2. カフェにて
2
国道沿いにある一際巨大なショッピングモールには、様々な店が軒を連ねている。その中の一つ、注文の難易度が高いことで有名なカフェチェーンを和人と莉世は訪れていた。
「柳楽君、何にするの?」
「……よくわかんねーから、普通のがいい」
「じゃあカフェラテがおいしいよ。私はモカね!」
「はいはい」
ニコニコとはしゃぐ莉世の隣で、和人はなぜかむずがゆい気分だった。彼女は電車通学で自転車を持っていないため、学校の麓にあるこのショッピングモールには2人で歩いてきたのだが、その間ずっとそんな気分だったのだ。
(あぁ、そうか……)
注文を受け取り空いている席に座った所で、和人はその違和感の正体に気が付いた。今の状況ははたから見ると、完全に学校帰りのカップルがデートしている場面だった。
「どうしたの?」
「いや、なんでも……ないです」
「……どうして敬語?」
怪訝そうに首をかしげる莉世。同時に和人は、急に自身の体温が上がった様に感じた。
特に莉世のことをどうこう思っているわけではないが、目の前のクラスメイトはかなり可愛い部類に入る。友達も多いし、狙っている男子も先日の角谷を含めて結構いるはずだった。
(そいつと二人きりで、学校帰りにお茶しているだと? どうしてこうなった……)
「それで、出し物なんだけど」
「あ、あぁ。アンケートしたんだっけ?」
「うん」
莉世が空いた椅子に置いていた鞄から、A4のルーズリーフを取り出す。その間に和人は動揺を抑えようと大きく息を吐いていた。
「とりあえず一番多かったのは喫茶店だけど、喫茶店って競争率高いからねー。普通のは取れないかも」
「2番目のお化け屋敷は?」
「これは準備がねー。文化祭の日まで2週間だから、たぶん毎日居残らないと間に合わないよ。柳楽君、そういうの嫌じゃない?」
「あー。それは嫌だな」
いまこうして寄り道をしているだけで、ナインスオンラインをプレイできる時間がどんどん減っている。それが2週間連続で続くなど、和人にはとても耐えられなかった。
「じゃあ、やっぱし喫茶店系かな。なにか特色出せば、被っても別物扱いされて大丈夫と思うけど」
「メイド喫茶とかか?」
「うーん。メイド喫茶って、実際にやってたら引かれないかな?」
莉世は困ったように頬に指を当てた。彼女がメイドの格好をしたら客は入れ食いだろうと和人は思ったが、確かにやらされる側(主に女子)は大変なのだろうと思い直す。
「まあな。じゃあ別の方向か」
「うーん。普通にクレープ喫茶とかにして、メニューで攻めるとか?」
「それ楽そうだな。材料と器具さえ用意すれば、教室の準備とかはテキトウで大丈夫そうだし」
「柳楽君、クレープ作れるの?」
「作れるわけないだろ」
莉世がカクっと崩れ落ちる。しかしすぐに「それもそうか」と呟いて立ち直った。
「少し練習すれば大丈夫でしょ。それじゃーそれでいこーよ。クレープ喫茶! かぶった時の為にあと二つくらい――」
「カキ氷喫茶とかアイス喫茶とかでいいだろ。6月の終わりじゃあ、今より倍は暑いはずだし」
「はやっ! んー、まあそれでいっか。簡単そうだしねー。よし決まり!」
和人の提案に、莉世は軽いノリで乗ってきた。適当に候補を挙げてみただけだった彼は少し困惑してしまう。
「……自分で言っておいてなんだけど、決めるの適当すぎないか?」
「大丈夫だって。一番人気は喫茶店なんだし、基本的にみんなも楽なのがいいはずだからねー」
彼女はそう言い、明るい笑顔でカフェモカを手に取った。甘ったるいチョコレートが入ったコーヒーを幸せそうに味わっている。
莉世は人懐っこい性格で、クラスメイトにも友達が多い。今回の文化祭の出し物についても、他のクラスメイトから意見を直接聞いているのだろう。
彼女の横顔を見ながらそのことに気が付いた和人は慌てて謝罪した。
「悪かったな」
「へっ? なにが?」
「いや、お前に全部やらせちまってんのに……」
歯切れ悪く言う和人に向け、莉世は意外そうな瞳を向けた。大きく、純粋な視線を向けられ、彼は思わず目をそらしてしまう。
「えっと、ありがとう」
今度は莉世が礼を言う。その意味はよく分からなかったが、和人は目線を外したままカフェラテを数回口に運びごまかしていた。
しばらくすると莉世がくすくすと笑い出す。
「ふふ!」
「……なんだよ」
「だって柳楽君、ゲームの時とは全然態度が違うんだもん。さっきから、どうしてそんなにおどおどしてるの?」
和人にとって、現実世界で女子と一緒にカフェに寄り道していくという状況など完全に非日常の出来事だった。何とか平静を保とうとしていたが、無駄だったようだ。
「……別に」
「でもでも、ゲームの中だとあんなに社交的なのに」
「社交的? 俺が?」
「うん。この前だってシオンさんやニキータさん、それにキャスだって紹介してくれたじゃん。みんな良い人ばかり! あ、そうだ。前にアクライちゃんとファナさんに会った時も、柳楽君の話になったよ」
「アクライに……ファナだと?」
「うん。知り合いなんでしょ?」
莉世の言葉に、和人は首をひねった。
「まあ、アクライはそうかもしれないが、ファナの奴はたぶん、俺の名前すら覚えてないぞ。あいつはすげー変わってるからな」
「え、あ、そういえば……」
ファナはあの時ウドゥンという名前にピンと来ていない様子だったことを、莉世は思い出した。
「ファナさん、トリニティの黒髪って言ってたっけ」
「その程度の認識だろうな」
和人が皮肉っぽく笑う。その笑顔はナインスオンライン内のウドゥンが時々見せる表情によく似ていた。その事に気が付いて莉世は小さく笑みを浮かべる。
ようやく彼らしい余裕げのある表情を見ることができた、と。
「しかし、文化祭が今月末にあるってのは都合がいいな」
ナインスオンラインの話になって少し平静を取り戻したのか、和人はルーズリーフの表を眺めながらそんな事を言った。莉世がぽかんとして聞き返す。
「え、なんで?」
「月末にナインスオンラインでVerUPメンテがあるからな。新レシピも伴う、結構大規模な奴だ。今月は30日が最後で日曜日だから、その深夜にメンテがあるはず」
「えーと、どういうこと?」
「だから、土日に文化祭が有るって事は月火が代休だろうが」
「あー」
莉世が「なるほどね」と呟く。しばらくうんうんと頷いた後、思い出したように言った。
「でもでも、7月の二週目から期末テストだからその週はテスト週間だよ。ゲームばかりしてていいの?」
「テスト週間はゲームする為に存在するんだろうが。だいたい、帰宅部の俺には関係無い」
「いや、関係無いけどさ……」
じろりと呆れたような表情を見せる莉世だったが、和人は動じない。今までの学校生活において全ての科目を一夜漬けで乗り切っている彼にとって、テスト一週間前など慌てるような時間ではなかった。
「お前に心配されなくても、赤点回避くらいはするさ。英語と国語くらいだからな、危ないのは」
「私は数学と物理をやらないと、夏休みが無くなっちゃうんだよー。中間ひどかったもん」
「いくつよ」
「……32点と33点」
「ははは。ひでーな」
和人がいやみっぽく笑うと、莉世はむっとして言い返す。
「じゃあ柳楽君は英語と国語、何点だったの?」
「34点と31点だ」
「同じじゃん!」
莉世が驚きの表情で人差し指を差し向ける。和人はそれを無視し、ニヤニヤとした表情のままカフェラテに口をつけた。
彼女も手を下ろし、同じくカフェモカの入った白いカップを傾ける。
「柳楽君って、アクライちゃんが【智嚢】とか呼んでたからすっごい頭が良いと思ってたけど、意外と普通の成績なんだね」
「……その呼ばれ方、あまり好きじゃないんだけどな」
「え? 二つ名って奴でしょ? カッコいいじゃんあれって! 私も欲しいなー」
「面白半分でつけられてるだけだぞ。俺のも昔、トリニティで活動していた時につけられた。誰が呼び始めたのかしらねーが迷惑な話だ」
「えーなんで?」
「そりゃ、今のトリニティは死んでるんだからな」
そう言って和人は肩をすくめる。その姿は莉世が以前トリニティのギルドホームで見た寂しそうな姿とは違い、他人行儀で素っ気無いものだった。
莉世は今ならトリニティについて話を聞けるかと思い、一番疑問に思っていた事を聞いた。
「ねぇ柳楽君。トリニティのことなんだけど、どうして私がトリニティに入ってることを話しちゃ駄目なの?」
「色々と面倒だからだ」
「別に私、何の権限も無い只のギルド員じゃん。なにか問題があるの?」
「それがあるんだよ。色々とな……あぁ、その話で思い出した。お前"インベイジョン"って知ってるか?」
「インベイジョン?」
莉世が目を丸くする。聞いたことの無い言葉だったので、彼女は興味深げに顔を寄せた。
「なにそれなにそれ」
「ゲーム内のイベントだ。大体月に一回のペースで行なわれる、街ぐるみの大規模戦闘だな」
「大規模戦闘……」
「ゲーム展開上は『街に大量のモンスターが襲撃してくるから、それをプレイヤー達が協力して防衛する』っていうイベントだ」
「へぇー。なんだか楽しそう!」
「そのインベイジョンがそろそろ――おそらく今週末に開催される。ギルド単位で参加して、同じ通りのギルドと連携して戦うんだが、勝っても負けてもその通り全体に影響がある」
「えっと。トリニティは32番街だっけ?」
「グリフィンズもな。まあそんなイベントなんだけど、これ絶対にトリニティ名義で出るなよ」
「え?」
彼は少し強めの口調で言った。今までの話の様子から、和人も一緒に戦うものだと思っていた莉世は肩透かしを食らってしまった。
「柳楽君は参加しないの?」
「あぁ。俺はトリニティにしか所属していないからな」
「グリフィンズの皆と出るのは構わないの?」
「トリニティでなければ、好きにしろ」
和人の投げやりな言葉に、莉世はつまらなそうに口を尖らせる。
「えー。皆一緒に戦ったほうが楽しいじゃん。柳楽君も戦おうよ」
「俺は戦闘プレイヤーじゃないんだよ」
「でも、前にファーラビットを狩りに行った時、圧倒的だったじゃん!」
「うさぎ相手なら、今のお前でも無双できるぞ……」
先週の土曜日に行われたC級チームマッチトーナメントの準々決勝――和人は幸運の黒猫を捕獲していた為あまり見物できていなかったが、グリフィンズはそれに勝利し決勝まで進出した。しかも準決勝の最後には莉世自身が大きく活躍したという話だ。
ある程度予想していたとはいえ、それは和人にとっても多少驚くべき事実だった。
そしてC級マッチに出てくるような相手を打ち倒してしまったということは、もはや莉世は戦闘に関して初心者ではない。1stリージョン程度のモンスターなど、装備やスキルが揃ってないことを差し引いても敵ではないだろう。
「とにかく、グリフィンズはどうせ出るだろうから、そっちで参加すればいいだろ」
「うー。わかった」
不満げに頷く莉世に対し、和人はがぶがぶと残りのラテを飲み干してから言った。
「負けんじゃねーぞ。負けたら俺の工房にまで被害が出るんだからな」
「え、なんで?」
「インベイジョンに負けちまうと、プレイヤー店舗にダメージが入るんだよ。設置工具のダウングレードとか、工房内のアイテムロストとかな」
「えぇ……それはきびしいね」
「あぁ。だからユウの奴、それと多分『オーンブル』ってギルドのドカティって奴が全体の指示を出すはずだから、そいつらの言うことをよく聞いて戦うんだな」
「はーい!」
和人のぶっきらぼうな言葉に対し、莉世は明るく返事をした。




