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43.炎の咎

風が鳴りを潜めた祈りの場で、淡く脈打つ赤いオベリスクの前に、一行は静まり返っていた。

誰もが、ネージュひとりが背負った苦しみに、そしてその意味に思いを巡らせていた。


沈黙を破ったのは、あの青年学者だった。

旅の記録と古文書をひとつひとつ繋ぎ、確信を探し続けてきた彼は、戸惑いを押し隠すように口を開く。


「だとすれば、これまでのオベリスクと精霊を照らし合わせると……」


彼は古びた地図と旅の記録を照らし合わせながら、慎重に言葉を選ぶ。


「港町カラーリアでは、水の大精霊マーレ様が最も力を使われたと仰いました。アーフェンでは風のノトス様。タルソスでは、地のシュウ様と、属性を同じくする岩のガイ様。つまり……」


そこで一度言葉を切り、ネージュの傍らで今も淡く光を灯すオベリスクに目を向ける。


「オベリスクには呼応する属性があり、そうであればこのオベリスクは、“火”に呼応する柱……という可能性が高いのかと」


ルシアンがわずかに息を呑み、ネージュを見つめる。


「なぜ、ネージュが……。彼女は“土の大聖女”のはずだろう?」


その疑問に、しばしの沈黙が落ちると、やがて、静かな声でノアが呟いた。


「……そもそも、なぜ“火の大聖女”は存在しないのでしょうか?」


今まで“存在しないこと”が当然の前提で語られてきた、“火”の欠落。

だが、その空白は最初から“欠けていた”のではなく、何かが“奪われた”結果なのではないか。

そんな思いが、全員の胸をよぎる。


すると、ひとりの神官が静かに口を開いた。


「……記録によれば、火の大聖女は過去には存在しておりました。しかし……ある時を境に、突然姿を見せなくなったのです」


その言葉に、聖女たちの間にさざ波のような動揺が広がった。


そのとき、学者の一人が焦げ付いた石柱の根元に膝をつき、手をかざした。


「……この焦げ方、ただの火災ではありません。熱源は、建材の奥深く――柱の“中心”部から発していました」

「自然発火でもないと?」


神官が尋ねると、学者は首を横に振った。


「いいえ。これは明らかに魔力反応……内部からの強制的な“力の逆流”があった痕跡です」


学者は巻物を広げ、魔法陣の痕跡をなぞるように石造りの床に指を滑らせる。

そこには、消えかけた文字と精緻な円環の記録。微かに残る痕跡と一致する構造を、彼は見つけた。


その様子を見たノアが口を開いた。


「……見覚えがあります、この陣式……魔力風車。グラーケンが使っていたあれに、似ています」


その言葉に、一行の間に静かな緊張が走った。

慌てたようにノアが言葉を付け足した。


「……いや、あの構造はもっと複雑でしたが」

「確かに原始的で不安定なものですが、内容は……」


学者は消えかけた床の魔法陣に目を凝らし指でなぞりながら、巻物と見比べ続ける。


「強制循環式です。つまり……」


その言葉に神官たちの間に、緊張が走る。


「ここで……“火の精霊”を無理に使役しようとしていたのか?!」

「……過去の記録に、わずかにあります。精霊の強制召喚。その危険性ゆえ、すべて禁忌とされた技術……」


学者は指を止め、焼け焦げた礎石の上に視線を落とした。


「証拠はここにあります。焼失した村、魔力を濃く帯びた石柱、そしてこの強制魔法陣の痕跡」


年老いた神官が、重く口を開いた。


「……それが、フロスティアで“炎の咎”と呼ばれる所以か……。精霊の怒りを買ったとすれば、姿を消したのも道理です」

「それ以来、炎の精霊はフロスティアに姿を現さなくなった……」


若い神官がそう呟くと、マーレがかすかに目を伏せた。


「……炎は、それから呼ばれることを拒んだのかもしれませんね。愛された記憶ではなく、傷つけられた記憶として」


シュウもまた、声を落とす。


「忘れ去られたのではなく、“忘れさせられた”のかもしれないな。精霊と人との罪深い記憶が、この地に刻まれているならば」


全員の視線が、ネージュに向かう。


視線がネージュに集まる。

オベリスクに最も強く反応したのは、彼女だった。

そして、誰よりも痛みを背負ったのも、彼女だった。


「……まさか、ネージュ様が……“火の大聖女”でもあると?」


誰かが、呟くように言ったその言葉に、誰も反論しなかった。

焼け跡に立つ赤い石柱が、ゆらりと揺らめいたように見えたのは、気のせいだったのだろうか――。



陽が傾きかけた頃。

砂に刻まれた時間の中、ネージュはゆっくりと上体を起こした。額にはまだ微かに汗がにじみ、頬は青白さを残している。

自身の置かれた状況と現状を聞いたネージュははっきりと口にした。


「……もう一度、祈らせてください。このオベリスクにちゃんと向き合いたいんです」


その言葉に、そばにいたルシアンが立ち上がる。

ネージュの傍へ歩み寄ると、彼はわずかに身をかがめその肩をそっと押さえた。


「だめだ。今の顔色を見て、自分がまだ大丈夫だと思えるのか?」


その声はいつになく低く、かすかに震えていた。


「体力も魔力も、まったく戻っていないのに……もう一度って、無茶だ。命を削る祈りになるかもしれないんだぞ」


ルシアンの必死の訴えに、レイラやノア、サヴィアまでもがそれぞれの形でネージュを押しとどめようとした。

だが、そんな中でただ一人、沈黙を保っていた存在が、ゆっくりと口を開いた。


「……それでも、立ち向かわなければならないのだろう」


砂の上に静かに現れたのは、土の大精霊、シュウだった。

その姿は相変わらず朴訥で、どこか人懐こさすら漂わせている。だが、その声は真剣だった。


「君が負った痛みの意味を知るために。あの柱の力が、どこへ向かおうとしているのかを確かめるために」


ネージュが顔を上げる。そこに映るのは、自分を制止した誰でもなく、ただ静かに見守るシュウの姿だった。


「今はまだ立てまい。だが、しっかりと体を休めたあとで――もう一度だけ、この柱に向かうべきだと、私は思う」

「でも……」


レイラが言いかけた言葉に、シュウは小さく首を振った。


「私は共にいる。精霊でありながら、この柱とは本来呼応しない存在らしいが。だが、今はそれでも傍にいよう」


その声に、誰も返す言葉を持たなかった。

ルシアンは拳を握りしめ、シュウの言葉を聞きながら、ほんの一瞬だけ視線を落とした。


共にいるという言葉に、強く頷いたネージュ。

だがそれは、どこか遠くへ行ってしまう決意にも似ていた。


風が吹いた。


ネージュの赤く波打つ髪が、焚き火の香を残す空気の中にふわりと舞い上がる。

その光景に、ルシアンの胸が締めつけられた。


――似ている。


彼の祖国・アヴァリアで信仰される炎の女神。

強く、美しく、そして手の届かない存在――まるで、今のネージュのようだった。


「……そんな顔をするなよ」


ルシアンは誰にも聞こえないほど小さく呟いた。


それでも、彼は知っている。

彼女が望む限り、自分はどんな姿でもその背を支えようと決めたのだと。


だからこそ、次にネージュが祈るその時、何が起きても自分は傍にいる。

それだけは、誰にも譲れなかった。



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