6.神殿へ
翌朝、二人は陽の光に包まれて目を覚ました。
窓から差し込む光が部屋の中の静けさをやさしく撫でるような穏やかな陽だった。
きっとこれが神殿の外でで過ごす最後の朝だ、とネージュはまだ少しぼんやりとした頭で昨夜の出来事を振り返る。
父と語り合った時間、優しい魔法の光。
目を閉じれば、あの優しい声が耳の中で響いてくるような気がした。父との最後の夜。
おそらく、これが最後の機会だということは二人とも理解していたから、口数の少ないままゆっくりと身支度を整えていた。
けれどネージュは意を決したように、目を閉じて口を開く。
「ありがとう、お父様」
「ネージュ……」
娘を抱きしめた父は、かすれた声で弱弱しく呟いた。
「どうか、どうか幸せになってくれ」
「はい」
神殿への参道には、様々な露店が立ち並ぶ。
お守りや精霊の絵姿のようなものから、軽食や子供向けの玩具とにぎやかだ。
ただ、そのにぎやかさとは裏腹に二人は静かに神殿への道を歩んでいた。
門の前には数名の神官の姿。
通されたのは門の外である小さな受付のような場所で、ネージュには白い儀式服が用意されていた。
それは、神殿に向かう正装として準備されたものだ。
繊細な刺繍が施されたそれは、ただの衣装ではない。
聖女として認められ肩掛けのストラを授かったその瞬間から、それはそのまま聖女の正装となるのだ。
聖女を騙るものなどはいないという事なのだろう、ここに来た時点でネージュはほぼ聖女になる事が決まっているのだと、その衣装が物語る。
「着てきますね」
ネージュは表情を悟られまいと父を振り返らずに更衣室に入っていく。
彼女はこの先に待ち受ける未来を選び、身を委ねる覚悟を決めたのだ、とその姿を父は静かに見送った。
彼女が儀式服を身にまとい戻ってくれば、門の前に改めて案内される。
そこには数名の司祭の姿があり、その中央に立っていたのは大司祭エヴァンだった。
長い銀髪を背に流した彼は、その目に深い碧色の瞳を宿して、穏やかに微笑んでいた。
「ようこそお越しくださいました、ネージュ様」
「……はい、お待たせいたしました」
その言葉と共に昨夜から姿を消していたシュウがネージュの隣に姿を現し、司祭たちが小さくざわめいた。
そんな中でも、エヴァンはただ穏やかに微笑みを深める。
「いいえ。今日はあなたにとって特別な日です。ゆっくりと心を整え、覚悟を持って臨めばよいのです」
大司祭の優しい言葉はどこか励ましに満ちている。不安な心持ちを静かに温かくするかのように。
「ブランデール侯爵殿。お嬢様をお預かりいたします」
「どうか、娘をよろしくお願いいたします」
父の声は微かに震えていた。
彼はそれから何も言わずにただ娘を見つめていた。言葉にしなくても瞳がすべてを語っていた。
「幸せになれ」と。
ネージュはその瞳に応えるように、静かに微笑み、深く一礼をして一歩を踏み出す。
門の中へ。
神と精霊に使えるものだけがくぐることを許されたその門を、ネージュはシュウに寄り添われてくぐっていった。
神殿の門をくぐれば、街の喧騒がすっと遠ざかるような静けさがあたりを包む。
不安気に後ろを振り返ろうとしたネージュの背にシュウが手を添えれば、彼女はようやくしっかりと前を向いて頭を上げたのだ。
「ここが君の新しい家だね、ネージュ」
シュウの声に、大司祭が頷く。
「こちらが神殿です」
その石造りの建物には、街中からよく見える背の高い尖塔がある。
神殿に足を踏み入れれば、大理石の床のなめらかな床で靴音がやけに高く響き、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
どこか異次元のような静けさが漂い、重々しくも神聖な雰囲気に満ちている。
案内された聖堂の中央には巨大な石柱がそびえ立ち、その周囲では人々が静かに祈りを捧げていた。
精霊たちの視線を感じる中、傷ついた者たちがこの場所に集い、過去の痛みを癒しているのがわかる。
「僕がいるんだ、何も怖くない」
ネージュは一度深く息を吸い込み、無意識にシュウの手を探す。その温もりに触れて落ち着いたように少し長く息を吐いた。
「シュウ、ありがとう」
声はまだ少し震えていたけれど。
エヴァンは石柱の前にネージュを立たせるとそれに手を触れるように言った。
「その石柱がオベリスク。この国の魔力を循環させ、精霊たちと共に過ごすための装置です。祈りを……そうですね、まずはあなたの精霊への感謝を心で唱えて見てください」
穏やかな声に促され、ネージュは恐る恐る石柱に掌で触れた。
「……暖かくなってきました」
その意外な感覚に彼女はシュウを振り返る。
そして、エヴァンは目を細めた。
「ああ、やはり魔導騎士様のお嬢様だけある。魔力量が桁違いですね。目を上げてご覧なさい」
その言葉に彼女が目を上げれば、そこには幻想的な光景が広がっていた。
白く輝く小鳥、前世で妖精といって思い出すタイプの羽をはやした小さな少女、輝く光の球、小さな輝きが聖堂を満たしている。
「わぁ……」
「シュウ様、貴方様は大精霊でございますね?」
「ああ、土の大精霊だよ。つまり…」
「ええ、大精霊を顕現させたネージュ様は大聖女ということでございますね」
「えっ?!今日来たばかりなのに?!」
大聖女と言う言葉に私はあわててエヴァン様を振り返る。
「なるほど、聖女の仕組みについてご説明が必要なようですね」
エヴァンは簡単に聖女について語った。
大聖女というのは大精霊を顕現させた聖女のこと。
一般の精霊なら聖女で、聖女と大聖女は神殿で暮らすことになる。
そして、妖精であれば修道聖女として普通の暮らしをしながら、神殿の仕事を手伝ったりするらしい。
「聖女として経験を積んだ方がなるのが大聖女だと思っていました」
「よくそう誤解されますから無理もありません。この神殿にはネージュ様より年若い大聖女様もいらっしゃいます。気負うことはありませんよ」
その言葉にすこしホッとして頷けば、エヴァン様はネージュの肩に鮮やかな黄色のストラを掛けた。
滑らかなシルクは神殿のステンドグラス越しの光を艶やかに映す。
「大地の系統の聖女のストラです。普段はする必要はございませんが、儀式の際にはお召しになってください」
その言葉にネージュが頭を下げるとシュウは拍手をした。その音が聖堂に響けば、それに合わせるように聖堂の妖精たちがキラキラと輝きながら宙を舞った。
それはまるであの影絵のような幻想的な光景だった。
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