12. 幸運の黒猫
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光沢を帯びた毛並みをしたその黒猫は、薄暗い部屋の中でビー玉の様な銀色の瞳を輝かせていた。
「黒猫……?」
不思議な雰囲気の猫だった。特徴的なカギ尻尾をひょいひょいと左右に揺らしながら、少し小首をかしげている。胸を張って堂々と座るその姿は、どこか人を食ったように余裕げだ。
黒猫は静かに――まるでこの部屋の主の如く堂々と、困惑するリゼを見つめていた。
「えっ……と」
リゼは困ってしまった。どうやら物音の原因はこの猫だったようだ。猫好きの彼女としてはぜひ捕まえてその毛並みを撫でたかったが、さすがに見知らぬ他人の部屋に勝手にはいることはためらわれてしまう。
しばらく部屋の前で、一人おろおろと二の足を踏んでしまっていた。
「何をしている」
「ふぇ!?」
突然声をかけられたリゼが驚きながら振り向く。そこには円形闘技場から戻ってきたウドゥンが立っていた。
「あ……ウドゥン」
「……どうやって、そこのドアを開けた」
彼はリゼを見つめつつ言った。いつも通り興味なさげな無表情だが、よく見るとその顔はわずかな驚愕の色を帯びていた。
「えっと物音がして、ドアは最初っから開いてて……あ、猫が居るの!」
「……落ち着け。意味が分からん」
ウドゥンが怪訝な顔をする。彼女の説明はまったく要領を得なかった。
「だから。猫が居るの。黒猫が」
「黒猫?」
彼は腑に落ちない顔のままリゼに歩み寄る。そして部屋を覗きこんだ。
「……どこだよ」
「椅子のところだよ! ほら……あれ?」
リゼが先ほど黒猫が居たはずの椅子を指差すも、そこに黒猫の姿はない。ゆらゆらと蝋燭の光が揺らめいているだけだった。
「……いなくなってる」
「なんなんだよ」
ウドゥンが飽きれた様子でリゼを睨みつける。
「大体お前、どうやってこの部屋に入ったんだ?」
「だから、最初っからドアが開いてたんだって!」
「なわけ無いだろ。部屋の持ち主が居ないのに」
「あ、そうか」
リゼがはっとしてつぶやくと、ウドゥンはさらに顔を険しくした。
ギルドホームでは、それぞれ個人用の部屋を設置できる。先日リゼの為に造った部屋もその一つだ。そして仕様上、その部屋は登録している本人以外に開けることが出来なかった。
しかし実際、この部屋のドアは開いている。
「どういうこと?」
「……そりゃあ、一つしか無いだろう」
ウドゥンが部屋にどかどかと入り込み、中央辺りから部屋を見渡す。リゼが慌てて諌めた。
「ちょっとちょっと、いいの?」
「勝手にドアが開くってことは無いんだから、ここの持ち主が来てるんだろ。リズ――いるのか?」
ウドゥンが声を上げて呼びかける。しかし部屋はしんと静まり返るだけで、一切反応は無かった。
「リズ……?」
リゼがおずおずと部屋に入りながら、聞き返す。しかし彼はそれには答えず、腕を組んで考え込んでしまった。
「……どういうことだ」
「ねぇウドゥン――」
その時、「ニャー」という猫の鳴き声が聞こえた。2人が声のした方向に顔を向けると、開かれたドアの外側――廊下側で、黒猫が喉を鳴らしながら顔を洗っていた。
その姿を見るなり、リゼが声を上げる。
「あ! いたいた。あれだよ、あの黒猫!」
「……黒猫? しかもあの姿……」
リゼの話をまったく信じていなかったウドゥンが、驚愕した様子をみせる。続けてその黒猫の姿――銀色の瞳と大きく曲がったカギ尻尾を見て「幸運の黒猫……」と呟いた。
そんな彼の驚く様子にも気づかず、リゼは黒猫の注意を惹こうとしゃがみこんで指を向ける。
「黒猫さん黒猫さん――」
声をかけると、黒猫は興味深げにリゼを見つめ返した。くりっとした大きな瞳は、部屋の中に灯された蝋燭の光を反射してキラキラと輝いている。
キャスカが言うに、もしもこの猫が主人のいない野良ならば、捕まえて使い魔にすることが出来るかもしれない。リゼはなんとかして仲良くなろうと指を振っていた。
「リゼ。動くな」
背後からウドゥンが言った。その強い口調に驚いてリゼが振り向くと、そこには木製の矢をつがえた自動弓――クロスボウを構えたウドゥンが、黒猫に対しその銃口を向けていた。
「ウドゥン。なにやって――」
バシュ――!
リゼが止める間もなく、クロスボウの矢は放たれた。それは風切り音を鳴らして彼女の頬をかすめると、そのまま一直線に黒猫へと迫る。
ガン――と地面に矢が突き刺さる音が響いた。しかし矢の先に黒猫はいない。黒猫は迫り来る矢をジャンプしてかわすと、トコトコと廊下を歩き出していたのだ。
「ひどい! あ……まって」
リゼが抗議するようにウドゥンを睨み、急いで黒猫を追いかけた。入り口のドアを蹴飛ばすように開くと、廊下に飛び出す。
「え……あれ?」
そこに黒猫の姿は無かった。まるで煙のように、忽然と消えていたのだ。リゼが目を丸くしてしまう。
「えっ、えっ。なんで? いなくなっちゃった……」
「そうか」
矢を放ったウドゥンはパネルを操作しながら、リゼの報告をなおざりに答えた。しばらく目の前に映し出される項目を確認した後、クロスボウをしまいつつ言う。
「とりあえず、下に行って話すか」
「……うん」
◆
一階のラウンジ。新しく設置した明るい色の木椅子に座るリゼに対し、ウドゥンはダークブラウンの肘掛け椅子に腰掛けながら、『幸運の黒猫』の噂の内容をざっくりと説明した。
「じゃあ、あれが『幸運の黒猫』なの?」
「噂通りの姿だったから、たぶんそうだろ。ただどうやってあの部屋に入ったのかは分からないけどな」
野良の使い魔がギルドホームに入り込むなど、長くナインスオンラインをプレイしているウドゥンですら聞いたことの無い話だった。不吉を表すような漆黒のシルエットを思い出し、彼は違和感を覚える。
(本当に、あの黒猫はどうやってここに来たんだ……しかもあの部屋に入り込んでいただと?)
常識的には考えられなかった。自分やリゼの部屋ならまだしも、もう半年以上使われていないあの部屋に入り込むなど――
「本当にドアが開いていて、部屋の中に黒猫が居たんだな?」
「うん……物音がしたから二階に行ってみたの。そうしたらあの部屋のドアが少し開いてて、ノックしても応えが無いから、悪いなとは思ったけど覗いてみて、そしたらあの黒猫が椅子の上にいて」
「そうか」
そう言ったきり、ウドゥンは腕を組んで考え込んでしまった。リゼがその姿を心配そうに見つめる。彼にまとわりつく声をかけづらい雰囲気に尻ごむが、彼女は我慢しきれなくなり、一番疑問に思っていたことを聞いた。
「ウドゥン。さっき、あの部屋でリズって言ったよね」
「あぁ」
その質問に、ウドゥンは少し言葉を選びながら答えた。
「……リズはあの部屋の持ち主だよ。トリニティのリーダーだ」
「そうなんだ。でもリズさん、部屋にいなかったんでしょ?」
「そうみたいだ。だがドアが開いていたってことは、さっきまで来ていたんだろうよ」
ウドゥンは淡々と言う。しかしその声からは、彼が静かに怒っていることがわかった。無表情で見た目には分かりづらいが、能面の様な彼の表情からも、リゼはいつもとは違う色を感じ取っていた。
ギルドリーダーであるというリズについて、リゼはもっと聞きたかったが、ウドゥンの見た事も無い怒り方にこれ以上聞くことは躊躇われてしまった。
ウドゥンが大きく息を吐く。
「ま、あんな奴のことはどうでもいい」
「どうでも……って」
リゼは唖然とするが、ウドゥンはため息をスイッチとして気持ちを切り替えたようだ。ぼけっと見つめるリゼを無視して続ける。
「とりあえず、少し妙なことになったが『幸運の黒猫』は見つけたからな。あとは捕まえて、シオンかニキータに売るだけだ」
「え? あの黒猫、捕まえるの?」
リゼが驚いて聞き返す。ウドゥンが肩をすくめながら説明する。
「あぁ。さっき言ったけどあの黒猫、相当珍しいスキルを持ってるらしいからな。シオンとニキータが欲しいって言うから、二人に競らせて高値で売っちまおうと思ってる。まあもう楔は打ったから後は――」
「ウドゥン!」
リゼが突然、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。澄んだ青色の瞳が、ウドゥンを強く見つめていた。
「……なんだよ」
「私も、あの黒猫が欲しい!」
「はぁ?」
その言葉に彼は思わず目を丸くしてしまった。なにを言っているのだ? という言葉が顔に書いてあるようだ。しかしすぐに、以前リゼが呟いていたことを思い出して苦笑する。
「そういえば、ペットが欲しかったんだっけ?」
「うん。ウドゥンが捕まえてくるなら、私が買うよ! いや、売ってください! あの猫、超可愛かったもん」
リゼは途中から、先ほどの黒猫の姿を思い出してうっとりとしていた。もふもふとした黒い毛並みとくりくりと大きな銀色の瞳、そしてチャーミングなカギ尻尾は、彼女のストライクゾーンど真ん中の猫だった。
「1Mでいいぞ」
「へ……?」
ウドゥンが人差し指を天井に差し向けながら宣告した。リゼがきょとんとして首をかしげる。
「1M?」
「あぁ。1Mは1,000,000だ。要するに100万Gで売ってやる」
「えぇぇぇぇ!?」
ガタガタと後ずさりをするリゼ。彼女の所持金は先ほど椅子を買ってしまったので、残り10,000Gほどだ。桁数が二桁ほど足りず、どう考えても用意できる値段ではなかった。
「高い……」
「これ以上で売れるのは間違いないんだ。かなり良心的な値段だと思うぜ」
「うぅ……そんなのムリだよぉ」
「だろうな」
ウドゥンが肩をすくめながら言う。対照的にリゼは涙目になりながら肩を落とした。そんなズーンと効果音が聞こえそうなほどに落ち込む少女を横目に、ウドゥンは先程の出来事について考えていた。
(分からないことだらけだが、とりあえずあの黒猫がかなり変わっているのは確かだ。となると、単にシオン達に売り払ってしまうのも少し勿体無いか……)
今までは頼まれて探していただけで、ウドゥンは『幸運の黒猫』自体にはあまり興味が無かった。だが先程目撃した不可解な状況は、少々検証の余地があると考え直していた。
シオン達との競り勝負の約束がある以上、今から幸運の黒猫を手元に残すことは難しい。少なくともシオンとニキータの2人に、違約金としてある程度金を渡す必要があるだろう。それならば――
しばらく考え込んだ後、彼は顔を上げる。そして机に突っ伏して落ち込むリゼに声をかけた。
「リゼ。あの黒猫、使い魔に欲しいか?」
「……うん」
元気なく返事をするリゼに、ウドゥンは無表情に顔を向ける。彼の頭の中には、ある考えが浮かんでいた。
「そうか、それじゃあチャンスをやろう」
「えっ?」
そうして彼は、ある条件を提示した。




