現象の類だ。面白がって、もしくは別の狙いがあって、運営がわざと生かしているということもあり得る」
「黒騎士のデータを隔離する事に成功して、解析しているってところか。まあこの辺りは完全に想像するしかないな」
「まあどちらにせよ、何らかの対処は成功したんだろ。そうじゃないとさすがにサービス再開なんてしないだろうからな」
もしもファナ達を意識不明に陥らせた原因であろう黒騎士に対し、何の対処もせずにサービスを再開したのであれば、再び先日のA級トーナメントのような事件が起こることは容易に想像できる。したがってなにも対処をせずに、黒騎士が健在であるとは考えづらい。ウドゥンとセシルの二人は、その認識では一致していた。
しかし彼らの見通しはすぐに、ある男によって否定されてしまった。
「それがねー。そうでもないんだよ」
お気楽な声だった。真剣な調子で続く二人の会話に、緊張感の無い声が割って入ってきたのだ。二人がぎょっとして振り向くと、そこには機械的な笑みを浮かべた男が、おどけた調子で座っていた。




