13.魔力風車
港町の喧騒の中、彼ら一行は手分けして商人たちに話を聞き回ることにした。
ルシアンとネージュ、ノアとレイラ、エレンとサヴィア。
それぞれに、船乗りの服を着た騎士たちが遠巻きに、あるいは自然に寄り添うように控えている。
「ご迷惑をおかけしてしまいますが、同行していただけて本当に感謝しております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
孫を連れた祖母を装ったエレンが、皇太子たちと騎士たちに深々と頭を下げた。
「いえ、魔力風車が他国にまで影響を及ぼすものなら、アヴァリアにとっても重大な関心事です。
聖女の皆様と力を合わせられるのは、むしろ私たちにとっても心強いことですから」
ノアが慌てたように言葉を返す。
「レイラ、ネージュ。無理はしないように。夕刻に神殿で落ち合いましょう」
エレンの声に、全員が頷いた。
そして三組に分かれた一行は、活気あふれる港町へと散っていく。
港には異国の言葉が飛び交い、荷車の軋む音と商人の呼び声が絶え間なく響いていた。
いつもと違う空気に、ネージュは少しだけ肩に力が入るのを感じながら、ルシアンの隣を歩いていた。
そんなときだった。
「おう、そこの美人さん。今晩オレと一杯どうだい? 今日上陸したばかりで、金はたっぷりあるぜ」
陽気な口笛とともに現れたのは、甲板の煤にまみれた肌の異国の船乗り。
酒の匂いをまとい、口元を吊り上げて笑いながら、ネージュの赤いうねり髪と灰色の瞳にじっと目を向けていた。
ネージュの頬から血の気が引く。
わずかに後ずさる足を、ルシアンの影がそっと包むように前に出た。
「おや、姉のことを気に入ってくださったようで。まるで炎の女神のようでしょう? ……とはいえ、田舎育ちで引っ込み思案なもので、すみません」
ルシアンは、少し大げさなくらいに明るい笑みを浮かべた。
船乗りたちがけらけらと笑う中、彼は懐から銀貨を数枚取り出して、近くの露店に酒を注文する。
「うちで働く従兄が、船乗りに憧れていましてね。ちょうどグラーケンの話を聞かせてやりたいと思っていたところなんです。……ぜひ一杯、付き合っていただけませんか?」
笑顔のまま、ネージュを自分の隣――船乗りたちの反対側の酒樽へと誘導する。
酒が運ばれると、船乗りたちの目つきが自然とやわらいだ。
金払いのいい客には、港町も寛大なのだ。
「へぇ、田舎者にしちゃ羽振りがいいな」
「実家が織物を商っておりまして。方々、見聞の旅をしているのです」
ルシアンは話を繋ぎながら、会話の中に自然と目的の話題を差し込んでいった。
流行の衣服の色から始まり、やがて「魔力風車」という耳慣れない言葉が船乗りの口からこぼれる。
「地面から魔力を吸い上げるんだとよ。実際に見たわけじゃねぇが、出荷量が倍になったのは本当らしい」
「商売するなら、今がねらい目だって話だぜ」
そのあいだ、ネージュは静かに俯いたままだった。
風に揺れる赤髪だけが、小刻みに震えている。
会話が一段落したのを見計らい、ルシアンは礼を述べてその場を自然に切り上げた。
喧騒から逃れるように、ふたりは路地裏へ入る。
「……ネージュ」
ルシアンが優しく名前を呼ぶと、ネージュはゆっくりと顔を上げた。
だがその瞳は、どこか怯えるように揺れている。
「ごめんなさい……うまく、笑えなくって」
かすかに震える声に、ルシアンは首を振った。
「無理に笑わなくていい。驚いたのは、当然だよ」
ネージュはしばし黙り、やがてぽつりと呟く。
「……“美人”なんて言われたこと、なかった。馬鹿にされたのかと、思って……」
「違うよ。アヴァリアや南方の国では、炎のような赤い髪や深い瞳は“祝福”の証なんだ。あの船乗りたちも、本当に美人だと思ったから声をかけたんだと思う」
「そんなはず……ないわ」
ネージュの唇がわずかに動いた。笑みのような形だったが、それは自分自身を傷つけないための、癖のようなものだった。
ルシアンは静かに息を吸う。言うべきか、言わざるべきか、迷っていた言葉があった。けれど、それでも伝えようと思った。
「……俺も、初めて君を見たとき、正直に言えば、その外見に惹かれたんだ。髪の色も、大きな瞳も……こんなに綺麗な人がいるのかって、心を奪われた」
ネージュは目を伏せたまま、微かに眉を寄せた。
「外見で人を判断してはいけないって、偉そうに言っておきながら自分が最初に惹かれたのはそこだった。……正直、ずっとそれを言うのが怖かった。君を傷つけるかもしれないって思って。でも、隠したままじゃいけない気がして」
ルシアンはそっと彼女の手を取る。その手は少し冷たかった。
「でも、本当に心が動いたのは、君が本当に嬉しそうに笑った顔がきっかけだった。そして君の中にある強さや優しさに何度も心を打たれた。だから今は自信を持って言える。本当に美しいって」
ネージュの肩が小さく震える。彼女は目を閉じて、長いまつ毛の影を落としたまま、声をしぼる。
「……でも、私は……」
「信じられないなら、信じられるまで言い続けるよ。君は美しい。外見も、心も、すべてが」
港の喧騒から離れたその一角で、生まれた沈黙は、静かで、けれど胸を締めつけるような苦しさを孕んでいた。
風がそっと吹き抜ける。
ネージュの髪が、炎のように揺れて日差しの中できらめいた。
夕刻、橙色の陽が西の空を染める頃――
神殿の一室に、ルシアン、ネージュ、ノア、レイラ、エレン、サヴィアが再び顔を揃えていた。
部屋の窓から差し込む柔らかな光が、皆の表情に静かな影を落としている。
最初に口を開いたのはノアだった。
「私とレイラ様は、資料館を調べてきました。グラーケンの交易記録や技術資料を過去のものと照らし合わせてみたのですが……やはり、近年の変化は異常です」
「変化?」
とルシアンが促す。
「はい。ここ数年で、グラーケンの輸出量が飛躍的に増えているんです。とくに魔力関連の工業品……主に小型魔道具の出荷量は、過去の十倍近くに跳ね上がっていました」
レイラが手元のメモを開いて続ける。
「そして、それと反比例するように、他の伝統的工芸品――細工物の出荷が減っているんです」
「細工物……あの国は元々、細工の美しさで名を馳せていたはずでは?」
「そう。今までは質の高さで勝負していたはずが、最近は量産型ばかりのようです。職人たちが減ったのか、それとも――何かを優先したのか」
「……魔力風車の製造に、魔力だけでなく職人の力も取られているのかもしれないわね」
その言葉にエレンが頷いてから、口を開いた。
「私たちは住宅街を回ってきました。見た目には活気がありましたが……歩きながら、サヴィアの風魔法で少し遠くの声を拾ってもらっていたのですが、残念ながら予想通りでした」
「どんな話ですか?」
ネージュがやや緊張した面持ちで尋ねる。
「“最近は土地が痩せて作物も前ほど育たない”、”いくら稼ぎが良くなっても野菜が高くて仕方ない”――そのような声でした。魔力風車が実際に土地から魔力を吸い上げる仕組みだとすれば。規模が大きければ、その分だけ周囲に影響が出てもおかしくはないのです」
部屋の空気が、静かに引き締まる。
「港の船乗りの話もそれらを裏付けするような内容でした。つまり――」
ルシアンがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「グラーケンは魔力風車で莫大なエネルギーを得ているが、それは土地を蝕む代償の上に成り立っている、ということになる」
「それだけじゃない」
とノアがメモを指差す。
「もしこの技術自体をも売ることに決めたなら、影響は爆発的に広がるだろう。魔力が地下でどう繋がっているかは、誰にも正確にはわからないんだから」
ノアの言葉に、重苦しい沈黙が流れた。
その静けさを破るように、エレンがゆっくりと口を開く。
「……つまり、このままでは周辺諸国にも、同じような“魔力の枯渇”が広がる可能性がある、ということですね」
その声音は静かで落ち着いている。だが、確かな重みと覚悟がこもっていた。
今の彼女は、旅装のままにもかかわらず、まるで厳かな式典の場に立つ大聖女のようだった。その背筋はまっすぐに伸び、深い瞳がこの場にいる全員をまっすぐに見据える。
その威厳に、自然と誰もが息をのむ。
長年の経験がにじみ出るその姿に、ルシアンでさえわずかに背筋を正した。ネージュもノアも、レイラも、サヴィアも――誰も言葉を挟まなかった。
エレンの瞳の奥に、恐れはない。
だが、そこには確かに苦悩の影が、かすかに揺れていた。
「やはり、魔力風車は……ただの便利な装置ではありません。放っておけば、取り返しのつかないことになります」
彼女の言葉は、重く、はっきりと部屋に落ちた。
エレンの口元が、ほんのわずかにきゅっと引き結ばれる。まるで、何かを堪えているかのように。
誰も返す言葉を持たず、ただ静かに頷くしかなかった。
神殿の高窓から、赤く傾いた陽光が差し込んでくる。部屋の中に長く、滲むような影が伸びていた。
空気は静まり返っているのに、どこかしら、心の奥をざわつかせるのにも感じられた。




