7. 聞き耳
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アルザス1番街。街の中心に位置する円形闘技場から、出入り口であるアルザス白門を繋ぐこの大通りは、街の主要な機能が集中しているメインストリートでもある。
他の通りとは異なり、1番街の大通りにはプレイヤー店舗はなく、各種スキル対応したNPC (Non Player Character)ギルドや公式クエストを受けるための建物などが並んでいた。
そしてなんといっても1番街は、最も多くのプレイヤーが行き交うエリアである。主に自前の店舗を持たない戦闘プレイヤーによる露天バザーを中心に、素材を買いに来る生産プレイヤー、戦闘プレイヤーをターゲットにした武器防具屋、そしてクエストやスキル上げの為のパーティ募集など、多くのプレイヤーが集まっていた。
そんな活気ある1番街の露天バザーにウドゥンもまた訪れていた。昨日受注した【革細工】の納品クエスト、それに必要な素材の買出しに来たのだ。
「じゃあ、サンドリザードの皮は12枚でいいか?」
「いや、9枚でいい」
「そっか。そんじゃ、5kでいいや」
「おーけー」
ウドゥンがパネルを操作し、5000Gの入った金袋を取り出す。露天のテーブルに金袋を放ると、代わりに露天の男からバスケボール大の皮袋が渡された。それをパネルにぶちこむと、皮袋はパネルの中へ吸い込まれ消えていく。
取引が成立し、ウドゥンは露天のプレイヤーに別れの言葉を言ってその場を後にした。
「これで後は"ファーラビットの丸尻尾"だけか」
昨日セウイチの酒場で受注した【革細工】クエストの素材は、"ファーラビットの丸尻尾"を残して買い揃えた。"ファーラビットの丸尻尾"は、リゼ達が学校から帰ってログイン次第、迷いの森に行ってとってくると言っていたので、彼はそれに期待することにしていた。
ウドゥンが近くの露天に設置された椅子に座る。そこはいわゆる"食堂"とか"カフェ"とか呼ばれる店だった。
ナインスオンラインには【料理】スキルなる物があり、これによって製作される、味覚嗅覚までも再現したVR機ならではの『食べても太らない料理』の数々は、この世界でしか味わえない類も多々あり、ナインスオンラインの大きな魅力の一つとなっていた。
ただ確かに太りはしないが、リアルで食事をしなければ腹は減るということに変わりはないので注意しなければならない。それでも夕食前などリアルで腹が減る時間帯には、【料理】スキルを持つプレイヤーが開く食堂はいつも大繁盛だった。
時刻は19時過ぎである。これから金曜の夜となり、ますますプレイヤーが増えてくるだろう。そんな活気づき始めた大通りの一画で、ウドゥンは行動を開始することにした。
奇妙な薄黄緑色をした新発売のジュース(グミスライムソーダ[マンドレイク風味])を注文し、すぐに出てきた得体の知れない雰囲気のそれを口にしながら、ウドゥンはメインスキル【聞き耳】を発動した。
――――
「『スペクタクルズ』ギルドメンバー募集中――」
「トロールの手甲・一つ3kから……」
「今回はファナ様、出場しないらしい」
「昨日、迷いの森にまた例のやつらが出たそうだぜ――」
「スキル上げいきませんか。カニ狩り2時間予定」
「グスタフ砂漠の流砂の中には別のエリアに通じるワープ装置が――」
「"ガーガーリンの目玉"が無くて困ってんだよ」
「だからその黒猫を見かけたら……」
――――
大通り中で話されている、とりとめのない大量の会話がウドゥンの耳に届く。並の人なら交じり合って雑音にしか聞こえないであろう言葉の束を、ウドゥンは全て聞き分け、人々の噂話を掻き集めていた。
100種類を超えるといわれるナインスオンラインのスキル群には、一般に"謎スキル"と呼ばれる一群が存在する。つまり、何のために使うのか良くわからないスキル達だ。
例えば【物乞い】【毒見】【匍匐前進】などかろうじて実用性がありそうな物から。【ヨガ】【フラダンス】【ジャグリング】などギャグとしか思えないまで様々である。
これらの"謎スキル"も、スキルである以上はメイン・サブスキルとして登録できる。しかしたった9枠――防具スキルを除けば8枠しかないスキル欄を、このような謎スキルに費やしてしまう酔狂なプレイヤーはあまり多く無かった。
もしも一つでも、謎スキルと揶揄されるスキル群を習得していることが知られると、周囲から奇妙なプレイヤーという烙印を押されてしまうだろう。
ただ数十万人はいると言われるナインスオンラインのプレイヤーの中には、そんな"謎スキル"を好んで使用し、鍛え上げ、挙句に実用的な使用法を見つけてしまうプレイヤーが稀に存在する。ウドゥンもまた、そんな変り種の一人だった。
ウドゥンは三枠しかないメインスキルの内一枠を、謎スキルの呼び声高い【聞き耳】スキルで埋めていた。このスキルは要するに『他人の会話が聞こえやすくなる』という、ただそれだけのスキルである。
ナインスオンラインでは、基本的に通常の意味の会話――つまり『直接喋る』以外、リアルタイムに他人と会話する方法は存在しない。ギルド内やパーティ内会話はおろか、一対一の遠距離会話すら存在せず、コミュニケーションにはメッセージやギルド内掲示板などを用いる仕様だった。
これはリアル感や活気などを重視するための措置らしいが、会話に関してはほぼ現実世界と同じと思って構わないだろう。
【聞き耳】スキルを使うと、この"通常会話"が聞こえる範囲が増える。現在のウドゥンの【聞き耳】ランクは213であるが、スキル使用時にはエリア内の半径約200m以内の会話を聞く事が可能だった。
こう聞くとかなり便利そうだが、この【聞き耳】スキルにはとんでもない不具合が存在した。それは範囲内の会話を、全てもれなく拾ってしまうという点だ。
普通の人でも例えば4,5人の発言ならば、集中すれば一人分くらいは聞き分けることが出来るかもしれない。聖徳太子は10人からの陳情を同時に聞いて全て理解したとも言うが、これは神話に近く、一般人にはまず不可能だと言われている。
しかしそんな神話を越える特技をもつ男が、このナインスオンラインには存在していた。検証したことが無いのでウドゥン本人も把握していないが、現在では少なくとも100人ほどの会話ならば同時に理解できてしまうのだ。
【聞き耳】スキルはウドゥンがナインスオンラインで最初に手に入れたスキルだった。元々聞き耳を立てるのが得意だった彼は、このスキルを面白がって使っている内にどんどん聞き分けられる話の数が増えていき、いつの間にかそれは常識を遥かに超えるほどになっていた。
半径200m以内――このプレイヤーで溢れかえる1番街の大通りで発せられる全ての会話や噂を、ウドゥンはスライムジュースを飲みながら涼しい顔で聞き分けていた。
――――
「クリムゾンフレアがついに7thリージョンを攻略したらしい……」
「マジだって! 裸ブーツで倒したらレアドロが一発で――」
「だからこのまえのパッチで、遠距離武器はトーナメントで地雷になって――」
「そいつ、全然【小太刀】を使いこなせくてさー……」
「は? 300kは高すぎるでしょう。せめて……」
「……おい。ウドゥン――」
――――
「……っ!」
大量に聞こえる会話の中で、突然自分の名前の呼ばれたウドゥンは驚いて目を見開く。するといつの間にか、目の前に銀の短髪をなびかせた小柄な男が立っていた。
「なーにぼーっとしてんだよ」
「なんだ……シオンか」
その男は、昨日円形闘技場で一緒にトーナメントを観戦していたシオンだった。一人黙想しながらジュースをすするウドゥンを見つけて声をかけたようだ。
「【革細工】クエストの素材を買い集めに来たんだが、人ごみに疲れてな。ちょっと休憩してた」
「ふーん」
ウドゥンは小さな嘘をつく。本当は【聞き耳】スキルを使って、初心者狩りの噂を聞き集めていたのだが、その事は伏せて元々の目的である買出しの途中だと告げたのだ。
彼が【聞き耳】スキルの異常なまでの熟練者である事実を知る者は、身内の数人以外ほとんどいなかった。そしてシオンもまた、そのことを知らない人間だった。
「なに探してんだよ。俺も今から素材集めだから、一緒にどうだ?」
「いや、もうほとんど買い終わってる。後は"ファーラビットの丸尻尾"だけなんだが、これはクエストで依頼してるしな」
「丸尻尾……ってことは迷いの森か」
「あぁ」
シオンの表情が少し暗くなる。ウドゥンはすぐにその反応に気がつき、いぶかしんだ。
「なんだよ。なにかあるのか?」
「いや、最近よく初心者狩りが出るって話だろ?」
「……あぁ」
「さっき聞いたんだが、どうもインペリアルブルーの連中もやられたらしいぜ」
それは一周遅れの情報だった。昨日ガルガンからその話を聞いたから、ウドゥンはこうして少し気合を入れて噂を集めているのだから。
「それにインペリアルブルーだけじゃなくて、クリムゾンフレアの連中もやられているみたいだな」
「そうなのか」
ウドゥンは平静を装って返事をしたが、内心は少し驚いていた。彼が思っているよりも、シオンは多くの情報を聞き集めているようだ。
昨日ガルガンに流したクリムゾンフレアの話も、先程のように【聞き耳】スキルで拾った情報だったから、もう広まっている噂なのだろう――ウドゥンはそう納得した。
シオンが少し声を潜めながら言う。
「どうも、黒尽くめのPKの仕業らしいな」
「そうだ。まったく趣味が悪い」
シオンは稼動時からプレイしている最古参のプレイヤーだ。当然半年前にもプレイしていたため、ウドゥンやガルガンと同じく今回の初心者狩りから黒騎士事件を思い起こしていた。
「ま、今回のは偽者だろうがな」
ウドゥンがそう肩をすくめると、シオンが耳に口を寄せ小声で言う。
「俺は今回の件、クリムゾンフレアの連中が怪しいと思っている」
「……なんだと」
シオンの推測にウドゥンは少し驚き、眉をひそめながら聞き返す。
「クリムゾンフレアの連中が実際にPKされてんだぞ。それは無いだろう」
「だがクリムゾンフレアはファナがギルドリーダーになってから、荒くれ者がさらに多くなっている。前よりPKが増えてるみたいだし、なんだかきな臭いんだよ」
シオンが言うファナとは大規模ギルド・クリムゾンフレアの現リーダーで、【戦乙女】の二つ名で呼ばれるランカーランクNo.1の女だ。先日のA級トーナメントも圧倒的な強さで優勝してみせた、現アルザスサーバー最強の戦闘プレイヤーである。
これまでクリムゾンフレアのエリアリーダーはヴォルという男だった。しかしここ最近台頭してきたファナが"ランカー戦"――要するにクリムゾンフレアの連中だけで戦うPvP大会を勝ちあがり、ついにランカーNo.1の称号を勝ち取ったのが先月だった。
クリムゾンフレアのエリアリーダーは、そのサーバーで最もランカーランクが高いプレイヤーが就任する。さらに全サーバーを統括するギルドリーダーは必ずランカーNo.1が就任するため、クリムゾンフレアの現リーダーはファナとなっている。
アルザスサーバーはおろか、全サーバーを見渡してもその名を知らぬの者はいない程の有名人であるファナだが、この女からはあまり良い噂を聞かなかった。性格に問題がありすぎるのだ。
シオンが危惧しているのも、そのファナの人間性だった。
「まあ、言ってしまえばただの勘だけどな。だが『ファナがあまりにもギルドメンを自由にさせすぎてるから、最近クリムゾンフレアは歯止めがきかなくなってきてるんじゃないか?』って噂があるのは確かだぜ」
舌も滑らかに話すシオンに、ウドゥンが言い返す。
「アルザスのクリムゾンフレアにはヴォルがいる。確かにエリアリーダーじゃなくなったが、アイツがいればそんなことにはならないだろう」
「どうだかな」
そう言って、シオンは肩をすくめた。