3. シオンとニキータ
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ウドゥンは自身の工房で、いつものように黙々と行なっている革細工スキル上げの片手間に、今は見知った顔の訪問者を応対していた。
「ということで、今日回収するのはこれで全部かな」
「あぁ。適当に持って行ってくれ。売れそうな奴だけ売りさばいて、残りは好きに【分解】してくれていいぞ」
「了解! いつも助かるよウドゥン君。それじゃ回収分の代金はここに置いとくね」
そう言って、金髪のショートカットをした女プレイヤー・ニキータは八重歯を覗かせて陽気に笑った。彼女はパネルから金袋を取り出すと、それを工房の中央にある作業台の上に放り投げる。
「売れた分の代金はまた次回に持ってくるよ」
緋色の大きな瞳を持った痩顔と、細身で柳のようにしなやな体格のニキータだったが、彼女の最も特徴的な箇所はブロンドの髪と同化してぴょこぴょこと動く、金色の猫耳だった。
このナインスオンラインでは、プレイヤーは種族としていわゆる普通の人間しか選択できない。ではこのニキータの頭から伸びた可愛らしい猫耳は何かというと――どうということは無い。ただのアクセサリーだった。ただし、自身の意志と気分によって動くという機能がついてはいるが。
そんな全自動猫耳をピクリと動かして、ニキータが工房の一画に目をやる。そこには麻や綿で作られたスカートやボレロ、ワンピースなどが山積みにされていた。
「そこの布装備、また裁縫スキルでも上げはじめたの?」
「いや、そうじゃないんだが。最近ちょっとな……」
「ふーん。これも回収していいなら、ついでにしていくけど」
それらの裁縫スキルによる完成品は、いつもなら革細工の装備品しか存在しないこの工房には異質な代物だった。それに気がついてニキータはすこし不思議そうに首を傾げた。
ウドゥンが不本意そうに答える。
「いや、それはいいや」
「そっか」
その時、コンコンと入り口をノックする音が工房に響いた。
ウドゥンがのっそりと立ち上がり玄関のドアを開ける。そこに立っていた銀髪をなびかせる小柄な男を見て、彼は少し意外そうな声を上げた。
「珍しいな」
「おう。悪いなウドゥン、突然……って、来客中か」
「あっれー。シオンじゃん」
ニキータがひょっこり顔を出しながら言った。そこに居たのはウドゥンの友人、【鍛冶師】のシオンだった。彼はニキータの顔を見るなり、その細長い銀色の眉をひそめた。
「げっ、ニキータ」
「げってなんだよー。人を鬼の子みたいに」
ニキータがぷりぷりと唇を尖らせる。シオンはそんな猫耳少女を警戒しながら、横目で彼女を睨みつつ工房に入ってきた。
「なーんでニキータが居るんだよ。ここはウドゥンの工房だろ?」
「回収に来てもらってんだよ」
「そーそー」
ウドゥンが簡潔に答えると、ニキータが手の甲で猫耳をくりくりと撫で回しながら頷いた。
この2人は共に、アルザスサーバーでは良く知られたプレイヤーである。
シオンはアルザスサーバーの有力生産ギルド『グラムリジル』のリーダーで、卓越した【鍛冶】スキルはサーバー屈指の高ランクを誇る生産プレイヤーだ。
片やニキータはアルザスのあらゆる通りに商店を持つ商人ギルド『ニキータロード』のリーダーである。彼女はやり手の商人プレイヤーであると同時に、【分解】スキルの熟練者でもあった。【分解】は不要な装備品を素材に変えてしまうスキルで、彼女は日々生産され続ける装備品を回収し素材にしてリサイクルをする回収屋としても有名だ。
二つのギルドは互いに持ちつ持たれつの友好関係を維持しているのだが、このリーダー同士は出会うといつも反発してしまう。基本的には仲の良い2人なのだが――とウドゥンは見るたびいつも思っていた。
「そういえばお前はニキータロードに生産品を卸してんだったな」
シオンが作業台の横にある丸椅子に座り込みながら言う。ウドゥンは革細工のスキル上げを再開しながら答えた。
「あぁ。前からな」
「いつもお世話になってるよーん」
ニキータが猫耳をぴょこぴょこさせながら笑った。
ウドゥンは革細工スキルをメインスキルとしている。そして革細工は基本的に、装備品を生産するスキルだ。したがって、作った装備品を売らなければ資金を得ることが出来ない。
装備品を売るためには色々な方法があるが、ウドゥンが選んでいるのは、商人ギルドと呼ばれる商店を持つプレイヤーを集めたギルドに卸すという形式だった。そして彼が取引先として契約している商人ギルドこそが、ニキータ率いるニキータロードである。
つまりニキータがウドゥンの工房に出入りしていることは至極当たり前な話だった。
「むしろお前が俺の工房に来るほうが珍しいだろうが」
ウドゥンがぶっきらぼうに言うと、シオンも「そりゃそうだ」と手を打って頷いた。
「それで、ウドゥン君になんの用?」
「……何でお前が聞いてくるんだよ、ニキータ」
シオンが気の抜けたように肩を落とす。主であるウドゥンを差し置いて、ニキータが先を促した。
「別にいいだろ。聞かせろよー」
「まあ、別に良いけどよ。ウドゥン、ちょっと面白い話があるんだ。『幸運の黒猫』って聞いたことあるか?」
諦めたように話を切り出したシオン。続けて発せられたその単語に、ウドゥンが製作の手を止めずに無表情のまま答えた。
「先月くらいから街に出没してる、黒猫型の使い魔だろ」
「そうそれだ。さすがウドゥン、知っていたか」
「なになに。どういう話?」
ニキータがぴょんと猫耳を持ち上げ、シオンに視線を向けた。興味深げに緋色の瞳を輝かせている。
「最近、街に正体不明の黒猫が現れるんだよ」
「黒猫? そんなのいくらでもいるでしょ」
「いやいや。ただの黒猫じゃない」
シオンが小柄な体で立ち上がり、得意げに説明をし始めた。
「神出鬼没のその黒猫を見た日には、レアドロは一発ででるわ、制作で大成功を引きまくるわ、挙げ句の果てにトーナメントの賭けすら百発百中になるらしい。とにかく全ての行動に幸運が訪れ、うまく事が回るようになる『幸運の黒猫』なんだよ」
「へー。すっごい嘘くさいね!」
ニキータがニヤニヤと笑いながら、自信満々に言うシオンに茶々を入れた。シオンがムッとして言い返す。
「だが実際に【レアドロップ率アップ】や【制作成功率アップ】という、いわゆる"レアスキル"を持つ使い魔の存在は確認されている。相当に希少だがな」
「まあねー。でも、トーナメントの賭けに当たるようになるってのは眉唾でしょ。あんなのシステムが介入する余地無いし」
ニキータはポワポワとした外見に似合わず、冷静に疑問点を指摘した。
確かにシステム側の数値を操作するだけで良いレアドロ率などはスキルとして充分にありうる話だ。しかしトーナメントの賭けというものは、プレイヤー同士の戦闘結果によって結果が変わる。
即ちシステム側がどうしようと勝者を選ぶことはできない以上、その話はオカルトである可能性が高かった。
「だいたいそんなレアスキル持ちの小動物がいるなら、もう誰かのペットにされちゃってるはずだし」
「いや、どうもまだ野良らしい」
プレイヤーが一人一匹ずつ、ペットを持つことができる使い魔システム。モンスターなら倒した後、極稀に使い魔にできる一方、街やエリア上に現れる小動物を捕まえても非戦闘用使い魔として使役することができる。
それら使い魔のメリットは様々な特殊スキルである。商店の自動売買などの生産プレイヤーに便利なスキルから、使い魔特有の攻撃による戦闘支援など。使い魔の種類や個体によって特殊スキルは変化するが、レアで使えるスキルを持っている個体は普通すぐに捕まえられてしまうのが常だ。
つまりあらゆる事がうまく行く『幸運の黒猫』などという野良ペットが存在すれば、既に捕まって使い魔にされて当たり前だった。
「詳しくは分からないんだが、その黒猫は本当に神出鬼没で、捕まえようとしてもいつの間にか姿を消してしまうらしい。隠密関係のスキルを持ってるのかもな」
「え、じゃあなに。レアドロップ率アップと製作成功率アップに加えて、隠密スキルまで持ってるって事? それって超ハイスペックだよ!」
ニキータが嬉しげに猫耳を震わせた。感情によって動く猫耳の挙動の中でも、もっとも興奮している動きだ。ニキータがシオンに顔を近づけて満面の笑みで言う。
「確かにそれは気になる噂だねー」
「だろ! 久々の大物だぜ」
「ぜひ売り物として欲しい!」
「ぜひ使い魔として欲しい!」
同じく嬉しそうに言ったシオンとニキータ。しかしその中には微妙な齟齬が発生していた。それに気が付くと2人は睨み合い、やがてお互いに鼻で笑った。
「はっ。なんだよシオン。使い魔ならお気に入りのゴンタ君が居るじゃないか。薄情なやつだな君は」
「へっ。うるせーニキータ。お前こそ、何でもかんでも売り物としてしか見ないその意地汚い性格を直せ」
そうしてギャーギャーと言い合うシオンとニキータ。徐々にヒートアップしていく両者に、無言で見守っていた工房の主が呆れたように低い声をあげた。
「……で、その黒猫がどうしたんだよ」
「――っとウドゥン。そうそう。お前に『幸運の黒猫』を捕まえて欲しいんだよ」
シオンがニキータ自慢の猫耳を掴み上げながら答える。ニキータも負けじとシオンの頬を引っ張り言い張った。
「待って待ってウドゥン君。その猫、捕まえたらこんな奴じゃなくて私に売ってよ。高く買うよー」
「黙れニキータ! 俺が先に依頼したんだよ。ウドゥン、捕まえてきたら500kは出すぜ」
「あー、じゃあ私は600k出すしー」
「クソ。何がしたいんだよお前は!」
どんどんひどくなっていく2人のじゃれあい――ではなく取っ組み合いを見て、ウドゥンは大きくため息をついた。そして革細工用のヘッドナイフを脇に置き、二人に提案する。
「分かった、こうしよう。お前ら今すぐ500kずつ払え。俺がその『幸運の黒猫』を捕まえてやるから、その後プラスしていくら払うか、高値を提示したほうに売ってやる」
「えっと。最初に払った500kは?」
「勝者にくれてやる。競勝負だ。お前らにしてみれば、勝てば相手から500kぶんどったってことになるだろ。それで溜飲を下げろ」
その説明を聴き、シオンはしたり顔で腕を組んだ。ニキータもフンと息を吐きながら、威嚇するように八重歯をあらわにする。
「良いだろう。この猫女には一回思い知らせてやらないとな」
「ふふん。ほえ面かくなよ、ばかシオンめ」
2人は互いを睨みつけながら、パネルを操作して金袋を取り出した。そして500kずつ金が入ったそれらを同時に投げつける。ウドゥンがそれを受け取り、作業台の上へ放り投げる。
「確認した。それじゃあ、その黒猫を捕まえてきたらメッセージするから。もし捕獲に失敗したらこの金はそのまま返すってことで」
「おっけー」
「任せたぜ」
交渉は成立した。あとはウドゥンが『幸運の黒猫』を捕まえてくれば良いだけだ。【聞き耳】スキルを使えば、居場所を探し当てる事は大して難しく無いだろう――ウドゥンはそう楽観的に考えていた。
トントトトン――
その時、再び工房のドアがノックされた。その特徴的なノックのリズムを聞いて、ウドゥンは小さく顔をしかめる。
そして主が許可を出すよりも先に、工房のドアは勢いよく開かれた。
「おっはよーウドゥンー……って」
現れたのは、グリフィンズの作戦会議を終えログインしてきたリゼだった。普段のノリでテンション高めに登場した彼女だったが、いつもウドゥンしかいない寂れた工房にいる見知らぬ来客に思わず面食らってしまう。
「おはよう!」
「おはよー」
「あっ……はい、おはようございます……」
間髪いれずに返されたニキータとシオンの挨拶に、リゼは急にしおらしくなってしまう。顔を真っ赤にしながら、おずおずとウドゥンに助けを求めた。
「えーと……お客さん?」
「いきなり開けたら、ノックの意味が無いってことがわかってよかったな」
「うぅ……」
顔を伏せて涙目で恥ずかしがるリゼ。そんな傷心の少女を慰めるように、シオンが声をかけた。
「まあまあ。元気で可愛いじゃん。名前はなんていうの? あ、その前に自己紹介か。俺はシオン。えーと、ウドゥンのなんだろう。親友かな」
「悪友だな」
ニコニコと人の良さそうな笑顔で話しかけるシオンに、ウドゥンは冷たく突っ込みを入れた。それを聞いてニキータが声を上げて笑い出す。
「アハハハ! 悪友に間違いないね。あ、私はニキータ。ウドゥン君の愛人だよー」
「愛人!?」
「だまれ化け猫。ただの商売付き合いだ」
「えぇー。ひどいよウドゥン君!」
ニキータがニヤニヤと含み笑みを浮かべながらウドゥンの肩を叩く。猫耳少女の冗談に少し驚いたリゼだったが、その楽しげな様子を見てすぐに笑顔となった。
「私はリゼって言います。始めてまだ一週間位ですけど、よろしくお願いします」
「へー、初心者じゃん。なんなの? ウドゥンとはリアルで知り合いとか?」
「……良く分かったな」
見事に言い当てたシオンにウドゥンが感心する。現実世界での知り合いだと聞いて、ニキータも納得した様子で頷いていた。
「あ、だからか。道理であの初心者嫌いのウドゥンがねー」
「えっと、初心者嫌い?」
リゼが聞くと、シオンがそれに答える。
「そうだぜ。ウドゥンは性格悪いから、リゼちゃんも気をつけなよ。変なことを吹き込まれないうちに、さっさと別のフレンドを作ったほうがいいぜ」
「お前が変なことを吹き込んでんじゃねーよ」
ウドゥンが迷惑そうに言うと、シオンが「冗談だよ」といってゲラゲラと笑っていた。同じく楽しげに笑っていたニキータがリゼに質問する。
「リゼちゃんはウドゥン君に用があるの?」
「えーと。私、最近ウドゥンに設備を貸してもらってて……」
そう言って、リゼは部屋の隅にある裁縫用の作業台に目を向けた。釣られてニキータもそちらを向けると、納得した様子で頷く。
「そっか、あの裁縫設備はリゼちゃんのなんだー」
「いや、俺のだ」
ウドゥンが主張するが、2人には示し合わせたようにスルーされてしまった。
「スキルランクはどれくらい?」
「えっと。まだ26です」
最近リゼは覚えたての裁縫スキルを上げる為、時間が空けばウドゥンの工房でスキル上げにいそしんでいた。今日も当然そのつもりで工房に来ていた。
ニキータは事情を聞くと、機嫌よく猫耳を動かした。
「私も裁縫スキルを上げてるから教えてあげるよ。素材もいらないのあげる」
「本当ですか? やった!」
ニキータの言葉にリゼは飛び上がって喜んだ。すぐに2人は工房の隅にある作業台へ行き、わいわいと騒ぎながら裁縫のスキル上げを始めてしまう。
その姿を横目で見ながら、シオンがウドゥンの隣にやってきて小声で言った。
「しかし、冗談抜きでお前が初心者と仲良くしてるのは意外だな」
「仲良くしてる訳じゃねーよ。あいつが勝手に押しかけてるだけだ」
「ふーん。まさかトリニティにも入れるつもりか?」
シオンから出た何気ない言葉に、ウドゥンは少し眉をひそめた。
「そんな訳が無いだろ。トリニティは死んでいるんだからな」
「……そりゃそうだ」
当たり前だといったウドゥンの雰囲気に、シオンも納得して引き下がる。
「それじゃ俺は帰るから。『幸運の黒猫』の件。よろしくな」
「あぁ。捕まえたら連絡する」
そうしてシオンは、ニキータよりも先に工房を後にした。




