12. 殺戮兵器
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空中にうっすらと素体が浮かびあがり、巨体が一瞬で実体化する。ウドゥン達のいる広場に、次の奇襲部隊を構成するトロール達が続々と出現していった。
「ウドゥン! なんか湧いた!」
「いいね! 連戦だ!」
リゼとアクライが騒ぎ立てる。その横で、ウドゥンは冷静に敵の戦力を見極めようとしていた。
「あいつは……」
目の前に湧いた全部で6匹のトロールの中に、一際異彩を放つ個体が居た。
そのトロールの髭の量は、もはや長いという言葉では言い表せない。地面に届く程に伸びた、まるで燃え盛る炎のように真っ赤な髭は体全体を包むほどであり、その間から覗く金色の鎧は絢爛で堅牢だ。
そして手にした大剣は、大地を引き裂くことも可能かと思えるほどに巨大だった。
「憤怒する者スラーンだと……」
いつも無表情なウドゥンが、その顔を驚愕の色に染めた。しかし隣のアクライは、その異様なトロールの姿を見て嬉々として言う。
「あは! すっごい強そう!」
「あれって、そんなに強いの?」
リゼがエストックを握り締めながら聞いてきた。ウドゥンがぶっきらぼうに答える。
「強いなんてもんじゃねー。7thリージョン・スクイー大釜のNMだ。しかも、かなり上位のな」
「戦ったことあるのか? ウドゥン」
アクライが聞くと、ウドゥンは首を横に振った。
「昔リズとセウが遊びで探索してる時にたまたま出会ったんだとよ。俺はいなかったが、その時はあいつらも苦戦したらしい」
「そんな……」
リゼが絶望した表情をみせる。リズとセウというと、伝説のギルドと呼ばれていた当時のトリニティのツートップである。そんな2人でさえ苦戦したという相手だというのだ。
「でも【太陽】と【殺戮兵器】は勝ったんだろ」
「……まあな」
アクライはその返事を聞き、高揚を押さえきれない様子で笑った。
「あは! それなら、私達に勝てない敵じゃない。やろう!」
「あ……うん!」
アクライの強気な様子に、リゼが呼応して頷く。しかしウドゥンは厳しい顔を崩さなかった。彼は早くも、この戦闘には勝てないと悟っていたからだ。
周囲には7thリージョンに現れるトロール族トロール・パーセキューターが、下卑た笑みを浮かべながらこちらを見つめている。数を確認すると、それらだけで5体もいた。
憤怒する者スラーンだけでも苦しいというのに、あれ程の陣容をこの3人と、周囲の一般プレイヤー達で打ち倒すことは不可能だった。
「2人共ここまでだ。ドカティに奇襲部隊が抑えきれなくなった事を報告する。退きながら時間を稼ぐぞ」
「なに言ってんだよウドゥン。この私に、時間稼ぎなんてダサいまねをさせるつもりか?」
「無理なものは無理なんだよ。いいから――」
「まあ、みとけって!」
「おい!」
アクライはウドゥンの言葉を無視して飛び出した。小柄な彼女は素早い身のこなしで敵の中に飛び込むと、周囲から振るわれる鈍器を避けつつ憤怒する者スラーンの懐にもぐりこむ。
そのまま一太刀を加えながら脇をすり抜けると、素早く切り返し、背後から飛び掛かった。
緩慢な動きを見せるトロールには、このような高速移動による背後取りが重要となる。アクライの戦法は、一般のトロールに対しては有効な攻め方だった。
しかし、目の前にいるのはただのトロールではない。7thリージョンに出現するNM、憤怒する者スラーンなのだ。
真っ赤な髭を纏った憤怒する者スラーンはぎょろりと血走った眼を動かすと、尋常では無い速度で振り向いた。
あまりの速さに髭が円盤のように広がる。無数の鞭のように振るわれたそれは、ばさばさとアクライの視界をさえぎってしまった。
その合間から彼女が見たものは、真っ赤に茹で上がった憤怒の顔だった。
「えっ――」
「グガアアァ!」
アクライの驚きの声は、憤怒する者スラーンの咆哮にかき消されてしまう。そして彼女はなす術なく、真下から放たれた強烈な前蹴りを喰らってしまった。
「うにゅ……」
かろうじて攻撃を小太刀で受けてダメージを減衰させたアクライだったが、勢いは殺しきれず、そのまま高々と打ち上げられてしまう。グングンと上昇する小柄な身体。続けて真っ赤に染まった彼女の視界に、赤鬼のごとき巨大なトロールの姿が映った。
追撃の為に、憤怒する者スラーンは機敏に飛び上がっていたのだ。そして間髪いれず、手にした大剣が振るわれる――
「アクライちゃん!」
リゼの叫び声が響く。そして大剣がアクライの体に食い込んだように見えたその時、彼女と憤怒する者スラーンの間に、あるプレイヤーが割って入った。
◆
右手に装備した両手剣と、左手に装備した両手斧――2つの重量級の武器をXの字にようにクロスさせ、男は空中で憤怒する者スラーンとつばぜり合いを開始した。
「お前は……」
息も絶え絶えに、アクライはその乱入者の姿を確認した。キラキラと光る短い金髪。枝のように細身だがかなりの長身で、その長い手足には銀色の軽鎧を身につけている。
男は憤怒する者スラーンの攻撃を弾き飛ばし、そのままアクライの手を掴み抱き寄せた。特徴的な糸目が、彼女の顔を捉えていた。
「やっほ【小悪魔】。久しぶり」
「セウ……」
アクライが目を見開く。そんな彼女を抱えたまま着地したセウイチは、素早く憤怒する者スラーンと周囲のモンスターから距離をとり、ウドゥンとリゼの下へやって来た。
「セウさん!」
リゼが嬉しそうに声を上げる。セウイチは軽く手を上げてそれに応えた。
「やぁ。少し遅れたかな」
「嘘つけ。おいしい場面を待ってやがっただろ、お前」
「あれ、ばれちゃった?」
ウドゥンが指摘すると、セウイチはおどけるように肩をすくめた。2人の表情はひどく愉快げだ。
一方強烈な攻撃を受け瀕死状態だったアクライが、すぐに回復薬をがぶ飲みしてから騒ぎ出す。
「セウ! お前、援軍にくるならもっと早く来いよ」
「え、その反応おかしくない? 惚れてもいいくらいの完璧なタイミングだと思ったけど」
「誰が惚れるか!」
アクライがギャーギャーと詰め寄るが、ウドゥンはそれを無視して話を続ける。
「しかし本当に遅かったな。もう終盤だぞ」
「いやー。実際、スキルを取り直すのに思ったより時間がかかってね」
「どれを戻してきたんだ?」
「いくつか取りやすそうな戦闘スキルだな。具体的には【ツヴァイハンダー】【ランス】【バトルアクス】ってところ」
「【二刀流】は?」
その質問に、セウイチはにやりと笑みを浮かべた。
「メインから切ってるわけ無いだろ」
「なら問題ないな」
ウドゥンは澄まし顔で頷くと、代わりにリゼがふと疑問に思ったことを聞いた。
「えっと、セウさんはエストック使いなんじゃないんですか?」
「エストックのスキルなんか持ってないよ」
「え、じゃあなんで昨日私と戦ってくれた時は、エストックだったんですか?」
「そりゃあ、なんとなくかな」
セウイチは能天気に答えた。スキル無しであそこまで強いという事実は、リゼにとって常識外だった為、彼女はひどく感心してしまう。
ほうけた様にセウイチを見つめるリゼと、一方で彼を敵愾心剥き出しに睨みつけるアクライ。そんな2人に向け、ウドゥンが淡々とした様子で指示をする。
「さてお前ら、2人で憤怒する者スラーンを足止めしろ。防御に専念してな」
「防御に……」
「専念?」
アクライの不満げな顔と、リゼのきょとんとした顔が並んでいた。
「アクライ、間違っても打ち込もうとするなよ。お前の得意な高速移動で足を止めずにいれば、早々攻撃は喰らわないはずだ」
「私にダサく逃げ回れって言うのか!」
アクライが詰め寄るが、ウドゥンは冷たく言い放つ。
「黙れ。さっき指示を聞かずに死に掛けただろうが。もう一回挑んで今度こそ死ぬか? 後でヴォルに報告して、一緒に大笑いしてやるぜ」
「っく……くっそー」
涙目になって歯軋りをするアクライ。そんな少女を放置し、ウドゥンは次にリゼに向かって言った。
「リゼ。お前はアクライと逆だ。足を止めてガードに専念しろ」
「えっ、ガード?」
「そうだ」
リゼはぱちくりと瞬きをしながら、ぽかんとした表情をみせる。しかし彼は構わず続けた。
「ガードに専念して、憤怒する者スラーンの攻撃をどこまで防ぎきれるか試してみろ。喰らったら即死だろうが、まあその時はその時だ。気楽にな」
「……うん。わかった」
リゼは素直に頷く。そして顔を上げ、真っ赤な髭をなびかせる憤怒する者スラーンを睨みつけた。
「【智嚢】。俺はどーすりゃいいんだ?」
待ちきれないといった様子で、セウイチはニヤニヤと笑いながら言った。ウドゥンもまた、ニヤリと口角を吊り上げる。
「決まってんだろうが」
そう前置きし、彼は強い口調で言った。
「殲滅しろ。【殺戮兵器】」
トリニティの頭脳が、トリニティの身体に向かって命令する。その指示を受けセウイチは「了解」と短く答えると、弾かれたように駆け出した。
まず一番近くにいたトロール・パーセキューターに向け、ツヴァイハンダーを突き出す。トロールが手にした大斧でそれを叩き落しにいくと、セウイチは素早く大剣を放り捨てた。
当然ガキンという激突音と共にツヴァイハンダーは叩き落されるが、代わりにトロールの動きが限定されてしまう。その隙に彼は、左手に持っていたバトルアクスを叩き付けた。
「グガアア!」
「黙れ、のろまが」
悲鳴を上げるトロールを蹴り倒すと、次にセウイチは目の前にパネルを表示した。そして目にも止まらぬ速さでパネルを操作し、一瞬にして新しくランスを取り出すと、それを倒れ込んだトロールの腹に突き刺して磔にしてしまった。
腹を槍によって突き抜かれ、動きを封じられてしまったトロールが、最後の足掻きに獲物を振りまわす。しかしそれは【殺戮兵器】の完璧な受け流しにより、軌道をずらされてしまう。
セウイチはバトルアクスを両手に握り、トロールの脳天目掛けて振り下ろした。そしてそれを素早く引き抜き、何度も何度も振り下ろす。
やがて言葉にならない叫び声を上げて消滅するトロール・パーセキューター。7thリージョンに現れる上級モンスターを、セウイチは一瞬にして撃破してしまった。
そのキラキラと輝く消滅エフェクトが無くなるまで、彼はニヤニヤとした笑顔を崩さなかった。
「セウさん……すごい」
リゼが目を点にしてその戦闘を見つめていると、隣のアクライが少し忌々しげに言った。
「むー。相変わらず、滅茶苦茶な戦い方のくせに強いな……」
「滅茶苦茶?」
リゼが聞き返すと、アクライがこくりと頷く。
「【殺戮兵器】の戦い方は《マルチウェポン》――戦闘中に武器をどんどん切り替えて戦う、すっごいヘンな戦い方なんだ」
「そういえば、剣を捨てて、新しく槍を取り出してたよね」
「そーそー。武器を捨てるとか取り出すとか、まともなプレイヤーなら考えつかないし、戦闘中にパネルを操作するなんて隙だらけだから普通やらない。だいたいメインスキルに育てている以外の武器を使っても弱いだけだから、そんなことする意味無いんだよね」
アクライの言う通り、このナインスオンラインの世界では一つの武器スキルをメインスキルにし、そのスキルを育て、トリックを増やし、金をかけて強力な武器を用意するのが普通だ。
しかしセウイチは武器スキルにこだわらない。サブスキルに様々な武器スキルを用意しておき、さらに戦闘中に武器を使い捨て、次々とパネルから取り出して戦う奇妙なやり方を得意としていた。
その戦闘スタイル《マルチウェポン》こそが、セウイチが【殺戮兵器】と呼ばれる所以だった。
トロール・パーセキューターを倒し終えたセウイチが、リゼとアクライの方に振り返る。
「2人共、なにぼっーとしてるの。早く――」
「後ろ!」
「ん?」
セウイチの背後から、赤鬼のごとく真っ赤な顔をした巨大なトロール――憤怒する者スラーンが、手にした大剣を振り下ろした。
あまりにも強烈な一撃に、土煙が舞い上がり、地面がぐらぐらと揺れてしまう。
「セウ!」
「セウさん!」
2人が慌てて駆け寄る。しかし次に彼女達が見たものは、地面にめり込んだ憤怒する者スラーンの大剣に片手を添え、余裕げに立つセウイチの姿だった。
「早く憤怒する者スラーンの相手をしてよ。やっぱり俺みたいな男が相手だと、どうも機嫌が悪いみたいだからさ」
やっぱり接待は女の子じゃないと――セウイチはそう言って愉快そうに笑う。彼のすぐ上にある憤怒の顔と比べて、その笑顔はひどくギャップのあるものだった。
「それじゃ、頼んだよ」
セウイチは再び、弾かれたように駆け出した。そして周囲を取り囲むように集っている護衛トロール達に立ち向っていく。
残されたリゼとアクライの2人は、少しあっけにとられてしまったが、すぐに気を取り直して憤怒する者スラーンに意識を向けた。
「リゼ。私はとにかく掻き回すから。頑張って耐えてね」
「うん! アクライちゃんも、気をつけて!」
2人が声を掛け合っていると、憤怒する者スラーンがその大剣を振り上げた。その動きに対応しアクライが飛び出し、一気に懐に入り込む。
憤怒する者スラーンは、素早く払うように大剣を振り回した。しかしアクライは宙返りをしてその攻撃を回避すると、敵の背後を取るように着地し、そのままピョンピョンと憤怒する者スラーンの周りでステップを刻み始める。
しばらくはアクライの動きを捉えようと大剣を振り回していた憤怒する者スラーンだったが、やがて面倒になったのか、ギロリと視線をリゼに向けた。
「リゼ!」
「うん!」
アクライの声に、リゼは力強く応えた。憤怒する者スラーンがリゼに向け、一息に大剣を振るう。残像を残すほどの勢いで、分厚い刃が真っ直ぐに振り下ろされた。
ガキン――という耳障りな金属音が響く。リゼは何とか憤怒する者スラーンの攻撃を受け止めたが、少しタイミングがずれてしまっていた為、鈍いガード音になってしまった。
しかしジャストガードとまでは行かないまでも、ガード自体は成功しており、ダメージの多くをはカットされている。彼女は少し体勢を崩しながらも、死亡することなく持ち堪えた。
「ナイス!」
アクライが声をかけると、さらに【挑発】スキルを発動して気を引く。そのまま2人は憤怒する者スラーンの足止めを続けた。




