7. 黒騎士の正体
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黒騎士の正体は、9thリージョンのボスモンスター。セシルはそう言った。しかし彼の説明はそれだけでは終わらず、続きがあった。
「だけどすぐに誤算が起きた。あの噂だ」
「例の眉唾なあれか」
『黒騎士に殺されると現実世界でも死んでしまう』――その噂は去年の年末、黒騎士事件と並行して流れ始めた。その原因自体は、セシルの言う通りトリニティが9thリージョンに足を踏み入れたことで活動を始めた黒騎士が原因だとしても、その噂の出所は不明だった。
「あの噂なんだが、あれのせいで運営側は黒騎士の取り扱いに窮したんだ。放っておけば噂が広がってゲームの評判に悪影響が出てくるからな。そしてどう扱うかを協議していた時、お前らトリニティが倒してしまったんだ。その結果、黒騎士は消滅した」
「消滅だと?」
セシルはにやにやとした様子で、すでに残り半分ほどとなった枝豆を口に放り込んでいた。無表情に耳を傾けていたウドゥンだが、消滅という言葉に違和感を覚える。
「お前の言う黒騎士は、9thリージョンのボスとしてプレイヤーから戦闘技術を学習することが目的なんだろ? それなら、一度の負け程度で消滅するのはないだろう。事実それなら、今回の黒騎士はどうなる」
「そこなんだよ、運営……どちらかというと開発側の仕業なんだと思うが、黒騎士はお前達に倒されたその日以来、活動を停止したんだ。実際に黒騎士による被害はぱったりと消え、事件は風化していっただろ?」
「不自然だな……」
ウドゥンが唸るように言うと、セシルもまた、自分の話に首をかしげながら続ける。
「情報をくれた俺の知り合いってのは運営の下っ端だから、開発や上層部が何を考えているのかまではわからねー。ただ年末に開発がいくつか裏パッチでバグ修正を実施したのは確かだ。その結果、黒騎士は消去され、同時に運営が公式に噂を否定し、黒騎士事件は終息したってわけだ」
「だが……この前のゴールデンウィークに奴は蘇った」
和人が小さく言うと、セシルは同意も否定もせず、出てきた焼鳥の串をかじっていた。やがてそれを日本酒で流し込むと、満足げな笑顔を見せながら言う。
「蘇った……そう表現するのが妥当なのかどうかはわからねー。ただこれだけは言っておく。今回の意識不明事件、一番困惑しているのはナインスオンラインの運営開発の側だ」
「……? 黒騎士が正体じゃないのか?」
「あぁ。当初はそうじゃないかと話に上がったらしい。だけど確認してみると、確かに黒騎士のデータは消去されていたそうだ」
「どういうことだよ」
「わからん。ただ行動学習するという特性から、シヴァにはキャラクターデータのバックアップ機能があったらしい。それを使用して、キャラクターデータサーバーにプログラムを生き残らせていたんじゃないかという話が有力だ」
「キャラクターデータだと……まさか」
和人がはっとして息をのんだ。彼はその言葉で、セシルが話そうとしている続きを予測されてしまったからだ。そんな彼を見て、セシルは説明する手間が省けたといった調子で笑い、満足そうに日本酒をあおっていた。
会話が途切れ、黙り込んでしまった2人。じっと耳を傾けていた莉世が、やがて空気に耐えきれなくなってしまった。
「あの……どういうことなんですか? 私にはいまいち……」
「ん? だからな」
セシルは莉世に向け、笑みを浮かべながら饒舌に語りだした。
「黒騎士はキャラクターデータサーバーにバックアップを取って生き延びていたんだ。けどそのままじゃあすぐにばれるから、適当なキャラクターデータに偽装してな。そしてなぜか半年も経って活動を再開し、元々の目的である行動学習の為のデータ収集――要するにPKをも再開した。それが今回の黒騎士だ。そしておそらくだが、それらの活動のために黒騎士の苗床となったキャラクターデータが――」
「リズ……」
ウドゥンは呆けるように言うと、セシルはこくりと頷く。
「リズはお前がいうように、黒騎士が最後に戦ったプレイヤーだからな。一番手近だったんだろう。そう考えれば、奴が【太陽】の使う武器で似た方な動きをしたこと理由にもなる」
セシルは再び追加でやってきた日本酒を手酌しながら続ける。すでに結構な量の酒が入っていたが、彼の言葉には乱れがなかった。
「活動を再開した黒騎士だったが、おそらく何らかのバグを持って動き出したんだろう。その結果、PKした相手の行動パターンだけではなく、キャラクターデータ、そして操作するプレイヤーの意識と記憶をまでも奪うモンスターとなった。本人としては、おそらく最初の命令を実行し続けているだけなんだろうがな」
セシルは自身の考えを語り終えると、満足げに残りの酒をあおっていた。
和人は雲を掴むような話のようだと思うと同時に、セシルの最後の言葉に対しては強い違和感を覚えた。あの円形闘技場に現れた黒騎士は、そこまで無機質な意思を持つ存在には思えなかったからだ。
円形闘技場でファナと戦い、その後セウイチ達に追い詰められた黒騎士は、たしかに自身が作り出した状況に困惑し、動揺していた。その様子から和人は、黒騎士が機械的な思考をしたAIという説明には納得できなかった。
「意識を奪うあたりは、やっぱり荒唐無稽だな。オカルトっぽい」
「だが、そうだとすれば今回の事件は大体説明がついてしまう。信じ難い話だが、運営開発でもその説が主流らしい」
セシルは二合目の日本酒も空けると、ようやく満足したように大きく背中を壁に預けた。そして大きく息をつき、真剣な表情を緩めない和人と莉世の前で大きく肩をすくめた。
「ただ奴らも対応に苦慮していてな。仮説としてはそうなんだが、今のところ黒騎士の所在をつかめていないようだ」
「所在がつかめない?」
「あぁ。黒騎士はキャラクターデータとして格納されていると予想されているが、それを探し出せていないそうだ」
「お粗末な話だな」
「かかかっ! 確かに。ただ黒騎士には高機能な隠密機能も実装されているらしいし、そもそも自律型AIだからな。その性能を存分に使って逃げ回っているんだろうよ。まったく、ハイスペックすぎるモンスターってのも考えものだな」
「……そいつを消去すれば、ファナ達は意識を取り戻すのか?」
「さあな。そこはよくわからん。ただそうじゃないかという考えもあるが……」
空になったとっくりを名残惜しそうに逆さにするも、数滴しか残っておらず、セシルは小さく舌打ちをした。もっと飲んでもいいと、和人が促したが、彼はさすがに一人でこれ以上飲むのはと断っていた。
仕方なく水を用意してもらえるよう店員に声を掛けてから、セシルは向き直る。
「なんだっけ……あぁ。黒騎士を消去すれば、意識を取り戻すのかって話か。こればっかりは、やってみないとわからないだろうな」
「そうか」
和人がうなずくと、セシルは赤くなった顔でニヤリと笑みを浮かべてみせた。
「今のところ運営開発側では、確実に黒騎士を消去するには、キャラクターデータサーバーを初期化しなければならないという話になっているそうだ」
「それは……無理だろ」
「そう。運営もそれだけは絶対にしない。だからこんなにもサービス停止が長引いて――」
「そんな!」
その時、莉世は突然声を上げた。セシルが小さく目を見開いて、彼女を見つめ返した。
「それをすれば、ファナさんやアクライちゃんが意識を取り戻せるかもしれないのに、なぜしてくれないんですか!?」
今まで黙って話を聞いていた莉世が、突然喰ってかかってきたことに、セシルはきょとんとしてしまう。しかし彼はすぐにからからと笑いだした。
「かっかっか! なんだ、もっと大人しい奴かと思ってたぜ、リゼ」
「あっ……」
思わず口元を抑える莉世だったが、遅かった。隣で和人が小さくため息をつき、頭を抱えてしまう。
しかしセシルは上機嫌なまま莉世に向かいあった。
「リゼ、いいか。キャラクターデータの初期化はな、運営が実行しないんじゃない。むしろ奴らはしたがってるさ。さっさとサービス再開したいんだからな」
「えっ……それじゃあ、どうして?」
「俺たちがさせないんだ」
セシルは低い声で、莉世の顔を指差しながら言った。俺たちと言われ、莉世は一瞬セシル達ノーマッドかと思ったが、すぐに彼は言い直す。
「あぁ。ノーマッドだけじゃあないぞ。俺達ナインスオンラインをプレイする全員がって意味だ」
「全員……」
その言葉の意味が分からず、莉世は黙り込む。するとにやにやとした笑顔を向けるセシルに代わって、和人が抑揚のない声でしゃべり出した。
「リゼ、お前はまだ始めて一か月程度だからわからないだろうが、キャラクターデータの初期化っていうのは、一般プレイヤーにとって絶望的な話なんだ」
「えっ……?」
「この意識不明事件、被害者はいまだ数人しかいない。だから俺達みたいに身近なプレイヤーが被害をこうむっている奴ら以外は、どうでもいいんだよ」
「どうでもいい……」
和人の言葉を受け、セシルもまた説明する。
「そういうこと。社会的にはヘビープレイヤーの連中がゲーム中に倒れたなんて、そんなの自業自得だろって意見が大多数だ。ただでさえ嘘くさい話でサービスが停止している。その上で意識不明者の回復の確約も無しに、ただキャラクターデータサーバーを初期化するなんて説明で、一般プレイヤーが納得すると思うか?」
「それは……」
「もし強行すれば黒騎士は消去されるかもしれないが、その代わりにデータを無くしてみんな最初っからやり直し。もう一度初期装備とスキルゼロからリスタートなんて、少なくとも俺はごめんだな! かかかっ!」
セシルはそう言って、腹を抱えて笑い出してしまった。
オンラインゲームの個人データは、人によっては二つ目の人生と呼べるほどに貴重な物である。それを運営側の理屈で一方的に初期化するなど、プレイヤー達の合意が取れるわけがないと、セシルと和人は主張していた。
「運営もそんなことをすれば、ナインスオンライン自体が客に見放されて崩壊することはわかっている。そして何よりも、それを最も恐れている。運営がキャラクターサーバーの初期化という方法で黒騎士を消去する方法は、実質不可能なんだ」
「でもでも――」
和人の説明聞いても、なお食い下がろうとする莉世に、セシルが強い口調で言う。
「さっきもいっただろう? だからこそ、こんなにもサービス停止期間が長引いているんだよ。どうすればキャラクターデータを初期化せずに、黒騎士だけを消去し、さらには意識不明者を回復できるのか。それらを延々と調べたり試したりしているのが運営開発の現状だ。わかったかい、リゼ」
最後のほうは諭すような口調に変わっていた。その言葉を莉世は、小さく身体を震わせながら聞いていた。彼女は、自分になんの力もないということに気づき始めていた。
「……ファナさん達は、どうしたら意識を取り戻すんですか?」
「さっき言っただろう? わからねーよ」
肩をすくめながら放たれたセシルの言葉に、リゼは一言もなく黙り込んでしまった。
自分にはゲームシステムのことはよくわからない。しかし身近なフレンドが、ゲーム内の奇妙なプログラムによって意識を奪われたのだ。それを助ける為に、運営にはあらゆる方法を試してほしかった。しかし目の前の2人は、それを不可能だと理解し、納得しようとしている。莉世はそれが悔しかった。
泣き出しそうな表情で口をつぐむ莉世を横目に、和人はぼそりとつぶやく。
「……運営は結局どうするんだろうな」
「さあな。もう学生は夏休みも始まったし、プレイヤーのストレスも溜りまくっている。そろそろ決めないと、どちらにせよプレイヤーが離れていくとは思うが……」
言いながら、突然セシルはパネルを取り出し、すいすいとそれを操作する。やがてぴたりと動きを止めると、その痩せた頬をにやりと歪ませた。
「よかったな。二人とも」
「えっ?」
莉世が素っ頓狂な声を上げる。するとセシルは自身のパネルの映像を二人に向けた。そこにはナインスオンラインが三日後からサービスを再開するという、公式サイトの掲示が表示されていた。




