どうか彼女を一人にしないで――千年孤独な魔女を支え続けた薬師の記録
――これは、千年ひとりで国を守り続ける魔女と、それを支え続けた薬師たちの記録である――
王城がある街中の、にぎやかな通りから外れた路地裏に。
花の香りに囲まれて、古びた薬舗が佇んでいた。――「チェレン薬舗」、かすれた文字で、そう看板に記されている。時折、茶葉や香草を買いに客がくるだけで、店は静寂に包まれていた。
店主のチェルニーは、今日も薬の研究に没頭していた。乳鉢で薬草をすり潰し、少しずつ色粉を足していく。ときどき細く切った検紙を中に浸し、低く唸る。
(なかなかうまくいかないわぁ……)
ケホケホと、音のない咳が出て、軽く顔を顰めてしまう。久しく声が出ない。――しかし傷ついた声帯は、この店の薬師としては誉れである。
(総魔力量の底上げ、限度を超えた魔力回復、酷使された魔力回路の再生……)
作業の手を止めると、書架からいくつかの書物を取り出した。
全ては千年間、この国を一人で守り続ける最強術師――最強ババアその人のために。
(全てを背負うあの人に比べたら……喋れないくらい、なんでもないわぁ)
今代は魔力中毒の進行が早すぎる。やはり、最年少での継承、力の酷使が原因だろうか。
(なんとか、お助けしたいのよねぇ……)
チェルニーは、代々薬師を営むご先祖様が残した記録に、答えを求めてページを捲った。
***
【創始者・チェレンの覚え書き】
『この日記を開く奴は注意しろよ。手順は口伝通りだ。でないとブワッ! 一瞬で灰になるぞ!』
手記の表紙には、もう何度か目にした注意書き。本を開くための手順は極秘事項なので――極々面倒だとだけ伝えておこう。
『無事開けたか? 開いたということは、まだ俺の言葉が必要なんだな。早いことこいつが不要になりゃいいんだが――
最強ババアは元気にしてるか? どうせ碌な生活してないだろうよ。だから、コレを読んでる君に頼みたい。
――どうか、彼女を一人にしないでやってくれ』
しばらく、魔力回復に関わる薬草の調合に関する記載が並ぶ。
『最強ババアについて語る前に、俺の幼馴染について話しておく。外見がアレなことを除けばまあ、いい奴だったよ。貴族の嫡男だってのに家出して、身一つで魔塔の名誉教授になってんだ。庶民な俺にとっちゃあ雲上人だが――腐れ縁でな。悩みがある度に、薬舗に来るんだよ。
まあ、この頃は戦争、戦争。物騒な時代でね。奴が大事に育てた魔術の教え子たちが何人も、最前線に飛ばされたのさ』
書き主の迷いを表すように、続きが何度か塗り潰されていた。
『でけぇ男のくせに、赤いドレスとヒールに口紅塗って。そんでもって赤い髪を伸ばして編み込むもんだから、もう酷え。見た目が煩すぎるっての。
「あたくしは、美しいものを愛してる」だとよ。目が腐ってたんだろうな』
そこから筆がのったのであろう、スルスルと書かれた言葉からは、書き主の"幼馴染"への親愛が読み取れた。
『そんな奴が、陰鬱な顔で毎日うちに入り浸るのは、こっちも気が滅入ってよ……でも、久々にあいつ、笑ってたんだ。
「全くリオったら。あたくしがちゃんと見てやらないと」
「見なさいチェレン! このきめ細かい方陣を。さすがあたくしの教え子だわ」
気づいたらいっつもリオ、リオ、リオ。生徒は大事にする奴だったけど、リオって子はよっぽど特別だったんだな』
その後の記録には、幼馴染とその弟子"リオラン"との、穏やかな日々が綴られていた。
『戦争が小康状態の、束の間の平和だったよ。遂に、リオランの奴が、最前線に送られたのさ。あんな小さな女の子を送り出すなんて、この国ももう終わりだと思ったもんさ――まさか、ひとりで戦争に勝っちまうんだから』
そこから文字が乱れ始めた。
『晴れて戦争に勝った。国中囃し立てて、リオを前線に押し出し続けやがるんだ。知ってんのか? あの子、人前に立つだけで、足が震えるんだぜ?』
また、何度も文が消されている。
『あいつが死んだんだ。最も安全な国王の隣にいたはずなのにな。あいつ本人は、教え子たちの代わりに最前線に立ちたいと、何度も訴えてたのにさ。笑えるよな。自分の安全を最優先して、側に置いてた国王の奴の判断は――最適だったわけだ。あいつはクソ野郎の盾になって死んだ』
震える文字に込められるのは、怒りか悲しみか――
『リオの奴、おかしくなっちまった。あいつを守るために、怖くて仕方のない最前線に行ったのにな。
「あたくしが全部守ります」
守れなかったと俺に謝って、そう宣言しやがったんだ』
筆の勢いが落ちた。そこからは淡々と、事の経緯が綴られている。
国境に、怪物が出るようになったこと。おかげで野心家だった国王が、外国に攻め入ることができず、けれども、外国が攻めてくることもなくなったこと。
仮初の平和。怪物が出るたび現れるリオランが、やがて国を守る"最強ババア"と呼ばれるようになったこと。
『茶番だよ』
創始者チェレンの手記を読み返す度に、この言葉が胸に残る。
(本当、茶番だわ)
千年間、今もひとり怪物を操り、自作自演でこの国を守り続けるのだから。
そんな最強ババアを助けるために、もう少し情報が必要だ。
***
創始者チェレンの手記に続き、薬舗の後継者たちの言葉が並ぶ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
初代チェレンの憂いは杞憂とならなかった。
孤独に戦い続けたリオランは、"最強ババア"という国防の歯車となってしまったのだ。けれどもそれも一代のこと。彼女亡き後に、我々皆が一人に押し付けたツケを払うことになるかと思ったが――
「師匠は死んだよ」
白髪に黒のゴシックドレス。まったく同じ姿の最強ババアが、リオランの死を知らせに来たのだ。
「リオランはもういない。あたしは最強ババアさ」
リオランの弟子が、最強ババアを引き継いだのだ。彼女が語る壮大な計画に、私は黙って頷いたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
計画はうまくいった。代替わりは露見せず、悠久の時を生きる"最強ババア"が、人々の間で信仰されている。
『人々が最強だと思う心が、最強ババアを強くする』
三代目最強ババアの呪いが、さらなる力の高みに最強術師を押し上げた。彼女の素顔を知る者はもういない。
完成されてしまった彼女の孤独に、せめて我々だけでも寄り添わなければ。
***
(皮肉なもんね)
チェルニーは、ふっと息を吐き出し顔をあげた。最強ババアが代を重ねるごとに、国内・国外の勢力は、武力を高め、怪物を排除しにかかった。その度に、最強ババアは怪物を強化する。それが繰り返されるほどに、最強ババアの負担は一層大きくなる。
一度目を閉じ、深呼吸する。"歴代唯一の魔力なし"、七代目最強ババアに、求めるヒントがありそうだ。
***
(『初代の薬茶をベースに、魔力の回復でない、集積系統の薬草を配合』ねぇ……魔力を集める性質なら、魔法生物の遺骸なんかも良さそうだわぁ)
魔力なしで戦った七代目・最強ババアもたいがいだが、彼女を育てた六代目は、とんだマッドサイエンティストだった。彼ら師弟の研究が広まれば、魔力運用学の歴史がひっくり返りそうである。
(それにしても、やるせないわねぇ)
使えそうな材料を書き写しながら、チェルニーの口からため息がこぼれる。
己の力不足を憂いた七代目は、魔塔の魔術師に協力を求めたのに、裏切られたというではないか。
(誰も、寄り添おうとしないのかしら)
千年寄り添った薬舗の薬師の自分でさえ、"最強ババア"の名を知らない。誰よりも国を愛して守る彼女なのに、信じられる者がいないだなんて――
(どうか、彼女の隣に。誰かがいてくれますように)
そう祈らずにはいられなかった。
***
差し込む西日が眩しくて、窓板を閉めに立ち上がる。今日はもう来客もないだろう。
扉を開き、閉店を示す札を掛けようと――
「薬はあるかい?」
頭上から声がした。
夕焼けの空を見上げれば、はためく白髪と黒いドレス。
もう慣れたものだ。逆光の中の人物に、黙って頷き扉を開く。客を先に中へ通すと、自分も中に戻り鍵をかける。
「悪いね。もう閉めるとこだったかい?」
客はこの国最強術師。"九代目"の、最強ババア。
チェルニーはふるふると首を振った。迷惑なんてとんでもない。
(この店は、あなたのためにあるんですもの)
静かに微笑み席を示すと、最強ババアは慣れた手つきで棚から瓶を取り出した。
「台所、借りるよ」
そう告げて、店の奥へと消え去った。
チェルニーは鍵付きの引き出しからいくつか小瓶を取り出した。慎重に測り取り、薬研でごりごり砕いていく。
乳鉢で、精油と混ぜ合わせる。台に敷かれた方陣が、青白く光を放ち始め、時折鉢から火花が爆ぜる。舞い上がる魔力の粒子に、マスク越しの喉が焼けた。
しゅうしゅうと、蒸気の音。漂ってきた柔らかな茶葉の香りに、チェルニーは顔をあげた。
「あんたも飲むかい?」
いつの間にか戻ってきていた最強ババアが、カップ片手にこちらを見ていた。
ふうっ、と吐息が漏れる。調合の間、呼吸すら忘れていたようだ。完成した薬液を、そっと小瓶へ流し移した。
「……助かるよ」
光にかざし、受け取った薬を確認すると、最強ババアは席を立った。
「腕、あげたね」
颯爽と扉へ歩き、ちらりとこちらを振り返った。
「……!」
止める間もなく、ふわりと空へ、最強ババアが舞い上がる。走って外に飛び出すが、既に彼女は遥か遠く。
「せめて今日はしっかり休んでください」
動かした唇からは、音は紡がれることはなく――
一番星が見え始めた灰色の空に、小さく消え行く術師を眺めながら。
(でも、褒められちゃったわぁ)
外の冷たい空気に、痛む喉を押さえながらも。じんわり胸が温かくなる。
ゆっくりと店内に戻ると、後ろ手でそっと扉を閉めた。広げた調剤道具を眺めていると、ふと創始者チェレンの言葉が思い返された。
『なお、魔力集積素材の研究はほどほどに。声が枯れるぞ!』
声にならない笑いが漏れる。だって、誰一人。
代々、この店で言いつけを守った者はいないのだから。
(さあ。よいお薬、作らなくちゃねぇ)
お読みいただきありがとうこざいました。
連載『最強ババアのティータイム』のスピンオフ短編です。現在、連載中ですので、よろしければそちらもご覧くださいね。
国を守る歯車"最強ババア"の役割に縛られた少女が、ひとりの青年とのティータイムを通して、自らの人生を取り戻していく物語です。




