7. 期末テスト二日目
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7/9(火)
期末テスト二日目。数学が二時限連続の後に英語が続く日程だった。最初の二つを軽々とクリアした和人だったが、苦手の英語に頭を抱えてしまう。テストの途中、眠気に耐え切れず一瞬机に突っ伏してしまうというアクシデントに陥ったものの、結局は何とか解答欄を埋めて提出し終えていた。
そんな疲弊した彼の前に、角谷が鞄を手に声を掛ける。
「柳楽。今日は俺、先に帰るから」
「ん。あぁ……了解」
和人がひらひら右手を振って応える。この調子だと、どうやら昨日の告白は失敗したようだと彼は察した。そこまで仲が良い関係ではない角谷だったが、少し同情してしまう。
しかし彼が1人で教室を後にしたということは、今日は昨日のような勉強会は無しのようだ。和人はいそいそと荷物をまとめ、立ち上がった。
「あれ? ユウのやつ帰っちゃったの?」
目の前には隣のクラスであるはずの中川瑠璃がいた。和人が大きく眉をひそめる。
「もう帰ったぞ。今日は何も無しなんだろ?」
「今日もやるって言ったじゃん。まったくユウってば」
「えっと……どうするの? 瑠璃ちゃん」
後ろの方から莉世もおずおずとやって来た。角谷が帰ったと聞いて、少し安堵したような表情を浮かべていた。
「んー。とりあえず、昨日と同じところでいっか。ユウには後で電話してみる」
「今日は特にメンテとか無いんだが……」
和人がぼそりと呟く。
「いいから。明日は物理化学だよ? あんたがいないと全然ダメじゃん」
「ちょっと待て、俺もこれから勉強するんだから教えられるわけが――」
「あー。まあとりあえず行ってから考えよ。お腹すいたし」
瑠璃は有無を言わさない勢いだ。余りの強引さにため息をついてしまう和人に、莉世が慌てて取り繕う。
「あの、柳楽君が忙しいなら別に――」
「何言ってんのよ。いくよー」
瑠璃は莉世の手を引いて出て行ってしまう。全力で逃げ出したい気分に襲われた和人だったが、仕方なく彼女達の後を追った。
◆
「ったく。なんなんだよあいつは……結局帰ってこなかったし」
「ごめんね柳楽君。瑠璃ちゃんって、結構強引だから」
2人をフードコートに連れてきた瑠璃は角谷も呼ぼうと電話をした後、なぜか『ユウの家に行って来る』と言い残して行ってしまった。
残された和人と莉世は仕方なく2人だけで勉強を続けていたが、彼女はなかなか戻ってこなかった。
2人は莉世の苦手科目である物理化学を勉強をしていた。授業を真面目に聞いていない和人と、真面目に聞いてはいるが成績が伴わない莉世だったが、莉世の整理された授業ノートも使って和人はすぐにテスト範囲を把握していった。
得意科目とは聞いていたが、教科書とノートを見るだけですぐに内容を理解し解説していくさまは、なるほどゲームの中で【智嚢】と呼ばれるわけだと莉世は感心してしまっていた。
「まあ、これだけやれば赤点くらいは回避できるだろ」
「うん。ありがとうね、柳楽君」
「今日の夜に集中できるから、結果的には良かったかもな」
和人が大きく伸びをする。長身の彼が両手を伸ばすととても大きく見え、莉世は少し圧倒されてしまう。
「えっと。今日はファナさん対策の特訓をするんだよね」
莉世がシャーペンを頬に当てながら聞いた。和人が小さく頷きながら答える。
「あぁ。明日のA級トーナメントの組み合わせも出てくるはずだから、想定戦もあわせてやるぞ」
「想定戦?」
和人は飲みかけのカフェラテに口をつけた。それをしばらく味わった後、ゆっくりとした調子で言う。
「お前は反応速度が異常に良いから今まで問題なかったんだが、さすがにA級相手にそれだけでぶっつけ本番は危険だ。相手の戦い方に合わせて対策をしたほうがいい」
「ファナさんだけじゃなくって?」
「あぁ。つっても、ファナ以外は一回セウにその武器を持って戦ってもらうだけだがな」
「あ、セウさん手伝ってくれるんだ!」
莉世が意外な様子で声を上げた。話に挙がったセウイチは2人の所属するギルド・トリニティのメンバーであり、今は一線を退いてはいるものの戦闘プレイヤーとしての腕前は確かだった。
「セリスも使って無理矢理手伝わせる事にした。こっちは協力的だからな。とにかく今日はギルドホームでセウと連戦してもらうぜ」
「わー。楽しみ!」
「結構夜遅くまでかかるかもしれないから、最悪明日のテストで死亡するがな」
「うっ……それは思い出させないで……」
結局夕刻になっても瑠璃は帰ってこなかった。2人は仕方なくメールだけして先に帰ることにし、勉強用具を片付けてフードコートを後にする。
「それじゃあ、今夜はインしたらギルドホームにいけば良いんだね?」
「あぁ」
出口に向かって歩きながら聞いてきた莉世に対し、和人がぶっきらぼうに答えた。周囲は平日の夕方らしく、あまり人は多くない。ちらほら見える制服姿の学生は、おそらく和人達と同じ目的でやって来ていた連中だろう。
彼らを横目に見ながら、和人は莉世に駅まで送ると申し出た。しかし彼女は首をぶんぶんと横に振る。
「大丈夫だよ。まだまだ明るいし。というか柳楽君、早く帰りたいんじゃないの?」
「……まあな」
心を読まれてしまい、和人はばつの悪そうに髪の毛をかいた。実際、和人は思ったよりも真面目に勉強しすぎたと感じていた。今日は昨日のように時間を潰す必要は無かったのに、なぜこんなにゆっくりしていたのかと和人は小さく首を傾げてしまう。
「だからここでいいよ、今日はありがとうね。色々教えてくれて」
「まあ……俺も勉強になったよ。あとは一夜漬けで国語対策するだけだ」
「あ、また徹夜なんだね……」
莉世が心配そうに言う。話を聞いたところ、彼はこの3日ほど毎日3時間ほどしか寝ていないそうだ。それでどうして体調を崩さないのか、莉世には不思議でたまらなかった。
「今日を乗り越えればお終いだからな。明日はメインイベントだし」
「いよいよ明日かー。ファナさんと当たるかな」
「全部勝つつもりだったら、当たるに決まってる」
「やっぱそうだよね。ファナさんと戦うなんて、最初は考えた事も無かったなー」
莉世は歩きながら、ファナと初めて出会ったときの事を思い出した。あの時はいきなり襲い掛かってこられてひどくおびえてしまった。この人には絶対に勝てないと印象付けられてしまった。
しかし恐ろしかったのは最初だけで、その後しばらく一緒に遊んでいるうちにすっかり仲良くなってしまっていた。一緒に戦うたびにファナの凄さは感じる。圧倒的な強さにもかかわらず、子供のように楽しそうにプレイする彼女に、リゼは尊敬の念を抱いていた。
そんなファナに勝てるのか――自分で言い出した事だったが、いざ現実に戦うとなると不安になる。
「私、ファナさんに勝てるのかな」
「知るか」
和人はそっけなく答える。莉世はある程度予想していたその答えに小さく苦笑した。その表情を横目に見た和人が、少し取り繕うような調子で言う。
「ただ勝負事に絶対は無いし、お前なら戦り方によってはファナだろうが誰だろうが十分戦える」
「本当?」
莉世が嬉しそうに聞き返す。そしてそのままはっと思い出したように聞いてきた。
「ねぇ、私とリズさんだったらどっちが勝つかな」
「リズだって?」
和人が予想外の質問に言葉をつまらせる。しかし彼は少しだけ考え込んだ後、すぐに答えた。
「……まともに考えればリズだろうな。ただ……」
「ただ?」
リゼが首をかしげながら聞き返す。しかしウドゥンは、続きを口にすることを躊躇っているようだった。
やがて言葉を濁して言う。
「……まあ、今そんなことを考えても意味が無い。それより次のA級だ」
「そうだね……がんばる」
その言葉に莉世は小さく頷いて、力をこめて拳を握った。
ショッピングモールの外に出て、駐輪場に置いた和人の自転車を取りに向かう。その時サイレンの音が近づいている事に気がついた。ウーウーと鳴り響く甲高い音と共に赤色灯をくるくると回す救急車が、ショッピングモール前の国道を通り過ぎていった。
それを見て、莉世がぽかんとした様子で言う。
「救急車だ」
「……だな。別に珍しくもなんとも無いが」
「昨日も通ってたよね。最近良く見かける気がする」
莉世が何の気なしにそんな事をつぶやいた。和人はその言葉を、特に気に留める事はなかった。




