短編4. 買い出し
短編4 『買い出し』
和人達が通う桜実高校の文化祭は、毎年6月の終わりに開催される。桜実祭というなんの捻りもないネーミングの文化祭だったが、土日を潰してやるだけあって、どこのクラス・部活動も気合の入った出し物を用意するのが慣例だった。
柳楽和人の所属する2年1組もまた、今週末に迫った文化祭の準備に追われ、放課後の教室はがやがやと騒がしくしていた。
「柳楽君ー」
掛けられた声の方向に、和人が顔を向ける。すると声の主である望月莉世が、手になにやら茶色い封筒を抱えて歩み寄ってきていた。
「なんだよ」
「さっき奈々ちゃんが来てね……えっと生徒会の子ね。それで、予算の全額を渡してくれたよ」
「あぁ。やっとか。これで材料を買いにいけるな」
生徒会の都合上、文化祭で使用できる予算は二回に分けて支給されることになっている。そのうち最初に支給されたお金は、教室の内装にすべて使ってしまっていた。
したがって、今回支給された予算で肝心のクレープの材料を買い揃えなければならなかった。
「うん。それでね、生クリームとかの生ものは前日に買うとして、クレープミックスとか保存の効く物は先に買っておいた方がいいと思うの」
「そりゃそうだ」
「だから、今日の準備が終わったら、業務用スーパーまで買いにいかない?」
莉世が口にした単語に、和人は少し眉をひそめた。
「業務用スーパー? あそこ結構遠いぞ」
「でもさっき計算したら結構資金がギリギリなの。ついでにチョコとか果物の缶詰も一緒に仕入れて節約しようかなーって」
「まあ、買う物のリスト作っといてくれれば、帰りに寄って行くよ」
和人は仕方ないといった様子で、予算の入った封筒を受け取ろうと右手を差し出す。しかし莉世はきょとんとして首をかしげた。
「えっと、お金は私が持っておくよ?」
「あん? お前も来るのか?」
「うん。缶詰の種類を選ばないといけないし」
和人は伸ばした手をそのまま頭の上まで持ってきて、がしがしと掻き毟しった。
「お前歩きだろ? なら30分以上掛かるぞ、あそこは」
話題に上がっている業務用スーパーは、国道沿いのショッピングモールを越えた先にある。桜実高校からだと山を下ることもあり、自転車で10分ほどの時間でいけるが、歩きとなるとその倍以上の時間がかかることが予想された。
正直一人で行った方が速いし、気が楽なのにと和人は思った。しかし莉世は笑顔で答える。
「柳楽君の自転車で二人乗りして行けばいいじゃん」
「またアクティブな事を……捕まっても知らねーぞ」
「大丈夫大丈夫。パトカーきたらすぐ降りるからさ!」
莉世はなぜか、とてもうれしげな様子だ。そんな無邪気な様子に、和人はただため息をつくしかできなかった。
◆
業務用スーパーで買い物した後、時刻はすでに19時近くになっていた。現在2人は荷物を置きに和人の家に帰っているところだ。
莉世がかご一杯に荷物を乗せた和人の自転車を押し、両手に買い物袋を持った和人がその隣を歩いていた。
「結構遅くなっちゃったね」
「まあ、出発が遅かったからな」
「そうだねー。そういえば思ったより一杯買っちゃったけど、柳楽君明日持ってこれる?」
大量に買い込んだ素材に目をやりながら、莉世がすこし心配げに言った。自転車の荷台とかご一杯に乗せたクレープミックスだけでなく、加えて隣を歩く和人の両手までもが、商品で埋まっていたのだ。
一人で一度に持って学校に登校できる量ではなかったが、しかし文化祭まではまだ日数がある。和人は表情を変えることなく答えた。
「別に、何日かに分けて持っていけばいいだろ」
「あ、なるほどー。さっすが賢い」
「なにがだよ……」
やがて2人は和人の家に到着した。彼が鍵を開けると、後ろにいた莉世が元気良く声を上げる。
「お邪魔しまーす」
「誰も居ないから、言う必要ないぞ」
「居なくても言うものだよ、普通」
「……」
和人はその反論を無視して、自転車に満載していた荷物を降ろし始めた。それを手伝いながら、莉世が質問する。
「ご両親、いつも何時くらいまで仕事してるの?」
「さあ。2人とも九時過ぎには帰ってくるかな」
「えー。凄いね。じゃあ柳楽君、ご飯どうしてるの?」
「てきとーにコンビニか弁当屋。最近は駅前のからあげ弁当がアツいな」
「へぇー。私、そういうのあまり食べたことないや」
やがてかごと荷台に乗せていた荷物をすべて降ろすと、和人は再び家に鍵を掛ける。
「駅まで送ってく」
「え、悪いよー」
莉世が遠慮した様子で両手を振っていたが、和人は面倒そうに自転車のスタンドを蹴り上げた。
「いま言っただろうが、どうせ飯買いにでないといけないんだよ」
「あ、そっか。じゃあよろしくお願いします」
莉世が嬉しそうに返事をすると、和人はさっさと自転車を押し始めてしまった。
◆
(で、なんでこうなるんだ?)
和人は腕組みをし、目の前で小物を選ぶ莉世の姿を眺めていた。
「あ、このカチューシャとかどうかな」
莉世が白の花びらがあしらわれたカチューシャを手に取る。それを差し出しながら、彼女は和人の顔を見上げた。
彼は小さく首を振る。
「いや、高すぎるだろ。何人分必要だと思ってんだよ」
「やっぱそうか。うーん、可愛いのに」
莉世は残念そうに、手にしたカチューシャを棚に戻していた。
2人は駅に向かう途中、偶然見つけた雑貨屋に立ち寄っていた。並んで歩いている最中に見つけたこの店の前で、莉世は給仕の時の制服に飾り物が欲しいと和人を説得し、現在絶賛買い物中だった。
和人にとってはひどく面倒な状況だったが、文化祭の為と言われると何も言えなくなってしまう。彼は早く帰りたいという感情を押し殺し、なんとか莉世に付き従っていた。
「あ、このレースでお揃いのピンを作るってのはどうかな」
そう言って莉世は、手に取った花のレース生地を自身のヘアビンに当てた。どうやらまとめて生地を買い、全員分のヘアピンに縫い付けるつもりらしい。
莉世が斜めに顔を傾け、少し上目遣いに和人を見ると、栗色のロングヘアーが揺れてきらきらと輝いて見えた。先ほどから何度も、こうして飾り物を見繕っては意見を求められる中で、和人はある事に気が付いた。
(なるほどね。こいつは……)
こいつは、確かに可愛い。
いままでは、なぜ角谷とかが騒ぐのかわからなかった和人だったが、先程から莉世が見せる生き生きとした表情と可愛らしい仕草を眺めていると、なんとなく彼らの言い分が理解できた。
よく言えば無邪気で人懐っこい、悪く言えば天然の男たらし――和人はそんな風に思った。
「ねぇねぇ。どう?」
感想を催促する莉世に、和人がぶっきらぼうに答える。
「コスト的にはいけるな」
「そうじゃなくて、可愛いかどうかだよ」
「可愛いんじゃねーの? よくわかんねーけど」
「やった!」
莉世は嬉しそうに目を細め、口元を緩ませる。その姿を和人はじっと見つめた。
最初の頃は、彼女の無邪気な笑顔に耐え切れず視線をそらしていた和人だった。しかし最近は普通に見れるようになり、こうして会話するのも特に気負うことなくできている。
ふと不思議に思った和人だったが、すぐにその原因をナインスオンラインに見出した。かなりの頻度で会うリゼと、目の前に居る莉世は、多少外見が違うだけで性格はまったく変化が無い。
中の人がRPもせず普通にプレイしているから当たり前なのだが、さすがにあれだけ一緒に居れば、もう緊張などしないものだなと和人は苦笑した。
「柳楽君ってさ、好きな人はいるの?」
「なっ……」
丁度考察していた対象から出た脈絡のない質問に、和人は不意をつかれ前のめりになってしまう。そんな彼の反応を見て、莉世は少し驚いた様子で口に手を当てた。
「え。その反応は、いるってこと?」
「……」
和人が不本意そうに黙っていると、莉世は興味津々に聞いてきた。
「えー、だれだれ?」
「何で、お前に教えないといけない」
「いいじゃんー。クラスの子?」
「違う」
和人が即答すると、莉世は小さく息を飲んだ。彼がふと顔を向けるが、彼女はニコニコとした笑顔を崩さずに質問を重ねた。
「じゃあ、他のクラスの子?」
「違う」
「先輩とか?」
「違うって。いいだろ別にそんなの」
和人が無理矢理話を打ち切ろうとする。しかし莉世は笑顔のまま言った。
「私も、好きな人いるんだ」
「そうか」
「うん。結構難しい人だけどねー」
「御愁傷様」
「誰か気にならない?」
「別に、うまくいくといいな」
「もー適当すぎるでしょ」
莉世は抗議するように口を尖らせた。しかし和人は興味なさそうに言い返すだけだ。
「知るか。それよりそのレースで決定か? 早くレジ済ませて出ようぜ」
「あ、うん。そうだね――」
莉世がふと視線をあげ棚の上部に目をやると、突然声を上げある商品に飛びついた。
「あ! これって」
「……?」
和人も仕方なく後ろについて回り、莉世の手にした商品を眺める。お手玉くらいの大きさをした白くて小さな毛玉だった。それには茶色の皮紐が通されており、首から掛けられるようになっている。
それを見て、和人もすぐある物に似ていることに気が付いた。
「それ、"うさぎのペンダント"にそっくりだな」
「だよね! 凄くない、ほんとに同じだよ!」
莉世が手にとったそれを誇らしげに掲げる。和人は特に表情を変えずに答えた。
「まあ、単純なデザインだからな」
「でも可愛いよ。あー、これ欲しいなー」
「ナインスオンラインの中で持ってるじゃねーのか? もう売ったのか」
「ううん。まだ持ってるけど、なんかゲーム内と同じものを現実でも持ってるっていいよねー」
「いや……よくわからないが」
ゲーム内の持ち物を現実で身につけても、それはただのコスプレであって恥ずかしいだけだ――和人はそう考え、面倒そうに言うだけだった。
軽く否定された莉世だったが、特に気にすることなく視線をペンダントに戻す。
「うーん。どうしよ。980円かー……これなら買いかなー」
「買うのは勝手だが、清算は別にしとけよ。自分用だろそれ?」
「わかってるよー……よし!」
莉世は頷くと、先ほど手に取っていたレースとともに、"うさぎのペンダント"をレジに持っていく。和人も手持ち無沙汰と言った様子でそれに続いた。
「こちらのレースが780円ですね」
「こっちだけ領収書くださいー」
「かしこまりました……はい、どうぞ」
「ありがとうございます。それと、こっちは自分で払います」
続けてペンダントを差し出すと、莉世はごそごそとスクールバッグを探り、中からチェックの折りたたみ財布を取り出した。
「あ、あれっ!?」
突然、莉世が慌て出す。後ろで見ていた和人が小さく声を掛けた。
「なんだよ」
「あ、あのね。お金が無かった……」
莉世が顔を真っ赤にしながら、和人に耳打ちをした。それを聞いて彼はひどくあきれた様子で眉をひそめる。
しかし次の瞬間、彼は無言で後ろポケットから長財布を取り出すと、放り投げるようにして千円札を一枚、レジに出した。
「あっ……」
「1,000円お預かりしますね。20円のお返しとレシートです」
「どうも」
和人はそれを受け取り、お釣りの20円もまた莉世に差し出す。
「ん。千円札で返せよ」
「えっと、あの」
突然の行動に惚けるようにしてしまう莉世に、和人は急かすように言った。
「なんだよ。返す気無いのか?」
「いやいや! そうじゃなくて――」
「じゃあ、明日忘れんな」
「えっと、うん」
「こちら商品ですね」
「あ、はい」
莉世が袋に入れられたペンダントとレースを受け取る。それと同時に和人はさっさと店から出て行ってしまった。
莉世があわてて後を追う。
「待って待って。ねえ柳楽くん」
「なんだよ」
「ごめんね。なんか、買わせたみたいになって」
「買ってねーよ。貸しただけだ。ちゃんと返せよ」
「うん。勿論だよ」
莉世が真摯な様子でうなずくと、和人は少し頬を緩めた。
「やっぱ普通、そういう態度だよな」
「えっと……?」
莉世が首をかしげる。彼の言う意味がよくわからなかったからだ。
「いや、ちょっと懐かしくてな。昔リズの奴もよく、金も無いのに買い物してたんだよ」
「リズさん?」
「あぁ。そんな時、大抵肩代わりしていたんだが、ぜんぜん返してくれなかったな」
「ええっと。私はちゃんと返すよ」
「勿論だ。返さんと許さん」
和人は冗談っぽく、饒舌気味に喋る。その少し楽しげな彼の表情を見て、莉世ははっとした。
(あっ……そういうことか)
「……なんだよ」
莉世が固まったのを見て、和人が不思議そうに聞いてくる。彼女はぶんぶんと首を横に振って、答えた。
「なんでもない! ありがとう!」
「はいはい」
投げやりに返事をし、先に自転車を押し歩き始めた和人を追って、莉世もゆっくりと歩き出した。
前を行く大きな背を見つめながら、彼女は言った。
「お互い、がんばろうね」
「ん? あぁ」
和人が文化祭のことだろうと思い、なおざりに返事をする。その答えに、莉世は小さく微笑むだけだった。
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(短編4『買い出し』・終)




