プロローグ:冷め切った皿と、沸き立つ油
銀の皿が床を跳ねた。
胸元へ叩きつけられた冷製コンソメは、シルクの繊維を容赦なく染め抜き、心臓の真上から熱を奪っていく。
固まりかけた牛脂の膜が、肌へぺったりと張り付いて離れない。
体温を吸い上げるこのぬるつきこそ、相手を痛めつけるために計算された温度なのだろうか。
おそらく、ただ冷やすことこそが至上の贅沢だと思い込んでいるだけだ。
大広間の天井へ、第一王子の嘲笑が反響していた。
悪役令嬢として糾弾される筋書きまでは読んでいたつもりだったが、まさか仕込みに二日かかる冷製スープを凶器に選ぶとは思わなかった。
前世の厨房で寸胴を磨いていた頃なら、親父さんが確実に平手打ちを飛ばしていたはずだ。
料理を床へ捨てる人間は、どんな美辞麗句を並べようと根底が卑しい。
「北の国境砦へ追放だ。氷の中で己の冷酷さを反省するがいい」
馬車は十日走り続け、景色の輪郭は雪の白さに呑まれて消えた。
吹き荒れる寒風に石造りの砦が悲鳴を上げ、迎えた守備兵たちの唇は乾いた血の色に裂けている。
配給の黒パンは凍結し、木槌で叩かなければ歯が立たない。
彼らの瞳から光が消えているのは、敵を恐れているからではなく、ただ内臓が底冷えしているからだ。
腹の底が冷え切った人間に、生きる気力など湧くはずがない。
厨房の片隅に転がっていたのは、出汁すら引かれずに廃棄を待つ魔猪の骨だった。
肉は粗雑に削ぎ落とされ、骨髄の脂だけが白く凝固して悪臭を放っている。
このまま煮れば、ただの生臭い濁り水にしかならないかもしれない。
それでも、血抜きを三度繰り返し、根菜の切れ端と共に強火で炊き上げれば、命を繋ぐ熱量へと化ける確信があった。
湯気ひとつ立たない王宮に、あの男たちは今も座っている。
私は割れた骨を大鍋の底へ敷き詰め、薪をくべた。
立ち上る最初の煙が、凍りついた私の睫毛をじわりと溶かしていく。
冷たいスープで人を辱めたつもりになっている者たちには、一生理解できないだろう。
凍てつく世界をひっくり返すのは、いつだって丼の底から湧き上がる、湯気と油の暴力だ。




