A history the origin.
「歴史が始まる。そういう音がした」
ノートの書き出しはいつも緊張の連続だ。真っ白な世界に鉛筆を走らせ、幾重にも重なった線が意味を産み出す。消しゴムで擦りすぎて黒くなったページ、蛍光ペンが裏写りした次のページ。いたずら書きやサインの練習が散見する気儘なノート。真っ白だったページはいつしか埋め尽くされ、そして一冊のノートが完成する。ノートは書き手の世界だ。一度手を付ければ、この世に二つとして同じ物はない。
ノートの書き出しはいつも緊張の連続だ。それは世界を紡ぐ事にも等しい行為だから。
今日もノートに鉛筆を走らせる音がする。
それは新しい歴史が始まる音。真っ白な世界に輪郭が生まれ、意味が生まれる音。
新しい世界の息吹の音。
* * *
空も大地も境目も曖昧な白い場所だった。
周りには何も見当たらない。それどころか空や大地、太陽、影すらも、まるで最初から存在しないように跡形も無く白く塗りつぶされていた。勿論、人間も誰一人としていない。辺りを見渡しても白くどこまでも続いていそうな絶望的な配色だった。
「おはようございます。こちらは『ノート』です。暫らくお待ちください」
耳の奥底で声が響く。劈くような耳鳴りが辛うじて人の声をしているような、そんな不快な音だった。それから頭痛と吐き気の波が交互に押し寄せて来て、立っている事もままならない状態になった。真っ白な地面が海のように波打ち、僕の足を捕えて右半身から思いっきり叩きつけた。
ぐわんぐわんと視界が上下する。体の底から酸っぱい匂いが押し上げられ、鼻の奥で辛うじて止まる。喉は焼けるように熱くなり、全身に嫌な悪寒を憶えた。酷い風邪を患わっている様だった。
僕は楽になるまで横になることにした。
白い世界が歪んでは伸びて縮んで、渦巻きを巻いて、僕が3回目の嘔吐した頃だった。
突然上から一冊の本が降ってきて、横たわる僕の視線の先に落ちた。バタンと重々しい音を立てた本は辞書のように分厚く、百科事典のように大きかった。
僕は立ち上がるのも面倒で、ずるずると横になったまま体を引き摺って本に近付いた。近くで見るとやけに汚らしく、ついさっきまで埃を被っていたと云われても信じてしまいそうなほど古臭い装丁だった。
収まらない頭痛と吐き気で朦朧としながら、僕は本の表紙を開いた。するとまたあの耳障りな声がする。ガリガリと脳みその奥が引っかかれるような雑音と痛みの混じりあった声に僕は堪らず頭を抱えた。
「おはようございます。こちらは『ノート』です。ただいまから試験を開始致します。『チュートリアル:世界創造』制限時間は標準72時間です。それでは始めて下さい」
それだけ告げると声は頭痛と吐き気と共に徐々に遠退いていった。
身体を見ても特に異常はなかった。あの痛みは身体の中だけで、それ以上はなかったらしい。
嘘みたいに軽くなった頭を回して、僕は不快な声が告げた言葉の意味を反芻する。
「……チュートリアル、と言ってた。なら僕は今、何かしらの課題を受けている。……世界、創造、と言っていたっけ。そのままの意味なら、世界を創るってことなんだろうけど……」
不親切な事に説明が一切ない。僕が頼るのはあの声とこの古臭い本だけだけれど。
「本の最初の頁、書いてあるのは『ようこそ』の一言のみ。他の頁は白紙で、手掛かりになりそうなのは他にはない。……早速、詰んだなあ」
あの声もこの本は全く役に立ちそうもない。ここからは想像を膨らませなければならない。世界を創造すること、この真っ白な世界のこと。
「……多分、この世界を『ノート』と見立てるなら、これから『色』を塗っていかないといけない。地面と空と海と……本当に世界の創造だな。ただしやれるとしても、そのやり方か……」
頭で思い浮かべればその通りになるのか。
それとも何か他に方法があるのか。
考えてもキリがない。
「とりあえず、思い付く所からやっていこう……」
結論から言って、僕は試験に落ちた。
あの声が再び聴こえて来た時、それを悟る。全身の毛穴が一斉に開き、ドロッとした液体が流れ出るような悍ましい感覚に襲われ、僕はその場に崩れ落ちた。真っ白で、どこまでも続く大地に倒れ伏した。
「おつかれさまです。こちらは『ノート』です。ただいまをもって「試験」終了となります。不合格の方には「使者」が向かいますので、その場で待機をお願いします」