9. 喪心の銀ギルド
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アルザス32番街は大きく分けて3つの通りから形成されていた。アルザスの中心にある円形闘技場から、外周の入り口である大門までを突き抜ける大通りと、その両隣に派生した右通りと左通りがそれに当たる。
それら3つの通りは小さな側道で繋がっている他、噴水広場に代表される幾つかの広場からは比較的大きな道路が接続されていた。
今リゼが向かっているのは噴水広場のそばに建つ冒険者ギルドである。
その場所は先日リゼが失敗をして逃げ出した場所だ。こうして駆け回っている原因を作ってしまった場所に向かう足は、自然と鈍ってしまう。しかし彼女はセウイチに言われた通り、この場所までやって来た。
両開きのドアの前に立ち、中の様子をうかがう。すると内部はがやがやと騒がしかった。
意を決してリゼがドアを開けると、そこには多くのプレイヤーがすし詰め状態で立っていた。
「わぁ」
リゼが圧倒されて息を飲む。新しく入ってきた少女に気が付いた1人のプレイヤーが話しかけてきた。その男はすぐにリゼの右手首につけていた、銀の三角形が刻印されたギルド章に気がついた。
「君はもしかして……トリニティの?」
「え……っと、はい」
リゼは少し戸惑いながらも頷いた。その返事を聞いて、プレイヤーはにかりと笑った。
「そうか、おい! 噂のトリニティの新人が来たぞ!」
男は突然大声を上げ、中にいたプレイヤー達に向かってリゼの来訪を知らせた。すると騒然としていた室内がシンと静まり返り、プレイヤー達が一斉に視線を向けたのだ。
「ひっ……」
ビクリと体を震わせるリゼ。しかし次の瞬間、あるプレイヤーの姿に気がついた。
無造作に伸びた黒髪と、その隙間から覗く血のように赤い瞳。黒色を基調とした革製品の装備でその長身を着飾った、無表情な男だった。
その姿に、リゼは思わず泣き出しそうになってしまった。
「ウドゥン!」
彼は冒険者ギルドにいるプレイヤー達の中心で、腕組みをしながら立っていた。その隣には先日会ったドカティや、ド派手な服装をした金髪のプレイヤーもいる。
ウドゥンはリゼの姿を認めると、迷惑そうに眉をひそめた。
「なんで来てんだよ」
「えっと。セウさんに言われて……」
冷たく言い放つウドゥンに、リゼは尻すぼみになってしまう。しかしすぐに彼の仏頂面は崩れてしまった。後ろから頭をはたかれたからだ。
「ばーか。なに脅してんだよお前は」
「いってーな、カスケード」
「たくっ。リゼ……だっけ。こっちにきなよ」
ウドゥンをはたいた金髪の男――レイディラックのカスケードは威圧的な装いに似合わず、優しげに微笑んでリゼを招き入れた。
それに応じて彼女はカスケードの前まで行くと、丁寧に頭を下げた。
「今回は、私がとんでもないミスをしてしまいました。迷惑をお掛けしてごめんなさい」
不意打ちのように放たれた謝罪に、冒険者ギルドは水を打った様に静まり返る。リゼは、これから言われるであろう叱責に泣かない様に、唇を強く噛んで備えた。
しかし次に彼女の耳に聞こえてきたのは、部屋を包む大爆笑だった。
「あははははは!」
「なるほど、たしかに初心者だ!」
「ぎゃははは! めっちゃ良い娘じゃん!」
「え、え……?」
予想外の反応に戸惑うリゼ。助けを求めるようにウドゥンを仰ぎ見ると、彼は頭を抱え、ひどくうなだれていた。
わけが分からず、ただきょろきょろするしか出来なかったリゼの肩をカスケードが叩く。
「リゼ。なんか勘違いしてるみたいだけど、君が謝る必要は無いぜ」
「え?」
彼はひどく楽しげな様子で続けた。
「今回のインベイジョンはランク9なんていう、誰もやったことの無い難易度でやれるんだ。楽しみでしかたねーよ。なあ皆!?」
「おう!」
「あぁ」
他のプレイヤー達も、口々に同じような言葉を掛けて来る。
彼らにとってインベイジョンに負けて32番街全体にデメリットを喰らうより、普段は戦えなような強敵を相手にできるほうが魅力的だったのだ。
「7thリージョン以降の敵は、今の所限られた連中しか戦えないからな。みな一度くらい戦ってみたいのさ」
こう言ったのは32番街で唯一の《セブンスギルド》であるオーンブルのドカティだ。彼はニヤリと笑って続ける。
「それに詫びならもう言われているよ。そこの無愛想な男からな」
「え?」
「おい。どうでもいいだろうが、そんなこと」
慌ててドカティに言い寄るウドゥンの顔は、少しだけ赤くなっていた。リゼがそのやりとりをぼんやりと眺めていると、背後から知った声が掛けられる。
「リゼ」
「あ、ユウ」
そこにはグリフィンズのリーダー・ユウの姿があった。1人しか居ないところを見るに、ギルドを代表してここに出席しているようだ。
リゼは何となく、この集まりが何の集会なのか察してきた。
「えっと、もしかしてインベイジョンの作戦会議をしてるの?」
「そうだよ。連合ってやつだね」
「連合?」
「うん。今回のインベイジョンを一緒に戦う、32番街に本拠を持つギルドの人達の集まりのこと。こうやってみんなで集って、大まかな作戦とか持ち場とか決めてるんだ」
「そっか。そんなのがあるんだね」
セウイチが先ほど冒険者ギルドに行った方が良いと言っていたのは、これが理由だったのだ。リゼは納得して頷くと、そのままウドゥンの方に視線を向ける。彼は髪をがしがしとかきむしっていた。
「別に、はぶってたわけじゃねーぞ。お前は話し合いに参加してもわけわかんねーだろうから、後でユウの奴に説明してもらおうと思ってただけだ」
「だから、自分でしなよウドゥン。今回リゼはトリニティとして戦うんだから」
「ちっ」
ウドゥンは不機嫌そうに目を逸らしてしまった。ユウが肩をすくめながら小声で言う。
「メッセージで呼ぼうとしたんだけどね、あいつに止められてたんだ」
「えっと……よくわからないんだけど」
状況が理解できず困惑するリゼを見て、連合のリーダーを務めるドカティが豪快に笑いだした。
「はは! まあ話はだいたい決まったところだったし、最後にもう一回確認しておこう。皆、注目してくれ!」
そうして皆の視界を集めておいて、ドカティは居並ぶインベイジョンの参加者達に向け、作戦の最終確認を始めた。
◆
「――それじゃあ今日はこれで解散だ。明日は楽しもうぜ」
ドカティがそう締めると、皆が一斉に気勢を上げた。その後わいわいと騒ぎながら、三々五々に帰っていく。
そんな中、ユウがリゼに声を掛けた。
「リゼ。今回は別行動だけど、頑張ろう」
「うん!」
ここに来た時とは打って変わって、リゼは元気一杯に答える。ドカティの語るインベイジョンの作戦を聞いているうちに、どんどんとテンションがあがってしまっていたのだ。
「よかった。元気になったみたいだね」
「もう大丈夫だよ。ありがとう、ユウ!」
「あぁ。それじゃ、また明日」
「またね!」
にこやかに笑うリゼに手を振って、ユウは冒険者ギルドを出て行った。
一方残ったプレイヤー達の中でウドゥンは、ドカティとカスケードの2人と話し込んでいた。
「それじゃあ、また明日な」
「期待してるぜ、ウドゥン。伝説のトリニティとやらの実力をな」
カスケードが皮肉っぽく言うと、ウドゥンは迷惑そうに答えた。
「やめてくれ、まじで」
「はっはっは! まあ、楽しもうぜ。負けたら負けたときだ」
「へっへ。そういうことだ、リゼ! お前も気にせず、明日を楽しめよ」
「はい!」
ドカティとカスケードが、笑顔でリゼに声をかけてくる。先程から何度も気にかけてもらい、彼女はすっかり肩の荷が降りていた。
「お前ら、あんまりこいつを甘やかすなよ。調子乗るから」
「ははは! お前に言われたくないな」
「……ちっ」
腹を抱えて笑うカスケードに舌打ちし、ウドゥンはさっさと冒険者ギルドから出て行ってしまう。
「え、待ってよ! あ、ドカティさん、カスケードさん。ありがとうございました」
リゼは慌ててドカティとカスケードに礼を言った後、ウドゥンを追って冒険者ギルドを後にした。
外に出るとゲーム内は月夜だった。明るく輝く満月の下、2人はバラバラの歩幅で歩く。ずんずんと無言で進むウドゥンの後ろを、リゼは嬉しそうに追いかけていた。
「ウドゥン。あの……ありがとう」
ウドゥンは肩越しに彼女を見た後、いつものぶっきらぼうな様子で答えた。
「そういう言葉は明日のインベイジョンを乗り切ってから、ドカティ達に言うんだな。かなり難しい戦いになるはずだ」
「うん。それは勿論だよ。でもそうじゃなくて……」
リゼが言葉をつまらせる。
彼女はウドゥンが怒ってしまい、全てを投げ出してしまったのだと勘違いしていた。はねつけるような態度をされ、約束をすっぽぬかされ、もう自分に幻滅してしまったのだと思い込んでいた。
しかしそれは違った。彼は自分に黙って、駆け回ってくれていたのだ。
「セウさんの言った通りだな」
「セウ? なんて言ってたんだよ」
「『あいつのやることに間違いはあまりない』だってさ」
「何だよそれ……」
ウドゥンがあきれた様に肩をすくめる。
「あまりないってことは、たまに失敗してるってことじゃねーか」
「え、滅多に間違えないってことでしょ?」
2人が顔を見合わせる。ウドゥンは不満げに首をひねっていたが、リゼは可笑しく吹き出してしまった。
そのまま歩きながら、リゼがしみじみと言う。
「私が失敗したことなのに、ウドゥンはそれをフォローしてくれてた。それが嬉しいの。だから、ありがとう」
ウドゥンはその言葉を受け、少し照れるように頬を掻いた後、やはり無表情を崩さず答えた。
「別に……やっちまったもんは仕方無いからな。実際インベイジョンに《ナインスギルド》が参加して、どんな敵が現れるかは未確認だったから、一度くらい試したかったのはあったし。他の連中――ドカティやカスケード達が思ったより乗り気だったから助かった、それだけだ」
「そっか。良い人ばかりだよね、みんな」
「……そうかもな」
いつもなら否定しそうな能天気な言葉を、ウドゥンはなんとなく頷いた。
実際彼もリゼと同じく、ドカティ達は実体の無い《ナインスギルド》がインベイジョンに参加したことを糾弾してくると予想していた。
しかし彼らは、
『強い敵なら、作戦をしっかり練って立ち向かえば良い。それで負けたなら仕方ないさ』
『ランク9の強敵とか、一度戦ってみてーじゃん?』
など、かなり軽いノリの反応を返してきたのだ。
勿論、毎回参加して良いものでは無いだろう。しかし一度きりのお祭りのとして考えれば、なかなか悪くないイベントだ――32番街の皆は口々にそんなことを言っていた。
それはウドゥンにとっても、意外な反応だった。
リゼの顔を見ると、えへへと微笑みながら見つめ返されてしまう。すこし気恥ずかしくなって彼は話題を変えた。
「そういえば、セウに言われて来たって言ってたな」
「あ、うん。セウさんがトリニティのメンバーだって、キャスに教えてもらったの」
「そうか。ついにばれたか」
「そーだよ! それ」
リゼが思い出したように声を上げる。そしてウドゥンを追い抜くと、クルリと振り返った。
「何でセウさんのこと、教えてくれなかったの? こんなに近くにトリニティの人が居るなんて」
頬を膨らませて言うリゼに、ウドゥンはぶっきらぼうに答える。
「別に、あいつは今トリニティを離れてるんだ。新人が入ったからって戻るような奴じゃないしな」
「でも……」
「あいつはリズが帰ってこないと戻ってこねーよ。帰ってくれば勝手に戻ってくるから、ほっとけほっとけ」
「……」
セウイチが言っていた内容そのままを、リゼは再びウドゥンから聞くことになった。
2人が話す言葉から悲愴感は感じない。ただ、どこか寂しげだ。そして彼らトリニティがどうしてバラバラになってしまったのか、リゼは察し始めていた。
このギルドの中心は紛れもなく、今ここにはいないリズなのだ。彼女はウドゥン達のフレンドであり、仲間であり、リーダーだった。
セウイチが言うに、彼女が居なくなって半年が経ったという。その間トリニティはその一切の活動を停止している。心を失った銀ギルドは、同時に存在意義も失い、半ば廃墟のように散らかったギルドホームを残してひっそりと時を過ごすだけだった。
その事に気がついたリゼは切なくなってしまい、顔をうつむかせる。そして、ゆっくりと呟いた。
「リズさん、どうしてるのかな」
「さあな」
「……ねえウドゥン。私とリズさんって、似てるの?」
「……はあ?」
唐突な質問に、ウドゥンが上ずった声を上げる。しかしリゼは彼の瞳を真っ直ぐ見つめながら続けた。
「私とリズさんが似てるって、セウさんが言ってたの。だから私をギルドに入れてくれたの?」
「ちょっと待て……リズとお前が似てて、だからお前をギルドに入れたのか、だって?」
ウドゥンが確認するように復唱すると、リゼがこくりと頷いた。その真剣な様子を見て、彼は再び固まってしまう。
「くく……」
「え?」
「くくく! あははははは!」
突然、ウドゥンは腹を抱えて笑い出してしまった。場所は大通りのど真ん中だ。周囲にはちらほらプレイヤーがいる。そんな往来の場所で、いつも冷静な彼が大声で笑い転げていた。
見たことも無いウドゥンの反応に、リゼは慌てふためいてしまう。
「ちょ、ちょっとウドゥン。どうしたの?」
「あはは! いや、お前とリズが似てるなんて、あり得ないだろ! セウ、あいつにどんなイメージ持ってんだよ」
「でもでも、確かにセウさんが言ってたもん」
「いや、リズなんかよりリゼ――お前のほうが遥かに可愛いよ」
「えっ……」
ウドゥンが何気なく言った言葉に、リゼは固まってしまう。
しばらくひいひいと息を整えていた彼は、目の前で顔を赤らめる少女を見て一瞬ぽかんとした後、自らの失言に気が付いた。
「っち……違う、今のは――いや、違わないけど、あくまで一般論としての可愛いであって……」
しどろもどろに取り繕うウドゥンを、リゼは惚けたように見つめていた。
2人の間に微妙な空気が流れる。先に逃げ出したのはウドゥンのほうだった。咳払いを一つ入れて、ごまかすように言う。
「とにかくお前もリズに会えば、俺の言ってる意味がわかるはずだ。全然似てない」
できる限り澄ました調子で喋るウドゥンを見て、リゼも思考を取り戻した。
「あ、えっと……うん。会えるかな……リズさんに」
「さあな。まあ帰ってきたら紹介してやるよ」
「うん。よろしくね!」
少し嬉しげに話すウドゥンに、リゼは無邪気な笑顔で応えた。




