8 深夜の帰り道
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「それじゃあ、またゲームの中でな」
「あぁ。色々ありがとう」
「かかっ! こっちこそ、ファナ達の現状が知れてよかったぜ。リゼも元気でな」
「はい」
セシルは酒臭い息をまき散らしながら、少々おぼつかない足取りで帰って行った。結構な量のアルコールが入っており、見た目にはかなり酔っているように見えた。莉世が帰れるのかと心配していたが、口調ははっきりしているので大丈夫だろうと和人は思った。
セシルを店の前で見送った後、2人は宿へと戻り始める。その間、和人の隣を歩く莉世は、少し落ち込んだ様子を見せていた。彼はそれに気付いてはいたが、どうしていいかわからず、ただ宿へ戻る道を間違えないよう歩いていた。
しばらくして、和人は思い出したようにパネルを操作して通話を始める。
「……あぁ、ここにいる……今から連れて帰るよ……大丈夫だ。それじゃあ」
「……下村先輩?」
通話を終えると、莉世が申し訳なさそうな表情で聞いてきた。和人がこくりと頷く。
「あいつ、というか坂本先輩が、やっぱり結構怒ってるみたいだな」
「えっ、私のこと? だよね……」
勝手に外に出たことを叱られると、さらに小さくなる莉世に、和人が歩きながら言う。
「まあ……俺が言えることじゃあないが、こんな夜に一人で出歩くものじゃない」
「うん、ごめんなさい」
莉世はしょんぼりした様子で謝っていた。しかしすぐに、弱気を振り払うように顔を振って笑顔をみせた。
「でもでもセシルさん、いい人だったね!」
「……まあな」
ただ飲んだくれていただけのようにも見えたと、和人は呟きかけてやめた。一応ゲーム内では仲が良いとはいえ、世間的には最悪のギルドと呼ばれるノーマッドを率いるセシルと、現実世界で会うことに少し迷いはあった。しかし今回、危険を冒してもセシルと会った意味はあったようだ。
今回彼から得た情報が正しいとすれば、黒騎士の正体についてある程度の答えが出た。たしかに円形闘技場に現れた黒騎士は、過去に出会った黒騎士の延長線にいる存在なのだ。
それが確認できただけで、和人にとっては大きな収穫だった。
「柳楽君は、前からあの黒騎士のことを調べていたんだよね」
「まあな」
「それってやっぱり、リズさんと関係があるから?」
「別に……」
和人は素っ気なく呟く。彼は無表情に答えたつもりだったが、しかしすぐに意地を張っていることに気が付いて、苦笑いした。
「……いや、そうだな」
「そっか……」
黒騎士は間違いなくリズと関係がある。あの曲芸のような動き、【戦乙女】ファナすら寄せ付けない圧倒的な強さ、そしてミシラ空中庭園に残されたマインゴーシュ――和人はその全てから、黒騎士とリズとを重ね合わていた。
しかしセシルの話によると、黒騎士はリズのキャラクターデータを借りているだけ。つまりあのリズに似た動きをする姿は仮の存在であり、その正体はただPKを繰り返すプログラム仕掛けのAIだというのだ。
「よくわからなかったんだけど、黒騎士ってリズさんなのかな」
「……本人じゃあ無くてキャラクターデータらしいな。リズを真似する自動人形だ」
「柳楽君も、そう思うの?」
莉世は上目遣いに聞いてきた。その質問に和人は、不意に心臓を触れられたような感覚に陥ってしまった。先ほどから彼も、その疑問ばかりが頭に浮かんでおり、それを見抜かれたような気がしたからだ。
「そうだな……」
平静を装って莉世の表情を窺うも、彼女はいつも通り大きな目をくりくりとさせながら、長身の和人を純粋そうに見上げていた。先程の言葉も、特に深い意味はなさそうだ。
自身の考えを語ることを、和人は一瞬躊躇ったものの、やがてぽつりぽつりとつぶやき始めた。
「円形闘技場でアクライに化けていた黒騎士の奴、最後に変わった様子をみせただろ」
「えっと……」
黒騎士がA級トーナメントに乱入した時、黒騎士はファナを喰うような行動をみせた後、ヴォル達によって円形闘技場内で包囲されてしまった。その時、黒騎士は信じられないような動きで包囲を脱出したのだが、その前に奇妙な仕草をみせたのだ。
莉世は目線を上げ、その時の様子を思い出す。
「確か、呆然としてたよね。なんだろう、こう、やってしまった……みたいな」
彼女は腕を顔の前に持ってくると、わなわなと震えてみせた。和人が小さく頷く。
「そうだ。ファナを喰ったのは、失敗だったという様子でな……だが黒騎士がセシルの言うようにPKを狙うだけのAIだったら、あんなにも人間っぽい仕草を見せるのは奇妙だ」
「それって、黒騎士に意思があるってこと?」
「そこまではわからない。だが奇妙な点はまだある。そもそも黒騎士がトーナメントに乱入したこと自体、説明つかないんだよ」
和人は強い口調で断言する。しかし莉世は、少し納得いかない様子で反論した。
「でもでも、強い人と戦うことが黒騎士の目的なんでしょ? それならトーナメントに参加するのはおかしくないんじゃないの?」
「じゃあなんで、黒騎士は今更トーナメントに参加したんだ?」
「えっ?」
莉世は考えたこともなかったといった様子で、口をぽかんとあけてしまった。
「考えてもみろ。キャスカ達が襲われたのは5月6日、それとエレアがアルザスの街の路地で黒騎士を目撃したのも同じ日だ。つまり黒騎士は、その日のうちにミシラ空中庭園からアルザスの街まで移動していたんだよ」
「それはそうだと思うけど、それがどうしたの?」
莉世が困った声で聞き返すと、和人は淡々と話を続ける。
「もしも黒騎士がセシルの言うようにPKを行うだけのAIだとすれば、もっと早く噂に上がって当然だ。なにせあの黒騎士なんだからな。負けたら記憶を欠落するとはいえ、7月のA級トーナメントになるまで誰にも気が付かれないってのは考えづらい」
「あっ……」
和人はこれまでの得た情報から、ある矛盾に気が付いていた。それは黒騎士はPKを目的としているにもかかわらず、ほとんどPKを行っていないという点だ。
もしも二ヶ月も前から黒騎士がPKを頻繁に行っているとすれば、目撃談や噂の一つや二つなければ不自然だった。
「アクライに成り代わってたってのも謎だ。今日聞いた中じゃあ、黒騎士にそんな機能があるという話はなかったしな」
黒騎士は二ヶ月以上PKを、少なくとも噂になるほどは実行していなかったにもかからず、一方でアクライとしてA級トーナメントに参加してきた。これらの事実は、セシルの話した黒騎士の目的からは説明できなかった。
そして彼ら2人も目撃した、アクライに化けた黒騎士は、明らかに好戦的だった。周囲にいるプレイヤー全てに襲いかかるような、危険な雰囲気があったのだ。しかし今回得た黒騎士の情報をまとめると、黒騎士はキャスカ達を襲ってから数ヶ月後、突然トーナメントに参加したということになる。
この間、黒騎士は何をしていたというのか。そのことが和人には引っ掛かっていた。
「俺は、黒騎士はセシルの言うようなただのAI仕掛けのモンスターなんかじゃあないと思う。もしかしたら……」
言い終えると和人は黙り込んでしまった。顔を前に向けてはいたが、視線が定まらずぼうっとした表情だった。莉世は星と月しかない薄明かりの歩道を歩きながら、隣にいる彼の次の言葉を待った。
和人はゆっくりと息を吐き、諦めたような表情で言った。
「とりあえず、黒騎士とは話してみたかったな」
「……話せるのかな。AIなんでしょ?」
「さあな。ただそれももう無理だ。サービスも再開したってことは、この黒騎士事件はおしまいだろうからな」
そう言って、和人は再び息を吐いた。もう少しであの人に手が届きそうなのに、肝心なところで逃してしまう。結局自分には何もできないのだという現実だけを突きつけられて、彼は言い難い無力感を感じていた。
「……柳楽君。前に言っていた好きな人って、もしかしてリズさん?」
「なっ……」
莉世は、突然そんなことを聞いた。質問した彼女自身、言い終わると同時にかあっと体温が上がっていた。自分でも、なぜこんなタイミングで聞いたのかよくわからなかったからだ。
その言葉に和人は一瞬息を飲んだが、やがてぼそぼそと聞き取りづらい声で答える。
「……よく……わかったな」
「なんとなく、柳楽君を見ていたらそんな気がしたの……柳楽君は、リズさんと付き合っていたの?」
「なわけないだろ。あほか」
少し恥ずかしそうに言う和人だったが、莉世はその言葉に少しほっとしてしまう。しかしすぐに小さく顔を横に振った。
「でもでも、すごく仲が良さそうだったって聞いたよ」
「まあ、フレンドとしてはな。どっちかっていうと俺が勝手に憧れてただけだ……ったく、なんでお前にこんなこと話さないといけなんだよ」
和人は顔をそむけ、片手で顔を覆った。彼は最初、恥ずかしそうにしているようにみえたが、実は寂しげな顔をしていることに莉世は気が付いた。
和人は、自分自身に言い聞かせるように呟く。
「しかも、自覚したのはあの日以降だからな」
「……あの日?」
「去年のクリスマスだ。リズが失踪した日。あの日以来、俺はリズの影を追っていた」
彼は自嘲するようにな口調で続けた。
「気がついたときには、もうあいつは居なくなっていたんだよ。なにか関係があるのかと思って、直前まで関わっていた黒騎士事件を調べてみたが……さっぱり収穫は無かったな。それからも色々調べてたけど、全部無駄だった」
「……」
できる限り明るい調子で喋ろうとする和人が、莉世には痛々しく見えてしまった。しかし彼女は、落ち込んだ様子を隠そうとする彼の意図をくんで調子を合わせる。
「リズさん。戻ってきてくれるといいね」
「はっ。まったく、いつになったら戻ってくるんだろうな。あのバカは」




