4. 一つの真実
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和人と莉世が目的地に到着したのは、すでに正午を大きく回っていた。
数時間、電車を乗り続けて着いたその街は、2人の住む街よりずっと大きな街だった。そこから2人は、さらにバスと徒歩を使ってメッセージに書かれた住所に移動した。辿り着いた場所は、ごく普通の住宅街の一画だった。
「ここみたいだね」
「……あぁ」
「どうしよう……? とりあえずインターフォン押してみる?」
「そうだな。それ以外方法が――」
「あら」
目的の家の前で、どうしようかと話し合っている2人に、声をかけてくる女性がいた。そこまで若くはないが、温和そうな雰囲気の女性だった。
「私の家に、何か御用ですか?」
「あ、こんにちは。突然申し訳ございません。私達、六条いずなさんを訪ねてきたのですが」
突然話しかけられ固まってしまった和人に代わり、莉世が笑顔で応対する。いずなの名前を出すと、女性は安心したように微笑んだ。
「あら、あの子の知り合いだったの?」
「えっと、そうです」
莉世の丁寧な応対に対して、彼女はいずなの母親だと名乗った。
「そう。わざわざありがとう。どうぞ、上がって。あの子も喜ぶわ」
彼女は特に訝しむ様子もなく、2人を家のなかに招いた。
◆
目の前の写真に写る人物は、八重歯がよく似合う女性だった。冬用の紺のセーラー服と茶色の瞳、そして長い黒髪以外は、いつも一緒に居たリズの姿と瓜二つだった。
彼女は今、色あせない写真の中で、いつまでも明るい笑顔を振りまいていた。
「……」
和人は、その写真の女性を呆然とした様子で見つめていた。
何が起きているのか、理解できなかった。いずなのところに案内すると言われて通されたのは、居間ではなく畳敷きの仏間だった。そして部屋の一部に置かれた仏壇の中で、彼女は楽しげに笑っていた。
和人はやがて、その意味に気が付いて愕然とした。
六条いずなは、すでにこの世にいなかったのだ。
「柳楽君……」
莉世が心配そうに声をかける。生気の抜けた表情をみせる和人に向け、いずなの母親もまた心配そうな表情で聞いてきた。
「あの……もしかして、娘が亡くなっていることを知らなかったのかしら?」
「あ……私達、実は……」
呆けたまま写真を見つめ続ける和人の代わりに、莉世が事情を説明する。いずなとはオンラインゲームで知り合いだったこと。最近、いずながゲームにログインしなくて心配していたこと。そしてあるつてからこの場所を教えてもらったので、2人で訪れたことなどを端折りながら説明した。
事情を聞いた母親は、納得した様子でうなずいた。
「そうですか。あのゲームのお友達でしたか」
「あの、失礼ですが……いずなさんはいつ頃お亡くなりになったのでしょうか」
「もう半年前になります。去年のクリスマスの頃に、交通事故で……」
いずなの母親が少し辛そうな表情に変わる。莉世がすぐに、嫌なことを思い出させたと謝罪した。
「すいません、思い出させてしまって」
「いいえ……ゲームの中の人たちにまで訃報を伝えるのは思いつかなかったわ。あなた達には申し訳ないことをしました。ごめんなさいね」
いずなの母親は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
現実世界で人が亡くなれば、少しでもつながりがあるものにはその訃報は伝わる。しかし本名もわからないネット上では、それがなかった。リズが突然失踪したのは、本当に現実世界で亡くなってしまっていたことが理由だったのだ。
しかしその原因が交通事故だと聞いて、莉世は少し疑問に感じた。
その時、固まって立ち尽くしていた和人が、ゆっくりといずなの母親へと身体を向けた。
「すいません……クリスマスの頃とおっしゃいましたが、正確には何日ですか?」
「えっと、24日の夜です。近所に住んでいる祖父に晩御飯に呼ばれていまして、その道中で大型車に……」
24日といえばあの日のことだと、和人はすぐに気が付いた。リズがミシラ空中庭園で黒騎士を倒し、慌ててログアウトしていった日。それは和人にとって、忘れられない日だった。
「その日の夕方……いずなさんが家を出る直前まで、俺は彼女と話をしていました」
和人が消え入るような声で言うと、母親は少し驚いたように目を見開いた。
「まあ、ゲームの中で?」
「はい。いずなさんはその日……その日も楽しそうにゲームをプレイした後、用事があると言ってログアウトしていきました。何か楽しみなことがあると言っていたのが、ゲーム内で最後に見た彼女の姿です」
「そう……そうですか」
もう半年以上も前に亡くなった娘の、これまで知らなかった最後のやり取りを聞いて、母親は思わず目頭を抑えていた。
「あの子は本当におじいちゃんっこで、クリスマスは毎年プレゼントをせがみに祖父の家に行くのが恒例だったんです」
懐かしさと思い出に涙を溜めるいずなの母親だった。
和人は視線を横に向け、仏壇の写真を見つめる。そして写真に向かって体を向け直すと、手を合わせて目を閉じた。作法など何もしらない彼だったが、とにかくやみくもに手を合わせて祈った。
後ろにいた莉世もまた、和人にならって目を閉じた。
◆
「突然押しかけてしまい、申し訳ございませんでした」
冷静さを取り戻した和人が、いずなの母親に向かって頭を下げた。彼女は首を振りながらそれに答える。
「いいえ。わざわざ訪ねにきてくださって、あの子も喜んでいると思います。本当にありがとう」
「はい。それでは失礼します」
「失礼します」
玄関先まで見送りにきた母親に何度も頭を下げながら、2人はいずなの家を後にした。駅までは大通りに出てバスに乗らないといけない。それまでの道中、街を流れる大きな河川沿いを、二人は無言で歩いていた。
時刻は夕刻前。じりじりと蒸し暑い夏の日だったが、彼らはその暑さを気にする余裕すらなかった。特に和人の方は、魂の抜けたような様子だ。そんな彼の様子を心配しながら、莉世は無言で歩幅を合わせ、隣に寄り添っていた。
やがて和人が、突然立ち止まった。
「柳楽君?」
「……ちょっと座っていいか?」
莉世がうなずくと、彼は河川敷に降りていった。そして適当な地べたを選んで座り込むと、右手で頭を抱え、大きくため息をつく。そのまましばらく、彼は焦点の定まらない瞳で、流れる川の水面を見つめていた。
莉世がゆっくりと彼の隣に座る。そして和人と同じように、ぼーっと流れる川を見つめることにした。
向こう岸までは50メートルほどだろうか。整備された河川敷には夏休みを楽しむ子供達が走り回り、元気な声でじゃれあっている。間を緩やかに流れる川面は、ひどく蒸し暑い夏の空気を少しだけ和らげてくれていた。
「もしかしたら……って思ってた」
前触れもなく、和人はつぶやいた。莉世がゆっくりと間をとって、聞き返す。
「リズさんのこと?」
「……リズが失踪したのは、現実世界で何かあったんじゃないかって」
彼が最後に見たリズは、ナインスオンラインに飽きた様な雰囲気には見えなかった。事実黒騎士を倒し、正体について何か分かったと言ったすぐあとに失踪してしまったのだから、いくらなんでも不意すぎる。和人はそのことが、ずっと気になっていた。
リズはゲームに飽きたのではない。そう考えると、彼女がナインスオンラインにログインしなくなった理由は何なのか。もしかしたら、意図せずにゲームができない状況に陥ってしまったのかもしれない――仮にそう考えたときに、その理由としてもっとも簡明で安易な結果が、現実に起きていたのだ。
「もしかしたら、リズの中の人に何かあったんじゃないかって考えた。でもそれは、考えちゃいけないことだとも思った。だから飽きただけで、しばらくすればアイツ、勝手に帰ってくるだろって考えるようにしてたんだ」
彼の声は少しだけ震えていた。その言葉は莉世に向かってと言うよりは、自分自身に言い聞かせるような口調だった。それでも莉世は、視線を川面に向けたまま相槌を打つ。
「……黒騎士事件を追いかけたのも、リズがそれに関係していると思ったからだ。追いかけているうちに、リズの奴がひょっこり帰ってくるんじゃないかって」
それはなんの根拠もない、自己的で楽観的な考えだと、和人自身よく理解していた。しかしそれ以外、彼にはリズに繋がる手がかりがなかったのだ。お互いがゲーム内にログインしている時だけの関係だった彼らは、片方がログインしなくなった時点で、すべての繋がりが切れてしまったのだから。
「それが今回の事件や、セシルから聞いた黒騎士の話で、希望が湧いてきていたんだ。あぁリズは生きているって。だけど――」
リズは黒騎士に取り込まれて、意識を失ってしまっているだけ。だからこの黒騎士事件を解決すれば、彼女は戻ってくるはず――和人はそう考えていた。しかし今回のことで、それは絶対に叶わぬ願いだったと分かってしまったのだ。
「あの日からもう、リズはいなかったんだな」
「……」
和人が言うあの日というのは、リズが失踪した日だろうと莉世は思った。いずなの母親との話から察するに、それは去年のクリスマスイブのことだ。
その日から彼は、ずっとリズが戻ってくる時を待っていた。それは莉世も良く知っていた。彼女がこれまで見ていた限り、和人はリズが帰ってくることを疑う素振りなど、一切見せなかったのだから。
「リズさんと……最後に何を話したの?」
「……別に大したことじゃない。慌ててログアウトしようとするあいつに『彼氏でも待ってんのか?』って聞いたら、げらげらと笑いながら『まあそんなもんだ』って答えられたよ。なにがそんなもんだ。じいちゃんちに行くだけじゃねーか」
言いながら和人は、自嘲するように笑った。
「そんな言葉に半年も悶々としてた俺がバカみたいだ。くそ、あのやろー」
「……」
莉世はかける言葉が見つからなかった。明るく振舞おうとする和人の言葉の端々から、余計に彼の動揺が透けて見えてしまい、それがひどく痛々しく見えてしまった。一緒になって笑ったほうがいいのかとも思ったが、それもどうかと思い直す。
「笑える話だ。好きだって気がついた時には、相手はもうこの世にいなかったんだからな。まったく、そこまでして俺をおちょくりたいのか、アイツは」
和人はひきつった笑顔で、吐き捨てるように言った。




