10. 把握
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得意げにヴォルがソファに深く背を預けながら語り、隣ではアクライが可愛らしく相槌を入れつつ飛び跳ねる。そんな2人の話を聞きながら、ウドゥンは先ほど【聞き耳】スキルで聞いた会話について考えていた。
このゲームでは普通一つのエリア――今回の場合はヴォルの私室で話されている会話しか聞く事が出来ない。それは勿論、自室のプライベートな会話を外から盗み聞きされないようにするシステム上の仕様だが、【聞き耳】スキルにはそれを無効化する性質もあった。
213という高ランクの【聞き耳】スキルを持つウドゥンにかかると、扉で仕切られたエリアなら、およそ10エリアほどが無効化できる。そして【聞き耳】スキルの効果範囲半径200mを合わせると、この巨大で複雑な構造を持つ"下水道"であっても、内部で話されるほとんどの会話は漏れなく"聞く"ことが出来た。
ウドゥンはこれも目的の一つとしてヴォルの下を訪れていたのだ。
そして獲物は掛かった。先ほどの声の主が誰かまでは分からないが、会話の内容から考えて初心者狩りの連中である事はほぼ間違いないだろう。
問題は、これをヴォル達に伝えるかどうかだった。
(何故、連中はガルガンのPKK隊の事を知っている? それと"奴"ってのが誰なのか……そのあたりが問題だな)
「――で、結局エリアボスの巨人は俺とファナ、それにアクライも含めた上位ランカーでタコ殴りにしてな。3時間くらいかかったが、何とか倒せたよ」
「え、アクライお前上位ランカーだったっけ?」
「ざけんな! 前回のランカー戦集計で、No.42にまで上がったじゃん。覚えてないの!?」
軽く涙目になりながら主張するアクライ。勿論ウドゥンは覚えていたが、この子供をいじめることは、彼にとって日課の様なものだ。
しかしこのアクライ、見た目はお子様だが(中身もお子様だが)戦闘に関していえば侮れない。【小悪魔】という二つ名で呼ばれ、A級トーナメントでもたびたび上位に食い込むほどの実力者だった。
「まあ、No.42じゃあぎりぎり上位ランカーってだけだからな。覚えづらいし」
「うるさいヴォル兄。すぐに追いついてやるんだから」
「追いつくねぇ。一度でもランカー戦で俺に勝ってから言うんだな」
「むー! 今日は勝つんだから! 刮目せよ!」
「噛むなよ」
「にゃー!」
アクライが顔を真っ赤にして地団駄を踏む。
ヴォルのランカーランクはNo.3である。【破壊者】のあだ名で知られるこの男は、アルザスサーバーで最も有名な戦闘プレイヤーの1人だった。実際にアクライを子ども扱いをするだけの実力が、この赤毛の男には十分すぎるほどにあるのだ。
アクライはそんなヴォルを、臆することなくに睨みつけていた。
「それじゃ、そろそろランカー戦も始まるだろうから帰るわ。悪かったな、変なことを聞きに来て」
ウドゥンがそんな二人の掛け合いに割って入ると、アクライは再びカクンと拍子抜けしてソファから転がり落ちてしまった。ヴォルが笑いながら答える。
「くはは! 気にすんなよ。楽しかったぜ」
機嫌よく笑うヴォルとは対照的に、アクライは意外そうな顔をしている。
「なんだウドゥン。ランカー戦を観戦に来たんじゃないのか?」
「今日は【革細工】を上げたい気分なんだよ」
「このあと私も戦うのに……」
不満顔のアクライが、いじいじと下を向く。ウドゥンはその小さな肩を叩きながら言った。
「まあ、今回のランカー戦ではトップランカーを目指すんだな。もしトップ10に入れたら、またご褒美をやるよ」
「本当か!?」
ご褒美という言葉に、アクライは敏感に反応した。というのも彼女がNo.42になった際には、ウドゥンは貴重なレア素材"リヴァイアサンの革"を使ったブーツを【革細工】で製作してプレゼントしていた。
勿論、素材は全てアクライに集めさせたのだが、アクライはそれでもとても喜んでいた。
「あぁ。何でも作ってやるから、さっさとトップランカーになるんだな」
「くはははは! アクライがトップランカー? そりゃ無理だろう」
「笑うなヴォル兄! 私はやるんだから」
「やってみろ、返り討ちだぜ」
ゲラゲラと笑うヴォルと、その体をポコポコと殴るアクライ。その後二人に見送られ、ウドゥンは下水道を後にした。
◆
結局盗み聞いた話の内容は、ヴォルには知らせなかった。あの場で話しておけば、もしかしたら初心者狩りの連中は粛清されたかもしれない。
ただ証拠が無いのも事実だった。ヴォル達に『【聞き耳】スキルで会話を盗み聞いた』とばらす訳にもいかなかったし、下手に教えてもPKの証拠が無ければ言いがかりになってしまう。
ウドゥンはとりあえず、犯人の目星がついたのでよしとして、対応はこれからスキル上げでもしながらゆっくり考えることにした。
下水道から出た後、ぶらぶらと1番街で【革細工】のスキル上げに必要な素材を買い集めていたら、時刻は23時を回っていた。
今日は金曜の夜――これからの時間は完全なる自由時間だ。ウドゥンは今買い集めた素材と平日にせっせとクエストを依頼して得ていた報酬とを合わせて、今日は一気に【革細工】スキルを上げようと計画していた。
だがしかし、その計画は予定外の来客によって中断させられてしまった。
32番街――金曜の夜にはしゃぐプレイヤー達が行きかう通りを抜け、ウドゥンが自分の工房のある側道に戻ってくると、見慣れた入り口に膝を抱いて座り込む栗色の髪の少女がいたのだ。
それは、リゼだった。顔を伏せ、ピクリとも動かないまま、少女は工房の入り口をふさいでいた。
ウドゥンはそれを見て、困ったように顔を掻く。
なぜこいつが工房の前にいるのか。しかも寝落ちしているようにも見える――どうしたものかと、しばらく考え込んでしまった。
「おい」
「わあっ!?」
やがてウドゥンが仕方無く声をかけると、リゼは勢いよく顔を上げた。
「あ……柳楽君」
「ウドゥンだ。本名で呼ぶな」
「ごめんなさい……」
言いながら立ち上がり、お尻の砂を払うリゼ。意気は消沈し、いつもの人懐っこい雰囲気は影を潜めていた。
そしてもう一度「ごめんなさい」とつぶやいた後、リゼは消え入るような声で言った。
「……取ってこれなかった」
「またPKされたのか?」
ウドゥンが聞くと、リゼは小さく頷いた。少し押せば、今にも泣き出してしまいそうだった。
先ほど下水道で盗み聞いた会話。あの中で出てきた"ウサギ狩りの連中"とは、どうやらグリフィンズだったようだ。これでリゼは二日連続でPKされてしまったことになる。
「丸尻尾のクエスト……達成できなかった」
ウドゥンが依頼し、リゼが受注していた"ファーラビットの丸尻尾"を納品するクエストの期限は、今日の0時まで――つまり、残り1時間も無かった。
ウドゥンが諦めたように言う。
「別に、それならしょうがないだろ。達成されなければ、バザーで仕入れればいいだけだ」
「でも……」
嗚咽をあげるリゼ。申し訳なさそうにウドゥンは見上げる、澄んだ湖の様な青色の瞳が、少しだけ潤んでいた。
「……っち」
ウドゥンはその瞳を正面から見てしまうと、失敗したという表情で小さく舌打ちをした。そしてすぐにパネルを開くと、慣れた手つきで操作し始める。
「これから時間あるか?」
なぜそんなことを聞いたのか――ウドゥンは言いながら自嘲してしまったが、もう遅かった。その言葉はすでに、リゼに向かって放たれたのだから。
「……時間?」
リゼがぼんやりと聞き返す。時刻は日付が変わる直前だ。既にプレイ時間は最長時間を更新している。この時間までウドゥンを待っていたこと自体、彼女にとっては相当な夜更かしだった。
「えっと……ウドゥンはこの後もプレイするの?」
「明日は休みだろうが。朝までプレイするに決まってる」
その言葉にリゼは目を丸くする。確かに明日は土曜日で休みだ。だからと言って徹夜でゲームをするという発想など、彼女には存在しなかった。
「何をするの?」
「クエストだよ。丸尻尾のな。今クエストの期限延長を申請するから、明日までに"ファーラビットの丸尻尾"を納品すればいい。ただ、それだと俺の期限がギリギリだ。狩るのを手伝ってやるから、これからすぐに迷いの森へ行くぞ」
「えっ……え!?」
リゼが目を輝かせる。さっきまで沈んでいた雰囲気が、一気に明るく変化した。
「本当に? やった! あ、でも……」
「なんだよ」
「また初心者狩りに襲われちゃうかも……」
そう言って、リゼは再び顔を伏せた。
ナインスオンラインをプレイし始めて3日目にして、リゼは既に2回もPKにあってしまった。あれはやられてみるとわかるが、かなり恐ろしい。なにせ意思をもったプレイヤーが、敵意をあらわに襲ってくる異常な状況だ。初心者には特にきついだろう。
しかしウドゥンは、小さく首を振りながらいった。
「大丈夫。今日はもう初心者狩りは出ない」
「えっ……?」
当たり前のように言いきったウドゥンを、リゼがほうけるように見つめ返した。
ウドゥンが断言したのにはいくつか理由がある。
一つ先程"下水道"で盗み聞いた会話――あの内容から察するに、どうも連中はガルガンに用があってこんなことをしていたらしい。
具体的になにがしたいのかは分からないが、とにかく目的を達した以上、連中が初心者狩りを続ける意味は薄くなったはずだ。
もう一つ、決定的なのは連中がクリムゾンフレアに所属している点だった。
現在行われているクリムゾンフレアのランカー戦。このPvP大会は基本的にギルド員は強制参加であり、無断でさぼり不戦敗を繰り返すと、容赦なくクリムゾンフレアから除名されてしまうのだ。
したがってクリムゾンフレアのギルド員が、そんな重要なギルドイベントを放棄してまで初心者狩りを行うとは考えづらかった。
「なんで……?」
リゼが消え入りそうな声で理由を聞く。しかし初心者にこの説明を理解させるのは面倒だと判断したウドゥンは、適当にごまかすことにした。
「なんでもだ。行くのか、行かないのか?」
「えっ……」
リゼは少し悩むような仕草を見せた後、意を決したように頷いた。
「……よろしくお願いします!」
「おーけー。それじゃあ、まずそこをどいてくれ。荷物を置きに工房へ入れない」
その言葉に、リゼは慌ててドアの前から飛びのいてしまった。




