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7.初仕事

神殿の奥へと案内されれば、そこには数人の女性たちがいた。

白い髪を結い上げた老女は、その横に長い金の髪をたなびかせる精霊を連れており、その精霊にも負けないほどの美少女が後ろに筋肉質の巨漢の精霊を連れている。

そして、小柄で幼げな短髪の少女は目を閉じたまま、ネージュの方に顔を向けた。そんな少女を守るように、生真面目そうな顔をした騎士のような精霊が立っていた。


老女が私を見つめ、穏やかに微笑む。


「新しい聖女様がいらっしゃったんですね。ようこそ、神殿へ。私はエレン。あなたを歓迎します。そして、彼女は水の大精霊、マーレ」


エレンが彼女の横に立つ美しい精霊を手で示せば、精霊もネージュに微笑みかける。

ネージュは慌てたように頭を下げた。


「ありがとうございます、エレン様、マーレ様。私はネージュです。それから、地の大精霊シュウです、よろしくお願いいたします」


シュウはネージュの肩に手を置いたまま砕けた様子で口を開いた。


「シュウだ。よろしく頼む」


エレンの横に腰かけていた輝くような美少女が切れ長のアイスブルーの瞳を細めて優しく微笑む。

彼女が精霊だと言われても何も不思議はない、清楚で繊細な少女だった。


「ようこそ、ネージュ様。私はレイラです。それから、彼は岩の精霊ガイ。私も同じ黄色のストラですから、仲良くしてくださいましね。私の精霊もあなたを歓迎していますわ」


レイラとは対称的な、しかし岩の精霊と言われれば納得のいく巨漢のガイは頷いた。


最後に幼い少女が小さな声で呟く。


「……サヴィア」


それだけ言ってこの部屋から走って出ていった。騎士のような姿の精霊は彼女を守るようにその横に並んで。


「ごめんなさい、あの子はサヴィア。目が見えなくて人に慣れるのに時間がかかるの。でも本当はいい子よ」


レイラが申し訳なさそうな顔をし、ネージュは慌てたように気にしていないと手を振った。


あの幼い少女もまた、何かしらの痛みを抱えているのだろう。

そして、聖女たちの瞳には、傷を持つ者同士だからこその共感が滲んでいた。


「慣れるまでは不安かもしれませんが、ここではすべての傷が癒されるのです。どんな痛みも、私たちが共有します。あなたもその一員です」


エレンの言葉は重く響いたが、それは暖かで裏打ちされた優しい声だった。

寄り添うようなその声に、ネージュは神殿にきて初めて言葉を詰まらせる。


「私…」

「痛みを感じることは悪いことじゃない。それを乗り越えた先に、ネージュ自身の力が待っているんだから」


泣き出しそうな彼女の頭にシュウは手を置いて優しく髪を撫でる。

ネージュはその言葉を胸に刻みながら、神殿の奥に広がる祈りの空間を見つめた。

オベリスクから放たれる魔力の輝きが、心の奥深くへと染み込んでいくように温かい。


その夜、ネージュは初めて一人でオベリスクの前に立ち、そっと手を合わせた。

精霊たちの力がその体を包み込み、内面から何かが湧き上がってくるのを感じる。

それは、痛みや悲しみを超えた力――そして、新たな希望だった。

この神殿で過ごす時間が、一歩ずつ、彼女を新しい道へと導いてくれるのだろう。

そして、シュウはその傍らでどれほど長い時を経ても変わらぬ優しい眼差してネージュを見つめていた。



神殿での生活が始まってから、ネージュはまるで別の世界にいるかのような感覚に包まれていた。

静けさと温かさがあふれるこの場所では、誰もが聖女を歓迎してくれ、そして何よりも――ここでの生活自体が、心地よい物だったから。


最初に驚かされたのは、食事のことだった。

これまでのネージュは日々の食事すらまともに取れないこともざらだった。家で食事をしても使用人たちの冷たい視線を感じながら、冷えた食べ物を口にするだけ。

食べることが苦痛でしかなかった。けれど、ここでは違った。


「おかえりなさい、ネージュ様」


祈りを終えたネージュをサヴィアが静かな笑顔で出迎え、食堂に案内する。テーブルに並べられた料理は、平民でも手に入るようなものだったけれど、ホカホカと湯気を立て、焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐる。


「では、今日の糧に感謝して頂きましょう」


エレンさんが微笑みながら告げ、食事を始める。テーブルには、パン、野菜のスープ、オムレツとシンプルながら温かみのある料理が並んでいた。

ネージュも手を合わせて、感謝の気持ちを込めて食事を始めた。

温かいスープとホロホロと口の中で広がる煮込んだ野菜、少しだけとろりとしたオムレツ、焼きたてのパン。

口に運ぶたびに、ネージュは思わず目を輝かせていた。


「美味しい……!」


その様子だけでネージュの今までの食生活の想像はついたのだろう。エレンとレイラが何でもないように口を開いた。


「よく食べたらよいのです。あなたが自分を大切にすること、心と体を養うこと、それこそが大事なんですから」

「そうよ、しばらくは体を休めるためにお仕事もありませんし、お祈りもできる時だけで構いませんわ」

「お仕事……どんなことをするのですか?」

「人それぞれよ、私は岩を動かすのが得意だから道を造っているところに行ったりもするのよ」


レイラの華奢な見た目からすると意外な職場ではあるが、彼女は嬉しそうに工事現場の話を語った。


(重機のオペレーターだと思えば不思議はないだろう?)


シュウはネージュに分かりやすいようにか、前世のたとえをそっと彼女の心に伝え、ネージュはさりげなく小さく頷いた。


食事を終えた後、私はレイラに神殿の裏手の薬草園へ案内された。


「薬草園ですけれど、お花も咲きますしとても落ち着きますわよ」


細い土の道を通った先には小さく区分けされた畑に様々なハーブが植えられていた。

そのうちのいくつかはネージュが前世の(みゆき)として勤めていたスーパーで見かけたものによく似ていた。


「私、この薬草の香りがとても好きなの」


そう言ってレイラがミントに似た一枚の葉を小さくちぎった。スッとする特有の香りが爽やかにそして懐かしく香る。


「いい香りね」


それを知っていることを悟られないようにネージュは曖昧に微笑んだ。


「ネージュ様、料理は気に入りまして?」。

「ええ、すごく美味しかった。こんなに美味しい食事、久しぶりかもしれない」

「私も、ここに来たばかりの時同じことを思いましたわ」


レイラの立ち居振る舞いは上品で、そしてその美しい容姿からしても、きっと彼女も貴族だったのだろうとネージュは察していた。

けれどやはり、あの素朴な食事が本当に美味しいと思える、そんな日々を送ってきて

だからこそ彼女もまた聖女なのだと理解させられるのだ。


「ネージュ様も、いろいろおありだったのでしょう。でも、ここでは助け合うことができますわ」


その言葉には強い実感が込められていた。


「ありがとうございます……それから、私はネージュと呼んでください」

「なら、私もレイラと呼んで」



少しずつ仕事を始めるようになると、レイラとネージュはどちらも黄ストラ――大地の系統の精霊と過ごす聖女であり、年も近いことから共に動くことになった。

明日の初仕事は、王都に新たにつくられる病院の建設現場だった。


出かける前に髪をきつく結って、聖女の作業用である厚手の木綿のローブを羽織る。

そしてネージュはフードを目深にかぶった。やはり彼女はその姿を人にさらすことへの恐怖は強かった。

しかし、門で待ち合わせたレイラを見れば彼女もまたネージュと同様に顔も髪も隠す様にフードをすっぽりとかぶっていた。


それは、自身への同情なのだろうか、そう僅かにネージュの胸が痛む。

けれどその感情と向き合い続けた彼女はそれを押し殺すことには慣れきっていた。


工事現場の土地を均し、土台をつくり、柱を並べていくことになる。


「聖女様、土台を固める土をお願いいたします」

「あっ、はい」


けれど、その時やはり気を取られていたのか。


「ネージュ、それはセメントだ」


シュウが少しだけ慌てたようにネージュに声をかけてから、顔を上げて続けた。


「勝手をして済まぬ、私は土の大精霊。人々を癒すこの建物が長く栄えることを願い強い土をここに贈らせてもらった。乾くまでは少しばかり時間はかかるが、人の一生よりも長く保つ土台となろう」


ネージュのミスをカバーするために、シュウは声をあげて作業員に伝えた。

その言葉に作業員たちは束の間目を丸くしてからひれ伏した。


「構わぬ、私の勝手でしたことだ」



その帰り道、ネージュは作業員たちの感謝の声に見送られたが、馬車のなかで俯いていた。


「どうなさったの?ネージュ」

「あれ、あの土台は本当はシュウが勝手にしたことではないの、私が他のことに気を取られたせいで……」

「じゃあ、丈夫な土台だというのは?」

「それは本当よ、うんと長持ちする強い土台。でも、仕事中にあんなミスをするなんて」

「そうね、建設現場では命を落とす方もいらっしゃるわ。他のことに気を取られるのはもってのほかよ」


現場での作業の多いレイラの口調は真剣で、自らの仕事に誇りがあることが伝わってくる。


「でも、ネージュが気になさるようなことがあったという事ですわよね?あの場にお知り合いがいらしたとか?」


仕事には真剣で、それでも友を思いやる声に、ネージュは一粒涙をこぼした。


「……レイラは、私に同情してフードを被っているのではないかと気になって」


馬車に乗ってからは、二人とも埃っぽいローブは脱ぎ、きつく結い上げた髪も下ろしていた。


「私は、いつもあれよ。……私はこの顔が大嫌いなの。自分の姿を見るのも嫌だし、人前に出るのも苦しい」

「そんなに綺麗なのに」

「私は、美しいって言われるのが嫌いなの。……ずっと、美人だからって、望まないことを押しつけられてきた。ある男に見初められて、無理やり婚姻を結ばされそうになったこともある。それだけならまだしも……」


レイラは拳を握りしめた。


「何度も怖い目にあった。『綺麗な女は愛されるのが当然』って、誰かの所有物みたいに扱われて……!」


いつもの凛とした雰囲気はなく、血色が無くなる程固く握った拳で彼女は一度強く膝を叩いた。

その言葉の一つひとつが、痛みを伴っている。


「……私は、醜いと言われ続けてきたの。使用人たちも、婚約者も、みんな私を嘲った。『そんな顔で生まれてかわいそう』『侯爵令嬢なのに見るに耐えない』……そんな言葉ばかり聞いてきた。だから美しいことの苦労を何一つ理解していなかった。ごめんなさい、レイラ」


次はレイラがネージュを見つめた。


「だから鏡を見るのも嫌だったし、誰かと視線を合わせるのも怖かった。こんな顔、誰にも見られたくないって思ってた」


レイラは、ふっと苦笑した。


「ネージュと私は真逆の理由で、同じように自分の容姿を憎んでいるのね」

「そうみたいね。」


しばらく、二人は馬車の車輪の音だけを聞いていた。でも、その沈黙はどこか心地よさげでもあった。


「ねぇ、ネージュ」


レイラがそっと言った。


「……私は、ネージュが醜いなんて、思わない」

「……え?」

「確かに、ネージュは貴族が言うような美しさじゃないかもしれない。でも、私は今、こうしてあなたと話していて、あなたの表情が少しずつ変わっていくのを見て……すごく綺麗だと思った」


レイラは、まっすぐにネージュを見つめていた。その瞳には、嘘偽りのない真実が映っていた。


「私も……この言葉は嫌だろうけど、仕事の話を嬉しそうにするレイラはいつもすごく綺麗で格好いいと思うよ」


その言葉に、レイラは一瞬、驚いたような表情を見せた。そして、ふっと微笑んだ。


「ありがとう。……そう言われるの、嫌じゃなかった」


それは、ほんの少しの変化だった。でも、きっと大きな一歩だった。


「これからも、一緒にいてくれる?」

「うん、もちろん。」


二人は静かに、穏やかに微笑みあった。

予約し忘れていました、すみません

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莫逆の友かな。
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