I
『アレミア王国』地図の片隅にひっそりと光る国である。
国土は騎士の盾ほどの大きさしかないが、夜空に浮かぶ月のように穏やかな光を放っている。
小国にも関わらず国民の幸福度が高いと言われている国だ。
この国の幸福度が高い理由は、金銀財宝でも兵力でもない。風を聴くように相手の声に耳を傾ける人々の心の柔らかさにある。
朝になると、窓辺の花鐘がチリンと鳴り、住民たちは自分の幸福度を色で伝える。
『青』は落ち着き、『緑』は健康、『金』色は最高にハッピー。
その色を聞いて、近所の人はそっと差し入れを持って行ったり、一緒に散歩に誘ったりする。助け合いは義務ではなく、「自然とそうしたくなる風」のように広がっている。
王都の広場には「願いの樹」が立っており、誰でも自分の願いを葉に乗せて吊るせる。
すると、その願いを読んだ誰かができる範囲でそっと手を貸す。叶うかどうかよりも、誰かが自分の願いを知ってくれているという安心が幸福を育てている。
小国だが、笑顔の総量は大国よりずっと大きい。大人達はいつまでも子供のように無邪気な笑顔を忘れない。
故に、巷ではアレミア王国のことを人々はこう言う『大人になれない国』と。
こんにちは。
僕の名前はルナ・ L・ゲイツ、14歳の人間族の男だ。職業は【吟遊詩人】。
わっ!
……あーあ、名前のところに大きなインクの染みができちゃった。書き直そうと思ったけど、紙がもったいないからこのままにする。
改めて、こんにちは。僕は、ええと、染みの下に書いてある通りの名前の人間だ。
英雄の冒険譚というのは、もっとこう、優雅に書き出されるものだと思っていた。でも現実は、お尻が痛くなるくらいガタガタ揺れる荷馬車の隅っこで、荷物に埋もれながら膝の上でこの日記を書いている。
冒険の前哨戦が「お尻の痛みとの戦い」だったなんて、誰も教えてくれなかったな。
って、そんなことは置いておいて。
僕は今2人の仲間と一緒に世界中の国を回る旅に出ている。旅行じゃないさ、世界の運命を変える旅なのさ。
だからそんな仲間をここで紹介しておこうと思う。
1人目はシオン・ルーベリア。歳は19、人間族の男。体つきが良くて顔や身体に切り付けられた、というより抉られたような傷がたくさんあって威圧感が半端ない。でも職業は【薬師】、シオンの作る野菜汁はとんでもなく美味いんだ。
2人目はアベル・ルーベリア。歳は5、人間族の女。腰まで届くシルクのような灰色髪はとっても綺麗。天真爛漫な元気な女の子で、シオンの歳の離れた妹だ。歳の割に頭が良くて、たまに僕も頭が上がらない時もあったりする。ハハハハ、……て笑い事じゃないや。職業は不明。というより、5歳の時に受ける職業適性の検査を受けていないらしい。
まぁ理由は察するけどね。
そんな仲間とこれから向かうは大人になれない国『アレミア王国』。
すごく綺麗で優しい国だって聞くから、前回の弾む国より安心できる。
さ、今回はどんな旅になるんだろう。考えるだけでワクワクしてくる。
おっと、シオンから声がかかった。アレミアの門が見えてきたみたい。
続きを書くのはまた今度にするとしよう。じゃぁ、行ってくる。
未来の英雄、ルナ・ L・ゲイツより。
そう書き留めて、僕はそっと日記を閉じた。
「ねぇねぇ!あれ!?アレがそうなの!?」
「違うよ、アレは人間族。もっと耳がこーんな感じで長くてとんがってるのがエルフ族さ!」
アレミア検問所鉄格子門前、シオンの入国手続きを待っている間、僕とアベルは門の向こうに見える街を行き交う人々を観察しながら馬車で待つ。
「じゃぁアレは!?あの人耳が長いよ」
「んー、ほんとだ!確かに耳が長ぁい、け、ど」
目を細めてアベルが指差す方向を見てみるとそこには確かに耳が長くとんがっている男性が一人いた。僕自身もエルフをこの目で見たことはないから例外には言い切れないけど、言い切れないけど!
エルフって、あんなに小デブの小汚いおじさんなんだぁ。本にはエルフは美男美女揃いの戦闘狂のスタイルお化けって書いてあったから、ちょっとびっくりだなぁ。
「あの人全然かっこよくないね!本と違う」
「えぇっ」
こらやめなさいアベル。それは僕も思ったけど。
でもまさにこれこそ冒険の醍醐味、百聞は一見にしかず、真実を知るとショックな反面、喜びもある。
と、アベルとそんなこんなのやりとりをしていると、手続きを終わらせたシオンが馬車に戻ってきた。その後ろでは王都兵が剣を腰に刺して、馬車の出発を待っている。
「冒険者カード、確かに確認させていただきました」
そう言って、王都兵はシオンにカードを返すと検問所前の鉄格子の門が開き、障壁に囲まれた国アレミアの地を白馬に引かれる馬車が踏む。
「そのカード便利だねー」
街並みを眺めながらアベルは冒険者カードをパタパタと仰ぐ。
「それが俺の唯一の身分証明になるからな。ギルドの信頼が高いおかげだ」
「それに、冒険者カードは世界共通のランク制度からなっているからね。僕も持ってるよ、ブロンズだけど」
冒険者カードには氏名、ギルド名、職業、ランクが表記されていて、ランクは全部で四つ、下から『ブロンズ』『ブラック』『ゴールド』それから『シルバー』だ。ちなみにシオンのランクはゴールド。薬師でゴールドランクに到達した人間なんて後にも先にもシオンだけに違いないだろう。
「ふーん、じゃぁ今度ギルマスにお礼言わなん、あー!」
シオンはパタパタとカードを振る危なっかしいアベルからカードを没収し内ポケットにしまうと、検問所で王都兵に教えてもらった近くの馬車宿に向かうために馬に軽く手綱を振る。
「あー!旅人さんだぁ!こんにちはー!」
「こんちわ!」
街並みを進んでいると街中で元気に遊ぶ子どもたちが旅人珍しさに馬車に並走すると手を振ってきてくれる。アベルは手をピンとあげると律儀に挨拶を返していた。かわいい。
その後ろで、僕はシオンに尋ねる。
「今回の滞在はどれくらいなの?」
「とりあえず3日にしておいた。そこまで大きい国じゃないからな。場合によっては延長もできるみたいだが、良い【盗賊】【結界師】持ちが居そうにないなら早めに出国するかもな」
「前回はスカッたもんね」
とはいえ最低でも3日間は滞在することになるだろう。手持ちの笛が傷んできた頃だったから、この間にいい笛をとりつくろっと。
「それにしても、綺麗でいい街だね」
「そうだな」
アレミアは王国と呼ばれてはいるが、その街並みは驚くほど穏やかだった。石と木を組み合わせた家々が、互いに距離を取りすぎることなく並び、通りには人の声が自然に行き交いしている。
道幅は広すぎず、しかし狭さを感じさせない。所々ゆるやかな坂になっており、上を見上げると空を塞ぐ建物もないから天が開けて広い。
屋根は赤茶や白灰色で統一され、角度も高さも揃えられているため、街全体がひとつの景色としてまとまって見える。
露店は整然としているが、規則に縛られた硬さはなく、店主たちは客と笑いながら言葉を交わしていた。値切りの声すら、争いではなく会話の一部みたいだ。
「なんかアベル眠くなっちゃったー」
そんな街並みの穏やかさを肌で感じてアベルが眠気を感じてしまうのも無理はなかった。
その後、馬宿舎に到着した僕達は馬車を預けて、上のニ階にある宿を一室取り、荷物を下ろすとしばしの休息をとった。
宿には三匹ゴキブリがいた。
「ではいざじんじょーに、参るっ!」
「おぉおっ!やれるのかっお嬢ちゃんん!」
時刻は17時過ぎの夕方、アレミアの街へと出た僕たちが何をしているのかというと、屋台の魔石当てで、ネズミのぬいぐるみを狙うアベルがその小さい手に魔石を握りしめ、3メートルほど離れた積まれた木人形に向かって必死に投石をしていた。
ちなみに一度のチャレンジで5投可能なこの魔石当てに3回挑戦してアベルは見事に全弾外し中。シオンはそんなアベルの後ろで麻の小銭入れから3枚銅貨を取り出すと次の再チャレンジに備えて手の内にそれを握りしめていた。
さすが妹には甘々にシオンだなぁ。
「あーっ残念!じゃぁ参加賞の飴ちゃんねー」
「シオン!金ぇ!」
「わかった」
うーん、これはもう少し時間がかかりそうだ。今のうちに笛でも買いに行こうかな。
と、そんなことを思っていたその時、横から声がかかる。
「そこのお兄ちゃん!その静かであり燃えるような炎のオーラを纏っている姿、全てを包み込む優しい茶髪、あんた吟遊詩人だね?」
声のする方は顔を向けると、そこには痩せ細った体を一本の杖でかろうじて支える一人のお婆さんがいた。顔も知らない初めて会った人なのは間違い無いが、このお婆さん今僕を吟遊詩人って言ったのか?
「えっ!なんで分かったんですか!」
「分かるよ。あたしゃもう100年以上生きてんのさ」
なるほど。年の功というやつかっ!
「すっ、すすごい!」
決して僕が肩からかけている麻のバッグから大量の紙やインク瓶がはみ出ているのを見てからそう決めつけたわけではないのだろう。なんせ100年以上生きてるのだから。
すごい方なんだ、きっと。
「うちの屋台は100年以上前の偉人が残した筆やら書物が当たるくじをやってるよ。挑戦してみるかい?」
「ぜひ!」
「当たれば金貨3枚はくだらない品が手に入るよ。参加料金は銅貨4枚だ」
すごい、銅貨4枚で金貨3枚相当の品が当たるかもしれないなんて。いい国だ!
僕は迷うことなくバッグから銅貨4枚を取り出すとお婆さんに硬貨を渡し、くじ箱に手を入れた。
減れば足すだけ。
持ち金がかなり減った。理由は言うまでも無いだろう。
小銭入れが軽くなった代わりに足が重くなった僕とシオン、クマのぬいぐるみをホクホク顔で胸に抱くアベルはすっかり暗くなった空の下でアレミアの街をぶらぶらと歩く。
「ブラックボアの串焼きだよー!新鮮だよー!」
「異国のアイスという名のデザートだよー!甘くて頬が落ちるよー!」
辺りではお客を呼び込む店番の声が飛び交い、魔法で燃え続ける街頭が優しい光で国民たちを照らしていた。
「アベルおなかすいたー」
「空いたねー」
「何が食べたい」
「しゃとーぶりあん」
アベルやそんなものどこで覚えてきたんだ捨てなさい。
屋台の通りを歩いていると右からは肉の焼けるニンニクの効いた香ばしい匂い、左からは頬が緩みそうになるほどの優しく鼻をくすぐる甘い匂い、うーん、迷うなぁ。
「おっ!見ない顔だね!旅人さんかい?」
「えっ、あぁはい!そうです」
通り過ぎかけた魔牛肉屋の店主から声をかけられ、思わず足を止める。三十代くらいの店主のシャツは袖が千切れていて、肩から見える鍛え上げられた逞しい筋肉が汗によってメッキを浴びていた。眩しいかぎりだ。
「そりゃいけねぇ。外の人をもてなさずに返すとこだったじゃねぇか。ほれ、この串三本持っていきな。なに、お代なんていらん」
「え、そんな悪いですよ。………ありがとうございます」
「おうよ!」
店主の圧に押され、三本串を受け取る。それを見てアベルは嬉しそうに飛び跳ねていた。相当お腹が空いていたらしい。
再び歩き出してから串を二本シオンに渡す。シオンは串を受け取ると一口齧り、咀嚼して飲み込むと少し沈黙した後、コクリと頷くとまだ手をつけていない方の串をアベルに手渡した。
アベルは待ってましたとばかりに串に勢いよくかぶりつく。ジュワッと溢れ出た肉汁が串の持ち手を辿って地面に落ちた。
「おいしー!」
本当に幸せそうな顔をするアベル。そんなアベルにつられるように僕も一口。体が喜んでいるのが分かるエネルギッシュな肉だ。
シオンも気に入ったのか串一本をペロリとたいらげると近場にあった魔牛肉をいくつか購入していた。
それから僕たちは屋台通りを進み、魔牛肉の店主からもてなしを受けたように、通りを出るまでにたくさんの屋台の店主からおもてなしの品を受け取ることになった。
これで少しの間の食費を浮かすことができるため僕とシオンの宿へと帰る足取りは少しだけ軽くなっていた。
ちなみに、アベルが狙っていたネズミのぬいぐるみは結局取ることができなかったらしい。しかし、何度も挑戦するアベルの熱量、そしてシオンに対する同情も込めて三等のクマのぬいぐるみをくれたんだとか。
こんなに一方的に恵んでもらって悪い気がするが、それ以上に心が温かい。
宿に帰ってシャワーを浴び、歯磨きをして、ベッドに入りながらいい国に来たなぁと思い、目を閉じる。
さぁ、明日から本腰を入れて人探しするぞ。
そんな決意を胸に僕の意識は遠のいていった。
「クマさんがいないぃ」
そんなアベルの泣きそうな声が聞こえたのは眠りについて十分ほど経ってからのことだった。




