20. 深紅の戦乙女
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「あーーーーっはっはっはっはっは! ふふ! ふふふ! ふふふははははははは!」
壊れたラジオの様に笑い続けるのは、今まさに戦闘中の【戦乙女】ファナだった。気が狂ったように、ただただ顔に手を当てて笑い続ける。
その様子を、対戦相手のアクライはだらりと両手をぶら下げたまま見つめていた。
やがて息を整えたファナは、見たことも無いほどに高揚した笑顔を浮かべていた。
「一合切り結べば分かる。なぜ貴様がアクの姿をとっているのか知らないが――久しぶりだな。リズ!」
「……あは」
ロングソードを突きつけられると、アクライはニヤリと口角を吊り上げた。そのまま笑い声を上げる。ケタケタと言う擬音が似合いそうな、不気味な笑い方だった。しんと静まり返った円形闘技場に、今度はアクライの甲高い笑い声が響いていた。
「ふふふっ!」
次の瞬間、ファナは嬉しそうに駆け出していた。そのまま鋭い突きでアクライの胸元を狙う。しかしあまりにも単調なその攻撃は、首をそらすだけで簡単によけられてしまっていた。
「……」
アクライは素早く反撃に出た。すれ違い様に小太刀を軽やかに振るう。しかしファナは振るわれる小太刀を小型盾でいなすと、そのまましゃがみ込んで足払いを放った。
しかしアクライはピョンとジャンプしてかわしてしまう。そのまま両手に持った小太刀を、二本共を無造作に突き出す。
「遅い!」
ファナが短く叫んだ。ロングソードを巧みに操り、二本の小太刀を順に受け流していく。そのままそれらを払いのけ、右手に持った小型盾を赤く閃かせた 。
ガツンと言う大きな音と共に、トリック・シールドバッシュによる打撃がアクライの顔面にヒットする。エフェクトが弾け、少女は傷口を手で塞ぎながら後ずさった。
「なっ……」
ファナが突然、言葉を失った。アクライは小さな手で顔を覆い隠していたが、その指の隙間から、彼女の肌を形成していた素体が崩壊しているのが見えたからだ。
アクライの顔の右半分ほどがパラパラと崩れ落ち、その指の隙間から真っ白い仮面が不気味に笑っていた。
「さすが、姉様」
「姉様だと……いつまでふざけて……いや、どうなってるんだ? それ」
ファナが目を見開きながら、呆気にとられた様子で聞く。するとアクライはゆっくりと手を降ろし、白の仮面とアクライの顔が半々となった顔面を晒した。中継カメラによって、空中に浮かぶ大スクリーンにその顔が大写しになると、観客席からざわざわと動揺の声が上がる。
「別に……」
そう言って、アクライは右手で顔を隠すような仕草をした。次の瞬間、彼女の顔はすべて仮面に覆われていた。不気味に笑う白い仮面に、ファナを思わず目を奪われる。
「なっ――」
「続きを戦ろう」
アクライはそう言って大きく飛び上がった。そのまま降下しながら、小太刀のトリック・みじん切りを放つ。無数の刃がファナを襲うが、彼女は驚きを押し殺しながら、的確に小型盾を操りダメージを最小に抑えていった。
そしてファナは反撃に転じる。ガードに使っていた小型盾の影から、ロングソードを一気に突き出した。死角から突然現れた深紅のロングソードがアクライに襲い掛かる。
「……」
しかしそれは手ごたえ無くアクライの顔をすり抜けた。確かにヒットしたと思った瞬間、彼女は首だけをくいっと動かして紙一重で避けてしまったのだ。最小限の動きで渾身の突きをかわしたアクライが、無言のまま一気に距離をつめ小太刀を振るう。
「っぐ」
ガードが間に合わず、ファナは斬撃を食らってしまう。しかしすぐに小型盾をふるって、懐に入ったアクライを叩き落とそうとした。
キン――
アクライは小型盾に対し小太刀の切先を突きたてた。
本来この二つの武器がぶつかり合えば、小型盾が打ち勝つのが武器相性的に常識だ。しかしアクライの攻撃が、あまりにも正確に小型盾の中心を射抜いていたためインパクトガード判定が成立してしまい、ファナは右手を大きく弾き飛ばさせてしまう。
大きく開いたファナの懐で、アクライは小さな身体を目一杯使って回し蹴りを放った。
「がっ――」
ファナが大きく蹴飛ばされ、ごろごろと広場を転がっていく。彼女はすぐに体勢を立て直そうとするも、すでにアクライは転がる彼女を真上から見下ろしていた。
小太刀が振り下ろされる。ファナは素早く小型盾をその軌道上に置いた。しかしアクライは小太刀を途中で止めると、代わりに突き出された小型盾を思いっきり蹴飛ばしてしまったのだ。
その結果、ファナの右手から小型盾が弾き飛ばされる。大きく弧を描いて飛ばされた小型盾が、遥か後方で鈍い音を立てて地面に激突した。
ファナはひざまずくような体勢のまま、目の前で余裕げに立つアクライをにらみつけた。
アクライが攻勢に転じてからの攻防は一方的だった。アルザスサーバーどころか、全サーバーを含めてすら最強に最も近いとよばれるファナが、手も足も出ずにやられている。その信じ難い光景に、円形闘技場は悲鳴と怒号が飛び交っていた。
しかし、信じられないのはファナも同じだった。
「私はもう……ファナファナなんかじゃあない」
ファナは悲壮感すら漂わせて呟いた。
自分は格段に強くなったと思っていた。多くのトッププレイヤーを要する大規模ギルド・クリムゾンフレア――強さだけが称号となるそのギルドの中で、彼女はランカーランクNo.1を勝ち取ったのだから。
昔は勝てなかったあの人に今なら勝てる――ファナはそう考えていた。しかし、その自信はぱらぱらと崩れ落ちていく。不気味に笑う白い仮面を身につけたアクライを見ていると、過去幾度と無くやられた苦い記憶が思い出されてしまった。
「私は、深紅の戦乙女だ!」
ファナは自らを鼓舞するように叫んだ。
目の前の相手に勝てる光景は思い浮かばない。それでも、彼女は負けるわけにはいかなかった。
これまでの自分を超えるために。過去の記憶と決別するために。そして共に戦ってきたクリムゾンフレアの仲間たちのために。
ファナは飛び出した。余裕げに構えるアクライに向けその刃を振るう。渾身の――最速の一撃だった。
しかしアクライはぬるりとそれをすり抜ける。ファナは途切れることなく斬撃を軌道修正し、幾何学的な柄の和服を横薙ぎにした
キン――
逆手に持った小太刀をゆっくりと動かしただけだった。速くもなければ派手でもない。ただ、気持ちが悪いほどに正確だった。アクライはファナの攻撃に対しインパクトガードを決めたのだ。
ファナは大きく目を見開く。信じられなかった。自身の最速の攻撃をいとも簡単に避けられ、渾身の追撃をも完璧に防がれてしまったのだから。
しかし同時に懐かしい気持ちが蘇る。がむしゃらに挑んでは負け続けた、太陽のように明るい彼女との日々を――
アクライの左手に持ったもう一つの小太刀がファナの首筋を切り抜ける。真っ直ぐ定規で引いたように、首に一筋の線分が描かれた。その色が濃くはっきりとしていく最中、戦乙女は力なく倒れこんでいった。
「さすが……」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、ファナは最後にそう呟いた。
倒れるファナに向け、アクライは容赦なく小太刀を振るった。突き刺さった白刃がファナの胴体を付きぬけ、エフェクトを撒き散らす。同時にファナの体力が削りきられた。
歓声が上がり、観客が目の前で行われた花火のように華麗な戦闘に酔いしれる。第一ラウンドはアクライが取った――しかも見たことも無いような華麗な動きで。やんややんやの喝采が鳴り止まなかった。
しかし、そこから奇妙なことが起きた。普通ならすぐに第二ラウンドに向け復活するはずのファナが、いつまでたっても起き上がらなかったのだ。
倒れこむファナを、アクライはその微笑を浮かべた仮面の中から見下ろす。そして彼女は次の瞬間、仮面の口だけをニヤリと歪ませた。
「グガぁ……」
アクライは飛びつくようにファナの体にのしかかった。そして首筋に顔を持っていくと、眠るように動かないファナの首筋に噛み付いたのだ。
観客は皆、同様に言葉を失う。突然意味不明な動きを始めたアクライの姿に、ただ見入るしかできなかった。
アクライはしばらくファナの首筋に吸い付いた後、やがて顔を上げる。先程と変わらない笑みを浮かべた真っ白の仮面は、なぜか恍惚に浸っているように見えた。
その時、無数のクロスボウの矢がアクライに襲い掛かった。
「……」
彼女は無言で身体を翻し、次々と襲い掛かる矢を避けて行く。五月雨のように降りしきる矢を、彼女は踊るようにしてかわしていった。その全てを避けきり、おもむろに顔を上げたアクライの目の前には、鬼の様な形相をした赤毛の男が、両手剣――ツヴァイハンダーを振りかぶっていた。
「なんなんだよ……てめーは!」
天を落とすような勢いで、ヴォルの一撃が振りおろされた。




