6. 伝説のギルド
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次の日は金曜日だった。長く退屈な授業が終わり、最後に残った終業のHRで、まだ若い担任教師が週末に向けて当たり障りのない注意事項を述べていた。
「それじゃあ、終わりにしましょう」
担任がそう言うと、皆が一斉に喋り出す。この後の部活動について、週末都心へ遊びに出る予定など、思い思いの会話が飛び交っていた。
そんな中望月莉世は緊張しながら、2つ前の席に座っていたクラスメイトに声をかけた。
「あの……柳楽君」
「なんだ?」
「今日の放課後のことなんだけど」
「……ちょっと用事が出来てな。悪い」
「あ……」
和人は素っ気なく言うと、莉世から逃げるように教室から出て行った。彼女は追いかけようと手を伸ばすが、すぐに昨日の出来事を思い出して立ち止まってしまった。
「望月さん」
背後から聞き慣れた男子の声が聞こえた。莉世が振り向くと、クラスメイトの角谷が少し心配げな表情で立っていた。
「昨日あのままログアウトしちゃったみたいだけど、大丈夫だった?」
「あ……うん。ごめんね、勝手なことして」
莉世が謝る。彼女はあの後和人に言われた通り、工房内のアイテムの大半をギルドホーム内へと移動させていた。その作業に時間がかかってしまったため、グリフィンズとの約束をすっぽかしていたのだ。
角谷は小さく首を横に振る。
「ううん。柳楽の所によく出入りしてるのは知ってたけど、まさかギルドにまで入ってるとは思わなかったよ」
「ごめんなさい……」
顔を伏せて謝る莉世に、角谷は慌てて言った。
「いやいや、謝ることじゃあないよ。どのギルドに入るかなんて望月さんの自由だし。それよりも、あの柳楽が他人をギルドに入れたって方が驚きだ」
「えっと、そうなの?」
「うん。昔一度だけ、柳楽に『トリニティってギルメン募集とかしてるのか』って聞いたら、『するわけ無いだろ』って怒られたことがあるんだよね。その時の様子がわりとマジでさ。よく印象に残ってる」
「えっと、角谷君はトリニティのこと知ってるんだ」
その質問に、角谷は腕を組んで悩むような仕草をみせる。
「うーん。名前だけね。あの後ドカティさんに聞いたら、昔有名なギルドだったらしいけど、今は活動していないんだって。インベイジョンには一度も参加していないみたい」
「そうなんだ……」
莉世は小さく唇を噛みしめた。
和人はあまりトリニティを語ろうとしない。それは現在、トリニティに和人しかいないことを憂いているからだと思っていた。
だが実際はどうなのか――
「私……トリニティのことなんにも知らない。柳楽君に甘えて、わがまま言ってギルドに入れてもらったの。どうしよう……私、柳楽君、怒らしちゃった」
見た事も無いほどにおろおろとした様子で喋る莉世を見て、角谷は困ったように顔を曇らせた。
「トリニティか。俺達グリフィンズがナインスオンラインを始めたのって今年に入ってからだからなぁ。古参の人に聞けば、何かわかるかもしれないけど」
「古参?」
「うん。ベテランって言えばいいのかな? 昔からプレイしてる人のことだよ」
「昔から……あ――」
莉世は閃いたように声を上げると、すぐに携帯パネルを取り出しいそいそとメッセージを書き始める。やがて書き上げたそれを送信した後、莉世はパネルを収め、慌てた様子でスクールバッグを肩にかけた。
「角谷君、ありがとう。トリニティのこと、少し調べてみるね」
「うん。ゲーム内で柳楽の奴に会ったら、俺からも少し話してみるよ」
「それじゃあね!」
莉世は駆け足で教室を出て行く。栗色の髪を揺らして走る小さな背を、角谷は目を細めて見送っていた。
「あーあ。失敗したかな……」
自嘲気味に呟いたその声は、誰にも聞こえることはなかった。
◆
インペリアルブルーのギルドホーム"城砦"は、いつも多くのプレイヤーが行き交っている。その多くは蒼を基調とした装備に身を包んだインペリアルブルーのギルド員だが、比較的出入りが自由なギルドホームであるため外部のプレイヤーも多く訪れていた。
「ひろーい。こんな場所もあるんだ」
城砦を訪れたリゼは、入った瞬間おもわず声を上げてしまった。真っ赤な絨毯と青のフラッグで装飾された巨大なエントランスに圧倒され、きょろきょろと周囲を見渡してしまう。
彼女が見たことのあるギルドホームは、グリフィンズとトリニティのものだけだ。それらは少人数ギルドである為、そこまで広い造りではない。
一方、この城砦はギルド員が1,000を超えるプレイヤーが所属するインペリアルブルーのギルドホームだ。並みのギルドとは金の掛け方が違ってた。
「リゼ。お待たせしました」
「あ、キャス!」
やがて現れた黒髪の女性に、リゼが子犬のように駆け寄っていく。インペリアルブルーのサブリーダー・キャスカだった。
結い上げた漆黒の髪と、少し釣り上がった眼からは理知的な印象を受ける。深い蒼色をしたワンピース型の鎧を身を身に着け、さらにその上にはうっすらと青みがかった胸当てをしていた。優雅な白銀のロングブーツもよく似合っていた。
「お待たせして申し訳ございません。インベイジョンの準備でごたついておりまして」
「ううん。急にごめんね。あの――」
「ここではなんですので、私の部屋に行きましょう。こちらです」
「あ、はい」
キャスカが早足で歩き出すと、リゼは慌ててその後を追った。
城塞の奥に進むにつれ人影がまばらになっていく。ガラスの窓から差し込む光と、少し石のにおいの混じった埃っぽい雰囲気の中、リゼはキャスカの後ろをついて歩いた。
「このギルドホーム、凄い大きいね。びっくりしちゃった」
「ここより広いギルドホームはちょっと見当たらないでしょう。おかげで管理が大変なのですが」
「だろうねー。迷子になっちゃいそう」
やがてキャスカは自室にリゼを招き入れると、彼女をソファに座らせ、パネルから紅茶を取り出した。
「どうぞ」
「ありがとう!」
リゼはそれを嬉しげに受け取り、ゆっくりと味わう。一息入れた所を見計らって口を開いたのは、キャスカの方だった
「32番街の状況は聞いております。トリニティがインベイジョンに参加するそうですね」
「あ……」
リゼは少し驚いてしまった。昨日の今日のことなので、キャスカが既に状況を把握しているとは考えていなかったのだ。
「えっと……そうなの」
「リゼがトリニティに入っている事実も驚きましたが、それより今回参加されるのは……」
「うん。ウドゥンからは止められてたんだけど、私がインベイジョンの手続きを間違っちゃって……」
「やはりそうでしたか」
キャスカは少しばつの悪そうに呟いた後、すぐに取り繕うように言った。
「ウドゥン様には既に謝罪されたのですか?」
「謝ったけど、たぶん許してもらってない。今日だって、約束があったのにすっぽかされちゃったし」
「それは……」
キャスカはなぜか、少し納得した様に頷いた。しかしリゼはそれに気付かず、顔をうつむけ泣き出しそうな声で続ける。
「インベイジョンで32番街が大変なことになるみたいなんだけど、私……どうすればいいのか分からないの。昨日はウドゥンに言われた通り工房のアイテムをギルドホームに移してたんだけど、それだけじゃあ……」
リゼはそう言って、悔しそうに両手を握りこむ。
自身の不注意で32番街の多くの人たちに迷惑をかけてしまう――彼女はなんとか失敗を挽回したかったが、現実世界と違い勝手が分からないナインスオンラインの世界では、何をすれば良いのか見当が付かなかった。
「リゼがそこまで深刻に考える必要は無いと思いますよ」
「でも今回は私が原因だし、なんとかしたいの」
「そうですね……もう1人はなんと言っておられましたか?」
「え?」
キャスカが言った何気ない言葉に反応し、リゼがきょとんとして聞き返す。
「もう1人?」
「えぇ。トリニティの……まさか、知らされていないのですか?」
キャスカの眼が小さく見開かれる。信じられないといった様子だ。
トリニティのもう1人――キャスカの言葉に、リゼは以前ギルドホーム内でウドゥンが話していたことを思い出す。
『1人はお前も会った事のある奴だよ』
彼は確かに、そう言っていた。
「えっと。リズさんがギルドリーダーって話は聞いてるよ。それともう1人メンバーがいることも聞いたけど、それが誰なのかまでは……」
「そうですか。何か理由があって隠されているのかもしれませんが……」
キャスカは少し戸惑うような仕草を見せるが、リゼが身を乗り出し、必死な様子で詰め寄った。
「あの、教えてください! 私、トリニティのこと全然知らなくて。キャスから聞いたことは黙っておくから」
「……いえ、そういう意味ではなく、単純に隠すようなことでは無いと思うのです」
キャスカは腑に落ちない様子だったが、しばらく考え込むように口に手を当てた後、小さく頷いた。
「とりあえず、私の知っている範囲でトリニティのことをお教えしましょう。別に私から聞いたことはばらしても構いませんよ。古参なら、誰でも知っているような話ですから」
そう言って目の前の紅茶を一口含んだ後、キャスカは話し始めた。
「トリニティは元々、構成員3人という少人数ギルドだったことはご存知ですか?」
「うん。それはウドゥンから聞いたよ」
「そうですか。トリニティは約1年前のナインスオンライン稼動時から活動していたギルドです。しかし半年ほど前にリーダーのリズ様が失踪した為、現在は活動を停止しています」
「え、失踪?」
不穏な言葉にリゼが思わず声をはさむ。しかしキャスカはなんでもないように付け加えた。
「いえ、突然ゲームを辞めてしまうことを、我々は失踪と呼んでいるだけです」
「あ、そうなんだ」
リゼが納得して頷くと、キャスカは続けた。
「今言った通り、トリニティは半年ほど前から活動を停止していますが、私達古参のプレイヤーの間では、あのギルドは伝説のギルドと呼ばれています」
「で、伝説?」
リゼは大げさな言葉に驚いてしまう。しかしキャスカの表情はひどく真面目なものだった。
「はい。全サーバーを通して初めて8thリージョンを突破し、9thリージョンに足を踏み入れた《ナインスギルド》であり、4大大会と呼ばれる全サーバーのトッププレイヤーを集めて開かれるS級トーナメントにおいて、ソロマッチ・チームマッチ共に優勝経験のある唯一のギルドでもあります」
「え……っと?」
キャスカの話は、リゼが思っていたものよりも遥かに大きなものだった。勿論8thリージョン突破やS級トーナメント優勝がどれほど凄いものなのか、ゲームを始めたばかりのリゼにはイマイチ想像出来ない。しかしキャスカの語り口からは、それらがとても難しい事柄だと伝わってきた。
「その成果は主にリーダーである【太陽】リズ様による所が大きいのですが、ウドゥン様もギルドの参謀役として【智嚢】と呼ばれ活躍されていました」
「【智嚢】……」
リゼはそのあだ名を知っていた。今までに何度か――アクライやヴォルが、ウドゥンをそう呼んでいたからだ。
「【太陽】【智嚢】、それに実働担当の戦闘プレイヤー【殺戮兵器】――この3人がトリニティのメンバーです」
「えっと……じゃあ、その【殺戮兵器】って人が、もう1人の?」
「はい。今回の件も、その方に相談してみると良いでしょう。その方の名前は――」
キャスカが口にしたプレイヤー名は、リゼにとって意外な人物のものだった。




