2. 談話室にて
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「とりあえず、何が起きたのかを詳しく教えてくれるかな」
自販機で買ったコーヒーを片手に、翠佳が切り出してきた。しばらく下村の病室にいた三人だったが、今は談話室へと移動している。その場で翠佳に、いま知っている黒騎士事件のあらましを説明することにしたのだ。
今回の意識不明事件の原因は、シヴァと呼ばれる自律型モンスターであること。黒騎士のメカニズムや、再起動した理由は不明だが、実際にファナやアクライを始めとしたプレイヤーの意識を奪っていること。翠佳と別れた後に、黒騎士がインベイジョンに姿を現したこと。そして三人でそれに挑み、負けたこと――
和人がそこまで話し終えると、翠佳は大きく息を吐いた。
「なんだか、信じられないような話ね」
「俺もそう思います。ですが、実際に下村先輩は意識不明に陥った。これはもう、黒騎士が原因なことは確実でしょう」
和人が淡々と言う。彼は話しながら、電子パネルを開いてメッセージを確認していた。
「それにクリムゾンフレアのヴォルやカストロ、それにリルムの奴と連絡をとっているのですが、誰も返事がこなかった。今はシオンを通じて他のクリムゾンフレアの連中に知らせて対応していますが、おそらくは……」
「やっぱり、ヴォルさん達も倒れちゃったのかな……」
莉世が悲しそうな瞳を向けてくる。先日のインベイジョンでは、ウドゥン達トリニティが黒騎士と対峙する前に、ヴォルを筆頭としたクリムゾンフレアのランカー達が黒騎士に敗れていた。それはつまり、彼らもまた下村と同じく意識不明に陥っている可能性が高いということだ。
「それだけじゃなく、もっと被害者はいるだろうな」
クリムゾンフレアの人達が被害にあっていることは、和人も当然考えていた。さらに黒騎士が連中に辿り着く前に、道中で出会った多くのプレイヤーもまた同じ被害にあっていることが予想される。今回運営はなにも発表はしていないが、かなり多くの被害者が出たのではないかと和人は推測していた。
話を聞き終わった翠佳が、憤った様子で言う。
「要するに、その黒騎士が生き残っているにもかかわらずサービスを再開したナインスオンラインの運営側が悪いってことね」
「それは……」
和人は否定しかけて、すぐにやめた。確かに今回の事件は、安全宣言を出してサービスを再開した直後に起きてしまった。今回の事件により、おそらくナインスオンラインというゲーム自体の信用が失われてしまったはずだ。
故意なのか過失なのか、理由はどうあれ危険な黒騎士を残したままサービスを再開し、結果再び意識不明者を出してしまったのだから。
「私もこれから運営側と連絡を取ってみる。何か分かったら教えるわ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「それで柳楽君。どうしてあなた達は助かったの? 話を聞く限り、かなり危なかったみたいだけど」
翠佳が真剣な様子で聞いてきた。彼女が質問しているのは、黒騎士が下村を倒した後の状況についてだ。下村を倒し、次のターゲットを和人と莉世に定めた黒騎士を止めたのは、まったく予想外の存在だった。
「……幸運の黒猫」
「えっ?」
翠佳が素っ頓狂な声を上げる。和人は、少し自信なさげな口調で続けた。
「黒猫が黒騎士の足元で消えた。その後、奴は憑き物が落ちたみたいに落ち着いた。それで俺たちは助かったんです」
「どういうことなの?」
「……クーネはおそらく、黒騎士のバックアップだったんだと思います」
「えっと、バックアップ?」
莉世がきょとんとして聞き返すと、和人は小さく人差し指を立ててみせた。
「クーネは最初から、変わったスキルを沢山持っていた。その中の一つにバックアップっていうのがあったんだ」
「あっ、そういえば」
幸運の黒猫とあだ名されていたクーネは、とても変わったスキルを持っていた。一つはあだ名の由来となっていた『幸運』。二つ目はまったくの透明になってしまう『不可視』。そして三つ目は、まったく使用方法がわからなかったスキル『バックアップ』だった。
「スキル名と結果だけ考えればおそらく、黒騎士はクーネに『バックアップ』というスキルで正常な状態を保存しておいたんだろう。そのデータで黒騎士は、異常な状態から回復することができた」
「でも。なんでクーネが……」
「なんでもなにも、クーネは俺たちより先に黒騎士に接触していたんだ。捕まえた時にはもう、あいつは『バックアップ』を持ってたんだからな」
「あっ……」
莉世はエレアの話を思い出した。確かに自分たちが捕まえるずっと前に、黒猫は黒騎士にあやされているところを目撃されていたのだ。
「エレアの話だと、黒騎士とクーネは5月に接触してる。おそらくだが、その時からずっと、あの状態の黒騎士はクーネの中で眠っていたんだろう」
「5月っていうと、そんなに前から……」
そう言って翠佳は眉をひそめた。
今は7月後半であるため、それは二か月以上も前の話だ。今回の意識不明者を伴う黒騎士事件はそんな以前から、しかも自分のペットである黒猫を巻き込んで、人知れず進行していたのかと思うと、莉世は少し寒気がしてしまった。
翠佳が厳しい表情のまま聞く。
「それで、黒騎士からメッセージはきたの?」
「……」
彼は無言でパネルを操作し、メッセージ画面を開いた。そして送信者の名前が不明な、あるメッセージを表示させる。翠佳はそれを一読し、すぐに気が付いた。
「この住所って、結構近くね」
「はい。電車で数時間だと思います」
「今から行くつもりなの?」
翠佳が心配そうに言う。しかし和人にとっては行かないという選択肢はなかった。
「勿論。この後すぐに行ってみます」
「私もついて行きます。翠佳先輩、心配しないでください」
「……まあ、私はここから離れられないし」
心配そうにため息をつく翠佳だったが、記された住所をネットで検索して普通の住宅街であることを確認すると、特に危険はなさそうだと判断したようだ。
「リズさんの中の人か……どんな人なのか気になるわね」
「はい。ただ、おそらくは会えないと思います」
和人がぼそりと言う。きょとんとする2人に対し、彼は付け足した。
「もし仮にリズの中の人が健在だったら、この半年間ナインスオンラインにログインしていないなんて考えられない。普通に考えれば、下村先輩らと同じく意識不明に陥っていると考えるのが自然だと思います」
「そっか……」
翠佳は自信なさ気にうなずく。彼女は今回の事件に、あまり関わらないようにしていた。それは彼女自身があまりナインスオンラインをプレイしていないからであり、正直下村が倒れるまで、どうしてナインスオンラインがサービスを停止しているのかすら理解していなかったくらいだ。
それでも今回の事件にリズというプレイヤーが関係していると知って、彼女にも思うところがあった。しかしそれは、和人がいるこの場では話しづらい内容でもあった。
「それじゃあ、俺達はこれからすぐに向かいます」
「また、見舞いに来ますね」
立ち上がった2人を見上げながら、翠佳は心配そうに目を細めた。和人はさっさと談話室から出ようとし、莉世は急いで頭を下げてそれに従う。
「あ、莉世」
翠佳が呼び止めると、莉世はきょとんとした表情で振り向いた。
「はい?」
「ちょっと、2人で話したいことがあるんだけど」
「あ、えっと――」
「ロビーに居るぞ」
莉世が横目で和人の顔をみると、彼は一言だけ言い残し、さっさと出て行ってしまった。特に詮索する気などないようだ。ぶっきらぼうなのはいつものことだったが、あまりにさばさばした和人の態度に、呼び止めた翠佳も思わず苦笑してしまう。
「相変わらずね、柳楽君は……まあいいわ。莉世、ちょっと話を聞いてくれる?」
「はい」
和人が居なくなった談話室で、2人は再び向かい合った。




