9. 最後の希望
9
「ファナ……さん?」
「ふふっ! リゼ、久しぶり……なのかな? 正直、この身体はごちゃごちゃしすぎてわけがわからないけど」
見た目には、黒騎士はリズの姿から変化していない。しかしその鋭い口調は、確かにクリムゾンフレアの【戦乙女】そのものだった。
「お前……ファナなのか?」
ウドゥンが警戒した様子で言うと、彼女は首を横に振って否定した。
「いや、少し違う。私は混じり合った人格の一つというだけで、主人格はリズだ」
そういう彼女は再び目をつむる。そして次に目を開いたときには、彼女の表情は優しい笑顔に変わっていた。
「まったく、皮肉な話だよね」
「……」
ウドゥンが思わず言葉を失う。その口調はいつも飄々としていた、セウイチのそれにそっくりだったからだ。柔和な笑顔もまた、彼のものによく似ていた。
「セウさん……」
「久しぶりにリズが帰ってきたっていうのに、交互にしか話せないなんて、悪い冗談だよ」
黒騎士はそう言って肩をすくめる。そして再び目を閉じ、雰囲気を変えた。
「要するにごちゃまぜなんだ。今は黒猫のおかげで元々の人格であるリズに統合されてるけど、俺がやられた時にはマジでひどかったぜ」
「ヴォル……」
次の黒騎士は、憮然とした口調だった。それはウドゥンが良く知る、クリムゾンフレアのヴォルが不機嫌な時のそれとそっくりだった。
ウドゥンの呼びかけに、黒騎士は小さく手を払う仕草をした後、再びその目を閉じた。
「まあ私がやられた時は、あまりに空腹すぎて私が主人格になっちゃったんだけどね」
リズは次の瞬間、舌足らずな口調に変わっていた。
「アクライちゃん……?」
「リゼ、久しぶり!」
にかりと笑う子供っぽい笑顔は、幼い雰囲気があったアクライそのものだ。
「いきなり黒騎士に襲い掛かられたときは、滅茶苦茶焦ったよ。確かにやられたと思ったんだけど、気がついたらこうして黒騎士になってた」
「……空腹の黒騎士に取り込まれたから、お前に主人格が変更されたのか」
「そういうことー。ただその時の意識は私とリズが半分半分で、ぼんやりとしか覚えてないけどね」
姿を変えずに、口調だけをころころと変えていく黒騎士を見て、リゼは頭がこんがらがってしまいそうな気分だった。
目の前にいる彼女は、リズであってリズでない。ファナでもアクライでもなければ、ヴォルでもセウイチでもなく、ただそれらの記憶と人格が混じりあった奇妙な存在だったのだ。
そして彼女が再び瞬きすると、口調がリズのものに戻った。
「今の黒騎士は、いろんなプレイヤーデータの寄せ集め……中身はごちゃまぜになったスープみたいなもんだ。今でこそ私が主人格だが、じきにそれもすり潰される」
彼女は残り少なくなった紅茶に手を掛け、一気にそれを飲み干した。
「空腹感を我慢し続けて、私という人格を失った結果は、A級トーナメントや大規模戦闘で見せた通りだ。我を失い、ただ目の前のプレイヤーにPKをしかけ、この身体を存続させようとする怪物に変わる」
それが今の私――黒騎士の正体だ。彼女は悟ったような口調で言った。
黒騎士は元々運営によって消去された存在だった。それがなぜか、リズのキャラクターデータを媒介にして再生した。しかしその存在は時間とともに崩壊し、消えてしまう不完全な再生だったのだ。
黒騎士は自身の存在を繋ぎとめる為に、さらの多くのキャラクターデータを必要とした。放っておいたら消えてしまう信号を飢餓感として処理し、PKしたプレイヤーからデータを補完することでそれを満たす。その際、記憶という一時的なデータだけでなく、もっと重要なキャラクターデータを奪われたプレイヤーが、現実世界で意識不明となってしまった。
それが今回、彼女が引き起こした黒騎士事件の真相だった。
「もう……どうしようもないのか?」
ウドゥンがうなる様に低い声で聞いた。いまリズは、もうすぐ自分という人格を失って、周囲にPKを仕掛けるだけのモンスターへと変化してしまうと言った。そしてそれは、現実世界ですでに死んでいる彼女にとって、絶望的な状況だった。
彼女はこくりと、無表情に頷く。
「私の知る限りじゃあな。むしろ寄せ集めのデータが反発し始めてるんだろう、人格崩壊の速度が前より加速してる。確かに黒猫で私の人格は回復したけど、おそらく数日中にはこの人格も消えるだろうな」
「……」
リゼは唇をかみ、悔しそうにリズの話に耳を傾けていた。すでに自身の状況を受け入れ、淡々とした様子で話す彼女の姿を見つめながら、リゼはただただ考えていた。
自分にできることは、何か無いのだろうか――と。
「まあ安心しろよ、ウドゥン。おそらく意識を失っても、プレイヤーが居なければ襲う相手もいない。このままサービス停止を数日続けて兵糧攻めにすれば、勝手に自然消滅するだろうぜ」
他人事のように話すリズに対して、ウドゥンはこぶしを握り締め、怒気をはらめながら言った。
「こんな状況になるまで、どうして俺達に相談しなかったんだよ」
現状は最悪だった。意識不明者を大量に出してしまい、そして彼女自身、もうすぐ消えてしまうというのだから。
ウドゥンとセウイチがギルドホームの場所を移動していたため、リズは彼らに会うことができなかった。それは確かに致命的だったのかもしれない。それでも早い段階で、彼女が本気で自分達や運営にSOSを発していれば、まだ可能性があったかもしれない。ウドゥンには、それが唯一納得できなかった。
「……別に、単純な話だ」
そんなウドゥンの質問に、リズはひどく沈んだ声で答えた。あまりに低く、悲しそうな声に、リゼは彼女の顔を見つめ直してしまうほどだった。
「……真実を知ることが怖かったんだ」
「なに?」
消え入るように発せられた言葉を、ウドゥンは思わず聞き返す。それは少し、予想外な答えだった。
「だから、自分が死んでるっていうことを確認するのが怖かったんだよ」
「……」
今までの彼女の態度から、自身の境遇をそこまで深刻に考えていないように見えた。確かに彼女は、自分が死んでいると聞いても陽気に笑っていたのだ。
しかしそれは彼女にとっての精一杯の強がりだったことに、ウドゥンはようやく気が付いた。
「この身体と精神が自分のものじゃあ無いことぐらい、何となくわかっていたさ。でもそれじゃあ、もしそうだとすれば、本物の私はどうなってるんだ? 生きているとしたら、私は元に戻れるのか?」
堰を切ったように溢れ出した感情を、リズは隠さずに続けた。
「死んでいるならなおさらだ。現実の私がすでにこの世に居ないというなら、この私は何なんだ? なあウドゥン、どう思う? 私はいま、生きているのかな、死んでいるのかな?」
懇願するように聞いてくるリズに、ウドゥンは視線を向けたまま黙り込んでしまった。
彼女は、自分が明らかに偽物――作り物の人格だということに気づいていた。自分がそんな状態に陥って、それを受け入れることなどできるだろうか。
彼女は今の黒騎士を、ごちゃ混ぜになったスープだと表現した。様々な人格が混ざり合った、精神のスープだと。最初は自分のものだと思っていた人格に、一人ひとり精神を溶け込ませていったとき、はたしてどこまでが自分で、どこからが自分じゃなくなるのか。
ウドゥンは想像して、彼女の現在陥っている、あまりにも絶望的な状況に愕然としてしまった。
「……今、お前に倒された連中が意識不明に陥ってる」
彼は搾り出すように言った。リズは、小さくため息をついて答える。
「そうらしいな。セウやヴォルの記憶を奪ったときに知ったよ」
先ほどまでの狼狽した様子は影を潜め、リズは落ち着いた表情だ。それは彼女が、自分の運命に折り合いをつけているからだった。
ウドゥンはその姿をみて、無力感に歯を軋ませてしまう。それでも彼は、リズの瞳を見つめながら、必死に声を絞り出す。
「俺は、そいつらを助けたい」
彼らの意識が今のリズの中に存在していることは、先ほどの会話から確実だ。それならば今、彼らの人格を拘束している黒騎士を消去すれば、今意識を失っている人たちが回復するのではないか。
リズが、少し首をかしげながら質問する。
「どうすれば助かるんだい?」
「……今のお前は他人の意識の集合体だ。意識を取り込んでいる状態と言っていい。そんな存在が無くなってしまえば、現在意識を失っている連中が元に戻る可能性がある。だから……」
ウドゥンが言葉を詰まらせる。リズが彼の顔を、じっと見つめ返したからだ。その彼女の銀色の瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。
「だから?」
聞き返してくる彼女の視線を正面に受けながら、ウドゥンははっきり宣言した。
「お前には、消えてもらう」
それは、最終宣告だった。その言葉を聞いたリズは、大きく息を吸った後、諦めたように嘆息する。
「まあ……仕方ないか」
彼女自身、この結末は覚悟していたはずだ。自分が存在し続ける限り、被害者は意識を取り戻せず、逆に犠牲者だけが増え続けるだけならば、いずれは消えなければならない。それは至極当然の結末だった。
それでも彼女1人では、諦め切れなかった。こうしてウドゥンに現実世界の自分を訪ねてもらい、事実をゲーム内に報告しに来てもらったのは、すべては自分に諦めをつける為だった。
期待していなかったといえば、嘘になる。それは自分に残された、最後の希望だったのだから。
「……すまない」
「謝るなウドゥン。私こそ、往生際が悪くてごめんな」
儚げな微笑を浮かべながらリズが言うと、ウドゥンは小さく唇を噛んだ。それを見て彼女は再び、今度は肩をすくめて言う。
「別に放っておいても消えるんだろうが、早いほうが良いだろう」
「……そうだな」
「まあ、自殺するのもめんどうだし、適当に庭で決闘でもするか。ウドゥン、頼むぜ」
「あぁ――」
ガタン――
その時突然、2人の間で黙って話を聞いていたリゼが、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。彼女の少し赤くなった瞳は、真っ直ぐにリズの顔を見つめていた。
「……リズさん」
「なんだい?」
リズは手に顎を載せた、だらけた様子のまま答える。そんな彼女に、リゼは強い口調で言った。
「私と本気で戦ってください」
「……なに?」
素っ頓狂な声をあげるリズ。しかし彼女が答えるより先に、ウドゥンが慌てて立ち上がった。
「お前! 何を言って――」
「リズさん! お願いします!」
彼の静止も聞かず、重ねて言うリゼに対し、リズがにやりと表情を崩した。
「ふふ! リゼ、今までの話を聞いていたのか?」
「聞いていました」
真剣な表情でうなずくリゼに対し、リズはぐいっと机に身を乗り出した。
「それなら、なんでそんなことを言う? お前が戦わなくったって、黙ってても私は消えるさ。そうしたらこの黒騎士の断片は散り散りになり、セウ達は意識を取り戻す。それで今回の事件はめでたしめでたし――だろ?」
「ううん。違います」
リゼがふるふると首を横に降ると、栗色のツーサイドアップが、悲しそうに揺れた。
「あなたが、まだ残ってる」
「私?」
「そうです。このままだと、あなた一人だけが幸せになれない。そんなの、私はいやです」
その言葉に、リズは大きく目を見開いて固まった。しばらくして小さく眉をひそめたところを見ると、目の前の少女が何を言っているのか、彼女は理解できないようだった。
しかしリゼは確信していた。これまでの黒騎士事件での経過、先程から語られるリズの話。そしてなにより、先ほど最終宣告をされた時のリズの表情から、まだ彼女にはやり残したことがあるはずだと確信していたのだ。
じっと見つめてくるリゼに対し、リズはしばらく眉をひそめたままだった。しかし暫くすると、彼女はくしゃりと顔をほころばせた。
「あは! よくわからないけどリゼ、お前と戦ってどうなるんだ? それで私は救われるのか?」
「わかりません。でもわざと負けて消えるなんて、あなたには似合わない」
「似合わないだって?」
リズは嬉しそうに息をのんだ。驚きと期待を混ぜこぜにした瞳を見開いている。そんな彼女に、リゼは凛とした表情で続ける。
「そうです。消えるなら、最後に私と本気で戦って消えてください。それでも私は、あなたを倒してみせます」
「……っ!」
リズの顔が驚きの色に染まる。何を言い出すのかと思っていたが、どうやら目の前の少女は本気で自分に戦いを挑み、しかも勝つ気でいるようだ。ようやくその事実に気がついたリズは、みるみると表情を崩していった。
「ぎゃはははは! なるほど、なるほどなるほど! リゼ! 面白いなお前! ぎゃはは!」
深く椅子に腰かけ、げらげらと腹を抱えて笑うリズ。しばらくして息を整えた彼女は、あきれたように頭を抱えていたウドゥンに言葉を投げた。
「ウドゥン! お前がこいつをトリニティに入れたのか?」
「……そうだ」
「それならちゃんと教えとけよ。私には誰も勝てないってな!」
リズは自慢げでもなく、まるで常識を説明するように断言した。実際、彼女にはそう言い切れるほどの実力がある。PvP大会の最高峰であるS級トーナメントを圧倒的な強さで優勝し、全サーバーで初めて《ナインスギルド》に上り詰めたトリニティのギルドリーダーであり、最強のプレイヤーの名を欲しいままにしていた、あの【太陽】リズなのだから。
しかしウドゥンは達観したように大きく息をついた後、ゆっくりとリズに向き合った。そして彼の目が銀色の瞳を捉えると、しばらくの間無言で見つめ続ける。
長く続いた沈黙の意味を読み取ったリズが、ようやく表情を真剣なものへと変えた。
「まさか、お前まで勝てるっていうのか?」
「……リゼは『お前を超える才能を持つ奴』だ」
「……っ!」
リズが豆鉄砲でも喰らったような表情に変わる。その言葉の意味を、彼女はすぐに気が付いたのだ。それは昔ウドゥンが、新人をトリニティに入れる条件として、冗談交じりに話していた言葉だった。
リズはしばらく固まっていたが、やがて手を顔に当て、再び声を上げて笑い出した。
「ぎゃはははは! あは! あはははは!」
げらげらと腹を抱えるリズ。足をばたばたとさせ、子供のように笑い転げる彼女の姿を、ウドゥンとリゼはじっと見つめていた。
「そうかそうか。なんでリゼ、お前がウドゥンの隣にいるのか不思議だったんだが、そういうことか!」
リズは息も絶え絶えと言った様子で机に突っ伏しながら言う。その様子は今回初めて見せた、彼女の無防備な笑いだった。
しばらくして顔を上げた時、そこには獰猛な猛禽類を連想させる、寒気のする鋭い笑みを浮かべたリズがいた。
「リゼ!」
「……はい」
椅子を蹴って立ち上がり、リズはぐっと顔を近づける。
「一対一のソロマッチでいいんだな」
「そうです」
「言っておくが、手加減なんかしないぞ」
「はい」
「今でこそ私はリズの意識を保っているが、実際は壊れた黒騎士だ。もしも負けたら、他の連中と同じような目にあうかもしれないからな」
「……構いません」
淡々と答えるリゼの決意を確認すると、リズはにやりと口元を緩めた。
「よし」
彼女は机を強く叩き、リゼとウドゥンを順に見渡してから言った。
「円形闘技場に行くぞ!」




