8. ギルドホームにて
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しばらく黙り込んでいたリズは、やがて言葉を選びながら喋りだす。
「……よくわかんねーけど、やっぱり私がこうなってるせいなのか?」
「いや、おそらく関係無い。お前は去年のクリスマスイブに、交通事故で死んだんだ」
「クリスマスイブ……あー、じいちゃんちに行く途中か」
「あぁ。あの黒騎士狩りをした、あの日だ」
リズはそこまで聞くと、うんうんと頷き、手を叩いて笑い出した。
「なるほどなるほど。だから私の記憶はイブまでしかないのか。あは! 納得納得。そっか、私、死んじゃってたかー」
それは予想していた反応とは違った。もっと愕然とすると思っていたウドゥンは、他人事のように言う彼女の様子に思わず眉をひそめてしまう。
「……そんなに驚かないんだな」
「ん。まあな」
リズは一呼吸置き、大きな仕草で椅子に座りなおした。
「こんな目にあってるんだ、ある程度は覚悟してたさ。ただ交通事故っていうはの少し予想外だったな」
「お前は今、自分がどういう状態なのか自覚はあるのか?」
ウドゥンの質問に、彼女はきょとんとした様子で首をかしげた。
「うーん。正直なところ微妙なんだよな。まとめて話すのはむずいから、起きたことを順に話していいか?」
「勿論だ」
「それじゃあ……その前になんか飲み物ある?」
「あ、それなら――」
リゼがすぐにパネルを開き、いつも持ち歩いている紅茶を人数分、実体化させた。
「ありがとう。リゼ」
「あっ……」
自己紹介をする前に名前を呼ばれ、リゼは驚いてしまう。その表情に気がついたリズは、にんまりと嬉しそうに笑った。
「あは! 知ってるよ。ファナとの準決勝、惜しかったな」
「ありがとうございます。見ていてくださったのですね」
「いや? 実際に戦ってたんだよ。ファナとしてな」
「えっ……」
なんでもないように言ったその言葉にリゼはぽかんとしてしまう。そんな彼女の反応に、リズはげらげらと笑い声を上げた。
「ぎゃはは! いい反応だ!」
「……お前、やっぱり他人の記憶があるのか?」
ウドゥンが低い声で聞くと、リズは息を整えてからそれに答える。
「まあな。その辺りも聞いて欲しいんだけど、とりあえず最初から話すか」
彼女は記憶をたどるように、一瞬視線を上に向けた後、ゆっくりと話し出した。
◆
「黒騎士を倒してログアウトした後、気が付いたらまた空中庭園に居たんだ。ログアウトしたはずの場所とは別の場所だったがな」
「……入り口じゃなかったってことか」
「そういうこと。お前と別れた転移陣のそばじゃなかった。正確な場所は忘れちゃったけど、一つ目の浮島のどっかだったよ」
リズが最後にログアウトした場所がミシラ空中庭園の入り口である。ウドゥンは実際にログアウト操作を見送っていたため、確実だ。
「なんでログインし直したのかわからなかったし、場所も変だったから不思議に思ったけど、とりあえず早くじいちゃんち行かないといけなかったから、すぐにもう一回ログアウトしようと思ったんだ。だけど――」
リズは椅子に腰かけたまま、右手を小さく振って見せる。それを見て、リゼは小さく息を飲んだ。
リズがしてみせたのは、目の前にメインメニューを表示させる仕草だった。通常ならばすぐにメインメニューを伴ったパネルが出現するはずだ。しかし仕草を何度繰り返しても、彼女の前には何も表示されなかった。やがて彼女は小さく溜め息をついて、やれやれと肩をすくめた。
「この通りダメだった。メインメニューが出せないんだ。びっくりしたぜー。びっくりしすぎて、一瞬異世界にでもトリップしたのかと思ったよ」
リズはくすりと笑みを浮かべる。その表情は懐かしささえ感じてしまう、冗談なのか本気なのか読み取りづらい、いつも通りの彼女だった。
「しかしまあ、まじめに考えれば何かのバグだろうと思ってな。とりあえず街まで戻れば何とかなるかと思って移動したんだ。なぜかショートカットも出来なかったから、一つずつエリアを遡ってね。ただその途中、おかしなことに気が付いた」
「おかしなこと?」
リゼがきょとんとして聞き返す。先程から黙って聞くウドゥンの代わりに、リゼが相槌を入れていた。リズもまた、聞き返してきたリゼに視線を向ける。
「これだよ」
リズは手にしたカップを顔の前まで持ち上げた。彼女は先程ふるまった紅茶を、すでにほとんど飲みかけていた。しかしリゼにはその行為の意味が分からず、首をかしげてしまう。
「これ、恰好で飲んでるわけじゃないんだぜ?」
「……まさかお前」
ウドゥンが小さく息をのむと、リズはにやりと笑みを浮かべた。
「あぁ。本当に喉が渇いているんだよ」
「えっ?」
思わず聞き返してしまったリゼに、リズはもう一度言い直した。
「だから、今の私は実際に喉が渇くし、腹も減るんだよ」
おどけるような口調だった。ナインスオンライン内の食品は、味や匂いこそ感じることができるが、実際に食べても現実に喉が潤ったり腹が膨れたりなどはしない。しかしリズは今、自分は空腹感を感じるのだと説明したのだ。
「喉が渇くのはこういうアイテムで誤魔化せるから大したことないんだがな、腹が減るのは耐えられなかった。なぜかゲーム内の料理を食っても、全然腹が膨れないんだから」
「それじゃあ……一体どうしてたんですか?」
「そりゃ我慢してたのさ。ぐーぐー腹を鳴らしながらな。ぎゃはは!」
げらげらと大口を開いて笑うリズの姿を、ウドゥンとリゼは真剣な表情で見つめていた。
「だけど、やばかったのはその後だ。アルザスの街に向かう途中でプレイヤーに出会ったとき、我慢できなくなった」
「我慢?」
「あぁ。知らないやつだったが、突然我を忘れて、そいつに襲いかかったんだ」
彼女はアルザスに戻る途中に出会ったプレイヤーに襲いかかり、一瞬で相手を倒してしまった。戦闘中の記憶はほとんど残っていないらしく、その際自分の意識は消えていたようだと説明した。
「気がついた時には、そのプレイヤーはいなくなってた。最初は何が起きたのかさっぱりわからなくて困ったよ……おかわりいいか?」
「あっ、はい」
そこまで話すと、彼女は紅茶のお代わりを所望した。リゼが新しい紅茶を注ぐ間も、彼女は肘をついて顎を手に乗せ、だらけた格好で話を続ける。
「確信したのは次にプレイヤーと出会った時だ。今度こそ話しかけようと近づいたら、また意識が途切れた。そして気がついたらやっぱり、目の前からそいつは消えていたんだ。ただその時は、前と違ってこんな物を手にしてたがな」
彼女はそう言って、右手をテーブルの上に差し出す。天井に向けて開かれた黒手袋の掌から、真っ黒な刀身を持つ不気味なレイピアが実体化した。植物が成長する様子を、早送りで見ているような不自然さで出現した漆黒のレイピアが、からんと乾いた音をたててテーブルに転がった。
「これは……」
「あぁ。見たこともないレイピアだろ? これを持ったまま意識を取り戻したんだ。右手に残る、不快な手ごたえと一緒にな」
「それって……」
リゼが少しおびえたような表情になる。
「あぁ。私はそいつらに対し、無意識にPKを仕掛けた。そして自覚が無かったが、その時に死亡したプレイヤーを喰ったんだ」
「喰った……だと?」
「おそらくな。空腹感が薄れる代わりに、知らない記憶が頭の中に混じってた。説明するのが難しいけど、とにかく吐き気のするような感覚だったぜ」
口では吐き捨てるような口調を言ったが、リズは何でもないようなおどけた表情のまま続ける。リゼはこの時になってようやく、リズの普段通りに見える表情は、彼女なりのポーカーフェイス――強がりなのだと気がついた。
「その時理解したよ。この空腹感は、他人をPKして、その記憶を奪うことで満たされるんだって。そして同時にやばいと思った。いまの私は、まともな状態じゃないってな」
信じがたい話だった。ゲーム内に取り込まれただけでなく、空腹感や口渇感を感じ、なおかつそれらは、プレイヤーをPKすることで満たされてしまう。
さらにそれは、黒騎士という存在が存続するために必要なことだとリズは説明した。
「その時は感覚的にだったけど、この空腹感を放っておいたらやばいってことも理解してた。実際にどうやばいかは、後で知ったんだけどな。まあ、何はともあれ腹は膨れたから、とりあえず最初の目的どおりアルザスの街に向かったんだ」
「……その格好のまま来たのか?」
ウドゥンが質問をはさむ。今の彼女は独特な形状をした、漆黒のワンピースドレスを着ていた。その上で黒騎士としては、常に不気味に笑う真っ白な仮面を被っている。様々な装備が実装されているナインスオンラインだったが、眼を引く服装である事には間違いなかった。
「まあ、別に着替える必要もなかったし。その時はこれを使ってたから、服装なんてどうでも良かったしな」
「これって……えっ?」
次の瞬間、リズは目の前から消えていた。真っ白い肘掛け椅子に腰掛けていたはずの彼女の姿は、瞬きする間に消えてしまったのだ。
「……『不可視』か」
「そういうこと」
何も無い場所から返事がした。そして音も無くリズは再び姿を現す。続けて目の前で姿が見えたり見えなかったりを繰り返され、リゼは非現実感に目を点にしてしまった。
「なんでこんなスキルを持ってるのかわからないけど、こいつのおかげで誰にも気づかれずに移動できたよ」
完全に透明となってしまうスキル・『不可視』。クーネが持っていたこのスキルは、元々黒騎士が持つスキルだったのだとリズは説明した。
「アルザスの街まで歩いて帰る間、暇だったから色々試してみたんだ。そうしたら実は、いくつかのショートカットなら使えることが分かってな。それでこの身体のステータスも確認できたんだけど、これが笑えるぜ」
彼女が少し複雑な仕草をすると、目の前に真っ黒なパネルが出現した。所々文字化けはしているものの、それは確かにステータス画面のようだ。しかし彼女のステータス画面は、一般的なプレイヤーのそれとは随分と仕様が違った。
「……なんだこのスキルの量」
思わずウドゥンが眉をひそめる。そこには本来9つまでしか習得できないはずのスキルが、ウィンドウをはみ出してまで羅列してあったのだ。その数は、三桁は軽く超えていた。
「この中には見たこと無いスキルもいっぱいある。隠密スキルの『不可視』に、ドロップ率が激高になる『幸運』もそうだ。ようするにこの身体はすべてのスキルを習得済みだし、あらゆる武器が意識するだけで取り出せる。まったく、スペックだけみれば完全にチートキャラだな」
「この中の一つが、『バックアップ』だったわけだ」
ウドゥンがパネルを見つめながら聞くと、リズはこくりと頷いた。
「そういうこと。見たこと無いスキルだったから、ためしにそこら辺を歩いてた黒猫に使ってみたんだ。その時は何も考えてなかったけど、結果的にファインプレーだったな」
「……なるほど」
スキルを使用した直後は、何が起きたのかさっぱり分からなかったという。しかし先日、黒猫が目の前に現れ、彼女の影に溶け込んだときにスキルの効果が発動した。その時はまだ正常だった保存で、リズは先日の大規模戦闘で我を取り戻すことができたのだ。
大まかには、ウドゥンの予想は当たっていた。あまり深く考えてやったことではなく、結果的にうまくいったというところも、彼女らしいなとウドゥンは苦笑いした。
「話がそれたな。えっと、何処まで話したっけ」
「アルザスまで、歩いて帰った辺りまでだ」
「あぁ! そうだったそうだった」
リズはふんふんと、鼻歌でもうたいそうな雰囲気で続きを語りだした。
「それでアルザスの街に辿り着いてからも大変だったんだよ。なにせギルドホームを探したんだけど、見つからなかったんだからな」
「えっ? どうして?」
リゼが首をかしげる。一方でウドゥンは、納得したように頷いた。
「……そういうことか」
「あぁ。まったく、その時は思いも寄らなかったよ。まさかここが半年も時間が経った世界で、その間にセウが32番街に酒場を作って、ついでに工房もギルドホームも32番街に移っているなんてな」
「あっ……」
リゼがはっとして口に手を当てる。彼女は先程、去年の年末までしか記憶がないと言っていた。一方で今、彼女が語る内容の時期は、エレアやキャスカから得た話から裏付けると、今年のゴールデンウィークだ。
セウイチはその間に、セリスと2人で32番街に酒場を開いた。ウドゥンの工房も、そしてトリニティのギルドホームも同時に32番街に移転していたのだ。勿論彼らはリズに対してメッセージを送っていたが、しかしそれは黒騎士となってしまったリズにまでは、届いていなかった。
その為リズは、アルザスの街でギルドホームを見つけることが出来なかったのだという。
「わけがわからなかったぜ。いつもの場所に、お前らがいないんだからな」
「……それは悪かったが、誰かに尋ねるなり、冒険者ギルドで検索をかけるなりはしなかったのか?」
ウドゥンが低い声で聞くと、リズは小さく首を横に振った。
「勿論しようとしたさ。ただちょっと、問題があってな」
「どういうことだ?」
「……しばらく街を歩いていたら、また腹が減ってきたんだ。気づいたら目の前のプレイヤーに襲い掛かりそうになってた。もうすでに襲い掛かったら意識が飛ぶってことはわかっていたからな。その時の絶望感と恐怖といったら、半端じゃなかったぜ」
彼女はぐいっと残った紅茶を一気飲みにした。おかわりをしようかとリゼが目線を送ると、リズは笑顔で頷く。
「ありがとう。それで、このまま街にいたらやばいと思ってな。フィールドエリアに逃げ帰ったんだ。いま考えてみれば、それが一番の失敗だったかもな」
リズがアルザスの街に居た時間は、ほんの一時間ほどだった。それ以上街中に居れば、黒騎士の本性が姿を現していたという。それまでに出会ったプレイヤー達へ行ったように、無意識にPKを仕掛けてしまうことを恐れた彼女は、とにかくプレイヤーのいない場所を目指した。
「とにかくプレイヤーがいないエリアに行こうと考えたんだ。襲わないようにな。でもフィールドを移動する間もどんどんと腹が減って、本当にどうしようかと思ったよ」
「それじゃあ、その空腹感はずっと我慢してたのか?」
ウドゥンが聞くと、リズは首を横に振った。
「それがな。実はモンスターを倒してみたら、なぜか少しだけ腹が膨れたんだ」
「なんだそれ」
ウドゥンが眉をひそめる。しかし当のリズ本人も、よく分からないといった様子で肩をすくめていた。
「しらねーよ。ただ敵を倒せば腹が膨れるし、気も晴れたから、人のいないことを確認しては適当にモブを狩ってたんだ。勿論ドロップ品は拾えないし、スキルは上がらないしで、ゲーム的にはすっげー無駄な戦闘だったけどな」
「……」
彼女は今、アイテムを拾うことができないと言った。それはつまり、彼女が空腹感を抑えるために雑魚モンスターを掃討した後には、大量のドロップ品が放置されてしまうということだ。
どうやら一時期サーバーを騒がせたドロップ散乱事件には、彼女が撒き散らしたドロップ品も関係しているということに、ウドゥンは気がついた。
「……お前が散らかしたドロップ品で、ノーマッドが一騒動起こしたんだ」
「へぇ、どんな?」
「ドロップ品を散乱させておいて、油断して拾いにきたところを背後から襲い掛かる。そんな感じのダサい作戦だよ」
「そうか、くくっ! セシル達も相変わらずだな」
リズは愉快そうに笑う。セシル達が見かけたという、ドロップ品が散乱したまま放置されていたという場面は、彼女によって作り出されたのだろう。事件当時には分からなかったことが、リズの今の話で繋がった。そして、もう一つ謎だったことも。
「そして、そんな調子でウルザ地底工房に引き篭もっていたら、アクライと出会ってしまったわけだ」
意識不明者の一人であるアクライは、クリムゾンフレアが攻略中だった8thリージョン・ウルザ地底工房において黒騎士となり代わったと考えれらていた。なぜそんな場所で襲われたのか疑問に思っていたウドゥンだったが、いまの説明で納得した。リズはプレイヤーが居ないエリアとして、最高峰の難易度を誇る8thリージョン・ウルザ地底工房に逃げ込んでいたのだ。
彼女はこくりと頷いた。
「8thリージョンならウドゥンとセウ、トリニティ以外誰も来ないと思って油断してた。まさかクリムゾンフレアまで《エイスギルド》になってるとはね」
リズが苦笑いを浮かべながら言う。彼女の記憶では、8thリージョンに足を踏み入れる事ができるのは、唯一の《ナインスギルド》であるトリニティだけだ。しかしそれは、半年も前の状況だった。
「今はインペリアルブルーも《エイスギルド》だよ。つかお前、黒騎士として最初に倒したのはインペリアルブルーの連中のはずだから、分かってたんじゃないのか?」
キャスカ達インペリアルブルーがミシラ空中庭園で全滅したのが、知る限り再生した黒騎士による最初の事件だ。同じく8thリージョンであるはずのミシラ空中庭園に彼女達がいたことを考えれば、ウルザ地底工房にもプレイヤーが来ることは予想できたはず。
しかしリズは、きょとんとした様子で首をかしげた。
「インペリアルブルー? 何のことだ?」
「……覚えていないのか」
彼女はその時の記憶が残っていないという。ウドゥンはその時、彼女が記憶を残している人と残していない人の相違点に気がついた。
黒騎士にPKされたプレイヤーには、意識を失ったプレイヤーと、失わなかったプレイヤーがいる。どうやらその中で意識を失ったプレイヤーだけが、リズの記憶として保存されているようだ。
そのことを説明すると、彼女は表情を暗くした。
「……いまの私は、お前が思ってるよりもひどく不安定だ」
「不安定だと?」
「あぁ。例えばな、さっき他人の記憶が残ってるっていったけど、正確にはそうじゃなくて、そいつ自身が私の中にいるんだ」
「……?」
ウドゥンとリゼが揃って首をかしげる。彼女の言う意味が、いまいち要領を得なかったからだ。
二人のそんな反応を見たリズは、小さく指を振った後、そっと目をつぶった。そしてすぐに目を開くと、突然鋭い視線がウドゥンに向けてきた。
「ふふっ! こういうことだよ、黒髪」
「なに……?」
彼女は突然、先ほどまでの明るい口調から、鋭く尖った口調へと変化していた。それはクリムゾンフレアのリーダー、【戦乙女】ファナのものだった。




