5. 河川敷にて
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しばらくの間、2人は河川敷に座ったまま流れる水面を眺めていた。長く続いた沈黙の後、和人がゆっくりと口を開く。
「まあ、確認ができてよかった」
「……そうだね」
それには莉世もすぐに同意した。リズが失踪してから半年以上も経って、ようやく知ることができた彼女の近況。それが最悪のものであれ、何も知らないよりはずっとましだった。
リズ――六条いずなは死んでいる。2人はその事実を受け入れなければならなかった。
「結局、あの黒騎士の正体ってなんなのかな?」
莉世が疑問を投げかける。今回自分たちがここに来たのは、黒騎士からの依頼によるものだ。『六条いずなを探してくれ。そしてナインスオンラインにログインするように頼んできてほしい』――こんなことを頼んできたのだから、なにか理由があるのだとは考えていた。
しかし莉世には、今回知った事実はどのように解釈すればいいのかわからなかった。
「……信じられないような話だが」
和人が低い声で前置きする。彼は今回の黒騎士事件について、その大枠をつかみかけていた。自分自身の考えを検証するように、彼はぼそぼそとしゃべり始めた。
「リズもセウ達と同じく、黒騎士にキャラクターデータの一部を奪われたんだろう。おそらくはミシラ空中庭園での戦闘中にな。ただセウ達と違ったのは、その後でリズ――六条いずなは交通事故で亡くなってしまったこと。そしてこれが、黒騎士事件とは無関係に起きてしまったことだ」
「無関係に?」
「あぁ」
六条いずなは、去年のクリスマスイブに交通事故で亡くなった。一方で今の黒騎士事件が発生し始めたのは、今年の5月以降だった。交通事故という死因も、クリスマスイブという死亡時期も、これまで得た黒騎士についての情報と擦り合わせるとあまりにも唐突過ぎる。
こうなると六条いずなが死亡した交通事故と、今回の黒騎士事件は、およそ無関係だと考えるほうが自然だった。
「確かに六条いずなは亡くなった。一方で半年近く経ったゴールデンウィークのある日、リズのキャラクターデータを媒介に黒騎士が再生した。だけどその際、同時にアイツの人格さえも復元してしまったんだ」
キャラクターデータから中の人の人格を復元などできるわけがないと、和人も少し前まで疑っていた。しかし今回の黒騎士事件で、彼は何度も黒騎士と対峙している。インパクトガードに代表される超人的な動きや、他を圧倒する無類の強さなど、黒騎士はリズと重なる部分が多かった。
そして先日、和人は実際に黒騎士と会話した。その時の黒騎士の声と雰囲気は、完全にリズのそれだと確信していた。
「……それじゃあ、リズさんは――」
「おそらく、黒騎士の中で生きている」
その言葉に、莉世はぱぁと表情を明るくした。
「すごい! 奇跡だよ!」
和人の説が正しいとすれば、現実世界において交通事故で死んだはずのリズが、ゲーム内ではまだ健在だということになる。それは結果だけ見れば、莉世が言うように奇跡以外の何物でもなかった。
しかし和人は暗い表情のままだった。それは彼の考察には続きがあり、その内容が絶望的だったせいだ。
「そんなに綺麗な話じゃない。今回リズ自身が確認してきてくれと頼んできたということは……おそらく今のアイツは、自分がどういう状況に陥っているのかわかっていないんだ」
「えっと……?」
「端的に言うと、アイツは自分が死んでいることに気づいていない」
「あっ……」
莉世ははっとしてしまう。確かに、和人の言う通りだった。
今回、リズの中の人である六条いずなを探してほしいと言ってきたのは、ほかならぬ黒騎士自身である。自身が死んだ後に、ナインスオンラインの世界で復元されたことを認識しているならば、今回自分達にこのような依頼をしてくる理由がない。
「それにもし黒騎士が本当にリズだったら、あいつはすぐにでも俺かセウに相談しに来るはずだろ。それをせずに、アクライになり代わってA級トーナメントに乱入してみたり、大規模戦闘で我を失った様子で侵攻して来たりしてきたってことは、それなりに理由があるはずだ」
「理由って?」
「さあな」
和人はおもむろに立ち上がる。莉世はその様子を、座ったまま大きく首を傾けて見上げた。長身の彼をしゃがんだまま見上げるのは、少し難しかった。
「そこまではさすがにわからない。黒猫の事も含めて、直接本人に聞いてみるしかないな」
「リズさんに? どうやって」
莉世が聞くと、彼は携帯パネルを操作し黒騎士からのメッセージを表示した。そのメッセージには住所を記されたテキストファイルと共に、もう一つのテキストファイルが添付されていた。
和人がそれを開くと、10文字ほどの文字列と共に、短い説明書きが記されていた。
「これって……」
「ナインスオンラインのログインキーだ。この中に書いてあったが、今ナインスオンラインはサービス停止中だが、サーバー自体は起動しているらしい。それで、このログインキーを使えば運営に無断でログインできるってさ」
「え、本当?」
莉世が怪訝な顔をする。しかし和人は淡々と続けた。
「俺も怪しいと思ったが、セシルが言っていた通り黒騎士が元々自律型のAIなら、ある程度システムに干渉することができるんだろ。まあ当てもないし、だめもとで試してみるさ」
冗談っぽく微笑を浮かべながら言う和人に対し、莉世が慌てて立ち上がった。
「私も行きたい!」
「……だめだ」
真剣な表情で見上げてくる莉世に対し、和人は無言で首を横に振る。彼女はびくりと身体を震わせた。
「どうして……?」
「これからやるのは完全な規約違反だ。おそらくログインしてもすぐに運営にばれて、やばいことになる。それに場合によっては黒騎士を……リズを消去するしな」
「え……」
リズを消去する――和人はそう言った。それは莉世にとって、考えてもいない言葉だった。消去するということは、その中にいるリズ、すなわち六条いずなの人格までも失われてしまうのだから。
「リズさんを……消しちゃうの?」
「……今の黒騎士はおそらく、リズやほかのプレイヤーのデータを媒介にして存在している。というのも今回、黒騎士に倒されたプレイヤーの中から意識不明者が続出しているのは、黒騎士にデータを奪われていることが理由みたいだからな」
ファナやアクライ、そしてセウイチなど、いまも意識不明のまま入院しているプレイヤー達は、みな黒騎士に倒された直後に倒れている。それは彼らが倒れた原因が、黒騎士にある可能性が極めて高いことを意味していた。
「どうすればセウ達が意識を取り戻すかわからない。ただ、もし仮にキャラクターデータを奪われたことが原因なのだとしたら、黒騎士を消去すれば元に戻るかもしれないだろ」
「でもそれじゃあ……」
確かに黒騎士を消去すれば、今意識不明になっている人たちは意識を取り戻す可能性がある。しかしそれをすると、黒騎士の中にいるリズの人格は消えてしまうのではないか。莉世はそれが心配だった。それは勿論、和人も考えていた。
じっと見つめてくる莉世に対し、和人は小さく首を横に振った。
「あいつが意識を保っているならば、説得して自らの意思で消えてもらう」
「そんなことしたらリズさんが――」
「それじゃあ、セウ達をあのまま放っておけって言うのか!?」
和人は声を荒らげた。莉世がビクリと身体を震わせて黙りこむ。川原をまばらに歩いていた人々が、突然怒鳴り声を上げた和人に対して何事かと視線を向けていた。
大きく深呼吸をすると、彼はいつも通りの低いトーンに戻る。
「俺が黒騎士と話をつけてくる。もしかしたら、あいつが良い解決法を知っているかもしれないしな」
「……もし、全部ダメだったら?」
莉世は、涙目になりながら聞いた。自身の状況すらわかっていない黒騎士が、今の状況を解決する方法を知っているとはとても思えない。自分でも気づけるこんな簡単なことに、気づかない和人ではないことは、莉世はよく知っていた。
つまり彼には、もうすでにこの事件の結末が見えているのだ。
「そうなったら、俺があいつを倒してやるよ」
そう言いきる彼の目は、覚悟を決めたときのそれだった。今回の事件、おそらく何もしなくても、時間さえたてば黒騎士は運営側によって消去されるだろう。そうすればセウ達は意識を取り戻し、何事もなかったように運営はサービスを再開するはずだ。今回の事件で懲りた運営は、今度こそ本気で黒騎士の消去に力を注ぎ、それまではサービス再開など絶対にしないはずなのだから。
しかし和人は我慢できなかった。黒騎士の本当の正体を知らなければならない。六条いずなを探すという依頼にも応えないといけない。そしてなにより和人自身、もう一度リズと会って話がしたかったのだ。
その為に彼は規約違反を犯してでも、もう一度ログインしようとしていた。
「柳楽君」
莉世が和人の名を読んだ。彼が無言で見つめ返すと、彼女は震える声で言った。
「私とリズさんが戦ったら、どっちが勝つ?」
「……なに?」
その思いもかけない質問に、和人は困惑した。




