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Zwei Rondo  作者: グゴム
終章 Zwei Rondo
116/121

9. 最後の希望

9



「ファナ……さん?」

「ふふっ! リゼ、久しぶり……なのかな? 正直、この身体はごちゃごちゃしすぎてわけがわからないけど」


 見た目には、黒騎士はリズの姿から変化していない。しかしその鋭い口調は、確かにクリムゾンフレアの【戦乙女(ヴァルキリー)】そのものだった。


「お前……ファナなのか?」


 ウドゥンが警戒した様子で言うと、彼女は首を横に振って否定した。


「いや、少し違う。私は混じり合った人格の一つというだけで、主人格はリズだ」


 そういう彼女は再び目をつむる。そして次に目を開いたときには、彼女の表情は優しい笑顔に変わっていた。


「まったく、皮肉な話だよね」

「……」


 ウドゥンが思わず言葉を失う。その口調はいつも飄々としていた、セウイチのそれにそっくりだったからだ。柔和な笑顔もまた、彼のものによく似ていた。


「セウさん……」

「久しぶりにリズが帰ってきたっていうのに、交互にしか話せないなんて、悪い冗談だよ」


 黒騎士はそう言って肩をすくめる。そして再び目を閉じ、雰囲気を変えた。


「要するにごちゃまぜなんだ。今は黒猫(バックアップ)のおかげで元々の人格であるリズに統合されてるけど、俺がやられた時にはマジでひどかったぜ」

「ヴォル……」


 次の黒騎士は、憮然とした口調だった。それはウドゥンが良く知る、クリムゾンフレアのヴォルが不機嫌な時のそれとそっくりだった。

 ウドゥンの呼びかけに、黒騎士は小さく手を払う仕草をした後、再びその目を閉じた。


「まあ私がやられた時は、あまりに空腹すぎて私が主人格になっちゃったんだけどね」


 リズは次の瞬間、舌足らずな口調に変わっていた。


「アクライちゃん……?」

「リゼ、久しぶり!」


 にかりと笑う子供っぽい笑顔は、幼い雰囲気があったアクライそのものだ。


「いきなり黒騎士に襲い掛かられたときは、滅茶苦茶焦ったよ。確かにやられたと思ったんだけど、気がついたらこうして黒騎士になってた」

「……空腹の黒騎士に取り込まれたから、お前に主人格が変更されたのか」

「そういうことー。ただその時の意識は私とリズが半分半分で、ぼんやりとしか覚えてないけどね」


 姿を変えずに、口調だけをころころと変えていく黒騎士を見て、リゼは頭がこんがらがってしまいそうな気分だった。

 目の前にいる彼女は、リズであってリズでない。ファナでもアクライでもなければ、ヴォルでもセウイチでもなく、ただそれらの記憶と人格が混じりあった奇妙な存在だったのだ。 

 そして彼女が再び瞬きすると、口調がリズのものに戻った。


「今の黒騎士は、いろんなプレイヤーデータの寄せ集め……中身はごちゃまぜになったスープみたいなもんだ。今でこそ私が主人格だが、じきにそれもすり潰される」


 彼女は残り少なくなった紅茶に手を掛け、一気にそれを飲み干した。


「空腹感を我慢し続けて、私という人格を失った結果は、A級トーナメントや大規模戦闘インベイジョンで見せた通りだ。我を失い、ただ目の前のプレイヤーにPKをしかけ、この身体を存続させようとする怪物モンスターに変わる」


 それが今の私――黒騎士の正体だ。彼女は悟ったような口調で言った。


 黒騎士は元々運営によって消去(デリート)された存在だった。それがなぜか、リズのキャラクターデータを媒介にして再生した。しかしその存在は時間とともに崩壊し、消えてしまう不完全な再生だったのだ。

 黒騎士は自身の存在を繋ぎとめる為に、さらの多くのキャラクターデータを必要とした。放っておいたら消えてしまう信号シグナルを飢餓感として処理し、PKしたプレイヤーからデータを補完することでそれを満たす。その際、記憶という一時的なデータだけでなく、もっと重要なキャラクターデータを奪われたプレイヤーが、現実世界で意識不明となってしまった。

 それが今回、彼女が引き起こした黒騎士事件の真相だった。


「もう……どうしようもないのか?」


 ウドゥンがうなる様に低い声で聞いた。いまリズは、もうすぐ自分という人格を失って、周囲にPKを仕掛けるだけのモンスターへと変化してしまうと言った。そしてそれは、現実世界ですでに死んでいる彼女にとって、絶望的な状況だった。

 彼女はこくりと、無表情に頷く。


「私の知る限りじゃあな。むしろ寄せ集めのデータが反発し始めてるんだろう、人格崩壊の速度が前より加速してる。確かに黒猫バックアップで私の人格は回復リカバリーしたけど、おそらく数日中にはこの人格も消えるだろうな」

「……」


 リゼは唇をかみ、悔しそうにリズの話に耳を傾けていた。すでに自身の状況を受け入れ、淡々とした様子で話す彼女の姿を見つめながら、リゼはただただ考えていた。

 自分にできることは、何か無いのだろうか――と。



「まあ安心しろよ、ウドゥン。おそらく意識を失っても、プレイヤーが居なければ襲う相手もいない。このままサービス停止を数日続けて兵糧攻めにすれば、勝手に自然消滅するだろうぜ」


 他人事のように話すリズに対して、ウドゥンはこぶしを握り締め、怒気をはらめながら言った。


「こんな状況になるまで、どうして俺達に相談しなかったんだよ」


 現状は最悪だった。意識不明者を大量に出してしまい、そして彼女自身、もうすぐ消えてしまうというのだから。

 ウドゥンとセウイチがギルドホームの場所を移動していたため、リズは彼らに会うことができなかった。それは確かに致命的だったのかもしれない。それでも早い段階で、彼女が本気で自分達や運営にSOSを発していれば、まだ可能性があったかもしれない。ウドゥンには、それが唯一納得できなかった。


「……別に、単純な話だ」


 そんなウドゥンの質問に、リズはひどく沈んだ声で答えた。あまりに低く、悲しそうな声に、リゼは彼女の顔を見つめ直してしまうほどだった。


「……真実を知ることが怖かったんだ」

「なに?」


 消え入るように発せられた言葉を、ウドゥンは思わず聞き返す。それは少し、予想外な答えだった。


「だから、自分が死んでるっていうことを確認するのが怖かったんだよ」

「……」


 今までの彼女の態度から、自身の境遇をそこまで深刻に考えていないように見えた。確かに彼女は、自分が死んでいると聞いても陽気に笑っていたのだ。

 しかしそれは彼女にとっての精一杯の強がりだったことに、ウドゥンはようやく気が付いた。


「この身体と精神が自分のものじゃあ無いことぐらい、何となくわかっていたさ。でもそれじゃあ、もしそうだとすれば、本物の私はどうなってるんだ? 生きているとしたら、私は元に戻れるのか?」


 堰を切ったように溢れ出した感情を、リズは隠さずに続けた。


「死んでいるならなおさらだ。現実の私がすでにこの世に居ないというなら、この私は何なんだ? なあウドゥン、どう思う? 私はいま、生きているのかな、死んでいるのかな?」


 懇願するように聞いてくるリズに、ウドゥンは視線を向けたまま黙り込んでしまった。


 彼女は、自分が明らかに偽物――作り物の人格だということに気づいていた。自分がそんな状態に陥って、それを受け入れることなどできるだろうか。

 彼女は今の黒騎士を、ごちゃ混ぜになったスープだと表現した。様々な人格が混ざり合った、精神のスープだと。最初は自分のものだと思っていた人格に、一人ひとり精神を溶け込ませていったとき、はたしてどこまでが自分で、どこからが自分じゃなくなるのか。

 ウドゥンは想像して、彼女の現在陥っている、あまりにも絶望的な状況に愕然としてしまった。


「……今、お前に倒された連中が意識不明に陥ってる」


 彼は搾り出すように言った。リズは、小さくため息をついて答える。


「そうらしいな。セウやヴォルの記憶を奪ったときに知ったよ」


 先ほどまでの狼狽した様子は影を潜め、リズは落ち着いた表情だ。それは彼女が、自分の運命に折り合いをつけているからだった。

 ウドゥンはその姿をみて、無力感に歯を軋ませてしまう。それでも彼は、リズの瞳を見つめながら、必死に声を絞り出す。


「俺は、そいつらを助けたい」


 彼らの意識が今のリズの中に存在していることは、先ほどの会話から確実だ。それならば今、彼らの人格を拘束している黒騎士を消去デリートすれば、今意識を失っている人たちが回復するのではないか。

 リズが、少し首をかしげながら質問する。


「どうすれば助かるんだい?」

「……今のお前は他人の意識の集合体だ。意識を取り込んでいる状態と言っていい。そんな存在が無くなってしまえば、現在意識を失っている連中が元に戻る可能性がある。だから……」


 ウドゥンが言葉を詰まらせる。リズが彼の顔を、じっと見つめ返したからだ。その彼女の銀色の瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。


「だから?」


 聞き返してくる彼女の視線を正面に受けながら、ウドゥンははっきり宣言した。


「お前には、消えてもらう」


 それは、最終宣告だった。その言葉を聞いたリズは、大きく息を吸った後、諦めたように嘆息する。


「まあ……仕方ないか」


 彼女自身、この結末は覚悟していたはずだ。自分が存在し続ける限り、被害者は意識を取り戻せず、逆に犠牲者だけが増え続けるだけならば、いずれは消えなければならない。それは至極当然の結末だった。

 それでも彼女1人では、諦め切れなかった。こうしてウドゥンに現実世界の自分を訪ねてもらい、事実をゲーム内に報告しに来てもらったのは、すべては自分に諦めをつける為だった。

 期待していなかったといえば、嘘になる。それは自分に残された、最後の希望だったのだから。


「……すまない」

「謝るなウドゥン。私こそ、往生際が悪くてごめんな」


 儚げな微笑を浮かべながらリズが言うと、ウドゥンは小さく唇を噛んだ。それを見て彼女は再び、今度は肩をすくめて言う。


「別に放っておいても消えるんだろうが、早いほうが良いだろう」

「……そうだな」

「まあ、自殺するのもめんどうだし、適当に庭で決闘デュエルでもするか。ウドゥン、頼むぜ」

「あぁ――」


 ガタン――


 その時突然、2人の間で黙って話を聞いていたリゼが、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。彼女の少し赤くなった瞳は、真っ直ぐにリズの顔を見つめていた。


「……リズさん」

「なんだい?」


 リズは手に顎を載せた、だらけた様子のまま答える。そんな彼女に、リゼは強い口調で言った。


「私と本気で戦ってください」

「……なに?」


 素っ頓狂な声をあげるリズ。しかし彼女が答えるより先に、ウドゥンが慌てて立ち上がった。


「お前! 何を言って――」

「リズさん! お願いします!」


 彼の静止も聞かず、重ねて言うリゼに対し、リズがにやりと表情を崩した。


「ふふ! リゼ、今までの話を聞いていたのか?」

「聞いていました」


 真剣な表情でうなずくリゼに対し、リズはぐいっと机に身を乗り出した。


「それなら、なんでそんなことを言う? お前が戦わなくったって、黙ってても私は消えるさ。そうしたらこの黒騎士シヴァの断片は散り散りになり、セウ達は意識を取り戻す。それで今回の事件はめでたしめでたし――だろ?」

「ううん。違います」


 リゼがふるふると首を横に降ると、栗色のツーサイドアップが、悲しそうに揺れた。


「あなたが、まだ残ってる」

「私?」

「そうです。このままだと、あなた一人だけが幸せになれない。そんなの、私はいやです」


 その言葉に、リズは大きく目を見開いて固まった。しばらくして小さく眉をひそめたところを見ると、目の前の少女が何を言っているのか、彼女は理解できないようだった。


 しかしリゼは確信していた。これまでの黒騎士事件での経過、先程から語られるリズの話。そしてなにより、先ほど最終宣告をされた時のリズの表情から、まだ彼女にはやり残したことがあるはずだと確信していたのだ。

 じっと見つめてくるリゼに対し、リズはしばらく眉をひそめたままだった。しかし暫くすると、彼女はくしゃりと顔をほころばせた。


「あは! よくわからないけどリゼ、お前と戦ってどうなるんだ? それで私は救われるのか?」

「わかりません。でもわざと負けて消えるなんて、あなたには似合わない」

「似合わないだって?」


 リズは嬉しそうに息をのんだ。驚きと期待を混ぜこぜにした瞳を見開いている。そんな彼女に、リゼは凛とした表情で続ける。


「そうです。消えるなら、最後に私と本気で戦って消えてください。それでも私は、あなたを倒してみせます」

「……っ!」


 リズの顔が驚きの色に染まる。何を言い出すのかと思っていたが、どうやら目の前の少女は本気で自分に戦いを挑み、しかも勝つ気でいるようだ。ようやくその事実に気がついたリズは、みるみると表情を崩していった。


「ぎゃはははは! なるほど、なるほどなるほど! リゼ! 面白いなお前! ぎゃはは!」


 深く椅子に腰かけ、げらげらと腹を抱えて笑うリズ。しばらくして息を整えた彼女は、あきれたように頭を抱えていたウドゥンに言葉を投げた。


「ウドゥン! お前がこいつをトリニティに入れたのか?」

「……そうだ」

「それならちゃんと教えとけよ。私には誰も勝てないってな!」


 リズは自慢げでもなく、まるで常識を説明するように断言した。実際、彼女にはそう言い切れるほどの実力がある。PvP大会の最高峰であるS級トーナメントを圧倒的な強さで優勝し、全サーバーで初めて《ナインスギルド》に上り詰めたトリニティのギルドリーダーであり、最強のプレイヤーの名を欲しいままにしていた、あの【太陽(ザ・ハーツ)】リズなのだから。


 しかしウドゥンは達観したように大きく息をついた後、ゆっくりとリズに向き合った。そして彼の目が銀色の瞳を捉えると、しばらくの間無言で見つめ続ける。

 長く続いた沈黙の意味を読み取ったリズが、ようやく表情を真剣なものへと変えた。


「まさか、お前まで勝てるっていうのか?」

「……リゼは『お前を超える才能を持つ奴』だ」

「……っ!」


 リズが豆鉄砲でも喰らったような表情に変わる。その言葉の意味を、彼女はすぐに気が付いたのだ。それは昔ウドゥンが、新人をトリニティに入れる条件として、冗談交じりに話していた言葉だった。

 リズはしばらく固まっていたが、やがて手を顔に当て、再び声を上げて笑い出した。


「ぎゃはははは! あは! あはははは!」


 げらげらと腹を抱えるリズ。足をばたばたとさせ、子供のように笑い転げる彼女の姿を、ウドゥンとリゼはじっと見つめていた。


「そうかそうか。なんでリゼ、お前がウドゥンの隣にいるのか不思議だったんだが、そういうことか!」


 リズは息も絶え絶えと言った様子で机に突っ伏しながら言う。その様子は今回初めて見せた、彼女の無防備な笑いだった。


 しばらくして顔を上げた時、そこには獰猛な猛禽類を連想させる、寒気のする鋭い笑みを浮かべたリズがいた。


「リゼ!」

「……はい」


 椅子を蹴って立ち上がり、リズはぐっと顔を近づける。


「一対一のソロマッチでいいんだな」

「そうです」

「言っておくが、手加減なんかしないぞ」

「はい」

「今でこそ私はリズの意識を保っているが、実際は壊れた黒騎士シヴァだ。もしも負けたら、他の連中と同じような目にあうかもしれないからな」

「……構いません」


 淡々と答えるリゼの決意を確認すると、リズはにやりと口元を緩めた。


「よし」


 彼女は机を強く叩き、リゼとウドゥンを順に見渡してから言った。


円形闘技場コロセウムに行くぞ!」


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