7. とある酒場のマスター
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いつもならば金曜日の夜になると酒場はひどく込み合ってしまう。次の日が休みである為、徹夜でクエストをこなそうとするプレイヤーが多いからだ。
しかしこの日はリゼがセウイチの酒場を訪れると、次の日に開催されるインベイジョンの影響か、店内にいるプレイヤーはまばらだった。
数名のプレイヤーが談笑している奥で、マスターであるセウイチがパネルを操作していた。何か作業をしているというよりは少し手持ち無沙汰といった様子だ。
彼は店に入ってきたリゼに気が付くと、すぐに声をかけてきた。
「リゼ、おかえり」
「ただいま、セウさん」
糸を引いたような瞳をさらに細くしてセウイチは微笑みかける。リゼはその挨拶に応えた後、ゆっくりとカウンターまでやってきて席には座らず彼に声を掛けた。
「あの……セウさん」
「ん、どうしたの?」
セウイチが首をかしげる。同時に電子パネルを閉じカウンターにもたれかかった。リゼと比べかなりの長身である彼は、そうすることで目線の高さを彼女に合わせたのだ。
ブロンドの短髪がさらさらと揺れ、優しげな笑顔が向けられていた。
「あなたがトリニティのギルドメンバー、【殺戮兵器】なんですね」
投げかけられたその言葉に、セウイチは笑顔を崩さずにっこりと微笑んだままだった。しばらくの間、店の中は客である数人のプレイヤー達の会話だけが響いていた。
やがて彼は口を開く。
「誰から聞いたの?」
「えっと、キャスから教えてもらいました」
「そっか。あーあ、ついにばれちゃったかー」
わざとらしく、とぼけるように片手で頭を抱えるセウイチ。その反応は少し予想していたものと違ったが、リゼは構うことなく詰め寄っていく。
「セウさんは私がトリニティに入ったことを知っていたんですか?」
「うん、知ってたよ。リゼが入った日の夜にはウドゥンから聞いた」
セウイチは何でも無さそうに答えるが、リゼがトリニティに加入したのはもう2週間も前の出来事だ。それから今に至るまで、彼もウドゥンもそのことを話題にすらしていなかった。
「どうして黙っていたんですか。教えてくれても良かったのに」
「別に、言う必要ないじゃん。俺は確かにトリニティのメンバーだけど、今は酒場のマスターなんだ。他のギルドにも色々所属してるしね」
「でも――」
「まあ秘密にしていた1番の理由は、リゼがこそこそトリニティのギルドホームに行く姿が可愛かったからかな」
おどけながら言うセウイチに、リゼは思わず顔を赤くしてしまう。しかし彼女はぶんぶんと顔を振って気を取り直した。
「あの、セウさんは今回参加されるんですか?」
「インベイジョン?」
「はい」
リゼがキャスカから聞いた話では、セウイチは相当な強さの戦闘プレイヤーだ。伝説のギルド・トリニティのメンバーにして戦闘員、実働担当の剛腕【殺戮兵器】はそこらの戦闘プレイヤーを束にするよりも遥かに強いと、キャスカはリゼに教えていた。
彼がインベイジョンに参加するかしないかで、戦力は大きく変わる。
「いや、俺は参加しないよ」
「そんな……」
リゼが悲しげに顔を曇らせたので、セウイチは慌てて取り繕う。
「あー。そんな顔しないでよ」
「……キャスから聞きました。トリニティは昔、凄いギルドだったんですね」
「あはは! 凄いのはリズの奴であって、俺やウドゥンじゃないんだけどね」
セウイチはからからと笑い、愉快げだ。リゼがきょとんとした様子で聞く。
「そうなんですか?」
「あぁ。トリニティは俺とリズとウドゥンの3人ギルドだったけど、実質リズのギルドだったからね。いっつもあいつを中心に、俺とウドゥンが振り回されてた。全く、楽しかったなぁ」
そう懐かしげに呟き、セウイチは目線を上げた。その表情はウドゥンが前に見せたものに良く似ていた。
彼もまた、トリニティのことを憂いているのだ――リゼはそう思った。
「あの、リズさんはどうしてるんですか?」
「あいつは辞めたよ。ナインスオンライン自体をね」
「えっ?」
リゼは思わず「そんなはずは」と言い返しそうになる。しかしセウイチは当たり前といった様子で続ける。
「リズは半年ほど前――去年の年末あたりから、一切ナインスオンラインにインしなくなったんだ。俺たちに何も言わずね」
「そんな……」
「まあ俺もウドゥンも、飽きちゃったんだろうって話してる。飽きっぽい性格だったからねーあいつは。あはは!」
彼は楽しげに笑い声を上げていたが、リゼはその話に少し混乱していた。
セウイチは、リズは半年も前からインしていないという。しかしウドゥンは、リズが最近インしている可能性があると言っていた。
一体どういうことなのか。
「でも、ウドゥンがリゼをギルドに入れるって言ってきた時は驚いたよ」
「え?」
リゼが困惑していると、セウイチが話題を変えた。
「初めてだったからねー。ウドゥンがギルドメンバーを増やすって言ったのは」
「初めて……?」
「うん。俺が3人目として加入して、今のトリニティになってからは、一度もギルドメンバーを補充したことはなかったんだ。リゼが入るまではね」
リゼは先日トリニティに入れてもらった時のことを思い出し、愕然とした。
トリニティはあのキャスカをもってして伝説のギルドと言わしめるほどのギルドだ。そして、そのメンバーは一度も補充されたことが無い。
あの時の自分がトリニティというギルドを何も知らずに、どれほど無茶な要求をしていたのか、リゼは気が付いてしまった。
「あの……私……」
目に見えておろおろとし始めるリゼ。セウイチはそんな様子を見て、やさしく微笑みかける。
「リゼ。あいつが君をトリニティに入れた理由って何だと思う?」
「それは、私が無理矢理……」
そう、無理矢理だった。あの時はギルドという物がよくわからず、とにかく同じギルドに入っていれば、一緒にナインスオンラインを遊べるのだろうと考えて頼み込んだのだ。
結果、ウドゥンは少し不思議な反応を見せつつも、結局はギルドに加入させてくれた。それ自体はリゼにとって泣き出しそうになるほど嬉しい出来事だったが、客観的に見れば自分が無理矢理駄々をこねたことになる。
そのことにリゼは、後ろめたさを感じていた。
「違うよ。あの【智嚢】が、何の考えも無しに新人を入れるはずが無い」
セウイチは優しく、諭すように続けた。
「リズは昔、ウドゥンにこんなことを言ってた。『お前が認めた奴なら、勝手にギルドメンバーを増やしていいぞ』ってね。その言葉にあいつ、なんて返したと思う?」
「……」
リゼが小さく首を振る。リズとウドゥンのやり取りなど、彼女には想像もつかなかった。
セウイチがニヤリと笑って答えを言う。
「『あんたを超える才能を持つ奴じゃないと、入れる意味が無い』だってさ」
「それって……」
「あぁ」
セウイチの長い人差し指が差し向けられる。ビクリと体を硬くするリゼに、彼は優しい声で言った。
「リゼはウドゥンに認められたんだよ。その才能をね。実際、始めて二週間なのにC級マッチで活躍しちゃうくらいだから、その見立ては正しいのかもしれない」
「そんな……私なんか、皆に比べたら、全然――」
「だから」
セウイチはリゼの発言にかぶせて言う。
「俺はリゼがトリニティに入ることに異論は無い。ウチの【智嚢】が決めた事だ。もっと自信を持てば良いよ」
その言葉に、リゼは体が熱くなった。
「……はい。ありがとう、セウさん」
自分がトリニティに入ることを許したウドゥンの意図は、まだよく分からない。しかし目の前にいるギルドメンバーは自分のことを受け入れてくれている。
その事に、リゼは救われた気分になった。
「でもねー」
リゼがうつむいていると、セウイチが手を下ろし少しおどけた様子でカウンターに肘をついた。
「俺はウドゥンに従ってたわけじゃない。リズの奴が面白かったからトリニティにいたんだ。だからあいつが戻ってこないのに、トリニティに戻る気はないんだよね」
「そうですか……」
「今回のインベイジョンも、正直どうでも良い。何も手を打たなければ、負けは確実だけどね」
セウイチの言葉にしょんぼりと肩を落とすリゼ。しかしすぐにぶんぶんと顔を振って、もう一度頼み込む。
「あの……今回だけでも、手伝ってくれませんか? 私、何をして良いのかも分からなくて……セウさんがいれば――」
「そうだね」
セウイチが突然、ひらりと身を翻しカウンターを飛び越えた。
「え……?」
いつもカウンター内で落ち着いた雰囲気でいる彼の身軽な動きに、リゼがあっけにとられてしまった。彼女の隣に降り立ったセウイチがきざっぽく手を広げる。
「ちょっとギルドホームに行こうか。トリニティのね」
「えっ……と。はい」
「セリス。しばらくここは任せるよ」
「はーい……って。私の前で他の女を連れて出て行くなんて、いい度胸してるわね」
セウイチがカウンターの奥にある調理場で作業をしていたセリスに声をかけると、彼女は含み笑みを浮かべながら返事をした。
リゼが慌てて言う。
「あ、あ、ごめんなさいセリスさん」
「ふふ、冗談よ。セウ、リゼをいじめちゃ駄目よ」
「いじめるわけ無いだろ。まったく」
そんなやり取りの後、セウイチとリゼはトリニティのギルドホームに移動した。




