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35.王都へ

その夜、ネージュたちはそのまま村長の住まいに泊めてもらうことになった。

温かみのある丸太の壁はしかし、隙間風もなく炉のぬくもりに満ちた空間だった。

春浅い夜の外気とは別世界のように穏やかで、ほの暗い明かりのなかに、旅と戦いの疲れが静かに溶けていくようだった。


用意された寝床の上で、仲間たちは次々とまどろみに落ちていった。

サヴィアは壁にもたれ、目を閉じたまま静かに息をしている。一方レイラはうずくまるように体を丸め、時折うなされるように眉をひそめていたが、ネージュがそっと毛布をかけ直すとふっと緊張がほどけたようだった。ノアはまだ机に向かっていたが、村の地下室で写し取った絵巻を懐にしまうと安心したように机に突っ伏して眠りに落ちた。


夜が明けるころには部屋の空気もやわらぎ、かすかな焚き火の匂いが漂っていた。

窓の外には淡い光が差し込み、霜に覆われた畑が朝日に照らされほのかに輝いていた。あの夜の恐怖がまるで遠い夢だったかのように、村の空は今や静かで、どこか祝福されたような透明さを湛えていた。


旅支度を整えたネージュたちが村の小道へ出ると、すでに多くの村人たちが道の両側に集まっていた。誰もが上着をまとい、早朝の寒さに肩をすくめながらも、その表情には確かな安堵と感謝が浮かんでいる。

小さな子どもが母の袖をつかみながら、ネージュに手を振る。その背後には、昨夜祈りを捧げたあの老いた神官の姿もあった。白く濁った瞳でまっすぐこちらを見つめ、ゆっくりと頭を下げる。


「お気をつけて……本当に、ありがとうございました!」


その声に、ネージュたちは微笑みを返し、手袋越しの手をゆっくりと振り返した。


「私たちの方こそ、忘れません。この村の温かさを」

「この村の皆様の幸せをお祈りしております」


エレンの穏やかな言葉には確かな祈りの重みがあった。


「……ありがと」


サヴィアのその言葉が風に乗って届いたのか、村人たちは静かに微笑んだ。


凛とした冷たい空気の中、ネージュたちは馬を進める。道端の草には早くも日差しで溶けた霜が輝く露となってきらめいている。空には淡い薄雲がたなびいていたが、心に差す光は確かだった。背に受けたあたたかな想いが、彼らの歩みにそっと力を添えてくれる。


日差しは大地を優しく包み込むように照らしていた。

白い雲がゆるやかに流れ、風もどこか和らいで感じられる。馬車に揺られながら、ネージュたちはゆるやかに王都への道を進んでいた。


「……すぅ……ん、……むにゃ……」


荷台の一角では、毛布にくるまれたノアが小さな寝息を立てている。

昨夜、絵巻の写しに没頭していた彼はほとんど眠らなかったのだ。レイラはその向かいで、馬車の揺れに身を委ねながら、そっと彼の毛布を整えた。まるで音ひとつ立てまいとするかのように、気遣うような所作だった。


やがて丘を越え、視界が開けると王都フロスティアの姿が現れた。

荘厳な王城がそびえ、その奥にそびえる大神殿の尖塔が光を受けて白銀に輝いている。広がる街並みはまるで織物のように精緻で、重なり合う暮らしの営みが遠くからでも伝わってきた。


ネージュたちには懐かしく、ルシアン達には異国のものであるその光景。

それぞれの表情で彼らは街を見つめていた。ネージュはそっと目を細め、静かに呟く。


「……私たちの、大切な場所」


この都もこの国も守りたい。

守るべきものがあまりに多い。だが、それこそが歩み続ける理由でもある。仲間たちもまた、その想いを胸に抱いていた。聖女として、そして一人の人間として。


王都の門をくぐった瞬間、歓声が道の両脇から上がった。


「大聖女様だ!」

「お帰りなさいませ!」

「我らが希望が、戻られた――!」


揺れる旗、あふれる笑顔、祈りのような拍手の波。

その一つひとつが、ネージュたちの胸を満たしていく。まるで、凍りついた心の奥にあたたかい火を灯してくれるかのように。


「……あの人たちを、守りたい」


ぽつりとネージュがつぶやくと、隣にいたルシアンが頷いた。


「ああ。必ず」


その眼差しには、迷いはなかった。


大神殿へとたどり着いた一行は、荘厳な大広間へと導かれる。そこには、エヴァンをはじめとする高位神官たちが待っていた。


高天井から垂れる無数の光糸のような魔法灯が、空間にほのかに神聖な輝きを満たしている。磨かれた床を歩むごとに足音が響き、広間の奥に並ぶ神官たちの影は静かに、しかし確かに彼女たちを見据えていた。


中央にはエヴァンの姿。白の祭衣をまとい、静謐なまなざしで一行を迎えた。その両脇には神殿を束ねる五人の高位神官もいた。


「ようこそ、お帰りなさいませ。……皆様、そして旅の御一行の皆様」

エヴァンの声は、深い泉の底から響くような、静かで重みのある声音だった。


エレンは一歩進み出て、静かに頭を垂れる。


「ただいま戻りました。報告があります。……カラーリア、アーフェン、タルソス、そのオベリスクは……いずれも深刻な状況にありました」


エヴァンは頷き、背後に控えた補佐官に目配せをすると、手早く記録が始まった。


「その原因は、グラーケン王国の開発した魔力風車により、フロスティアの魔力も奪われていることだと考えられます」


「それは……確かなのか?」


ざわめきの広がる中そう一人の高位神官が口を開けば、ネージュたちは少し辛そうに頷いた。


「それを奪われないためにはこの国から流れ出る魔力をせき止め遮断するしかない、だがあまりにもリスクが大きい。そう考えられた」


シュウが姿を現し重々しく口を開けば、神官たちは頭を下げた。


「だが、彼がヒントを見つけてくれた」


ノアが前に出る。


「魔力を奪われず、しかも自然な状態で循環が保たれていると聖女の方も感じ取った山村がありました。これは、その村の地下に保管されていた絵巻の写しです」


ノアが徹夜で書き上げた写しを神官たちの前で広げると、彼らはそれを覗き込む。


「これは、オベリスク作成の魔法陣によく似ておる……が、それとも異なるな」


ノアは頷く。


「やはりそうですか……この紋様の部分をご覧ください。魔力、多分この場合はオベリスクと結ばれていたはずの刻印の一つが、消えかけていました」


ざわり、と広間に緊張が走る。

年老いた神官が、苦渋をにじませてつぶやいた。


「いよいよ、本格的に均衡が崩れ始めている、ということか」

「その通りです」


と、ネージュが前に出る。


「私たちが見たのは、ほんの始まりに過ぎません。これから、より多くの地でより多くの人と精霊が、苦しむことになるでしょう」


エヴァンは目を閉じ、長く息を吐いた。その後、静かにまなざしをネージュに戻す。


「……それでも、君たちは進むのだな?」


ネージュは一瞬、仲間たちを振り返る。サヴィアは静かに頷き、ノアは疲れのにじむ顔の奥に、強い決意を宿していた。レイラもまた、剣の柄に触れながら、まっすぐに前を見据えている。


「はい。進みます。すべては、この大地を――祈りを、未来を、守るために」


長い沈黙が、大広間に満ちる。


やがて、エヴァンはゆっくりと、深く頷いた。


「ならば、私たちにできる事はこの絵巻の解読となろう。ノア殿、これをお預かりしてもよろしいだろうか」

「ええ、そのために写してきたものです」

「本当になんと礼を言えばよいか……。その村には調査団を送る。神官だけでなく、魔導騎士と学者にも働いてもらわねばなるまいよ」


その言葉に、ネージュは深く礼をした。重く、しかし確かな一歩が、ここからまた始まろうとしていた。

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