表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/43

22.再会の時

神殿の扉を軋ませて中へ足を踏み入れると、冷たい空気が肌にまとわりついてきた。

薄暗い内部には、かつて灯されていたであろう燭台の残骸が朽ち果てて転がり、天井から落ちた埃が静かに宙を舞っていた。


その奥、神殿の中心に佇むのはひときわ存在感を放つ石の柱――オベリスクだった。


かつて祀られていたその聖なる石碑も今はひび割れ、そこから染み出した黒ずんだ苔が傷口のように広がっていた。

表面には祈りの文様がかろうじて残っていたが、それも時間と無関心に侵食されもはや読むことは困難だった。


ネージュ、サヴィア、エレン、それぞれが静かに膝をつき、祈りの言葉を捧げる。

この地に残された聖性のかけらに、ほんのわずかでも光が戻るように――そう願いながら。


そのとき。


「……帰ってきたのか、レイラ」


バタン、と無遠慮に開け放たれた扉の音が神殿に反響する。

低くくぐもった声がその静寂を切り裂いた。


全員が振り向くよりも先に、レイラだけがその声に硬直した。


声の主は、年配の男だった。

整えられた髪と身なりにはかつての威厳が見え隠れするが、その目元には陰りがあった。

そしてその唇は懐かしさではなく、軽蔑と嘲りを刻むようにゆがんでいた。


「お父様……」


レイラの声がわずかに震える。

けれど、その眼差しは決して逸らさず、顔も俯けなかった。


彼女の肩は緊張に強張っていたが、その姿勢はまっすぐだった。

まるで、自らの過去と家族との確執と今この瞬間に向き合うために、背を正しているように。


男は神殿の内を一瞥し、オベリスクを鼻で笑うように見やった。


「そんな壊れた石に祈ったところで、何が変わる?」


その言葉に、神殿の空気が張りつめる。

ネージュが思わず立ち上がりかけたが、レイラがそっと手を上げてそれを制した。


「それでも私は、ここに祈ります。この地のために、かつて信じたもののために……」


その声はかすかに震えていたが、胸の奥底から絞り出されたものだった。

彼女の瞳の奥にあるのは怒りでも悲しみでもない、揺るぎない決意。


父と呼んだ男と向かい合うその姿に、ネージュはそっと手を胸にあて静かに見守る。


――壊れた神殿、裂けたオベリスク、そして断たれた家族の絆。

それでもレイラは、もう目を逸らさない。


彼女は立っていた。

過去と、今と、自分自身と共に――まっすぐに。


「精霊なんかに仕えているくらいなら、男を喜ばせる方がよほど役立つだろう。」


神殿に響いたその声は、石壁に反響しながら冷たい毒となって空気を染めた。

ひび割れたオベリスクの前に立ち尽くしていたレイラは、その場に釘付けになる。


「お前がここにいて何になる? その美貌を売って生きる方が、ずっと賢い選択だ。」


男――レイラの父の言葉は、まるで泥を塗りつけるかのようだった。

その目は娘を見るというより、忌々しい過去の亡霊を睨むように冷たく、憎しみに満ちていた。


レイラの顔がわずかに歪む。

過去の記憶が、波のように胸の奥から押し寄せてくる。

父の怒鳴り声、蔑みの目、少女だった頃に否定された数々の言葉たち。


彼女は歯を食いしばり、視線を逸らさずに立ち続けた。

だがその肩はわずかに震え、胸には怒りと悔しさが入り混じった痛みが渦巻いていた。


そのときだった。


ごう、と風もないのに神殿内の空気が揺れ、石の床に重々しい足音が響く。

レイラの背後から、大きな影がぬっと現れた。


「レイラを傷つけることは、許さない。」


岩の精霊――ガイだった。

その声は地の底から響くように低く、確かな力を湛えていた。

巨大な岩の腕がレイラの前に伸び、まるで砦のように彼女を守る。


レイラの父は、その異形の存在に一瞬たじろいだ。

瞳に驚愕が浮かび、数歩後ずさる。だが、すぐに怒りの炎がその目に宿る。


「……貴様、精霊だか何だか知らんが、俺の前で好き勝手を――!」


怒鳴りながら男は腰の剣を抜き放った。

その刃が、かつてこの街を治めていた者の誇りを象徴するかのように、鋭く銀に光った。


「邪魔をするなら容赦はしないぞ!」


その叫びとともに男が駆け出す――剣が精霊に向かって振り上げられたその瞬間。

神殿の扉が風を裂くようにして再び開いた。


差し込む光の中、一人の男が音もなく現れる。

銀の髪が淡く揺れ、黒衣の裾が静かに床を払う。

その歩みは無駄がなく、まるで舞台の上を進むように優雅で、どこか非現実的な気配をまとっていた。


「――皇太子使節の前で、罪を犯すつもりですか?」


その声は冷ややかで、しかし一点の曇りもなかった。

まるで凍てついた刃が喉元に突きつけられたかのように、父の動きが止まる。


レイラの父が振り向く。剣を持つ腕がわずかに震えた。


そこに立っていたのは、ノアだった。


皇太子ルシアンの側近であり、静かなる威圧を纏う青年。

その双眸はまっすぐに父を射抜いていた。


「ノア……様?」


レイラは呆然と呟いた。


その声に、ノアの視線が一瞬だけ彼女に向く。

しかしその顔に浮かんだのは、いつもの無表情ではなかった。

わずかに目を細め、彼女の無事を確認するような、安堵の色。


再び視線を父に戻したノアは、凍りついた空気の中、ただ一言、厳かに言った。


「剣を下ろしなさい。それ以上の無礼は、あなた自身を貶めることになる。」


神殿に沈黙が落ちた。

その中でレイラは、精霊の温もりを背に感じながら、静かに息を吸い、吐いた。


そしてもう一度、父の前に立った。

今度は、少女ではなく、聖女として――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ