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23.雨の中の灯り

わずかに後ずさった父の動きに、レイラの視線は一切揺れなかった。

彼女はまっすぐに父の目を捉え、その瞳の奥にある支配と怒りの影を真正面から見据えた。


「私は聖女としてこの地に参りました。この国のために、そしてタルソスのために。」


凛とした声が、静まり返った神殿に響き渡る。

ひび割れた石壁がその言葉を反響し、まるで祈りのように場を包んだ。


「国が滅びれば、あなたが取り返そうとする地位など、何一つ意味を成しません。

祈りの邪魔をなさるのでしたら、どうか――出て行ってください」


その一言は、刃よりも鋭く、痛烈だった。


父の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

怒りの熱が肌にまで立ちのぼり、手にした剣の柄がぎしりと軋む。

だが、その前に立ちはだかる岩の精霊ガイの巨体と、放たれるノアの冷ややかな威圧感がその怒気の奔流を押しとどめた。


しばしの沈黙ののち、父は低く唸るように息を吐き、剣を鞘に戻すと、唇を噛みしめながら神殿を背にした。

重たい足音が乱雑に響き、彼の姿が戸の向こうに消えていく。

その背は、かつて権威と威厳に包まれていたものとはほど遠く、打ちひしがれた老兵のようだった。


神殿に再び静けさが戻る。


祈りを捧げる空気の中、レイラは深く一礼し、小さく息を吐いた。

その背はもう震えておらず、しっかりと芯を持った光を帯びていた。


「お見苦しいところを、お見せしてしまい……申し訳ありません」


そう口にしたレイラの声は、澄んでいて、まるで光の粒を孕んでいるかのようだった。

誰にでもなく、けれど神殿の空気そのものに語りかけるような、柔らかさと誇りを含んでいた。


ノアはその姿をしばし見つめ、ふっと小さく微笑んだ。

その表情には、どこか誇らしげなものさえ漂っている。


「……私がここを見張っておく。あなた方は、どうか勤めを果たしてください」


その言葉には、命令でも、気遣いでもなく、確かな信頼が宿っていた。

銀の髪を揺らしながら、ノアは神殿の戸口へと歩み出る。

その背には、無言の護り手としての覚悟と、静かな優しさが同居していた。


レイラは静かにノアを見送り、深く頭を下げた。


「ありがとう、ございます……」


そう呟いたその目には、もうかつての怯えはなかった。


荒れた神殿にはただ聖女たちとノアの気配と、気配さえも感じさせずにたたずむ精霊たちだけ。

耳に痛い程の静寂の中、時おりぽつりと雨のしずくが石の天井から滴り落ちる音が微かに響く。

雨漏りはひんやりとした床に濡れた斑をつくっている。その床に、四人の聖女たちはためらうこともなく静かに膝をついた。


ネージュ、レイラ、サヴィア、そしてエレン――誰ひとり言葉を発することなく、ただ目を伏せ、祈りを捧げる。


先ほどまでの喧騒も、過去の痛みも、この場所では一度すべてが静かに消えていく。

雨音と祈りの気配だけが、時を刻んでいた。


神殿の奥に立つオベリスクは、今もなおひび割れ、風雨にさらされて古びた姿を晒していた。

だがその祈りの最中――ふいに、その石柱のひびの奥から淡い光が滲み出す。


まるで長い眠りからようやく目を覚ますかのように、揺れるような光がオベリスク全体を包んだ。

それは決して強くはなかった。満ち足りたものとは言えない、儚く頼りない光。

けれど、確かに――その瞬間、オベリスクが息を吹き返したのだ。


四人は静かに目を開け、互いにうなずき合う。

祈りは届いたのだ。この街の神殿もまた、再び人々を受け入れる場所となったのだと。


ゆっくりと立ち上がったそのとき、戸口を見張っていたノアが彼女たちを気遣う様に歩み寄ってきた。


「挨拶が遅れましたね、グラーケンへの使節団が出発したことをお伝えしに戻りました」


その言葉に、エレンの表情がふと引き締まる。


「……見込みは、ありそうですか?」


問いかけには緊張が混じっていた。

彼女の母国の再建の希望が、遠い地の判断にかかっていることを誰よりもエレン自身が理解していた。


ノアは少し肩をすくめ、曖昧に首を振った。


「正直、判りません。ですが――」


彼がふと指を上げると、外の空から一羽の鳥が音もなく滑るように飛来し、ノアの腕にとまった。

その足に巻かれていたリボンの色を確認したノアは、微かに笑みを浮かべる。

それは勝利を確信した者の微笑みではなかったが、それでも希望の兆しを感じさせる強さがあった。


「分の悪い勝負ではなさそうです」


聖女たちがそっと顔を上げる。

その目に灯る光は、ほんのわずかだが確かなものだった。


「例のレースの技法――とても詳細に記されていたおかげで、我が国の裁縫師たちはすぐに再現できたようです。それに、エレン様の助言も功を奏しました」


ノアはそう言ってエレンに視線を向ける。エレンは軽く眉を上げ、無言で続きを促した。


「……女性の立場が弱い国だからこそ、最初に惹きつけるべきは男性の目――そう言われていた通りに、裁縫師たちは“女性のため”ではなく、“男性が好む”意匠を施しました」


ノアの口調には、どこか苦いものが混ざっていた。

聖女たちの誰もが、その現実の残酷さを知っていたから、誰もその言葉を否定はしなかった。


「白が一般的と聞いていましたが……裁縫師の発案で、赤と黒のレースを使って、女性の薄衣を仕立てたそうです。一部の商人たちからは、“間違いなく受ける”と太鼓判をもらっています」


ノアは目を伏せ、どこか複雑な表情を浮かべた。

芸術や技術が評価されることは喜ばしい。けれど、それが“権力者の目を喜ばせるためだけに女性の肉体を飾るもの”として利用される現実に、少なからず葛藤があったのだ。

ネージュはそんなノアの様子をそっと見つめながら、静かに口を開いた。


「……それでも、誰かが手を伸ばしてくれたのなら。私たちの“祈り”は、ちゃんと届いているのかもしれません」


その言葉に、エレンはゆっくりとうなずいた。


「どんなに小さくても、はじめの一歩になるのなら――意味はあるわ」


神殿の奥では、オベリスクの光がまだ淡く灯り続けていた。

それは、まだ細く頼りないものかもしれない。

けれど、それこそがこの地にとっての、再生の第一歩だった。

2日お休みしてしまい申し訳ありません。

また、続けてまいりますのでよろしくお願いいたします。

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