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41.嵐の訪れ

昼の砂漠は、呼吸することすら罰のようだった。

乾いた空気は容赦なく喉を焼き、陽光は影を溶かし、熱となって全身を包み込む。風が吹かなければ、立っているだけで意識が遠のく。


そんな中で、彼女はずっと風を起こしていた。

旅のはじめからそうだった。陽が昇るたび、サヴィアはその小さな両手をわずかに掲げ、風の通り道を探るようにして空を撫でていた。


けれど、今日は違った。


風が弱々しい。吹きぬけたはずの涼しさが、すぐに熱に押し返される。


「……サヴィア?」


ネージュが心配そうに声をかけたとき、サヴィアは何も言わずに頷いた。

それでも額には汗が浮かび、呼吸は浅い。何より、彼女の肩がほんの少しだけ、震えていた。


「もう、止めてもいいんだよ。風……」

「大丈夫」


サヴィアは短くそう言ったが、その声には張りがなかった。ノトスの姿が淡く現れ、彼女の背に手を添える。

その瞬間、サヴィアの顔がほんのわずか歪んだ。

痛みか、それとも恐れか。


「でも、止めたら……誰かが倒れる」


それは、サヴィアの小さな独り言だった。けれど、皆にはっきり届いた。

いつも真っすぐに立っていた彼女が、今は弱弱しく年相応の幼い少女に見えた。

ネージュはそっと手を取り、サヴィアの手を包み込むように握る。


「じゃあ、私たちが守るから。サヴィアが無理しないように……それを守る番」


サヴィアはしばらく黙っていた。だがその目は、何かを見つめるようにわずかに見開かれて――そして、ぽつりと呟く。


「……風が、変わる」

「え?」


そのとき、風がふ、と途切れた。


どこかで、何かが満ちていくような、ひどく静かな気配。


「……来る」


サヴィアは立ち止まり、首を少し傾ける。なにも映さないはずの瞳で何かを見つめているかのように。

傍らに現れた風の精霊、騎士の姿のノトスが彼女の耳元で静かに囁いた。


「南から……二日分の砂が巻き上がる風だ」


それだけで十分だった。サヴィアは無言で足を進め、仲間たちの前に立つ。

頬は火照り、汗は止まらない。だがその声は、凛として揺るぎなかった。


「……砂嵐が来る。明日……夕刻には、ここが埋まる。すぐに行かないと」


本来なら休むはずの、激しく日が照りつける真昼。


「君の体調が」


サヴィアは言った。


「今、止まっても……私、休めない」


その呟きに、誰もすぐには返せなかった。

彼女の目は見えなくとも、遥か先に見えている何かを捉えている。確信に満ちた声だった。


シュウが砂地にしゃがみこみ、手で地表を掬い上げる。細かく乾いた砂がぱらぱらと指の間から落ちる。


「風が消えたあとに来るのは、力強い息吹だ。……暴風だな。サヴィアの感覚は正しい」


そんな中、学者が鞄から古地図を取り出し、慌てて砂地に広げる。


「ここです……南東に抜けるなら、この谷間が……! 一度風向きに守られる地形です。オベリスクに向かうなら、寄り道にはなりますが、嵐を凌げるとすれば――!」


エレンが地図を覗き込み、うなずいた。


「私はそこを通ったことがあります。マーレと共に」

「大丈夫、私が場所を覚えているわ」


美しき水の精霊が慈母のように微笑んだ。

全員の視線がサヴィアに向く。彼女は短く息を吐いた。


「……ノトスが、言ってる。『ここは、退くより進め』って」


その声に、ルシアンは目を伏せた。すぐに顔を上げ、きっぱりと言う。


「わかった。覚悟を決めるしかない」


それからの旅は、沈黙と耐久の連続だった。

太陽は容赦なく照りつけ、砂は靴の中に容赦なく入り込む。風がない砂漠は、息をするたびに肺に焼けるような熱が入る。


マーレが絶えず水を霧状に変え、頭上に冷気を生む。そのたびに魔力が削られ、エレンも顔を蒼くしていた。

ノトスはサヴィアを抱え、ネージュはその隣で、少しでもサヴィアを灼く日差しを遮ろうとしていた。ルシアンは先頭を歩き、足跡が吹き消されないよう道を示し続けた。


やがて、日は落ちたが熱がまだ残る時刻。谷間の影が眼下に覗いた。


「……間に合った」


誰の声かもわからない、かすれた安堵だった。

その声と同時に、抱えられつつも前を見ていたサヴィアの首ががくりと落ちた。

ノトスが咄嗟に受け止めたが、彼女の顔は熱と疲労で真っ赤に火照っている。


「サヴィア!」


ネージュが慌てて駆け寄り、その額に手を当てる。熱い。ただの発熱ではない。


「高熱……魔力の使いすぎ……それに……」

「熱の中にいた時間が長すぎた」


シュウが冷静に言うが、その顔には深い皺が刻まれていた。


「とにかく、休ませなきゃ」


レイラが急いでマントを敷き、サヴィアを横たえる。マーレが水を口元に運ぶが、彼女の唇は乾いたまま動かない。


そのとき、もう一つの影がゆっくりと地面に膝をついた。


「エレンさん……?!」

「……ごめんなさい……少し、立てないみたい……」


エレンが微笑みながら言った。彼女の髪は砂と汗で濡れ、指先がわずかに震えている。


「大丈夫。年のせい。……でも少し、休ませて」


ノアが岩のくぼみに荷を下ろし、水をとりだすとレイラはエレンにそれを飲ませようとした。


「これ……熱中症」


そのつぶやきは、シュウの耳だけが捉えた

ネージュの中の(みゆき)の記憶が警鐘を鳴らすと、彼女はすぐさま手持ちの袋を探る。干し肉にまぶした塩、乾燥果実、小瓶に詰めた砂糖。少ないけれど、足りる。


「塩と糖……一緒に溶かせば、体が水を吸いやすくなるから」

「そうなのか」


驚いたように言うルシアンに、ネージュは小さく答えた。


「美味しくはありませんよ」


冷やすなら首、脇、そして足の付け根。動脈に近い場所に。

布を湿らせ、彼女は手際よく冷却を始める。少し震える手を、彼女自身も抑えきれない熱気の中で動かしていた。


「それ、懐かしいな」


静かに声が落ちる。傍らで見ていたシュウが、目を伏せてつぶやいた。

ネージュは手を止めないまま、少しだけ顔を上げる。


「体育の後、みんなスポーツドリンク飲んでる中。『幸』はあれ飲んでたもんな」


自分に金をかけることを極端に厭うた親の目を盗んで、中学時代の彼女が作ったスポーツドリンクもどき。思い出したくもない過去が、けれど今、役に立っている。


ネージュの指が、ほんの一瞬止まる。

その目は静かに、過去に向けて開かれる。


「不味かったよね」


変わらないのは、あの時も今もシュウが隣にいる事。


風が、山の隙間を通って吹き抜ける。

笛のように甲高い音が時折混じるのは、谷の向こうの風の激しさを示していた。


そして夜が降りる。

砂嵐は谷間の外で凶暴に吹き荒れていたが、岩のくぼみに身を寄せた彼らには届かなかった。まるで谷そのものが、大地の揺りかごとして彼らを守っているかのように。


ノアが見張りの交代を決め、学者も神官も皆文句も言わずにそれを務めた。


誰もが疲れ切っていたが、心はひとつだった。


「この嵐が過ぎたら、きっと」


それだけを胸に、一行は長い夜を過ごした。

そして、夜明けはまだ遠かった。

体調不良で間が空いて申し訳ありません。

しばらく週2-3ペースでの投稿となります。

よろしくお願いいたします。

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