32.旅路
王都へ向かう街道を、南に下るうちに風景は少しずつ、素朴な色を帯びていく。
緩やかな丘が連なり、そこに寄り添うように小さな農村が点在し、春まだ浅い野には、芽吹いたばかりの若草が広がる。
「――良い土の気配に満ちているな」
シュウが、荷台の上から周囲を見回してつぶやいた。
確かに吹き抜ける風には、どこか懐かしい土と草の匂いが混じっている。
その日の夕刻、ネージュたちは小さな村にたどり着いた。
地図にも載らないほどの、ほんの小さな集落だった。
けれど、旅人に慣れていないはずの村人たちは聖女の来訪に喜び、集まってきた。
「この村には宿が一軒しかありませんでな……」
苦笑いしながら、皇太子一行を見回した村長が言った。
ネージュたちの他にも護衛の騎士がいるためそれなりの大所帯だ。
「よろしければ、わしの家で――いろいろご不便でしょうが、皆様をお迎えさせていただきたい。集会所でもありますから、皆様が泊まるには広さだけは十分です」
それは遠慮を知らない、まっすぐな善意だった。
ネージュたちはありがたくその申し出を受けた。
村長の家は、藁ぶきの大きな平屋だった。中に入れば炉端には鍋がかかり、いい匂いの湯気が立ち上っている。
そして、次々と村人たちがやってきた。
村人たちとの会話が弾む中、村の子供たちがネージュたちを見つけ目を輝かせて駆け寄ってくる。
「聖女様だ!」
「本物の聖女様だよ!すごい!」
最初は恥ずかしがって近づけなかった小さな男の子が、勇気を振り絞って言う。
「精霊って、本当にいるの?」
親たちは、慌てて子供たちをたしなめる。
「失礼だろう。申し訳ございません、聖女様」
慌てた大人たちと裏腹に、子供たちの瞳は、まっすぐに聖女たちに向けられていた。
その時、シュウがふわりと姿を現した。彼の手のひらから、土が舞い上がり、
あっという間に小さな遊具が作られていく。
小さな人形や、滑り台を模した土の塊――どれも精巧で、子供たちの目にはまるで魔法のように映った。
「すごい……!」
子供たちの歓声があふれる。
そして、静かに現れたマーレもまた、手をかざして空気をつかむように動かした。
水が空中で踊るように湧き出し、まるで小さな噴水のようなものが現れた。
「わぁ、すごい!」
「精霊様だ、精霊様!」
子供たちは無邪気に、作られた遊具で遊び、水を浴びては歓声をあげ、
一方で、村の大人たちはその光景に目を奪われ、ただただ静かにその瞬間を見守っていた。
ネージュはその様子を見て静かに微笑みながら、その幸せなひとときを胸に刻んだ。
子供たちが楽しそうに水遊びをしたり、土で作られた遊具を試している中、ひとりの小さな男の子が、ネージュの前に来て、ぽつりと言った。
「聖女様の髪って、暖炉の火みたい。あったかそう」
その言葉は、決してからかいや皮肉ではなく、ただ純粋に思ったことを口にしただけだろうとその表情からネージュにも理解できた。
子供の目に映る、自分の髪はきっと温かみのある、優しい炎のように見えたのだろうと。
ルシアンが、静かに微笑みながら口を開いた。
「ネージュはね、炎の女神さまにそっくりなんだよ」
そう言って、ルシアンは胸元から取り出した絵巻を広げ、女神の姿を見せる。
その女神の絵は、赤く波打つの髪をたなびかせ、温かく照らすように微笑んでいる。まるで何もかもを包み込むような優しさを感じさせた。
「炎の女神さま、だなんて…」
ネージュはその絵を見つめながら、心が少しほっとしたのを感じた。子供の無邪気な言葉に、かつてなら心を痛めていたかもしれない。
だが、今の彼女にはその言葉が温かさを持って響いた。
傷つくことはなかったし、むしろ、無垢な言葉に包まれる感覚を覚えたのだ。
もう、過去のように自分を隠すことも、恥じることもきっとないと。
今、ここにいる自身が、ありのままでいることで、他の人々にも温かさを与えることができると実感できた。
そして、ネージュは少年に温かく笑みを返したのだ。
その夜は、村人たちの持ち寄ったもので歓迎の宴が開かれた。
手作りのパン、掘りたての野菜、山で採れたという小さな果実――
どれも、贅沢なものではない。けれど、どれも心がこもっていた。
子供たちが珍しげにルシアンのマントにそっと触れたり、
青年たちが護衛騎士に「剣の構えを見せてくれ」と頼んだり。
「こんな穏やかな村で剣を振るうのですか?」
レイラが少し不思議そうに尋ねた。
「ここ最近近くの村が狼に襲われたと聞いていてね。最近は山の実りも悪いらしくて、巡り巡って狼の餌が足りないらしい。ああ、聖女様たちを怖がらせる気はなかったんだ」
「あんたの武器なんてクワくらいしかないんだから、お客人を困らせちゃだめだよ」
「それもそうだな」
笑い声があちこちからこぼれた。
たき火の温もりのように、にじむように広がっていった。
「……いいところだな」
ネージュは、そっとつぶやいた。
エレンも微笑みながら、果実酒のカップを傾けていた。
ノアは子供たちに囲まれて、アヴァリアの旅の話をしている。
サヴィアの顔にも、柔らかな光が宿っていた。
目は見えずとも、彼女は確かに、このあたたかな空気を感じ取っている。
――ああ。
こういう場所がもっと増えたらいい。
そんな願いがネージュの胸にふくらんでいった。
しかしサヴィアの低い呟きがそのささやかな平和を裂くようにこぼれた。
「……なにか、くる」
宴は、一瞬にして静まりかえった。
はじめて感想いただけて舞い上がっております。
慣れていないので、全部にお返事できておらず申し訳ありません。
大切に読ませていただいています。
返信上手に出るよう頑張りますっ




