15. ギルド
15
木陰に溶け込む漆黒の髪が印象的な、凛とした女性だった。水飛沫に似た蒼色の軽鎧を身に着けたキャスカが、冷たい瞳でゴンゾーを睨んでいたのだ。
「キャスカ……」
「ゴンゾー。あなたの行為はインペリアルブルーのギルド箇条に複数違反します。特にPKもしくは間接PKに加担すればギルド章は剥奪される。それはサブリーダーでも猶予されるものではありません」
キャスカは毅然とした態度で右手を差し出し、続ける。
「あなたをインペリアルブルーから除名します。ギルド章をお返しください」
今すぐギルド章を提出しろという彼女の姿は、死刑宣告をする裁判官のように、厳格で取り返しのつかない雰囲気があった。
その姿を見て、ゴンゾーはしばらく表情を硬直させた後、やがて狂った様に笑い出した。
「くくっ……ははは! 全く、お見事だな」
しかし、諦めた雰囲気ではない。彼は構えたマサムネの切っ先を、キャスカの能面の様な顔へと向けたのだ。
「お前とは一回、一対一で戦いたかったんだよ、【蒼の死神】キャスカ!」
「提出して頂けないようですね。残念です」
キャスカはパネルを操作すると、水色の刀身を持つエストック"アクアマリンタック"を取り出した。それを突き出すように構え、2人は対峙する。
「リゼ。こっちだ」
「……うん」
ウドゥンがリゼの手をとり、2人から離れる。続けて彼は小さく笑い声を上げた。
「ふふ……良く見ておけよ。滅多に見られない対戦だぜ」
「えっ?」
見るとウドゥンは、口角は大きくつりあげていた。彼は嬉しさを堪えきれない様子で、ニヤニヤと2人の対峙する姿を見つめていたのだ。
リゼはこんなウドゥン――柳楽和人を、学校でも見たことが無かった。
インペリアルブルーでは、ギルド員同士のPvPはあまり見られない。たまにトーナメント戦で見かけるが、ほとんどが5対5のチーム戦の時に限られていた。理由はインペリアルブルーが、基本的に集団戦闘を得意とするギルドだからだ。
ゴンゾーは最近、実力をつけてA級トーナメント戦に個人で出場し活躍していたが、他のギルド員でソロマッチトーナメントに参加している者は少ない。特にキャスカは、ウドゥンが知る限り一度もソロマッチトーナメントに出場していないはずだった。
「キャスカは普段ギルド運営の補佐ばかりしてるし、チーム戦でもチームプレイに徹する事が多いからあまり知られていないが、あいつは俺が知っている中で最強のエストック使いだ」
「……エストックって私の使ってる?」
「そうだ。トッププレイヤーのエストック捌きをしっかり見とけよ。その為にお前を連れてきたんだからな」
リゼが息をのみ、蒼色の装備に身を包んだ2人の姿に目を向けた。
しかし彼女にはそう説明したが、今回ウドゥンの最大の目的は『めずらしいPvPのカードを見物すること』だった。当初はガルガンとヴォルという、二大ギルドのトッププレイヤーによる共闘を見物する気でいたのだが、それよりもさらに珍しいPvPが見られるのだ。
キャスカvsゴンゾーという、普段なら絶対に見ることが出来ないインペリアルブルーのトッププレイヤー同士のPvPを目の前にして、ウドゥンの心は最高に浮き立っていた。
そして、戦いは静かに始まった。
ゴンゾーはマサムネを下段に構え、キャスカはアクアマリンタックを祈るように両手で持つ。二人は対峙したまま、しばらく動きを止めていた。
最初に動いたのはゴンゾーだった。
「はっ!」
下段の構えからさらに身をかがめ、地を這うようにダッシュするとキャスカの懐へと入り込む。そしてそのまま脚をなぎ払いにいった。
キャスカはそれを軽くジャンプして飛び越える――しかし、ゴンゾーは反応を読んでたようで、なぎ払いを直角に軌道変化させ、空中に居るキャスカを真下から切り上げた。
股下から切り上げられた刃を、キャスカはアクアマリンタックの長く伸びた持ち手でガードした。結果マサムネの刀身へ、跳び箱を飛ぶように両手をつく形となったキャスカ――そのまま空中で器用に身を翻し、ゴンゾーを突き刺しに行く。
「くっ!」
全力で切り込んでいたゴンゾーは、何とかそれを急所に受けるのを回避し肩口で受けた。彼は突き刺さったアクアマリンタックを体をひねって引きぬくと、空中で硬直するキャスカに向け左上段からマサムネを振り下ろす。
キン――という金属音が鳴り響く。
【蒼の死神】の二つ名は伊達ではなかった。キャスカは信じられないような反応速度でアクアマリンタックを引き戻すと、一挙動でゴンゾーの渾身の一撃を弾き飛ばしたのだ。
その反動でキャスカは着地し、反対にゴンゾーは上体を浮かせる。そしてキャスカは、無防備にさらけ出されたゴンゾーの急所へと狙いをつけた。
アクアマリンタックの刀身を輝かせ、残像を残すほどの速度で高速突き――トリック・ファイナルスラストを放つキャスカ。それは狙い通りゴンゾーの心臓へとクリティカルヒットした。
「く……そ……」
ゴンゾーが顔をゆがめながら、悔しげにつぶやく。そして地面に倒れこむと、エフェクトと共に砕け散った。
キャスカはエストックを構えたまま凛と立ち尽くし、エフェクトの残滓が消え行く様子を見送っていた。
◆
「身内が起した暴挙、インペリアルブルーを代表して謝罪いたします。申し訳ございませんでした」
キャスカは戦闘が終ると、いつも通り礼儀正しい様子でウドゥン達に頭を下げていた。ウドゥンが満足げに答える。
「気にすんなよ、キャスカ。良いモノを見せてくれてこっちが礼を言いたいくらいだ。さすがの戦いっぷりだったぜ」
「お見苦しい限りです」
ウドゥンが賞賛すると、キャスカは少しだけ顔を赤らめていた。しかしすぐに気を取り直して言う。
「このお礼は、後日必ずさせてもらいます」
「あぁ。お礼ならキャスカ――」
ウドゥンは、後ろでやり取りを見守っていたリゼの背中を押した。
「こいつリゼっていう、最近ナインスオンラインを始めた初心者なんだが、メインにエストックを使ってるんだよ。今度暇な時に教えてやってくれないか?」
「ええ!?」
突然名前を出されたリゼが大きく悲鳴を上げる。キャスカは一瞬眉をひそめたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「はい。私でよければ、指導させていただきます」
「見込みは有ると思うから、まあしごいてやってくれよ」
「あの……」
勝手に進む話に、ただおろおろし続けるだけのリゼ。キャスカはウドゥンの言葉にうなづくと、凛とした視線をリゼに向けた。
「リゼ様。フレンド登録をお願いします」
「あ……はい」
慣れない手つきで、リゼはパネルに現れたフレンド登録承認画面を操作する。その最中、消え入るような声でつぶやいた。
「あの、キャスカさん。リゼで……いいです」
キャスカはその言葉を聞いて、小さく微笑んだ。
「わかりました。それではリゼ、私の事はキャスとお呼び下さい」
「あ……はい!」
その笑顔に安心したようで、それからはリゼに笑顔が戻った。
「後日またメッセージをさせてもらいます。それでは失礼します」
「あぁ。お疲れ」
「キャス! ありがとう!」
キャスカは小さく手を振って応えると、森の奥へと走り去っていった。その背を見送り、ウドゥンとリゼの二人が薄暗い迷いの森の中でぽつんと残されてしまう。
「あの……ありが――」
「礼を言う必要はないぞ。謙遜じゃなくて、本当の意味でな。俺はお前を囮に使ったんだから」
意を決して礼を言おうとしたリゼを、黙らせるようにかぶせられたウドゥンの言葉だった。
「それって……?」
「言葉通りの意味だ。俺はお前を囮に、あいつら偽黒騎士どもをおびき寄せた。お前が奴らに襲われることもわかっててな。悪かったな、怖い目にあわせて」
そう言って無表情に謝るウドゥンだったが、最後に「おかげで俺は珍しいモノが見物できた訳だが」と付け加えてニヤついていた。その言葉と表情を、リゼは少し戸惑いながら見つめる。
「それでだ。さすがに悪いと思っている。だからキャスカを紹介したことで、この件は手打ちにして欲しいんだが」
「えっと、手打ち?」
リゼが首をかしげた。
「あぁ。今回の件は昨日の"うさぎ狩り"なんかじゃつり合わないからな。お礼だ」
ウドゥンは今回、リゼを囮として使った。その代償として埋め合わせを用意していた。それが先程のキャスカへの紹介である。キャスカを呼び出しておいたのは勿論保険の為だが、もう一つリゼを彼女に紹介しようという考えもあったのだ。
「さっきも言ったが、キャスカはこのアルザスサーバーで最強のエストック使いだ。あいつに教わればすぐにエストックの戦い方が分かる。それにインペリアルブルーの上層部と知り合いがいれば色々と――」
「待って、お礼ならギルドに入れて」
今度はリゼが、ウドゥンの言葉を遮るように言った。その予想外の言葉に、彼はあっけに取られてしまう。
「今、なんて言った?」
「だから……私を柳楽君のギルドに入れて」
瞳を強く見つめながら再度放たれたリゼの言葉に、ウドゥンは困惑し顔を背けた。
「なんで……そうなるんだよ」
眩暈がした。
ウドゥンはリゼを使って、今回の騒動を無理矢理に解決した。というより、そもそも囮にする必要など無かったのに、ただ『面白い展開になりそうだ』という理由で彼女を利用したのだ。
結果予想通り発生したリゼの危機に、駆けつけたのはガルガンであり、救ったのはヴォルであり、最後に美しい戦いを見せたのはキャスカだった。
ウドゥンは何もしていない。いうなれば"ハメた"だけ。それなのにリゼは、彼のギルドに入れてくれと言ってきたのだ。
意味が分からない。彼にはこの栗色の髪の少女の考えが、一切理解できなかった。
「お前はもう……グリフィンズに所属してるだろーが」
「ギルドは何個でも入れるんでしょ? だったら問題ないじゃん。また一緒にクエストへ行こうよ」
「……キャスカに言えば、インペリアルブルーで良くしてくれるはずだ」
「キャスは良い人だと思うけど、それとこれとは話が別だよ」
リゼはぐいぐいと言い寄る。ウドゥンはますます混乱してしまった。
クラスではほとんど人と会話せず、ひたすら携帯パネルをいじり続ける自分を。
初心者に冷たく当たり、あげくPK狩りのエサにするような自分を。
どうしてこんなに気にかけるのか。
「それに今回は少し怖かったけど、どきどきして楽しかったよ!」
『――はは! 楽しかったな! こんなにも胸が高鳴ったのは久しぶりだよ』
リゼの言葉が"あの人"の言葉と重なる。それはもう遠い思い出の様に感じた。
"あの人"がいなくなって、まだ半年ほどなのに――
「柳楽君?」
ほうけるように視線を宙に浮かべて黙りこんだウドゥンを、リゼが心配そうに覗きこんでいた。
「……ったよ」
「えっ?」
ウドゥンがその瞳に光を戻す。そして髪を掻きむしりながら、ぶっきらぼうに言った。
「分かったって言ったんだよ。ギルドに入れてやる」
「ほんと!? やった!」
「ただし条件がある。俺のギルドに入ったことは、角谷達グリフィンズも含めて誰にも言うなよ」
飛び上がって喜ぶリゼをたしなめるように、ウドゥンが言った。
「えっと、なんで?」
「何でもだ。約束できないならギルドに参加させない」
「うーん。よくわかんないけど、わかった」
「もうひとつ。俺は俺でやることがあるから、お前はお前で勝手にプレイしろ」
「えぇー!?」
不満げな声を上げるリゼ。さっきの喜びようから一転、再び涙目となる。
「一緒に遊ばないの?」
「……たまにならな」
上目遣いで見つめられ、簡単に屈してしまうウドゥン。リゼの表情がパァと明るくなった。
「ありがとう、柳楽君!」
「だから本名で呼ぶな。何度言えばわかるんだよ」
ウドゥンは怒鳴るが、リゼは明るく笑ったままだった。上機嫌な様子で後ろ手を組み、可愛らしく首を傾げる。
「条件はそれだけ?」
「……あぁ」
「じゃあ、柳……ウドゥンのギルド名を教えてくれる?」
ウドゥンが左手中指につけた銀の指輪を掲げると、そこから一瞬にして銀色の三角形を模した紋章が描かれたリストバンド――ギルド章が現れた。
それをリゼに投げ渡しながら、ウドゥンは言う。
「ギルド名は、トリニティだ」
リゼはその名を聞き、さらにギルド章を受け取ると、嬉しそうに笑った。
「そっか! トリニティ……よろしくね。ウドゥン!」
彼女の笑顔は、早朝の湖面のようにキラキラと輝いて見えた。
■
(一章『迷い森の白兎』・終)




