1. 文化祭
円形闘技場の最上段のさらに上、普段は誰も訪れない上層から、広場で繰り広げられる剣戟を見下ろす者がいた。
ひらひらとした漆黒のワンピースを着、顔には白の仮面が身につけている。不気味に笑う仮面に隠されたその表情は、誰にも窺い知ることはできなかった。
四章『黄金の皮算用』
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クリムゾンフレアに所属するプレイヤー・アクライは困っていた。仲間のファナやヴォル達と訪れた8thリージョン・ウルザ地底工房で、彼女は1人パーティから逸れてしまっていたからだ。
「まったくー。置いてくなんてひどくない?」
1人ぶつぶつと愚痴を呟きながら、アクライは仲間と合流する為にマップを確認しつつ、慎重に歩いていた。
VRMMOゲーム『ナインスオンライン』には多くのコンテンツが用意されている。その中でもフィールド探索は、大半のプレイヤーが楽しんでいるゲームの中核だ。
アルザスの街を中心に広がるフィールドエリアには、リージョンランクと呼ばれる格付けが存在する。初心者用の1stリージョンから最難関の9thリージョンまで、合わせると三桁を超える数のフィールドが用意されているが、その多くはボリューム層と呼ばれるプレイヤー達を対象とする、3rdから6thリージョンに格付けされていた。
最難関である9thリージョンは、よく知られているように現在1つのエリアしか存在しない。さらにトップギルドしか挑戦が許されない8thリージョンもまた、現在たった2つのフィールドしか存在しなかった。
その内の1つがウルザ地底工房である。
蒸気吹き出す機械に取り囲まれた狭い通路の中、複雑怪奇なカラクリ装置がひたすらに続く薄暗いエリアで、内部には技術者であるゴブリンや労働者であるトロール、さらに無数のノームと呼ばれる機械人形や巨大な金属製のゴーレムなどが立ちふさがる。
難度の高い8thリージョンだけあり、トッププレイヤーの一人であるアクライをもってしても、一人では自由に動き回れない危険なエリアだった。
「うーんと。この部屋を抜けたところで合流か」
先程から本隊のメンバーとメッセージで連絡を取り合っており、彼女はようやく合流地点の近くまでやってきていた。目標の座標を目の前に、彼女は見渡すほどの広さの部屋に辿り着く。
そこでアクライは奇妙な光景を眼にした。
「なに……これ?」
部屋中に、金色に輝く歯車が散らかっていた。それは数個ではない。足の踏み場も無いほどに"黄金の歯車"と呼ばれるドロップ品が散乱していたのだ。
"黄金の歯車"はウルザ地底工房に出没する基本的なモンスターであるクロックワークノームがドロップするアイテムである。確かにそれほどドロップ率が悪いアイテムではなかったが、ここまで大量に散乱している光景など、アクライも見たことが無かった。
「え……姉様たち、ここを通ったのかな」
たしかに【戦乙女】を筆頭としたクリムゾンフレアのメインパーティならば、この光景を作り出せるだろう。しかし彼女達は今、別の場所に居るとメッセージがあった。
それにもし彼女達がこの部屋で敵を殲滅したとしても、やはりどうしてドロップ品を放置したままなのか、という疑問が残る。
しばらくアクライは推測を巡らし、うんうんとうなりながら首をかしげていた。
「むっ、誰?」
その時、背後に気配を感じた。反射的に小太刀を抜刀しながら振り向くと、彼女は思わず声をあげた。
「お前は……」
その瞬間、アクライの表情が驚愕の色に染まった。
◆
「いらっしゃいませー。3名様ですか。こちらへどうぞー」
「クリームとチョコ一つずつお願いします」
「カスタード上がったぜー。取りにこい」
「ちょっと待ってよ。あ、ありがとうございましたー」
6月の終わり。桜実高校文化祭は既に、二日目の後半に差し掛かっていた。
柳楽和人達のクラスは結局、クレープと飲み物をセットで出すクレープ喫茶を開催した。内装は机を並べて刺繍したテーブルクロスをかけるだけだったので、大した労力も必要なく準備が出来た。
「お待たせしました。チョコとコーヒーです」
望月莉世が笑顔で給仕をする。ブラウスとプリーツスカートの上から、フリルの付いた可愛らしいエプロンを身につけている。そんなウェイトレス仕様の格好に加え、頭には花のレースで飾り付けされた髪留めをつけていた。
他の給仕係も皆似たような格好だ。メイド服にすればいいという一部の男子達の声をエプロンだけ取り入れたらしい。その下は普通の制服だったが、それがなかなか相性が良く、客や男子だけでなく女子にも好評だった。
莉世を筆頭するクラスの女子達の頑張りによって客の入りはなかなかだ。しかし客の入りが良いということは、クレープを作る枚数も相当な数になる。裏方の料理担当の男子達は、慣れないクレープ作りを急かされ続け悲鳴を上げていた。
「角谷。次もチョコだって」
「分かってるって。生地が切れたんだよ。柳楽ー次のまだ?」
「ちょっと待て……できた」
和人は何枚目なのかも分からないクレープ生地を焼き上げた。目の前にある二つのフライパンをローテーションさせながら、生地を焼いてはひっくり返し、それを隣の盛り付け担当に渡すという無限ループ。
基本的にルーチンワークには慣れている和人だったが、なんのスキル上げにもならないこの作業にかなりの無為感を感じていた。
(これならぶっ続けで【革細工】スキルを上げてるほうがマシだな……)
和人はそんな事を考えながら、何とか無心になるよう努力しつつクレープ生地を生産し続けていた。
「そういえば、この前5thリージョンを突破したよ」
「へぇ。どこだ?」
「ラクタス環礁かな」
「あそこか。確かにお前らみたいなバランスのいい構成なら、そこが一番楽かもな」
隣の盛り付け係には、昼の交代から角谷が入っている。2人は先程から作業をしながら、ナインスオンラインの話を続けていた。
「うん。やっと《シックスギルド》だよ」
「6thまでいけるんなら、たいしたもんだ」
「最近は情報が揃ってきてるからねー。柳楽は6thリージョンはどこを攻略したの?」
「確か……ラース山脈だったな」
「そこ、あんまし情報そろってないよね」
「まあな。敵の能力に厄介なのが多いから敬遠されてるんだろ」
「なるほどねー。よかったら今度色々教えてくれよ」
「……気が向けばな」
角谷は最近、和人にナインスオンラインを良く聞いてくるようになった。前のトーナメントの一件やインベイジョンで、感心してしまったらしい。
和人もゲームの話になると、割と饒舌になってしまうときろがあるため、最近は話をすることも多くなっていた。
「まあ、ラクタス環礁を突破できたのは、望月さんの加入が大きいけどね」
「あいつ、結構やるだろ」
「結構どころじゃないよ。軽くへこむレベルでうまい。強い人に色々教わってるって聞いたけど、あんなに違うものなんだねー」
確かに莉世は同じエストックを使うトッププレイヤーであるキャスカから戦闘の手ほどきを受けているが、彼女の強さはそれだけではない。その事を和人は角谷には教えていなかった。
「……それよりお前、望月をどうこうするって話はどうなったんだよ」
「あー……それ聞いちゃう? あ、焼けたね」
「おう、投げるぞ」
和人がフライパンから焼きあがったクレープ生地を放り投げると、角谷がそれを皿でキャッチし、そのまま盛り付けを始める。流れる様な連係で作業を続けながら角谷は答えた。
「もうぜんぜん駄目。どうも向いてる方向が違うみたいで、なかなかこっちに振り向いてくれないよ」
その言葉に和人は、莉世が先日言っていた話を思い出した。好きな人がいるとかなんとか言っていたが、どうやらそれは角谷ではないようだ。
「別に狙いがいるんじゃあ、もっと積極的に行かないと難しいかもな」
「うーん。でも、ちょっと相手が悪いんだよねー」
「あん? 誰だか知ってるのか」
「えっと……まあ」
角谷がなぜか苦笑する。生クリームと混ぜて溶かしたチョコレートを塗りたくったクレープをくるくると巻き上げ、持ち手の紙に差してそれを脇に置いた。
「柳楽、お前も結構ひどい奴だよね」
「どういう意味だよ」
和人はフライパンに乗せたクレープをひっくり返しながら、興味なさげに聞き返す。しかし彼らの会話は、店内からパタパタと走り込んできた女子によって中断されてしまった。
「柳楽君柳楽君――って、どうしたの?」
「いや……」
「な、なんでもないよ! 望月さん」
少し挙動不審気味に言う2人を見て、莉世はきょとんと首をかしげていた。しかしすぐに思い出したように手を打つ。
「そうだ。柳楽君、お客さんだよ」
「……は? 俺?」
和人は素っ頓狂な声を上げながら、手は勝手にクレープ生地をひっくり返していた。既に見なくても焼き上げれるほどにスキルアップしていた彼だったが、莉世の伝言をすぐには理解できなかった。
「誰だよ」
「よくわかんないけど、カップルの人達が柳楽を出せって……」
「カップル……? あぁ」
和人は心当たりを見つけたらしい。納得して頷くと、一枚焼き上げてから隣の角谷に言った。
「角谷。ちょい代わってくれ」
「え、マジかよ。俺がやったら遅くなるぞ」
「すぐ戻る。10分ほど頼んだ」
「うー。分かったよ」
角谷は少し不安げな表情をしながら、和人と位置を交代した。三角巾を放り投げ、莉世と一緒に店内に出る。
すると並んだ客席の一つに、見知った顔の男女が手を振っていた。
「よー柳楽。働いてるな」
「やっほー柳楽君」
「下村先輩、坂本先輩。久しぶりです」
和人がとってつけた様な敬語で答える。一応ついて来ていた莉世が席を外そうとすると、和人が呼び止めた。
「望月、ちょっと待て」
「えっ?」
莉世が戸惑いながら振り返ると、カップルの2人が興味深げにこちらを見ていた。
「おー、この娘がそうなのか」
「あぁ。望月だ」
「望月莉世です。えっと……?」
莉世はとりあえず紹介されたので、名乗りながら頭を下げた。すると男の方が目を細め、カラカラと笑いながら言う。
「なるほどね。莉世ちゃんか。俺は下村博。たぶん、セウイチって名乗ったほうがいいかな」
「セウイチ……え!? セウさん!?」
愉快げに名乗った男の言葉に、思わず口を覆って驚く莉世だった。




