3. 自分にできること
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翠佳は大きくため息をついてから切り出した。
「やっぱり柳楽君、落ち込んでるわね」
「あっ……はい」
莉世もその言葉に同意する。和人は見た目には普段通りだが、いつもよりもずっと沈んだ様子だったことに彼女は気がついていた。それは翠佳でさえ気が付くほどに、明らかな違いだったようだ。
「前に、あんな状態の柳楽君を見たことがあるの」
「前?」
「そう。今年の1月頃かな。私がナインスオンラインを始めた頃ね」
「えっと、翠佳先輩。そんな時期に始めたんですか?」
莉世が思わず驚いた様子で口に手を当てた。今年から大学に通い始めている翠佳が、その時期は大学受験で最も忙しかった時期だと、すぐに気がついたからだ。
「そうよ。受験もあったし、もともとやる気なんかなかったんだけど、ちょっと色々あってね」
「色々……ですか」
翠佳はこくりと頷き、莉世に座るように手招きした。彼女が椅子に座ると、翠佳は気を取り直して話を続けた。
「さっきの話にも少し出てきたけど、トリニティにはリズっていうプレイヤーがいたの。そのリズさんは去年の年末頃に、突然ナインスオンラインからいなくなった。その後の博は本当にひどい状態で、とても見ていられなかったわ」
あの陽気なセウイチがひどい状態というのは、莉世にはあまり想像できなかった。どうやら翠佳が言うに、落ち込んでなにも手につかなくなってしまったそうだ。
「受験日は目の前だっていうのに、一日中ぼーっとしていたから、まずいと思ったの。なんとか元気を出してもらわなくちゃと思って、色々試してみたけど、一番効果があったのが、私がナインスオンラインを始めたことだったわね」
「下村先輩を元気づけるために始めたんですね」
「それに柳楽君もね。それまではあまり興味が無かったんだけど、博と柳楽君に頼んで、一緒にプレイしてもらったの。まあ、すぐに彼らの変態プレイに耐えきれなくなって音を上げたけどね」
「あはは……」
あきれたように話す翠佳に、莉世も思わず苦笑した。確かに彼らの戦い方は独特で、あまり初心者向きとは言えない。自分も色々な場所で戦闘に慣れさせられていたからこそ、トリニティ式の戦闘に適応できたが、いきなりあの戦闘にぶち込まれたら大変だろうと莉世は思った。
「まあとにかく、私がナインスオンラインを始めたら、博も少しだけ元気になってくれたの。それで受験は、終わってから一緒に酒場を開く約束をして乗り切って、合格してから2人でセウイチの酒場を開いたのよ」
セウイチの酒場は、意外と新しい店なんだとリゼは感心した。
「それからは莉世、あなたの知っている通りよ。博は酒場プレイが楽しくなってきてトリニティから離れた。でも一方で柳楽君は、トリニティに居続けた」
「……」
出会った頃の和人は、今よりずっと無愛想で、当たりが強いときも多かったことを莉世は思い出した。誰もいなくなってしまったトリニティで、彼は1人、ずっと落ち込んでいたのだ。
「でも、最近の柳楽君は楽しそうだったわ。それはあなたのお蔭よ」
「そう……なんですか?」
莉世が自信なさげに聞き返す。彼女が最初に和人と出会った時、彼は見知らぬ自分に道案内をしてくれた。さらに失敗しかけていたクエストをクリアする為に、深夜までレアドロップ狩りを手伝ってくれたりもした。莉世はその時、彼に作ってもらったうさぎのペンダントを、今でも大切に使っている。
その後のナインスオンラインでの生活は、莉世にとってとても素敵な体験だった。色々な人とフレンドになれたし、様々なコンテンツに挑戦させてもらった。特に莉世は、ウドゥンの工房でまったりと生産をして過ごす時間が大好きだった。
でもそれは、自分だけが楽しかったのではないかと、莉世は時々考えていた。
「私は柳楽君に……いろんな人に迷惑をかけてばかりだから……」
ナインスオンラインをプレイし始めて、2か月以上が経つ。これまで本当に迷惑ばかりかけながら、和人も含めた色々な人に助けられてプレイしてきた。今こうして一つ一つ内容を思い出すと、恥ずかしくなってしまうほどだ。
大規模戦闘では自分のミスで32番街の多くの人に迷惑をかけたし、絶対優勝すると宣言して和人やシオン達にサポートしてもらったA級トーナメントは準決勝でファナに負けてしまった。戦闘技術を教えてくれたキャスカにもお礼ができていないし、なにより今回の黒騎士事件では、自分は何一つ役に立てていなかった。
しょんぼりと落ち込む莉世に、翠佳は優しく言う。
「大丈夫よ莉世。昔、博が言ってたけど、MMOっていうゲームは迷惑をかけてかけられてが当たり前なんだって。初心者は経験者にいろいろと教えてもらって、経験者は初心者と一緒に新しい気持ちでプレイする。どっちもが楽しめることが、一番理想的なのよ」
「あ……」
莉世は昔、和人から似たような言葉を言われたことを思い出した。
彼は初心者が苦手だという話を聞いたが、実際は随分と自分に良くしてくれた。彼としてはそれは、いつか言っていたように自分の目的――トリニティとして9thリージョンをクリアするための布石という意味が大きかったのかもしれないが、それでも自分は、楽しかったし、嬉しかったのだ。
その気持ちだけは、間違いなかった。
「だからね、莉世。今は柳楽君についておかないとダメよ。貴方の為にも、なにより柳楽君の為にもね。今回はきっと、貴方の力が必要になるから」
手をとって力強く言ってくる翠佳を、莉世はぼうっと見つめ返す。自分が和人の力になれるのかと考えると、全然そんなことは無い気がしてしまう。こんな自分が、彼にしてやれることはあるのだろうか。莉世はその自問に、すぐには答えられなかった。
だけど――
「私にできることを……考えてみます」
莉世は翠佳の顔を見つめたまま、ゆっくりと頷いた。




