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12.港町カラーリア

温暖な気候と青く透き通る海—— 港町カラーリアは、まるで祭りの日のような賑わいを見せていた。

大きな船が次々と港に出入りし、荷揚げのかけ声が威勢よく飛び交う。

潮風に混じって、屋台から漂うスパイスの香りや焼き魚の芳ばしい匂いが私たちを包み込んだ。


「ひとが、たくさん」


サヴィアが驚いたように小さな声を上げるが、その声音に不快感や不安の色はなかった。目は見えなくとも、港町の喧騒や潮の香りを存分に楽しんでいるようだった。

しかし、レイラは周囲を見回しながら、僅かに眉をひそめる。


「……でも、少し落ち着かないわね」

「治安は決していいとは言えない場所ですからね」


ノアが静かに付け加えた。

実際、港町を行き交う人々は活気に満ちていた。海風にさらされた顔には笑みが浮かび、威勢のいい呼び声が行き交う。

だが、その中には物珍しそうな視線や、品定めするような目つきも混ざっている。

ネージュたちは目立たぬような衣装をまとい、たくましい騎士は海の男の格好でさりげなくそばに控えている。聖女だけの旅であったなら、きっと不安に思っただろう。


「……ねえ、あの店に入ってみない?」


ルシアンが目を向けたのは、港に面した素朴な食堂だった。木造の看板は潮風に晒されて色あせているが、店の中は賑わっていた。

船乗りたちが長椅子に腰掛け、干し魚の煮込みやスパイスの利いたスープを頬張っている。酒も入っているのか、陽気な笑い声が途切れることなく響いていた。


「確かに、情報も集まりそうですね」


ノアが頷き、彼らはさりげなく席を取った。


目立たないよう、聖女たちはフードを被り、ルシアンとノアは商人風の口調で店主と軽口を交わしながら食事を注文する。


隣の席からは、男たちの話し声が自然と耳に入ってきた。


「グラーケンからの荷、また入ってきたってな」

「最近はほんと景気がいいよな。聞いたか? “魔力風車”ってやつができて、港に流れる品が倍になったって話だ」

「突然こんなに変わるってのも不気味なくらいだがな」

「ま、難しいことはわかんねえが、こっちは儲かるなら大歓迎だ!」

男たちの会話は笑い声と共に流れていく。


「魔力風車……?」


ネージュが小さく呟くと、エレンが眉をひそめた。


「聞いたこともない名前ですね……」

「グラーケン王国は資源が乏しいと聞きました。それを補うために、そういった技術を……?」


レイラの声には、どこか不安が混じっていた。


一方、ルシアンはあくまで自然に、周囲の空気を壊さぬよう話題を別に切り替え、店主に港の物価や交易品について軽口を交わしている。

その柔らかなやりとりに、最初は少し緊張していたネージュも、ようやく肩の力を抜きはじめた。

その時店主の明るい声が響き、太い腕が聖女たちの前に突き出された。


「そうか、あんたたちカラーリアは初めてかい!ほらこいつはおまけだ、うちの名物「売れ残り魚のトマト煮」だ!」

「マスター、言い方が悪ぃよ」


店内の客たちがどっと笑う。


「名前は悪いが味は保証付きだ!水揚げされて残っちまうのは獲れすぎる旬の魚ばかりだからな、獲れたてを今朝がた仕入れてきたばっかりだ」


入れ墨のはいった腕で置かれた大皿には、焼き目をつけた白身魚をトマトソースで煮込んだものが入っていた。乱暴そうな主人の見た目と裏腹に、煮崩れしていない丁寧な仕上げだった。


感謝を伝えて口にすれば、しっかりと味の付けられたソースが魚に絡んで絶品だった。

同行の騎士に至っては、パンでそのソースを全てぬぐい取るほど気に入ったらしい。


「……話しかけたりしたら、怒られるんじゃないかって思っていました」


ネージュがぽつりと呟く。


「でも……ただの優しいおじさんたちでしたね」

「人は見た目で判断しちゃいけないよ」


ルシアンが、茶目っ気のある笑みを浮かべてそう言った。


その言葉にネージュは一瞬はっとしたような顔をしてから、頷いた。


「……ありがとうございます、ルシアン様」

「どういたしまして」


軽やかに答えるルシアンは、けれど彼女の瞳の奥にある揺れに、静かに寄り添うようなまなざしを向けていた。


そして彼らは、ひとまずの目的地――カラーリア神殿のオベリスクへと向かって歩き出した。



オベリスクの前に立った瞬間、一行は誰もが言葉を失った。

王都の神殿にあるオベリスクも衰えていたが、ここはそれとは比べものにならないほど深刻だった。

白く輝いていたはずの石碑は、くすんだ灰色に変色し、表面には深いひびがいくつも走っている。

魔力が循環しているはずの空気は重くよどみ、息をするだけで胸が詰まるような圧迫感があった。


「……ひどい」


サヴィアが震える声で呟く。

彼女の瞳は光を持たないが、魔力の流れを感じ取る力がある。彼女の表情からも、ここがいかに異常な状態かが伝わってきた。


「ここの聖女たちだけでは、到底追いつかないのでしょうね」


レイラが真剣な顔をして言うと、カラーリアの下位聖女たちは肩を落とし、申し訳なさそうに俯いた。


「どれだけ祈りを捧げても、一向に満たされる気配がないのです……」

「あなたがたのせいではありませんよ」


静かな声でそう告げたのは、エレンだった。

その言葉に、涙ぐんだ下位聖女たちは、救われたように小さく頷く。

張り詰めた空気のまま、一行はオベリスクの前に並び、祈りを捧げた。

エレン、ネージュ、サヴィア——三人の大聖女、そしてそれに匹敵する魔力量を誇るレイラが揃っての祈りである。


彼女たちの周囲に淡い光が漂い、精霊の気配がわずかに揺らめいた。


——この地を満たしてください。

——再び、清らかな流れをもたらしてください。


聖女たちの祈りが静かに響く。

やがて、オベリスクがかすかに輝きを取り戻し始めた。

薄暗かった石碑の表面がわずかに明るくなり、ひびの隙間からほのかな光が漏れ出す。

しかし、それでも完全な回復にはほど遠かった。

神殿きっての聖女たちが全力を尽くしたというのに、わずかな手応えしか得られなかったのだ。


「……もって二ヶ月というところですね」


エレンが低く呟いた。

二ヶ月——

それまでに根本的な解決策を見つけなければ、オベリスクは完全に崩壊してしまうかもしれない。


「こんな状態が続けば、精霊たちの活動にもますます支障が出るでしょう」


レイラの声は硬い。彼女は険しい目でオベリスクを見つめた。


「精霊が弱れば、農作物や天候にまで影響が及ぶわ……。いずれ人々の生活にも、深刻な問題が生じるでしょう」


誰もが沈痛な面持ちになる中、ふとネージュは先ほど聞いた「魔力風車」のことを思い出した。

グラーケン王国では、魔力を補う何らかの技術を見つけたのではないだろうか?

もし、それが関係しているのだとしたら——


「エレン様、グラーケン王国の魔力風車について、詳しく調べるべきかもしれません」


ネージュの言葉に、エレンは静かに頷く。


「ええ。まずは、カラーリアの商人たちに話を聞いてみましょう」


ルシアンとノアも互いに目を合わせる。


「この街は交易の要だ。情報を集めるにはうってつけだな」

「ですが、慎重に動いた方がいいでしょう。魔力風車が貿易に関わっているということは、それに絡む利権も大きいはずです」


ノアの言葉に、ルシアンが小さく笑った。


「ふふ、また厄介ごとに巻き込まれそうだな」


ルシアンは冗談めかして言ったが、その目は冷静に街の様子を観察している。

一行は、新たな手がかりを求め、港の喧騒の中へと戻っていった。

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