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34.古の祈り

村人たちが過ごしていた地下室。

そのさらに奥――狭く掘り下げられた空間の先に、ひとつの祭壇がひっそりと佇んでいた。


暖かな光を放つカンテラが、その一角をぼんやりと照らしている。

その祭壇は、木を組み、白い布で覆っただけの素朴な造りだったが、その前に捧げられた干し花や、擦り切れた祈祷の石板の数々が、長く祈りを積み重ねてきたことを物語っていた。


「……ここでも、ずっと精霊に祈りが捧げられてきたのね」


ネージュが、そっと呟く。

それを聞いたシュウは微かに目を細め、土の中に宿る“音”に耳を傾けているようだった。

マーレも静かに歩み寄り、手をかざすと、空気がほんのわずかに潤った。

ノトスが小さく頷く。


「……この場所は、信じられていたのですね。ずっと」


エレンの言葉で、祭壇に目をやったルシアンが、一歩前へと進んだ。


祭壇の前には一枚の、古びた絵巻が置かれていた。

慎重に巻かれ、布にくるまれ、祈りの花とともに静かに眠っている。


「……触れても、構わないか?」


ルシアンが、村長に視線を向けながら問う。

村長はうろたえたように身を起こし、すぐに深く頷いた。


「ええ、もちろんでございます。これは、代々この村で守られてきたものでございます。昔の大聖女様が残されたと伝わる絵巻にございます」


ルシアンは慎重に布を解き、絵巻を開いた。

そこに描かれていたのは、風化とにじみで色の定かでない絵。

線は乱れておらず、丁寧に描かれていた。けれど何を示しているのかは、一見してすぐにはわからなかった。


曲線と円、星のような模様。土と水、風と火のような色合いが重なり合い、まるで何かの印のようにも見える。


「……不思議だな」


ルシアンが低く呟く。

その隣で、ネージュがそっと声をかける。


「これが、大聖女の遺したもの……?」


村長は頷きながら、祭壇に手を合わせるようにして語った。


「はい。この巻物の祈りは、いずれこの大地を守ると……そう語られてきました。ですから我々は長らく、この絵巻に向かって祈りを捧げてまいりました」


言葉には、迷いも誇張もなかった。

代々の祈りが、静かにここに積み重ねられていたことが、ひしひしと伝わってくる。

ルシアンは、しばし沈黙したのち、絵巻を静かに巻き直し、元の場所にそっと戻した。


「これは……神殿にも伝えるべきだろう」


彼の言葉に、聖女たちは静かに頷いた。

大地に根ざした、名もなき人々の祈り。


ノアは静かに口を開いた。


「この絵巻……写しても、よろしいでしょうか?」


その熱意は村長にも伝わったらしい。村長はしばらく驚いたように目を見開いていたが、すぐに深く頷いた。


「ええ、構いませんとも。むしろ、残していただけるなら……ありがたいことです」


ノアは礼を述べると、すぐさま鞄から写本用の紙と墨を取り出した。絵巻を丁寧に広げる。

繊細な線、掠れた色。

何度も視線を行き来させながら、一筆一筆、心を込めて写していく。


祭壇のそばには古びた椅子と机が用意され、カンテラの明かりだけが頼りの地下の空間に、筆を走らせる微かな音だけが響いていた。


一方、そのころ地上では――


レイラが、囲炉裏で煎れた茶をそっと盆に乗せていた。魔獣との戦いで疲れた身体は、まだどこか鉛のように重い。だが、それでも彼女は立ち上がり、静かに地下室へと足を運んだ。

ノアが、きっと無理をしていると思ったのだ。


階段を下りると、案の定、カンテラの明かりの下で彼は机に向かっていた。真剣な眼差しで筆を走らせ、肩には疲労の色が濃く滲んでいる。

けれど、その背中からは何の迷いも感じられなかった。


「……お休みにならなくては、体に障りますよ」


そう声をかけながら、レイラはそっと茶の盆を机の端に置いた。

ノアはふっと視線を上げ、目を細めた。

 

「すまない。だがもう少しだけで終わるから」

「いいえ。謝ることではありません」


 レイラはやさしく笑った。


「でも、あたたかいうちに飲んでくださいね」


ノアはその笑みに一瞬だけ息を呑んだように見えたが、やがて静かに茶へと手を伸ばした。


「ありがとう。……その言葉も、含めて」


ほのかな湯気が立ち上り、疲れの残る空気に一瞬だけ、やさしい香りが漂った。

そのひとときだけ、地下の静けさは温かく満たされていた。


――一方その頃、ネージュとルシアンは。

村長の家の囲炉裏端に、改めて向き合っていた。

ルシアンは魔獣たちが現れた方角や、過去の被害の様子を丹念に聞き取っていく。


「いつごろからこういった魔獣の出現が増えましたか?」

「そうですな……昨年の冬の訪れの頃でしょうか。最初は森の外れで家畜が襲われ……。でも、村の中まで入り込んだのは、今夜が初めてです」


村長の声には、疲労と恐れがにじんでいた。その言葉を、ネージュは静かに聞きながらそっと地脈を探る。彼女の手には、シュウが土の“音”を伝えるように寄り添っていた。


ルシアンはうなずき、記録用の紙に細かく書き記していく。


「ありがとうございます。王都に戻った際には、必ず対策を提案します」


その誓いの言葉に、村長は深く頭を下げた。


――聞こえる?


シュウの声が、意識の奥に届く。ネージュは目を閉じ、地の流れに意識を沈めた。


この村を包む土の声は、かすかだが、穏やかだった。近くの森や丘は乾ききっているはずなのに、ここだけは――


「……魔力が、残ってる」


ネージュがぽつりと呟いた。まるで奇跡のように、この小さな村の地下にはまだ魔力がしっかりと残っている。それは、水脈のようにひっそりと、けれど確かに根を張り、生きている。


「この場所だけは、守られている」


シュウの声もまた、静かだった。まるで誰かが、何かが、意図してこの地の魔力だけを保ち続けてきたかのように――

その存在の気配は、明確ではない。

けれど、確かに“祈り”の名残がここには息づいていた。


「だから……」


ネージュはそっと視線を上げた。

外の大地の力が干からび、森の魔力が尽きていく中、飢えた魔獣たちは最後の力を求めて、この地へとたどり着いたのだ。


わずかに残された魔力――それを求めて、かつてはただの獣だったものたちが、渇きと飢えの果てに魔獣へと変貌していった。


「この村を守っていた魔力が……逆に、獣たちを引き寄せてしまった」


その皮肉な真実に、ネージュの胸が少しだけ痛む。

シュウが小さく頷くと、風のない空間で、ふわりと土の香りが広がった。


そのそばで、ルシアンが静かに問いかける。


「それは……絵巻に描かれていた“祈り”と、関係があると思うか?」


ネージュは迷わず頷いた。


地の奥に漂う、目に見えない息吹。それは魔力というより、もっと穏やかで、やさしい“気配”だった。


祈りの残滓。信じられ、捧げられ、守られた記憶。

奪うでも、縛るでもない――ただ、共に在り続ける力。

ネージュは、それを掌に感じながら、小さく息を呑んだ。


「……これだ」


つぶやいた言葉は、確かな確信を帯びていた。


「この村が、いまだに魔力を保っていられたのは、誰かが“奪わずに守る”方法を選んだからだ」


祈りを捧げ、敬意を払い、命の流れを乱さずにいることで、大地が少しずつ、自らの力を保とうとしてくれていたのだ。


グラーケンが用いた魔力風車は、土地の魔力を強制的に奪い、動力源として使うもの。

短期的には便利でも、その土地はやがて死ぬ。まるで、燃やし尽くした薪のように。


でも――この村は違った。祈りと共にあることで、魔力は“残されていた”。


「グラーケンに奪われないようにするためには、完全に魔力の流れを断つしかないと思っていた。だがそれはあまりにも被害が大きくなりすぎるがゆえに踏み出せなかった。しかし、こんな風に守れるならフロスティアの大地を守れるかもしれない」


シュウの静かだが威厳ある声が響いた。

ネージュは顔を上げ、傍らのルシアンに視線を向ける。


「魔力風車に対抗する祈りは、きっとある」


ルシアンはわずかに目を見開き、そして、頷いた。


「土地と共に生きる技術……いや、祈り。確かに、それは……希望になるかもしれない」


この静かな村の一角で、誰にも知られずに続いていた“守る力”。それは、彼らの想いにぴたりと重なった。


奪うことで得る魔力ではなく――寄り添い、願い、繋がっていく力。

それが、きっとこの世界を変える鍵になる。

5/2は投稿お休みいたします。

5/3より再開予定です。

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